学習通信060223
◎指や舌を動かしながら……
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人生のはじめのころには、記憶力と想像力はまだ活発にはたらかないから、子どもは現実に感覚を刺激するものにしか注意をはらわない。
感覚は知識のもとになる材料だから、適当な順序でそれを子どもにあたえてやることは、将来、同じ順序で悟性にそれを供給するように記憶を準備させることになる。
しかし、子どもは感覚にしか注意をはらわないから、はじめはその感覚とそれをひきおこすものとの関係を十分明確に示してやるだけでいい。
子どもはすべてのものにふれ、すべてのものを手にとろうとする。そういう落ち着きのなさに逆らってはならない。それは子どもにきわめて必要な学習法を暗示している。
そういうふうにして子どもは物体の熱さ、冷たさ、固さ、柔らかさ、重さ、軽さを感じることを学び、それらの大きさ、形、そしてあらゆる感覚的な性質を判断することを学ぶのだ。
つまり、見たり、さわったり、聞いたりして、とくに視覚を触覚とくらべ、指で感じる感覚を目ではかることによって、学ぶのだ。
(ルソー著「エミール 上」岩波文庫 p75)
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池谷……─略─大人と子どもでは、記憶の種類が変わるだけなんですよ。かつて、ある企業の企画で、さまざまな年齢の人を対象にして、次の図を憶えてもらう実験をしたことがあるんです。この図を暗記した一時間後に、もう一度思い出してもらうという実験です。この図は実際にアルツハイマー型痴呆症の検査で使われています。だから、もし実際に、病院に行って「この図を描いてください」って言われたら……。
糸井……(笑)もうすでに、アルツハイマー型痴呆症を疑われてるんだ?
池谷……ええ、そう思っていいですね(笑)。
ここでは、見て憶える場合と、描いて憶える場合の、二通りの実験をしました。そうしたら、一六歳ぐらいまでの若いグループは、見て憶えようが描いて憶えようがほとんど結果に変わりがないのですが、大人は、描いて憶えると飛躍的に成績がよくなりました。
見て憶えるだけだと、大人と子どものあいだの成績にほとんど差はありません。だけど、大人が描いて憶えると成績は百点に近くなるのです。大人のほうがよくできた。
この結果は、大人になっても記憶力が低下しないということばかりでなく、大人になってから手を動かすことが、いかに重要かも示しています。絵に描くということは、つまり「一度得た情報をそのまま丸暗記せず、自分の手で描く」という自発的な経験になる。そうすると、受け手ではなく送り手の立場に立つことになり、ただ単に見た図も、自分の経験した記憶になります。
糸井……自分の手というフィルターを通しているからですか。
池谷……ええ。描きながら自分の知っているかたちに結びつけたり連想を膨らませたりしているので、描いてみるとわかりますが、案外大人はすぐにこの図を憶えられるものなんです。
子どもは脳の機能から言って、まだ「経験を下敷きにして憶える」ということをおこないにくいので、描いて憶えたとしても見て憶えた時とおなじ結果しか残すことができません。
つまり、「経験してわかる」ことに関しては、大人になってからのほうが発達しているのです。三〇歳以上の人のほうが経験した内容を縦横に駆使できますし、年を重ねるほどに脳のはたらきをうまく利用できるという現象も起こります。
あとで理由を詳しく述べますが、少なくとも脳の大切な機能のうちのいくつかは、三〇歳を超えてからのほうが活発になることがわかっています。
糸井……年を重ねるほどに脳をうまく利用できる? 三〇歳を超えたほうが脳が活発になる? ……って、それは一般常識で言われている「脳はどんどん細胞が壊れていって、頭は悪くなっていく」ということの逆に聞こえますよね。それはぜひとも詳しく伺いたいです。
「手を実際に動かしてみることで、自分の経験になる」のですね。手を動かすことって重要だなぁ。実験科学者の方って、よく「実際に手を動かして実験をすることが、いかにアイデアを生むことにつながっているか」を力説しますよね。
池谷……ええ。手を動かすことは脳にとってとても大切ですし、実際に科学者は実験の現場を離れると、もうアイデアが浮かばなくなっちゃうんです。
つまり、「手を動かすことが、いかにたくさん脳を使うことにつながっているか」ということなのです。大脳全体と手の細胞とは非常にリンクしています。こういう、ホムンクルスという人形があるんですけど……。
これは、身体のそれぞれの部分を支配している「神経細胞の量」の割合をカラダの面積で小した図なんです。つまり、手や舌に関係した神経細胞が非常に多いということがわかります。
指をたくさん使えば使うほど、指先の豊富な神経細胞と脳とが連動して、脳の神経細胞もたくさんはたらかせる結果になる。指や舌を動かしながら何かをやるほうが、考えが進んだり憶えやすくなったり、ということです。英単語を憶える時でも、目で見るよりも書いたりしゃべったりしたほうが、よく憶えられるということは、誰もが経験のあることでしょう。
糸井……手や口を動かすと脳も動くんですね。脳に発火させるための導火線みたい。
池谷……大人と子どもとの違いとして、もっとも大きな点は、「子どもはまわりの世界に白紙のまま接するから、世界が輝いて見えている。何に対しても慣れていないので、まわりの世界に対して興味を示すし、世界を知りたがる。だけど、大人になるとマンネリ化したような気になって、これは前に見たものだなと整理してしまう」ということになるのだと思います。
大人はマンネリ化した気になってモノを見ているから、驚きや刺激が減ってしまう。刺激が減るから、印象に残らずに記憶力が落ちるような主観を抱くようになる……。
ですから、脳の機能が低下しているかどうかということよりも、まわりの世界を新鮮に見ていられるかどうかということのほうを、ずっと気にしたほうがいいでしょう。
生きることに慣れてはいけないんです。慣れた瞬間から、まわりの世界はつまらないものに見えてしまう。慣れていない子どものような視点で世界を見ていれば、大人の脳は想像以上に潜在能力を発揮するんですよ。
糸井……あらためて大人でよかったぁ、と思いました(笑)。
(池谷祐二、糸井重里「海馬」朝日出版社 p16-21)
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潮流
遅まきながら、力ーリングにはまりました。「しんきくさい競技」と敬遠していた知人も、いまはトリノ五輪の中継を目の色をかえて見ています
▼スコットランド花こう岩をみがいた約二十`の石を氷の上ですべらせ、四十bほど先の円内に残る石の位置と数で得点を競う。玉突きとボウリングをかけあわせたようなカーリングは、氷上のチェス≠ニよばれます。十五世紀スコットランドで生まれ、もとは北欧の氷上の石投げ遊び、といいます
▼二時間半のゆったり流れる時間の中で、石を手から放す一役、一投のたびに、緊張のときが訪れます。巻く(カール)ように石をゆるやかに曲がらせ、ねらい通りのところへたどり着かせるかどうか!
▼トリノオリンピックの日本チームとイギリスチームの試合。両チームのどたん場の一役が、明暗を分けました。わずか一aはずしたイギリス。寸分のくるいもなく的にすべり込ませて得点した、日本の小野寺選手。微妙な手の運動の精度や心の集中度が、試されたような一瞬でした
▼ものにさわって情報を得る手は、「第二の目」といわれます。手の指には、知覚を受けいれ取りこむ器官が集中しています。複雑にからみあって手と指を動かす筋と腱(けん)。動きをささえる二十七個の骨、および関節。カーリングは、人間の手の能力を存分にいかす競技なのでしょう
▼日本チームの健闘を見終え、ふと思いました。すばらしいはたらきをもつ人間の手が、人を傷つける道具であってはならないのだ、と。
(「しんぶん赤旗」2006.02.22)
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◎「見たり、さわったり、聞いたりして、とくに視覚を触覚とくらべ、指で感じる感覚を目ではかることによって、学ぶのだ」と。