学習通信060301
◎僕はまるでちがってしまった……

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愛について

 神は愛なりという言葉がある。
 人間の言葉の内、美と愛が最も美しい。そしてこの二つが人生を無味乾燥から救ってくれる。この二つのものに人間が無頓着につくられていたら我等が生まれたという事は実に不幸な事であり、救いのない世界に投(ほう)り出されたことになる。幸い我等は愛と美を感じることができる。このことは喜ぶべきことである。

 愛する者を持たずこの世に生きることは潤いのないことである。生き甲斐のないことである。生きている喜びは愛からのみくるといっても誇張ではない。何かを愛せずには人は生きてゆけないようにできている。ただ愛するものを持つことのできない人は不幸である。

 そして賢い人になるに従って愛するものが不滅なものになり、偶然の力を借りずにもすめるものになる。即ち賢い者は真理や、神を愛する。美を愛する。彼は女を愛し、子供を愛し、友人を愛するかも知れない。然し同時に自分の仕事を愛し、真理を愛し、神を愛し、美を愛する。

 愛する女に逢えるということは、幸福なことであろう。愛し得る人間を持つことは、幸福であろう。然しそれ等のものは不滅なものでなく、また心の変り易いものであり、その愛を同一の力で続け得るかどうかはわからないものである。かつそれ等の人を有し得るということは偶然のことに属す。然も相手が自分より長生きしてくれるかどうかもわからないものである。又よく生長しても、いつかは、そう長くない未来に於て、死ぬものである。それは我等の生命を肯定し得る力であるとはいえない。

 それに反して隣人への愛とか、神への愛とか、真理への愛とか、美への愛とかいうものは、こっちに資格さえできれば、相手は無くならないと見る方が至当である。然しその資格をつくることは容易ではない。そのかわり一たんその資格をつくれば、そのよろこびはその人の頭をこわさない限りつづく。

 頭をこわしても人間はよろこべるものとは自分には思えない。然し頭が自由に働く限り、人間の精神が自由に働く限り愛は常に対象を得て、そこに真理からくるよろこびを味わうであろう。自分の友人に、細君が他人を愛したために自殺した人がある。人間に与えられた嫉妬というものには恐ろしい力があるのは事実だが、自分の愛人が他人を愛したからといって自殺するのでは心細い。個人に執着強い愛をもつことによって人間は幸福になり得ないものではあるが、それによってのみ自己の生き甲斐を感じ得る人は不安である。

 しかし隣人を愛するもの、神を愛するもの、真理を愛するものは、相手から背かれることはない。孔子は女を愛するように真理(?)を愛する人に出逢うことの困難なことを知らされていた。しかしそれ程執着強くないかも知れないが、それ等の愛こそ、我等に安住の地を与える。どういう愛が安住の愛であり、どういう愛が不安な愛であるか。

 それを本当に知る時、愛の価値がきまる。

 一時的の愛、偶然に支配される愛は強い力を持つが、我等はそれをよろこべるだけよろこぶのはいいが、それに執着しすぎる人は愚な人である。不安な感を与える。その時、その愛が更に静かなしかし永遠的で、偶然に支配されない愛にすなおならいいが、それを邪魔する性質をもっていたら危険である。おちつきがない。

 人間にはいろいろの本能がある。人間はまず生きなければならない。それには生命を愛することが必要である。生命に執着しすぎる者は、幸福になれないが、生命を愛さないものも、幸福になれない。
(武者小路実篤著「人生論・愛について」新潮社文庫 p292-294)

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僕はまるでちがって
      黒田三郎

僕はまるでちがってしまったのだ
なるほど僕は昨日と同じネクタイをして
昨日と同じように貧乏で
昨日と同じように何にも取柄がない
それでも僕はまるでちがってしまったのだ
なるほど僕は昨日と同じ服を着て
昨日と同じように飲んだくれで
昨日と同じように不器用にこの世に生きている
それでも僕はまるでちがってしまったのだ
ああ
薄笑いやニヤニヤ笑い
口をゆがめた笑いや馬鹿笑いのなかで
僕はじっと眼をつぶる
すると
僕のなかを明日の方へとぶ
白い美しい蝶がいるのだ

 自分の気持が、好きな人にすっと伝わったとき、受け入れられたとき、あるいはまた、好きだった人が同じくらいに自分に好意を持っていてくれたのを知ったとき、告げられたとき、そんな時は、見なれた風景や周囲のありさまが、がらり一変して、別の色彩を帯びて輝くということがあるのでした。「まるでちがって」しまうのです。恋多き人というのは、こんな奇跡を何度でも味わいたい人なのかもしれません。

 白い蝶は、僕にも生きられるという希望そのものの形象化で、ジグザグに、ひらひらと飛ぶ蝶の動きが見えるようです。

 この詩を読むと、自分たちだけのかくしごとが、普遍的な深さにまで達し、他の恋人たちにも思いあたるふしあり、なのです。自分の思いを深く掘り下げてゆくと、井戸を掘るように掘り下げてゆくと、地下を流れる共通の水脈にぶちあたるように、全体に通じる普遍性に達します。それができたとき、はじめて表現の名に値するといえましょう。

 恋愛詩は現在もたくさん書かれているわけですが、『ひとりの女に』が出てから二十五年もたつのに、一冊の詩集として、まだこれを超えたものは出ていません。短歌ではなく、口語体の自由詩で、恋唄を書くのがいかにむずかしいか、ということです。

 ところで、黒田三郎夫人となったこの少女は、自分一人に捧げてくれたのならいいけれど、公表してしまったと言って、プンプン怒ったそうですが、その気持ちもわからなくはないけれど、読者としては詩集として刊行され、日本語全体の富となったことを喜びます。

 この詩集には貧乏という言葉がだいぶ出てきますし、事実、詩を書いている人は現在もさほど事情は変わっていません。というのも、詩ほど値のつけにくいものはなく、ゼロとも言えるし、一篇一億円とも言えるもので、現実に世間がつけてくれる値段は一万円くらい。

 私はときどき一人で値段ごっこというのをやって、この世の流通機構をひっくりかえしてしまいます。ありふれたものは値が安いというのは経済の原則でしょうが、たとえば、レモン一箇が五十円で買えるなんて信じられません。レモンの形、色、ヴィタミンC含有度、すべてひっくるめて、あの一顆は私のなかで五千円くらい。高村光太郎や梶井基次郎がその作品のなかでレモンに与えた価値は宝石なみで、当時は手に入れにくかったにせよ、正確な感覚に思えます。

 逆にダイヤモンドやミンクの毛皮は、身につけたいと思わないから、もらったとしても、がらくたなみ。一般には人間も、学歴や社会的地位で価値が決まるようですが、私のランク表によれば、役たたずのダメ人間とされている人が、すこぶる高みの椅子に坐っていたりします。

 とっくに死んだ詩人たち──たとえば芭蕉がやった仕事などは、現代の私たちの感受性にも大きな影響を与え、よくもわるくも民族の感覚を決定づけるくらいの大きなことをやっているわけで、芭蕉の一句さえ読んだことのない人にも、はかりしれないものを与えつづけています。新聞の見出し、天気予報、日常会話にも、それらはさりげなく、しのびこんでいるのですから。

 というわけで、黒田三郎の詩ばかりでなくこの本で私が選んだ詩はすべて、一篇五億円くらいの値打ちありと思っているのです。けっして誇大妄想狂ではありません。もっとも、こう言いはるのが怪しいという説もありますが。
(茨木のりこ著「詩のこころを読む」岩波ジュニア新書 p38-42)

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 もともと、愛とは特定の人間に対する関係をいうものではない。それは一つの態度、すなわち性格の方向性であり、ある人がある愛の対象に対してではなく、全体としての世界と関係するその仕方を決定するものである。

もし人が他のひとりの人のみを愛し、そしてほかの仲間には冷淡であるというのであれば、その愛は愛ではなく、共棲的な愛着であるか、あるいは拡大された自己中心主義にすぎないのである。

しかし、大部分の人びとは、愛とはその能力によってではなく対象によって成り立つものであると信じている。

実際、彼らは、自分たちが《愛した》人間を除いては誰をも愛さない、というのが自分たちの愛の強さの証拠であるというふうに信じていさえする。これはわれわれがすでに上に述べてきたと同じことであり、誤謬である。

なぜならばこのとき人は、愛は活動であり、精神の力であることを理解していないからである。必要なのは正しい対象を見出すことだけである──そして他のことはすべてその背後に退くものだ──ということを信じているからである。

この態度は、画を描きたいときには、技術を学ぶかわりに、正しい対象を得なければならない、そしてそれを見出しさえすれば美しく描けるだろうと主張する人に比べることができる。

もしも私が、真にひとりの人を愛するならば、私はすべての人を愛し、世界を愛し、生命を愛するのである。

もしもわたしが、誰かに「あなたを愛する」といえるならば、「私はあなたたちの誰をも愛する、私はあなたを通して世界を愛する、私はあなたを愛し、また私自身を愛するのだ」といえなければならないはずなのである。

 愛はひとりにではなく、すべてに関係する見当づけであるということは、しかしながら、愛される対象の種類によって変わるいろいろの愛の形の間に差異がないという考え方を意味するものではない。
(フロム著「愛するということ」紀伊国屋書店 p62-64)

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マルクスは当時まだ、まったく成長の途上にあった。彼の若干の詩には知識にたいする抑えがたい渇望と大胆な衝動が反映していた。つぎの詩などはその一つである。

もし全身が火のなかにあるとき、
平穏のうちに生きることは私にはできない。
たたかいもなく、嵐もなく、
夢見ごこちに生きることは私にはできない。

私は欲する芸術の認識を──
神々のこよなきたまものたるその芸術を、
理性と感情の力をもって
全世界をつかむ用意が私にはある。

かくて行こうよ
多難なとおい道のりを、
空虚な平凡な生活を生き、
たいくつな生命を生きることを避けるために──。

恥ずべき怠惰の首かせのもと
あわれな生涯をひきずることのないよう、
猛進と意欲のうちにこそ
人間は全能である。

 若いマルクスの反骨精神が、若干の詩のなかに、その不完全な形式をとおして、すでに姿をみせている。

 この新しいモチーフは、「人間の誇り」と題する詩のなかに、声のありたけをはりあげて歌われている。

イェニーよ! 私はあえて言うことができる、
私たちは愛しつつこころを交わしあった、
こころは燃えあがりつつ一つにとけ合った、
こころの波は激浪のごとくわきたっている。
かくて私は世界のひろい顔面に
軽蔑の手袋を投げつける。
さらばくだらぬ巨人はうめきとともに崩れおちよう。
しかし私の心の炎は彼の残骸のもとで消えさらず、
勝利の足どりをもって廃墟の王国を歩み、
神のごとく徘徊するであろう。
私のことばはすべて火となり行動となるであろう。

 知的自律性を獲得し、古い思想体系や古い思考方法をくつがえして、新しいものを探求するという苦しい道程とあいならんで、彼の心はいつもかわらずイェニーにたいする愛でいっぱいであった。

 マルクス自身が自己弁護をしてつぎのように言っている。「私の当時の心の状態では、叙情詩こそ第一のテーマとならねばならなかった。少なくとも、私にとってもっとも心楽しく、身近なものであった。」もちろん、マルクスは自分の詩的経験についていっさいの欠陥を知りぬいていた。しかし彼はこれらの詩のなかに流れる感情のあたたかさと勇敢な羽ばたきの渇望を評価していた。

 マルクスはすでに、一八三六年九月にイェニーとの婚約を父に知らせているが、婚約した二人は長い年月を別れわかれに暮らさねばならなかった。まる七年間というもの、カールは美しいイェニーを待ちつづけた、とエレアノールはかたっている。バイブルのヤコブが何年もラケルを待ったように、この「狂乱のローラント」はイェニーと結婚するまでに七年間を「働きつめた」わけである。
(ヴィノグラドスカヤ著「マルクス夫人の生涯」大月書店 p54-56)

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◎「もしも私が、真にひとりの人を愛するならば、私はすべての人を愛し、世界を愛し、生命を愛するのである」と。