学習通信060302
◎集合することによって……

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1 ブルジョアとプロレタリアート

 これまでのすべての社会の歴史は、階級闘争の歴史である(※)。

 自由民と奴隷、貴族と平民、領主と農奴、同職組合の親方と職人、簡単に言えば、抑圧するものと抑圧されるものとは、絶えず互いに対立していて、あるときは隠れたかたちで、あるときはあらわなかたちで、絶え間のない闘争を行なったが、この闘争は、そのつど、社会全体の革命的変革で終わったか、それとも闘争しあっている両階級がともに没落することで終わったか、である。

 歴史の以前の諸時代には、ほとんどいたるところで、社会は種々の身分に完全に区分され、社会的地位は多様な階層に分かれていたことがわかる。古代ローマには、貴族、騎士、平民、奴隷がおり、中世には、封建領主、家臣、同職組合の親方、職人、農奴がいて、さらにそのうえに、これらの階級のほとんどどれにもまた、特殊な諸階層がある。

 封建社会の没落から生まれ出た近代ブルジョア社会は、階級対立をなくしはしなかった。それはただ、新しい諸階級、新しい抑圧諸条件、新しい闘争諸形態を、古いそれらに置き換えただけであった。

※すなわち、すべての書かれた歴史。一八四七年には、社会の前史、記録された歴史に先立って存在する社会組織は、ほとんど知られていなかった。

そのとき以後に、ハクストハウゼンがロシアにおける土地の共有制を発見し、マウラーが土地の共有制はすべてのテュートン種族が歴史においてそこから出発した社会的基礎であることを証明して、村落共同体がインドからアイルランドまでのいたるところで社会の原始的形態であること、またはあったことが、しだいに明らかになってきた。

この原始的な共産主義的社会の内部組織は、その典型的な形態では、氏族の真の性質および氏族の種族にたいする関係についてのモーガンの最上の発見によってあらわにされた。これら太古の共同体の解体とともに、社会は、別々の、そして最終的には敵対的な諸階級へと分化しはじめる。

私は、この解体の過程を、『家族、私有財産および国家の起源』(第二版、シュトゥットガルト、一八八六年)のなかであとづけしなおそうと試みた。〔英語版でのエングルスの注〕
(マルクス、エンゲルス「共産党宣言」新日本出版社 p48-49)

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第五章 つねに最初の約束にさかのぼらねばならないこと

 わたしが、これまで反対してきたことを、かりにすべて認めるにしても、専制政治に味方する者の立場が、そのために少しでもよくなりはすまい。多数者をおさえつけることと、一つの社会を治めることとの間には、いつでも大へんな違いがあるはずだ。

ばらばらになっている人々が、つぎつぎに一人の人間のドレイにされてゆくとして、その人数がどうであろうとも、わたしはそこに、一人の主人とドレイたちしかみとめない。

人民とそのかしらはみとめられない。それは集合とはいえようが、結合ではない。

そこには、公共の財産もなければ、政治体もないのだ。この〔主人となる〕人間は、たとえ世界の半分をドレイ化したとしても、やはり一私人にすぎない。彼の利害は、他の人々の利害から切りはなされているのだから、やはり私の利害でしかない。もし、この当人が死ぬようなことになれば、その死後の帝国は、ばらばらで、つながりのないままのこされるだろう。ちょうどカシの木が、火にやかれてしまえば、一山の灰になって、くずれおちてしまうように。

 人民は、自分を王にあたえることができる、とグロチウスはいう。だから、グロチウスによれば、人民は、自分を王にあたえる前に、まず人民であるわけだ。この贈与行為そのものが、市民としての行為なのだ。それは公衆の議決を前提としている。

だから、人民が、それによって王をえらぶ行為をしらべる前に、人民が、それによって人民となる行為をしらべるのがよかろう。なぜなら、この行為は、必然的に他の〔王をえらぶ〕行為よりも先にあるものであって、これこそが社会の真の基礎なのだから。

 事実、もし先にあるべき約束ができていなかったとすれば、選挙が全員一致でないかぎり、少数者は多数者の選択に従わなければならぬなどという義務は、一体どこにあるのだろう? 主人をほしいとおもう百人の人が、主人などほしいとおもわない十人の人に代って票決する権利は、いったいどこから出てくるのだ? 多数決の法則は、それ自身、約束によってうちたてられたものであり、また少なくとも一度だけは、全員一致があったことを前提とするものである。

第六章 社会契約について

 わたしは想定する──人々は、自然状態において生存することを妨げるもろもろの障害が、その抵抗力によって、各個人が自然状態にとどまろうとして用いうる力に打ちかつに至る点にまで到達した、と。そのときには、この原始状態はもはや存続しえなくなる。そして人類は、もしも生存の仕方を変えなければ、亡びるであろう。

 ところで、人間は新しい力を生み出すことはできず、ただすでにある力を結びつけ、方向づけることができるだけであるから、生存するためにとりうる手段としては、集合することによって、抵抗に打ちかちうる力の総和を、自分たちが作り出し、それをただ一つの原動力で働かせ、一致した動きをさせること、それ以外にはもはや何もない。

 この力の総和は、多人数の協力によってしか生まれえない。ところが各人の力と自由こそは、生存のための最も大切な手段であるからには、ひとは、自分を害することなしに、また自分にたいする配慮の義務を怠ることなしに、どうしてそれらを拘束しうるであろうか? わたしの主題に引きもどして考えれば、この困難は、次のような言葉であらわすことができる。

 「各構成員の身体と財産を、共同の力のすべてをあげて守り保護するような、結合の一形式を見出すこと。そうしてそれによって各人が、すべての人々と結びつきながら、しかも自分自身にしか服従せず、以前と同じように自由であること。」これこそ根本的な問題であり、社会契約がそれに解決を与える。

 この契約の諸条項は、行為の性質によって、きわめてはっきり決められているので、すこしでも修正すれば、空虚で無効なものとなってしまうだろう。だから、この条項は、おそらく正式に公布されたことは一度もなかったのであろうが、いたるところにおいて同一であり、いたるところにおいて暗黙のうちに受けいれられ是認されていた──社会契約が破られ、そこで各人が自分の最初の権利にもどり、契約にもとづく自由をうしない、そのためにすてた自然の自由をとりもどすまでは。

 この諸条項は、正しく理解すれば、すべてが次のただ一つの条項に帰着する。すなわち、各構成員をそのすべての権利とともに、共同体の全体にたいして、全面的に譲渡することである。その理由は、第一に、各人は自分をすっかり与えるのだから、すべての人にとって条件は等しい。また、すべての人にとって条件が等しい以上、誰も他人の条件を重くすることに関心をもたないからである。

 その上、この譲渡は留保なしに行われるから、結合は最大限に完全であり、どの構成員も要求するものはもはや何一つない。なぜなら、もしも特定の人々の手に何らかの権利が残るとすれば、彼らと公衆の間にたって裁きをつけうる共通の上位者は誰もいないのだから、各人は、ある点で自分自身の裁判官であって、すぐさま、あらゆることについて裁判官となることを主張するだろう。そうなれば、自然状態が存続するであろうし、また結合は必然的に圧制的となるか、空虚なものとなるであろう。

 要するに、各人は自己をすべての人に与えて、しかも誰にも自己を与えない。そして、自分が譲りわたすのと同じ権利を受けとらないような、いかなる構成員も存在しないのだから、人は失うすべてのものと同じ価値のものを手に入れ、また所有しているものを保存するためのより多くの力を手に入れる。

 だから、もし社会契約から、その本質的でないものを取りのぞくと、それは次の言葉に帰着することがわかるだろう。「われわれの各々は、身体とすべての力を共同のものとして一般意志の最高の指導の下におく。そしてわれわれは各構成員を、全体の不可分の一部として、ひとまとめとして受けとるのだ。」

 この結合行為は、直ちに、各契約者の特殊な自己に代って、一つの精神的で集合的な団体をつくり出す。その団体は集会における投票者と同数の構成員からなる。それは、この同じ行為から、その統一、その共同の自我、その生命およびその意志を受けとる。

このように、すべての人々の結合によって形成されるこの公的な人格は、かつては都市国家という名前をもっていたが、今では共和国、または政治体という名前をもっている。

それは、受動的には、構成員から国家とよばれ、能動的には主権者、同種のものと比べるときは国とよばれる。構成員についていえば、集合的には人民という名をもつが、個々には、主権に参加するものとしては市民、国家の法律に服従するものとしては臣民とよばれる。

しかし、これらの用語はしばしば混同され、一方が他方に誤用される。ただ、これらの用語が真に正確な意味で用いられるとき、それらを区別することを知っておけば十分である。
(ルソー著「社会契約論」岩波文庫 p27-31)

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だれが社会をつくったのか

 自然というものが一定の法則性にもとづいて規則正しく動いているということは、原始人も知っていたのだが、火山の爆発とか地震というような異変がおこると、これを科学的に説明することはできず、神さまが怒ったせいだと考えるのがふつうだった。自然の背後に神がいるという考え方は、近代物理学の基礎をつくったニュートンにもまだ残っていたのである。

 同じように、社会というものも神さまがつくったと、長いあいだ人びとは考えていた。こういう考え方を、宗教的社会観あるいは神学的社会観という。

 社会というのは、まえにのべたように、人と人との関係である。だから、神さまが社会をつくったということは、この人と人との関係を神さまがきめたということである。

 たとえば夫婦という関係。いまの人なら、男と女とが愛しあって夫婦になると考える。

 神さまはまったく関係ない。しかしいまでも、男と女がめぐりあって夫婦になるのは、それぞれが生まれたときから目にみえない赤い糸で結ばれていたのだ、という人がいる。こんな話を信じない人でも、神社へいって「早くよい人にめぐりあえますように」とお祈りしたり、手相で結婚運を占ってもらったりする。そういうことをしない人でも、結婚式は神さまの前でおこない、「苦しいときも貧しいときもたがいに愛しあい助けあいます」と神さまに誓いをたてる。そんなものは形式だけのことで市役所へ婚姻届をだせば結婚は成立するという人もいるだろうが、こういう形式がまだひろく残っていることは、夫と妻という関係は神さまのさだめによるという考え方が昔はつよかったということのあらわれである。だから、離婚は神にたいする裏切りであって、いまでもカトリックの国では離婚をゆるさない国が多い。

 結婚をすれば子どもが生まれる。精子と卵子が結合すれば子どもが生まれるということは、いまなら小学生でも知っているだろうが、新しい生命の誕生ということは長いあいだ神秘だった。だから子どもは神さまからの「授かりもの」といわれる。親と子という関係のあいだにも神さまがいるのであって、縁結びの神さまとならんで、子宝を授けてくれる神さまや安産の神さまがいたるところに祭られている。キリスト教では有名な「モーゼの十戒」の第五番目に「あなたの父と母をうやまえ」ときめられていて、親孝行は親にたいする義務であるだけでなく、神にたいする義務ともなっている。

 このように、夫婦、親子をはじめ、主人と召使い、殿様と家来、国王と臣民など、すベての人間関係は神のさだめたものとされていた。男女差別も神のさだめであった。キリスト教では、神さまはまず男をつくり、ひとりでは淋しいだろうといってそのあばら骨をひとつとって女をつくったということになっているから、女は男から派生したものであり、したがって男よりも下のものであるとされた。だから、女が男にたいして説教をするなどというのはとんでもないことであって、いまでもキリスト教の牧師には女性はほとんどいない。

 こういう宗教的神学的な社会観でとくに問題となるのは支配の関係である。日本でも昔は祭政一致といって、政治は「まつりごと」つまり宗教的行事であった。支配者である国王は神の命をうけ、神の権威によって人民を支配するのである。中国では神は天であったから国王は天子とよばれ、日本の天皇も天の命によって国土を支配するものという意味である。

こういう考え方では、国王は人民にたいして責任をとるのではなく、神にたいして政治責任をもつ。国王が政治上なにか失敗をしたときには神さまが国王をとりかえるのであって、これが「革命」である。「革」というのは「改める」という意味で、神さまがいままでの国王をやめさせ、別の人を国王に任命するというのが「革命」という言葉のもともとの意味である。ヨーロッパでは神の代理人として教会があったから、国王が即位するときにはローマ教皇が塗油という儀式をおこなって王位を承認し、国王に失政があると教会から破門されて王位を失ったのである。

 これは昔のことだが、いまでもその名残りはたくさん残っている。日本では一九四六(昭和二一)年に天皇が「自分は人間です」といういわゆる人間宣言をおこなうまで、天皇は神そのものだった。ヨーロッパでも、一六、七世紀くらいまで国王の権力は神から授けられたものという考え方(これを王権神授説という)があり、日本の場合にはこの考え方が二〇世紀まで残っていた「珍しい例」といわれている。いまの人はこんな考えは、バカバカしいといって笑うだろうが、いまでも二月一一日を神武天皇がはじめて天皇の位についた建国記念の日だといってお祝いしている人がいるが、これは神学的社会観の名残りである。

 国王が神そのもの、あるいは神によって任命されたものと考えると、国王を頂点とする社会の秩序もすべて、神のさだめたものとなり、これにさからうことはいっさい許されなかった。貴族とか武士とか、商人、農民、賎民などという身分もすべて神のさだめであって、もし奴隷として生まれたら、それも神の思召しなのだから、一生奴隷であることに満足していなさい、と教えられた。人びとのあいだの不平等の原因は神そのものにあり、人間のなかには生まれつき支配者になる人と支配される側になる人とがきまっているのだと、中世の哲学者や神学者は主張したのだった。

社会は人がつくった

 しかし、よく考えてみると、もし神さまが人間をつくったとするなら、神さまは国王だけではなく一人ひとりの人民もつくったのではないだろうか、という疑問がでてくる。国王といっても、世界中に国王は何人もいるし、そのうち、こっちの国王の方が神に近くて、あっちの国王は神に遠いということもないだろうし、生まれつき支配者になるようにきめられた人がいるといっても、国王や領主のなかにはどうみてもまるっきり無能力なのもいるし、人民をいじめて喜んでいるのもいる。これがみんな神さまのきめたことだとすれば、神のさだめというものも、ずいぶんおかしいことになるのではないか。

 神は自然をつくった。しかしいったんできあがった自然は自然の法則にしたがって動いている。自然科学の方でこういう考え方があらわれてきたころ、それと同じように、人間も神がつくったものだけれども、しかし人間と人間との関係は人間同士のあいだの約束によってつくられているのだ、という考え方もあらわれるようになってくる。こういう考え方を自然法的社会観という。

 自然法というのは神がさだめた規則である。しかし神もいったんさだめた自然法の内容を勝手に変えることはできない。そして自然法の内容がどういうものであるかを解釈するのは、国王や教会ではなく、一人ひとりの人間に与えられている理性である。「自然法とは正しい理性の命令である」──こういう考え方が一六世紀ごろのヨーロッパにでてきた。理性というものは神が与えたものと考えられていたから、ここでもまだまったく神がいなくなったわけではないけれども、しかし神はずっとうしろへひっこんで、人間の理性が正面にでてくる。社会は人間が理性によってつくるものと考えられるようになるのである。

 自然法という考え方は日本人である私たちにはなじみのうすいものだ。東洋的ないい方では「道理」という言葉がこれに近いだろう。あるいは正義とか人道とかという場合もあるかもしれない。ようするに、人間として当然のこと、誰がみてももっともと思うことというようなものであって、道理とは何かということを考えはじめると、なかなか面倒なことになるのだが、自然法とか道理という考え方はその内容について皆が一致できる点があるという前提にたっているのである。

 では、どういう点で一致すると考えられたのだろうか。じつはいろいろな思想家がいろいろなことをいっていて、完全な一致があるわけではないのだけれども、自然法的社会観の基本的な考え方はつぎのようにまとめられるだろう。

 第一に、いまの世の中の秩序をいったんすべて否定して、社会のない状態というものを考えてみる。これを自然状態とよぶ。自然状態というものが実在したのか、それとも仮定のものなのかは、人によって考え方のちがいはあるが、それはあまり重要ではない。とにかく、現在の社会を前提としないで、人間と人間との関係をまったく新しく根本から考えなおしてみようという発想が重要である。

 第二に、このようにいまの社会の秩序をいったん否定して考えてみると、国王と人民、領主と農民、貴族と平民というような身分の差はすべて消えうせてしまって、みんなが平等な人間にもどってしまう。「ハダカの王様」という童話があるけれども、王様もハダカにしてしまえばふつうの人間なのだ。ハダカになっても、たしかに体格や体力の差はあるが、体格や体力の差が社会の秩序や身分差と結びつくわけではないから、自然状態ではすべての人が平等だったといってよい。

 第三に、もしいっさいの秩序とか法律や権力などがなければ、人びとはおたがいに争いあって食物などのとりあいをしただろうか、それとも助けあって平和に暮らしただろうか。この点でもいろいろな思想家の考えは分かれる。自然状態では人間はたがいに争いあうだろうと考えたのは、一七世紀のイギリスの哲学者トマス・ホッブズで、彼は自然状態では「万人対万人の戦争」がおこるだろうと考えた。そんなことにはならないだろう、と考えた人もいたが、いずれにせよ、自然状態のままでは生きてゆけないので、人びとはあつまってたがいに約束をして社会をつくった。つまり、社会というものは、ひとりでにできあがってくるものではなく、みんなの話しあいで人為的につくられるものだ、という考え方である。この考え方を社会契約説という。

 いまでもたとえば、職場で新しく労働組合をつくろうというときに、組合結成に賛成する人たちがあつまって規約をきめ、役員を選出する。これは一種の社会契約であって、契約によって労働組合という新しい組織ができるのである。しかし、もっと大きく日本の国家とか社会とかを考えてみると、それが契約によってできたというのはあきらかに歴史的事実には反している。社会契約説は非歴史的であり、社会の変化をみていないという点で、とうてい科学とはいえないものであった。ただここで、人間の平等とか自由とか基本権とかという理念が主張されたことは重要で、この点については第四章でもう一度とりあげることにしよう。
(浜林正夫著「社会を科学する」学習の友社 p36-44)

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◎「それと同じように、人間も神がつくったものだけれども、しかし人間と人間との関係は人間同士のあいだの約束によってつくられているのだ、という考え方……こういう考え方を自然法的社会観という」と。