学習通信060310
◎誤った権威……

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 そして、新しい幹部が成長するために、つぎの二つの点に留意する必要があります。一つは、組合幹部はスカッとした性格の持主でなければならない、ということです。いつも、わかったか、わからんような、煮えたか、煮えないような態度をしたり、しゃべったりしているようでは、大衆から支持されません。労働者は本来、労働者階級の楽天性をもっています。この性格は、労働者は現在苦しめられていても、かならず勝利者になりうるという必然性から生まれているものです。

 この労働者にたいし、幹部は淡白でないと、「イエスかノーかはっきりしろ」と労働者はどなりだします。そして、このスカッとした性格は、けっして先天的なものでなく、意識してつくられるものです。理論学習を深めることによって、わたしたちは理論にみちびかれることによって、具体的な問題を科学的に分折することができるし、右にするか、左にするか自信をもってはっきりいうことができます。大衆は幹部のこのような態度をたのもしく感ずるものです。

そして、もし、そのことが間違っていたときは、率直に大衆の前に自己批判することです。つまり、やらなければならないときにやらなかったり、まよったりしていたのでは、時機を失ってしまうということです。階級闘争の先頭にたつ組合幹部にとって、大切な一つの課題だとわたしは思っています。

 二つめは、幹部とりわけ新しい幹部は、けっしてごう慢な態度におちいってはいけないということです。「謙虚は人を進歩させ、ごう慢は人を退歩さす」という言葉はありますが、ごう慢な人は、進歩することができないだけでなく、退歩するし、大衆から見はなされます。「みのればみのるほど頭を下げる稲穂かな」の句のように、「能あるタカは爪をかくす」ものです。

権威はぶら下げるものではなく、他人が評するものです。

新しい幹部は三年や五年の経験をもっているからといって、なんでも知り、なんでもこなせると思ったら大きなまちがいです。個人の能力と経験は、いくらその人が努力しても、それは、階級闘争の理論と労働運動の全分野からみれば、大海の一滴にもひとしいものです。わたしたちの努力は、それぞれの領域の深部にいかに接近するかにすぎません。さいきんわたしは、わからないことがとても多くあることに気づきはじめるようになりました。いままで、わたしの心の中にもごう慢さがあったのでしょう。

 そして、さいごに、新旧幹部の団結がうまくいかないときには、その責任は旧い幹部にあることをはっきりしておかねばなりません。新しい幹部は理論的にも実践的にも、未熟であることはさけられません。このことを前提とするなら、旧い幹部は、団結できない原因をはっきりし、原因をほぐす義務があります。不団結の原因は、新しい幹部にあるにしても、旧い幹部はその原因をつきとめ、その原因の和解策を積極的に講ずるなら、団結を前進させることができます。

新旧幹部の不団結は、旧い幹部が新しい幹部と対等に争おうとするところにも原因があります。本来、旧い幹部は、理論的にも実践的にも一歩進んでいることを前提とするなら、旧い幹部は新しい幹部より一歩たかい立場から、話しあうことができるはずです。これは、けっして旧い幹部がえらぶることを意味しません。理論的に実践的に、より道理にかなった説得ができるということです。
(細井宗一著「労働組合幹部論」学習の友社 p66-69)

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《おさえつけの権威》
 これはもっとも有害だとはいえないまでも、もっとも警戒を要する種類の権威であります。こうした権威にまっさきにとりつかれるのが父親です。家の中で父親がのべつどなりちらし、腹をたて、つまらぬことにいちいちかみなりをおとしたり、むやみに棒をふりあげたり、ズボンのベルトをひきぬいたり、ものをきかれてもつっけんどんに答え、子どもが失敗するたびに罰をくらわすといったのが、つまりおさえつけの権威なのです。こういった父親の暴力が、子どもばかりか、母親をふくめて家庭全体を威圧することになります。

この暴力のもたらす害は、子どもをおびえさせるだけにとどまらず、母親を親というより、召使い程の存在にしてしまうのです。このような権威がいかに有害なものであるか、いまさらいうまでもありません。教育するどころの話ではありません。ただ恐ろしい父親を敬遠することだけを教え込むことになり、うそつきで、臆病ものをつくり、同時に子どもに残忍さを植えつけることになります。しいたげられ、いじけた子どもはやがてぐずでのろまな人間になるか、さもなければ自分のおさえつけられた子ども時代をとりもどすために、がんこいってつ者になるのです。権威の中でこのもっとも野蛮な種類は、かって教養のない親に限ってみられたものですが、さいわい、姿を消してしまいました。

《わけへだての権威》
 子どもがいうこときくようにするためには、できるだけ子どもとは口をきかず、できるだけはなれていること、時折り上役のように顔をみせるだけでいいのだとかたく信じている父親。そればかりか母親もいます。この種の権威は、旧いインテリの家庭で殊に好まれたものです。そこでは例外なく父親が離れた書斎をもっていて、そこからローマ法皇のように時折り姿をみせるのです。一人で食事をし、一人で気晴らしをし、自分にまかされている家庭の指示までも母親の口からいわせます。また、母親には母親なりの生活や趣味、考えがあると思いこんでいる母親がいます。子どもはおばあさん、時には家政婦にまかされているのです。

 そのような権威はなんの役にも立ちませんし、そのような家庭をソビエト的家庭といえないことはいうまでもありません。

《ひとりよがりの権威》
 これはわけへだての権威の変型といってもよいのですが、なお有害かもしれません。ソビエト国家の市民はだれでも、それぞれ功績をもっています。けれども自分こそもっとも功績のある、もっとも重要な働き手であると思いこんで、やたらにその重要さを吹聴し、自分の子どもにまで誇らしげに語るという人がいるものです。そういう人は家では職場にいる時よりも、もったいぶってみたり、いばってみたりするものですし、とかく自分の値打ちを得々として語り、ほかの人に横柄な態度をとるものです。

父親のこのような態度に感化されて、子どもまでが横柄になることがよくあるものです。こういう子どもは友だちの前で、やはり自慢せずにはいられずに、うちのおとうさんは課長だ、ぼくのおとうさんは作家だ、うちのおとうさんは隊長だぞ、ぼくのおとうさんは有名なんだとやたらにくりかえします。この高慢ちきの環境の中で、このえらい父親は一体子どもの行く末がどうなるのか、自分は誰を教育しているのかもうわけがわからなくなるのです。このような権威は母親にもみられます。特別の衣裳をもっているとか、えらい人を知っているとか、保養地へ出かけるとか、そういうことがすべてうぬぼれのもとであり、他人や自分の子どもからもお高くとまって、すましている根拠となっているのです。

《半可通の権威》
(※はんか‐つう=未熟なのにいかにも通人らしくすること。きいたふうをすること。)

 この場合には、両親が必要以上に子どもに気を使い、必要以上に動きまわり、官僚的になります。そういう親は、子どもというものは親のいいつけを拳拳服膺(けんけんふくよう=心中に銘記して常に忘れないこと。)すべきもの、親のいいつけは神聖なものと信じこんでいます。子どもに冷い調子で命令を与え、命令が出された以上はただちに法律と同じ効力を発するというのです。

このような親がいちばんおそれることは、子どもが父親はまちがっている、父親はいいかげんな人間だと考えはしないかということです。「あしたは雨だから、あそびに出ちゃいけない。」と父親がいったなら、よしんば天気がよくても、あそびに出ることは許されません。父親が何か気に入らぬ映画でもみると、たとへそれがよい映画であっても、映画に出かけることは極めて当然のように禁じられてしまいます。父親が子どもに罰します。

けれどもあとではじめ考えた程子どもに罪がないとわかっても、決してその罰を取り消すことをしません。わしがいったからには間違いはないというわけです。そういう父親にしてみれば、毎日のように口実がみつかります。子どもの一挙手一投足に秩序を乱したとかきまりを守らなかったと違反事項をみつけだして、あらたにきまりや命令で子どもにうるさくつきまとうのです。子どもの生活や子どもの興味、子どもの生長には父親は全く関心をもたないままに、家庭における官僚主義的な統制以外は何も信じないのです。

《長談義の権威》
 この場合には親のはてしない説教と教訓めいた話で文字通り子どもの生活をかきまわしているのです。ほんのふたことかみこと、場合によっては冗談まじりにいってもよいものを、子どもを目の前にすわらせて、くどくどと長談義をはじめます。このような親は主要な教育の技術は、訓戒を与えることだと思いこんでいるのです。そんな家庭には喜びも笑いもほとんどありません。

親は徳をそなえた人間になろうとともかくけんめいになり、子どもの目に申し分のない人間としてうつるようにのぞみます。しかしながら、子どもはおとなとはちがうということ、子どもには子どもの生活があるということ、そしてその生活を尊重しなければならないということを、その親は忘れているのです。子どもというものはおとなとはちがって、情緒的、感情的に行動するものなのです。ものごとの判断はもっとも苦手とするところなのです。考える習慣というものはすこしずつ、そして長いことかかってつくものなのですが親の心ない長談義、のべつまくなしのおこごとやもんくは子どもの意識にほとんど跡をとどめず素通りしてしまいます。親の長談義に子どもはなんの権威も感じないのです。

《愛の権威》
 これは誤った権威の中でもいちばんひろめられている権威です。子どもがいうことを聞くようにするには、親を愛することが必要であり、愛される親になるためには、ことごとに親の愛情を子どもにみせつけることが是非必要だと多くの親はそう信じています。やさしいことば、なにかにつけての接吻、愛撫、告白がまったくあり余るほどたっぷり子どもにふりかけられます。子どもがいうことを聞かないとさっそく、「するとお前は、おとうさんが好きじゃないんだね。」と問いつめます。しきりに子どもの顔色をうかがい、やさしい振舞や愛情をもとめるのです。母親は子どもの前で「この子はとてもおとうさん思いだし、わたしのことも気にしてくれるやさしい子なんですわ……」と近所の人によく話してきかせます。

 こんな家庭は、感傷となごやかな感情の海にたっぷりつかって、ほかのことにはちっとも気がつきません。家庭教育における多くの大切なこまかい点は、親の注意をひかないままに放置されています。子どもは親に対する愛情の犠牲になってなんでもしなければなりません。

 この路線には危険な側面がたくさんあります。ここでは家庭的エゴイズムがのさばっています。子どもにはもちろんこのような愛情とつきあう力はありません。やがて子どもは父親や母親をだますのはかんたんだ、やさしい振舞をしてみせるだけでいいのだと思うようになります。父親や母親をおどかすこともできます。ふくれ面をして、愛情がうすれかけてきていることをみせるだけで事はすみます。

そういう子どもはちいさいうちから人のご気嫌をとることをおぼえます。それで他人に対しても深い愛情を持てないものですから、なんらの愛情もなしに冷い、恥しらずの計算づくで他人のご気嫌をとりむすぶのです。親に対する愛情はなかなか消えるものではありませんが、その他の人はみな全く縁のない人とみなして、好意も親近感ももてないということがよくあるものです。

 これは極めて危険な権威の型です。それは不誠実で二枚舌を使うエゴイズムを育てることになります。しかもまっさきにそのエゴイズムの犠牲になるのは、多くの場合当の親自身なのです。

《慈悲の権威》
 これは最も愚かな型の権威です。この場合、子どもの従順さはやはり子どもの愛情を通して形成されますが、その愛情は接吻とか感情の吐露ではなくて、親の気の弱さ、温和な態度、慈悲によるものです。父親あるいは母親は善良な天使のように演技します。そういう親はなんでも許し、おしみなく与え、けちけちせず、まことにすばらしい親であります。もめごとがおこらないように、家庭円満をひたすら願い、まるくおさまるのであれば、どんな犠牲もおしまないのです。

こんな家庭ではやがて子どもが親を顎で使うようになり、親の無抵抗主義は子どものおねだりや、わがまま、要求を何一つ抑制することができなくなります。たまたま親がほんの少しブレーキをかけようとしても、もう手遅れで、家庭に有害な習慣ができあがっているのです。

《友情の権威》
 子どもがまだ小さいのに両親の間では、その子どもを共通の友人としてあつかうことを取りきめていることもよくあります。一般的には勿論いいことに違いありません。父親と息子、母親と娘は友人になり得ますし、そうあるべきではありますが、やはり親には家族の中の年長者としての義務がありますし、子どもはやはり被教育者なのです。友情が極限に達すると教育はその機能を停止し、逆の過程がはじまります。

つまり、子どもが親を教育しはじめることになります。インテリの中にこういう家庭が時折りみられます。そのような家庭では子どもが親をペーチカ(ピョートルの卑称日本の場合、三郎をさぶちゃんとかさぶこうなどというのにあたる──訳者註)とかマルーシカ(マリーヤの卑称──訳者註)と呼びすてにしたり、親をからかってみたり、乱暴な調子で口をはさんだり、なにかにつけて口ごたえをし、いうことをきくなど全く論外です。しかしこれでは友情もなにもありません。お互いに尊敬し合うということがなくて友情などあり得ないことだからです。

《買収の権威》
 これは最も不道徳な型の権威で、従順はいとも簡単にプレゼントや口約束で買い取られるのです。親はなんのためらいもなく、いうことをきいたらね、おうまを買ってあげるわとか、いうことをきいたらサーカスに連れていくなどといいます。

 いうまでもないことですが、家庭でもある種のはげましとか、ほうびのようなものは必要だと思います。しかしながらいうことをよくきいたからとか、親孝行をしたからといってほうびをやってはなりません。よい成績をとったとか、むずかしい仕事をやり終えた時にはほうびを与えてもかまいません。しかしこの場合でも前もってあれをあげるからとか、学業やその他の仕事をうまくさせるために甘い約束で子どもを動かそうとすることは断じていけません。

 これまで、誤った権威のいくつかを考えてきました。このほかにまだたくさんあります。たとえば《娯楽の権威》とか《博学の権威》、《「ざっくばらん派」の権威》、《美の権威》などがあります。しかし権威についてほとんど考えることもなく、いきあたりばったりに過し、子どもの教育にとまどう親がよくあるものです。

きょう、大きな声をたてて、つまらぬことで子どもを罰したかと思うと、あすはもうあまいことばをかけ、翌々日は買収という方法で口約束をする、かと思うと次の日はまた罰を与える、そのうえ自分の思いのままにがみがみ叱りとばします。このような親は自分がなにをしているのかそれすらもよくわからないままに、火のついた猫のようにギャーギャーあがきつづけます。また父親はある型の権威を、母親は別の型の権威をよりどころにしていることもありがちです。

こういった場合、子どもはさっそく外交官に変身して父親と母親の間をうまくたちまわることを覚えることになるのです。ですからついには、子どもには全く注意をはらわずに、我が身の安泰のみを考えることもよくあるケースです。
(マカレンコ著「子どもの教育・子どもの文学」新読書社 p15-23)

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飯島景子(タレント・作家)

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 自分も自分がやりたいことをやる代わりに、子どもの人生の選択は、子どもの意思を尊重した。景子が、大阪の実家を出て東京の大学に進学する時も、母は反対だったが、父は認めてくれた。

 その父が、生涯で一度だけ、景子の選択に真っ向から反対した。景子が、一時統一教会に入信した時だ。事情を知った父は、娘が海外旅行から戻るのを待ちかまえていた。膨大な資料があった。どれにもラインマーカーで線が引かれ、付箋が貼られ、熟読した形跡がありありだった。父は統一教会の教典を一ページ一ページめくりながら、そこに書かれていることが、いかに教団の実態や幹部の言動と矛盾しているかを指摘していった。

 父は週刊誌に教団に対する宣戦布告を寄稿。「命がけで戦う」と宣言したその文章には、父親としての景子に対する愛情があふれ出ている。しかし、景子に対してはそういう感情は一切見せなかった。むしろ毅然と、理詰めで娘を説得しようとした。

 その集中力と気迫はすさまじかったが、景子にしてみれば「私が知っている範囲内の父の姿」なので、驚かなかった。いつものように強く正しい父が雄弁に語っているだけだった。

 何日か経って、父は景子をドライブに誘った。建物の一室に入ると、父はうつむきながら言った。

 「なあ、悪いんだけど、会ってもらいたい人がいるんだよ……」

 その瞬間、景子は相手が誰か察知した。マインドコントロールを解くためのカウンセラーを、教団は改宗屋と呼び、万が一親が雇った場合はそこから逃げるようにと教えられていたからだ。

 だが、樵悴(しょうすい)した父の姿を見て、景子は断る言葉を失った。

 「すごくおじいちゃんに見えた。想定外の父、見たことのない姿に衝撃を受けました。父をこんな姿にしてしまった……、と。それで、カウンセリングの先生にお目にかかるだけなら、という気になったんです」

 カウンセラーとの話し合いの中で、景子は教団の欺瞞性に気づき、離脱する決心をした。

 心の整理をしながら、週刊誌に長い手記を書いた。そこに、〈(父は)十歳ほど年とってみえた〉とあるのを読んで、父は怒った。
 「俺は、こんな姿をしていない!」
 赤ペンで原稿に手を入れようとまでした。

 「作家のくせに、人の主観にけちをつけるんですよ」と、父の剣幕を思い出して、景子はほろ苦い気持ちになる。
 「父は、世界の女の中で、娘の私に一番いい格好をしていたかったんだと思うんです。なのに、そんなふうに年寄りに見られたのが気にくわなかったんですね」

 親が哀願しなければ子どもはカルトから戻ってこない、と世間が誤解することも許せなかったらしい。

 その三年半後に、父は急性心筋梗塞で急死した。景子が病院に駆けつけた時、すでに意識がなかった。ストレッチャーに載せられた父を見た瞬間、景子は覚悟した。三途の川を迷わずに渡りきったような、きっばりした顔をしていたからだ。日頃から、「俺はコロッと死ぬ」と宣言した通りの最期。その見事さに、景子は「悲しんだら悪い」とさえ思った。

 ただ、一つ心残りがある。

 「あの時、私の心が動いたのは、父が老けて見えたからというより、いつもとは全然違う姿を見せてくれたからなんです。ふだんは優しくて子どもの言いなりになっているお父さんなら、かえって強く出る方がいいかもしれない。いつもと違う自分を見せるのは想像以上に辛いことなんだと思います。けれど、それができた時に子どもの心が初めて動くんですね。そのことを、きちんと父に伝えられなかった。私自身、当初は分かっていなかったから……。私は本当にいろんな人に迷惑をかけ、心配もさせたけれど、あの経験に何か一つだけ意味があるとしたら、私がこんなにも父に愛してもらっているか、自分も父をどれほど愛しているかを、感じたことでした」

 自らの格好よさもかなぐり捨てて、娘に向かい合った父は、今、最高に格好いい存在として、娘の心に焼き付いている。
(江川紹子「父と娘の肖像」小学館文庫 p31-35)

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◎「権威はぶら下げるものではなく、他人が評するもの」と。