学習通信060314
◎とんでもない誤解が……

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 第二に、私たちが研究する社会そのものも、歴史のなかで発展してゆくし、自然や社会にたいする人間の認識の到達点も、歴史的に発展してゆきます。このことを頭にきちんと入れて、マルクスを読むことが重要です。その発展を無視して、マルクスあるいはエンゲルスがその時々に述べた命題を、不動の真理扱いするようなことがあれば、それは、マルクスの理論を、不細工な骨董品に変えてしまうことになるでしょう。
 いくつかの例をあげましょう。

 エンゲルスが、サルから人間への進化について、たいへん重要な文章を書いていますが、この文章には、次のような一節があります。「何十万年か前に……熱帯のどこかに──たぶんいまはインド洋の底に沈んでしまった或る大きな大陸の上にであろう──とくに高度の進化をとげた・人間に似たサルの一種族が棲んでいた」。これが人間の祖先になる、とつづきます(「サルがヒトになることに労働はどう関与したか」『古典選書「自然の弁証法〈抄〉」』五一ページ)現在の私たちの知識では、人間の祖先が生れたのは「何十万年か前」ではなく、およそ二百万年前ですし、生れた場所も、「インド洋の底に沈んでしまった大陸」ではなく、東アフリカの大地溝帯のあたりです。

 エンゲルスはその当時の最先端の科学知識を使って、この問題を論じたわけですが、その科学知識そのものが、いまでは古くなっているのです。そのことを無視して、エンゲルスが言ったからといって、その言葉を絶対化するようなことがあったら、人間の進化についてのエンゲルスのせっかくの貴重な考察が、まったく意味を失ってしまうでしょう。

 政治の世界から、もう一つ例をとってみましょう。
 マルクスとエンゲルスが共同で書いた『共産党宣言』(一八四八年)という有名な文章があります。当時、ヨーロッパの共産主義運動のために執筆した、今日の党綱領にあたるものなのですが、この『宣言』は、革命の方針のところで、「議会で多数を得ての革命」という方針に触れていないのです。このことをとらえて、マルクスは「強力革命」絶対論だったなどと論じたがる人が、よくいます。しかし、この議論は、社会の発展の歴史を見ない議論です。マルクス、エンゲルスがあの本を書いたとき、ヨーロッパの国ぐにで、国民の選挙で議会や政府を選ぶという制度をもっている国は、どこにもなかったのです。議会のない世界で、「議会で多数を得ての革命」といった方針など、書けるはずがありません。

 マルクス、エンゲルスは、そういう情勢のもとでも、まず議会制度をつくる民主的な改革をやって、それが実現したら「議会の多数をえての革命」にすすもう、という研究をずいぶんやっており、実際に、イギリスやアメリカでそういう制度が発展したら、革命のそういう道が可能になることを大胆に主張しました。ヨーロッパの社会のそういう歴史を抜きにして、『共産党宣言』を読むと、さっきのようなとんでもない誤解が出てくるのです。

 こういう意味でも、マルクスを歴史のなかで読むことは、たいへん重要です。
(不破哲三著「日本の前途を考える」新日本出版社 p66-67)

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 われわれがすでにさきに見たように、労働者革命における第一歩は、プロレタリアートを支配階級に高めること、民主主義をたたかいとることである。

 プロレタリアートは、ブルジョアジーからすべての資本をつぎつぎに奪い取り、すべての生産用具を国家の手に、すなわち支配階級として組織されたプロレタリアートの手に集中して、大量の生産諸力をできるだけ急速に増大させるために、自分の政治的支配を利用するであろう。

 このことは、もちろんさしあたっては、所有権およびブルジョア的生産諸関係にたいする専制的な介入によってのみ、こうして経済的には不十分かつ不安定と思われる諸方策によってのみ、行なわれうるのであるが、しかし、これらの諸方策は、運動の進行中に自分自身を乗り越えていって、生産様式全体を変革するための手段として避けられないものである。

 これらの方策は、もちろん、さまざまの国によって異なるであろう。
(マルクス、エンゲルス「共産党宣言」新日本出版社 p84-85)

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◎「労働者革命における第一歩は、プロレタリアートを支配階級に高めること、民主主義をたたかいとること」と。