学習通信060322
◎「一人たたけばほかにも役立つ」……

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「しつけ」という名の虐待

急増する虐待

 傷害罪や致死罪に問われるほど重大な子ども虐待事件の多くは、家庭内で発生しています。新聞報道の場合、紙面でのそれらの扱いは申し合わせたかのように小さいのですが、どの事件も許し難い中身です。ある時期の新聞に目を通しただけでも、次のように連続して起きていることが分ります。

@〔二歳長女せっかん 容疑の父親を逮捕 二〇〇〇・一・五 読売新聞夕刊〕 二歳の長女が泣き止まないのに腹を立て、自宅のアパートのトイレに閉じ込めた上に、背中にたばこの火を押し付けたり、水ぶろに一〇分間入れシャワーをかけた。この虐待は、午後一〇時ごろから翌日の午後五時ごろまでの長時間にわたった。父親は「日ごろから反抗的な態度で、この日も泣き止まなかったのでしつけのつもりでやった。行き過ぎた」と供述。

A〔三歳男児の体に火 傷害容疑、母ら逮捕 二〇〇〇・二・一〇 朝日新聞〕 夕食中に、男児がご飯をあまりかまないことやティッシュペーパーを次々と取り出したことなどに腹を立て、男児のズボンを下げ、二人(夫婦)で交互に男児の下腹部にライターの火をつけてけがをさせた疑い。男児は三週間のやけどで、一時入院。男児の小便の仕方が悪いときなど、容疑者らがしつけと称して暴行していた疑い。

B〔三歳長男、虐待され重体 殺人未遂で父親逮捕 二〇〇〇・二・二三 読売新聞〕父親が、三歳の長男のおねしょに腹を立て、長男を持ち上げて床にたたきつけ、さらに、顔面を素手で殴るなどして殺そうとした疑い。長男は病院に運ばれたが意識不明の重体。

 ほんの一、ニヶ月間の新聞記事を拾っただけでも、このようにむごい事件が連続しています。しかも、これらは氷山のほんの一角にすぎないのです。厚生省の調査によれば、一九九二年から九六年までの五年間に、虐待で死亡したとみられる子どもは全国で三二八人にものぼります。うち二四五人は、解剖所見などから判断して虐待死が確定的だといわれます。

 平均すると一年間に約四〇人が身体的虐待で、約一〇人がネグレクト(車内等への長時間放置)で死亡していることになります。現に九九年には四五人がこれらで死亡しています。児童虐待の相談処理件数(全国児童相談所による)は、図1‐2にあるように厚生省が調査を始めた九〇年度の一一〇一件以来、うなぎ上りに増えており、九八年度は七倍近くの六九三二件にもなっています。

 年齢的には、身体的虐待の場合は、四人に一人が零歳児で、三歳以下が四分の三を占めています。また、虐待の加害者は、実母が二五・七%、実父が一二・七%、義父七・八%、実父母四・九%となっています。つまり、半数近くが親による虐待で占められています。

しつけの逸脱か

 では、なぜこれほどまでに両親による虐待が多いのでしょうか。
 政府は「都市化、核家族化の進展に伴う家庭の孤立化、家庭や地域における子育て機能が低下」したことが「育児不安」「ストレス」を高めたり、「子育てに対する責任意識が十分でないまま親になっている者が増えていること」と考えているようです(総務庁『青少年白書』二〇〇〇年一月)。政府のこれらの分析は、確かに的を射ています。

 両親による虐待の最大の原因は、子育てが密室の「母子カプセル」状況に置かれていることといっても過言ではありません。この「母子カプセル」にメスを入れれば、多くが解決に向かって動き始めます。

 ところで、報道をよく見ますと、親としては虐待をあくまで「しつけ」の延長と認識しているようです。「せっかん死」にしても、多くがしつけの結果と考えています。

 二〇〇〇年一月五日に七歳の男児が父親によって左の太ももの骨を折られ、三ヶ月の重傷を負わされたケースがあります。警察と児童相談所の調査によれば、父親はこの男児が冷蔵庫のハムをかじったことに腹を立て、長男の太ももをかかとで十数回踏みつけて骨折させたものです。その他にも父親はテレビゲームで負けると長男に殴りかかったり、たばこの火を押しつけたりしていました。顔にあざを作って保育園に来たときには、母親が「ちょっと転んじゃって」と言い訳をしていたそうです。頭にできた数センチの切り傷を市販のホチキスで三ヵ所とめられていたのを保母が発見したこともあるといいます。小学校に入学後も、頭からあざが消えることはなかったとのことですが、担任に対して、父親は「転んだ」とか「しつけだ」と繰り返すばかりだったといいます。

 これらを単純に「しつけ」の一言で片づけられてはたまりません。言うまでもなく、これは、れっきとした虐待であり、暴行傷害行為です。

 このケースは口実以外の何ものでもありませんが、一線を越えた虐待行為へと走ってしまう親の中には、「わが子をしっかり育てなければならない」という、過剰なまでの思いがあるようです。子育ての責任は家庭・親にあるという見方があまりに支配的なため、わが子を「私物化」してとらえてしまいます。しかし、子どもは社会の構成員です。したがって本来は、親だけでなく、社会全体が子育てには責任を負っているのです。子育てが密室の親子関係の中に閉じ込められずに、もっと社会化されていれば、「しつけ」による虐待も減るはずです。

親によるさまざまな虐待

 子ども虐待の定義については、現在までのところ様々な見解が出されています。

 これまで厚生省が児童相談所に対して虐待として報告を義務付けていたのは、「外傷の残る身体的暴力」や「健康状態を損なう放置」など五項目でした。

 しかし、最近の親による車中への放置などによる幼児の死亡が相次ぐ中で、同省は一九九九年七月に、戸外への放置など「外傷が残らない暴行」や「家に残したままたびたび外出する」ケース等も新たに虐待の事例に加えています。変更のポイントは、親の主観や都合によって虐待かどうかを決めるのではなく、あくまでも子どもの目線と立場によって判断する点にあります。虐待か否かは、本来子ども自身が決定するものなのです。
 厚生省が示す虐待の事例は次のように広い範囲にわたっています。

@身体的虐待──殴る、ける、食事を与えない、冬戸外に閉め出す、布団蒸しにする、一室に拘束する。

A性的虐待──子どもへの性交、性的暴行、性器や性交を見せる、ポルノの被写体などに子どもを強要する。

B心理的虐待──言葉による脅かし、無視や拒否的な態度、自尊心を傷つけるような言動、他のきょうだいとは著しく差別的な扱い。

Cネグレクト──家に閉じこめる、病気になっても病院に連れて行かない、乳幼児を家に残したままたびたび外出する、乳幼児を車に放置する、適切な食事を与えない、下着などを長期間不潔なままにする。

 Cなどは、どんな親でも子育てを振り返ると、一つや二つは心に思い当たる節があるのではないでしょうか。また、これら四つの領域以外であっても、虐待としてとらえるべき事態は存在するでしょう。この定義の特徴は、生命や身体の安全が脅かされるような暴力や暴行にとどまらずに、子どもの自尊感情を傷つけるような態度や行為、大人としての保護・教育の責任の役割放棄をも含めていることです。虐待によって、子どもの心は深く傷つけられることになるからです。

 また、二〇〇〇年五月に成立した「児童虐待防止法」では、「児童虐待」を次のように定義しています。つまり「親など保護者が子どもに対し、@暴行を加える、Aわいせつな行為をする、B著しい減食や長時間放置、C著しい心理的外傷を与える言動をおこなう」となっています。同時に学校の教職員や児童福祉施設の職員、医師など関係者に対して「早期発見」を義務づけました。
 なぜ親による虐待が繰り返されるのかは、U章で考えたいと思います。
(尾木直樹著「子どもの危機をどう見るか」岩波新書 p62-67)

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42 しかり方──体罰をめぐって

 ここでは、すこし大きな子どものしかり方、とくに体罰を中心に考えてみましょう。

 一時期、どんなに小さくとも子どもにも子どもの立場があるとし、体罰について批判が集中したことがありました。しかし、その後、この体罰批判もいつのまにか影をひそめ、「愛のムチ」と称した暴力が、依然として通用しています。また、体罰にうしろめたさを感じるおとなたちにしても、「いってきかせ」「わからせる」式の暴力的しつけをするおとなもいます。

 こうした体罰やお説教型に共通している点は、おとな自身の立場は絶対に正しく、子どもはすべてまちがっているという考え方を持っていることです。またしかり方も、「上から下へ」教えてやる式の命令型です。こうしたしかり方は、昔の子どもたちには、通用したかもしれませんが、今の子どもに、あまり効果がないことは、つぎの詩をみてもわかります。

たあちゃんは ボスだに
だって いつも
めいれい するんだもん
「みずを もってこい」って
でも ぼくは
もって いかないんだ
だって
じぶんのことは
じぶんで するんだ──六歳──

 この詩は「愛のムチ」や一方的お説教をおこないながら、「親たる身分」にいつまでもあぐらをかいているおとなにとっては、はなはだ耳の痛いことでしょうし、今日の子どもがどういう生き方をしようとしているのか、理解の糸口を与えてくれましょう。

 戦前の子どもは、強い人間、エライ人間に人気が集中していましたが、戦後は、こうした人間はきらわれ、仲間の世話をよくする主人公に人気が集まっています。

 こうしたことから考えても、やたらに命令したり、暴力をふるうしかり方は、いまの子どもには、通用しないといえましょう。むしろ人間に暴力をふるったり、仲間をうらぎったり、約束をやぶったというようなときの批判が、人間の人間らしく育つ子どもへの有効な「つたえ」といえるのです。
(近藤、好永、橋本、天野「子どものしつけ百話」新日本新書 p98-99)

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過去の教育

 いく世紀のあいだに、狭義の教育の役割の比重はずっとかわってきましたし、いまもかわりつつあります。

 種族社会の生態を例にとってみましょう。そのころの社会構造は単純で、原初的でした。子どもや若者にたいする社会制度、家庭、大人の影響は単調で、全一的で、未分化でした。厳密にいえば、社会構造のみが教育をしていたのです。人間の人格は原初的で、純粋でした。まわりの物理的環境、自然、自己の生存のための種族の闘争形態がきわだって大きな影響力をもっていました。

 種族社会時代の宗教は、社会的諸関係を反映するよりも、むしろ、自然界の盲目的現象を偶像化し、人格化しています。

 せまい意味での教育、つまり子どもや若者にたいする大人の系統的、計画的教育という意味での教育は、つまるところ、肉体的な教育、まわりの環境にかんする知識の授受、物質的環境に働きかける方法の授受ということにほかなりませんでした。

 母猫がねずみのとりかたを子猫におしえるように、大人は子どもにたいして、食料獲得の方法をおしえます。この場合のちがいは、人間は時代をへるにつれて、自然とたたかうための武装をますますよくすることを学んだということにすぎません。

 もちろん、種族社会の生態のこのような描きかたは初歩的で、粗雑で、図式的ですが、ただわたしとしては、当時の教育の性質を規定した特徴を指摘したかったのです。

 奴隷制の発生とともに、支配者と奴隷との分層化、つまり二つの基本階級への社会の分化がおこります。奴隷は従順なものもあり、従順でないものもありました。支配者は従順でない奴隷にたいしては影響力を行使し、かれらを従順になるように教育しました。鞭でたたき、傷つけ、拷問をくわえました。はじめは鞭うたれたのは奴隷だけでした。

しかし、階級社会では諸階級は一定の相互作用のなかで生活しており、たがいに感化しあいます。「ロシア人とネグロ」という論文のなかでレーニンは、北米合衆国の奴隷制の存在した諸州ではネグロの文化水準の低さが、その無学さによってすべての諸階級に感化をあたえ、奴隷制の存在する諸州を、奴隷制の存在しない諸州よりはるかに無学な州にさせているということを示しました。奴隷階級の文化水準が支配階級の文化水準に感染するのです。レーニンはこのことを指摘したのでした。

 実際にわたしたちは、階級社会の全歴史をつうじて、このような「感染」をみてとることができます。奴隷階級の教育にもちいられた教育方法と同じものが、支配階級の青少年の教育にも感染していきました。種族社会における全一的な差別のない影響はよわまりはじめ、支配階級中の「父親たち」がこの影響を維持し、先祖の習慣を若者たちにつたえようとこころみ、「父親たち」は「息子たち」を「導き」「教え」ようとしはじめます。

しかし、階級社会の実生活は種族制度のわく内でくみたてられるものではなく、したがって訓育の効果もすくなく、父親たちもじぶんの息子たちに「サジを投げる」ようになります。奴隷制の形態が粗暴であればあるほど、支配階級のなかでの働きかけの方法、教育の方法もいっそう粗暴であり、中間階級におけるそれもいっそう粗暴です。

 鞭で打ったり、なぐったりするのが一般的な教育方法になっていきます。「一人たたけばほかにも役立つ」式の考えが奴隷社会ぜんたいの頭のなかにしっかとはいりこみ、家庭教育もこの考えでつらぬかれるようになります。「家庭訓」は──奴隷制社会の典型的な家庭教育でした。

 奴隷制の時代には宗教もすでに性格をかえ、自然力を崇拝するだけでなく、はやくも奴隷制社会の階級的性格を反映するようになりました。すでに神は万能の主であり、一方人間は──その奴隷です。宗教的教育は、奴隷制社会の支配階級のイデオロギーを固定化するものでした。「旧約聖書」は──この時期の典型的な産物です。自己の奴隷にたいする神の働きかけの方法は──怒りであり、ありとあらゆるかたちの懲罰でした。奴隷制時代の神は、容赦なく怒りくるったのです。あわれな奴隷である人間は、身をうち伏せてふるえるほかはありません。

 封建制社会は──すでに、いくらか柔らいだ奴隷制社会です。この軟化は、一方では、奴隷の蜂起によってもたらされたものであり、他方では、奴隷労働の最大限利用の必要からもたらされたものです。貴族たちはもう奴隷を放逐したり、たたいたり、拷問したりするのも、奴隷たちをたえず放逐、鞭うち、拷問の脅威下においておくためにそうするようになります。農奴にたいする懲罰はもっと「やわらかい」系統的な性格をもつようになり、経済的にもいっそう有利な形態がとられるようになりました。多くの大衆を服従させておくためには、強制と説得の二つの方法をあわせ使う必要がありました。

 封建制社会の宗教は──柔らいだ奴隷制社会の諸形態の宗教です。キリスト教はすでに外部の物理的環境にはあまり注意をはらわず、人間関係に全注意を集中するようになっていました。そして、キリスト教は奴隷にたいして自分の運命にしたがうよう説き、不幸の根源は社会関係にあるのではなくて、かれ自身のなかにあるのだと信じこませようとします。

 中世紀に教会は巨大な比重をもつようになり、国家と野合し、大人と子どもの教育者の役目をはたすようになりました。教会は服従を教え求め、地獄を引きあいにしておどし、天国の至幸(しこう……をの上もない幸福)を約束し、懺悔(ざんげ)室にとじこめ、斉戒(さいかい……ものいみして心身をきよめる)・贖罪(しょくざい)の苦行を課し、教会からの追放あるいは免罪の権をひと手ににぎり、知性を統御し、芸術をも教会の目的に奉仕させました……。教会は高齢者の世話から家庭関係の調整まで引きうけました──洗礼をほどこし、婚礼をあげさせ、埋葬をやり、子どものための学校を経営するといった具合です。

 家庭教育も宗教的性質をもち、人びとへの働きかけの方法もかわりました。残存した粗暴な奴隷制的懲罰方法──たたいたり、鞭でなぐったりする方法――とならんで、おどしや報賞、食物とり上げ、追加労働といった方法がもちいられるようになりました。生徒たちは個々の部屋にとじこめられ、学校あるいは家から追いたてられたり、あるいは具合いよく許されたりという状態でした。叱責から非常に凶暴な懲罰まで、あらゆるかたちの罰がありました。

 中世の封建的な秩序は、国の発展テンポのちがいや、歴史的条件のちがいによって形態がことなり、また世紀をへるなかで変化していきました。教会の影響もさまざまな相貌(そうぼう)をとっていたし、教育方法もさまざまでした。

 あらたにうまれてきた社会関係、資本主義的性格の諸関係は、教会の役割を下からほりくずし、教育問題を複雑にしました。

 フランス大革命に先だつ時期に、教会、宗教、古い制度ぜんたいが容赦ない批判にさらされるようになりました……。

 封建時代の階級的な学校は、資本主義期の階級的学校にとってかわられました。

 あらゆる国の資本家たちは、国民大衆の教育の重要性をよく理解しています。時がたてばたつほど、労働者は教育がたかくならなければなりません。技術の成功がこのことを要求しています。工業の成果いかんはこれにかかっています。しかし、教養のある労働者は資本家にとって危険です。だからあらゆる国の資本家は、自分ののぞましい精神で労働者大衆を教育することをとくに重視するのです。一部の国では宗教の権威がかなり根底から爆破されました。

そしてこの宗教の権威は、科学の達成によって日をおってますます損なわれつつあります。そこで、排外主義的、所有者的精神につらぬかれたモラル、ブルジョア的モラルの教育が宗教の地位を占領するようになりました。だが、多くの国では学校はまだ教会から分離されていません。いまでもまだ国民学校では宗教教育がさかんにやられています。教育方法も奴隷制時代、封建制時代から完全にひきつがれているのです。
(クルスプカヤ著「家庭教育論」青木書店 p35-40)

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◎「多くの大衆を服従させておくためには、強制と説得の二つの方法をあわせ使う必要が」と。