学習通信060328
◎「働く主婦=兼業主婦」が主婦の世界の多数派……
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「明日への話題」
ロボットと少子化
長谷川眞理子・総合研究大学教授
「ロボット」という言葉は、チェコの作家、カレル・チャペックが一九二〇年に書いた戯曲の題名からきている。自動制御もコンピューターも認知科学もない時代に描かれた、ロボットの話である。工場で肉のかたまりから人間が作られていく。どちらかというと、フランケンシュタインの「人造人間」に近く、金属の部品でできている今日のロボットの、堅い無機質のイメージとはほど遠い。
それでもここには、近未来の予測として、はっとさせられる洞察も含まれている。たとえば、ロボットが大量に出回るようになった世界では、人間に子どもが産まれなくなる、ということが語られている。確かに、今や全世界で少子化傾向が見られ、とくに先進国で著しい。少子化が、文明の行き着く先の一つの姿であることは確かなようだ。表面的には、チャペックの筋書きは正しかった。では、彼は、その因果関係をなんと考えていたのだろう? 作品を読むと、労働力をまかなうロボットが大量生産され、人間自身が働く必要がなくなったからだ、と解説されている。
つまり、逆に言うとチャペックは、人間が子どもを産むのは、次世代の労働力を供給するためだと考えていたのだ。もう何十年も前にこの作品を読んだとき、私は、この説明にまったく納得がいかなかった。この感覚は今でも変わらない。多くの人々もそう思うのではないだろうか。
今日、誰もが有閑階級になって働く必要がないから少子化が起こっているのではない。それどころか、女性の社会進出が進み、誰もが働くようになって少子化が起こっている。これを聞いたら、チャペックはここをどう書きかえるだろうか?
(日経新聞 20060327 夕刊)
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ヘレナ……──私たち他の者や──それに世の中にとって──何とはなしに非生産的ね。
アルクビスト……非生産性こそ、ヘレナ夫人、人間に残された最後の可能性になりつつあるのです。
ヘレナ……ああ、アルクビスト──言ってちょうだい、なぜ──なぜなの──
アルクビスト……はて?
ヘレナ……(静かに)なぜ女の人たちに子供ができなくなったの?
アルクビスト……それが必要ではないからです。私たちは楽園にいるからです。お分かりですね。
ヘレナ……分かりませんわ。
アルクビスト……なぜなら人間が働く必要がないからです。痛みを感ずる必要もなく、人間はエンジョイする以外何も、なんにも、まったくする必要がないからです。──おお、これこそいまいましい楽園です!(飛び上がる)ヘレナ、人間に地上で楽園を与えることよりひどいことはないのです! なぜ女が子を産むのをやめたかですって? なぜって全世界がドミンのソドムになったからです!
ヘレナ……(立ち上がり)アルクビストー
アルクビスト……なったんだ! なったんだ! 全世界、全大陸、全人類、ありとあらゆるものが気の狂ったけだものの狂宴になったのだ! もう食物に手を差しのべることすらしない。起き上がる必要がないように、まっすぐ口へと押しこまれるのです──ふふ、ドミンのロボットが何もかもやってくれるからです! そして、われわれ人間、創造の絶頂であるわれわれ、われわれは仕事のせいで年をとることもなく、子供のために年をとることもなく、貧困のために年をとることもない。急いで、急いでありとあらゆる贅沢をここへ持っておいで! そして、あなたはあの連中から子供が欲しいですって? ヘレナ、むだな男たちのために女が子供を産むことはないのです!
ヘレナ……では人類は亡びるの?
アルクビスト……亡びます。亡びなければなりません。実を結ばない花のように散っていきます、でももし──
ヘレナ……何ですの?
アルクビスト……いや何でも。おっしゃるとおり奇蹟を待つのは非生産的です。実を結ばぬ花は散らねばなりません。さようなら、ヘレナ夫人。
ヘレナ……どこへいらっしゃるの?
アルクビスト……家へです。壁職人のアルクビストが建築主任の服に着換える最後です──あなたを祝うために。十一時にここでお目にかかりましょう。
ヘレナ……さようなら、アルクビスト。
アルクビストが立ち去る。
ヘレナ……(一人で)ああ、実を結ばない花とは! なんてひどい言葉!(ハレマイエルの花のそばで立ち止まる)ねえ、あなたたち花の中にも実を結ばないのがあるの? ないわね、ないわ。そうでなければなんで花をつけたの?(呼ぶ)ナーナー ナーナー こっちへ来て!
──略──
ヘレナ……博士―
ガル博士……ええ。
ヘレナ……どうして女たちは子供を産まなくなってしまったのでしょう?
ガル博士……分かりませんね、へレナ夫人。
ヘレナ……私に教えて!
ガル博士……なぜってロボットが出てきたからです。労働力が過剰だからです。人間はそもそもよけいな遺物なんです。だってそれはもう、まるで──ええ!
ヘレナ……おっしゃって。
ガル博士……まるでロボットの生産により自然が怒ったみたいです。
ヘレナ……ガル、人間はどうなるんでしょう?
ガル博士……どうにも。自然に逆らうことはできないのです。
ヘレナ……なんでドミンは製造の制限をしないの──
ガル博士……失礼ですが、ドミンにはドミンの考えがあるのです。自分の考えを持っている人たちにこの世界の事で口をはさむべきではないのです。
ヘレナ……ところでどなたか、そのまったく生産をストップするようにという人はいないのでしょうか?
ガル博士……とんでもない! そいつはひどい目にあいますよ!
ヘレナ……なぜ?
ガル博士……なぜって全人類が石を投げて殺してしまうでしょう。なんといっても、仕事をロボットにやらせるというのは、楽ですからね。
ヘレナ……(立ち上がる)ところで、どうでしょう、もし誰かが一瞬のうちにロボットの生産を止めてしまったら−
ガル博士……(立ち上がる)ふん、そうなったら人間にとっては大打撃ですね。
ヘレナ……どうして打撃なの?
ガル博士……なぜって、もといたところに戻らねばならないでしょうから。ただねえ──
ヘレナ……どうぞおつづけになって。
ガル博士……ただもう引き返すには遅いんでは。
ヘレナ……(ハレマイエルの花のそばで)ガル、この花も実を結ばないの?
ガル博士……(花を調べ)もちろん、これも不毛な花です。人工的に促成栽培された──
ヘレナ……かわいそうなうまずめの花!
ガル博士……そのかわりとてもきれいです。
ヘレナ……(手を差しのべる)ガル、どうもありがとう。とてもいろいろなことを教えて下さって!
ガル博士……(ヘレナの手にキスをする)では、もう行ってもいいということですね。
ヘレナ……ええ。さようなら。
ガルは立ち去る。
ヘレナ……(一人で)実を結ばない花……実を結ばない花……(突然決意して)ナーナー(下手のドアを開ける)ナーナ、こっちへ来て! 暖炉に火をおこして、大急ぎで!
(チャペック著「ロボット R.U.R.」岩波文庫 p38-95)
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C 人口年齢構造激変の経済的意義
そこでさいごの問題は、以上のような戦後日本の人口動態が経済成長にたいしていかなる影響をおよぼしたのかということである。──略──
もう一つの点は、一般に人口論的分析と経済学的分析との関係の問題である。人口論的分析は年齢、性別を基本とし、人口の階級的区分は扱わない。その点からも、単純に人口論的分析を経済学的分析と同一視したり、前者を後者へ短絡したりせぬように、その限度をわきまえておくことが必要であろう。しかし、他面、人口動態と経済動態とのあいだにはやはり現実に一定の対応関係がみいだされるのであって、その点をつぎに摘記してみようと思う。
第一に、戦後日本、とくに一九五〇年代後半以降における人口全体のなかで生産年齢人口の占める割合の劇的な高まり、したがって人口増加率をはるかに上回るテンポでの生産年齢人口数の急速な増大こそは、日本経済の急激な拡張が必要とした低賃金労働力の豊かな供給源となったのではないかという問題である。──略──
第二は、この生産年齢人口の比重の激増が、高度成長過程での低賃金・低福祉と一定のかかわりをもつのではないかという点である。──略──
なお以上にのべた二つの傾向をさらに補強したものとして、外国にくらべて高い割合での女性の経済活動への参加(その中心は「共稼ぎ」)の問題がある。経済活動に参加している男性を一〇〇とした同上女性の比率は、日本は六〇・九%。また女性の家事負担の最も大きい三〇〜四九歳層に限ってみても、働く女性の働く男性にたいする比は五七・一%。これは社会主義諸国を別にすると、資本主義世界では最も高い。
第三。この、扶養さるべき人口の絶対的減少のもとでの生産年齢人口の激増は、高度成長下における消費市場の爆発的増大の重要な一要因ではなかっただろうかという点である。
戦後日本の高度経済成長の牽引車となったものが企業のきわめて旺盛な設備投資であったことは、これまでたびたび強調してきたところである。
たしかに設備投資は生産手段のための市場をひらき、生産手段を生産する諸部門内部の交互取引を飛躍的に増大させることによって、最終の個人的消費からある程度独立して経済の拡張をひきおこす。
けれども、この過程は絶対的に個人的消費から独立したまま無限に続行しうるわけではない。設備投資が一巡すると、飛躍的に膨張した生産物が消費市場へ押しよせる。そこで、このばあい、大衆の消費需要が通常の伸びかたをしていたのでは、かならず生産のほうが消費を上回る結果となって、購買=実現されない過剰商品の山ができあがってしまう。このことが土台となって、経済恐慌がおこる。
これが一八二五年の恐慌以来、資本主義世界の景気循環の歴史において、周期的にくりかえされてきたことなのであった。ところが、一九五〇年代後半以来の日本の経済では、あれだけすさまじいテンポで設備投資が強行されつづけたにもかかわらず、あまり激烈な過剰生産恐慌はおこらなかった。
なぜだったのだろうか? それは結局ひとことでいえば、急激に増大した生産物が、つぎつぎと買い手を見つけることができていったからにほかならない。では、その買い手とはだれだったのか? 一般に最終の購買者とは、一つには輸出相手国である。じっさい、高度成長過程では日本の輸出は鰻上りに増大し、世界市場での日本のシェアはめざましく拡大された。これが不況の深化を防いだことは明らかである。
だがそれだけではない。国内の消費購買力が飛躍的に拡大したことこそ、むしろより基本的な力であった。高成長期には何回か不況が発生したにもかかわらず、そのつど、これらの不況は深刻化しないまま克服され、短期間にV宇型景気回復へと移ってゆくのをつねとしたが、このことの理由として毎度のようにつぎの点が指摘されてきた。
すなわち「個人的消費力がきわめて堅調であったことが、景気の下支えをしたのである」と。ではいったい、このきわめて「堅調」・旺盛な消費購買力はどこから湧き出したのか? それは、賃金が急激に引き上げられたことを意味したのだろうか? いや、そうではなかった。
賃金は、たしかに引き上げられたとはいえ、それは経済の高度成長、資本の高度蓄積とくらべれば不釣合なほど遅々たる引上げであって、とてもあれほどの巨大な設備投資に対応する消費財市場の急膨張の主役となりうるほどのものではなかった。結局、この謎を解くカギは、一人あたり賃金水準の飛躍的上昇にではなくて、ゆるやかにしか上昇しないところの賃金をうけとる人間の数の飛躍的増大にあった。
すなわち、扶養負担が相対的にも絶対的にも軽減されるという有利な条件のもとで、働いて収入をあげうる年代の人口が爆発的に膨張しつづけたことが消費市場の急激な拡大を支えたのである。
もちろん、私は、こうした人口の要因を他の諸条件と切りはなして、あたかも一方的に景気の動きを決定してゆく独立変数的要因であるかのようにみなそうというのではけっしてない(この点、私の主張にたいしておこりうる誤解を防ぐために、明確に強調しておきたい)。
一九七四〜七五年不況期のように資本の投資意欲が決定的に衰えたようなばあいには、生産年齢人口の比重の大きさは、高度成長促進要因どころか、かえって失業者数の大きさというマイナスのかたちであらわれるのであって、その一事を見ただけでも、人口を経済にたいする一義的決定要因とみなすことの誤りは明らかである。
けれどもまた、逆に、生産年齢人口の膨張を失業の可能性の面でだけとらえることも一面的であろう。日本の高度成長期のように、資本主義世界市場の安定的拡大の条件(たとえば国際通貨体制の相対的安定、石油をはじめとした重要な主要原料資源の低価格、など)にめぐまれていた時期には、生産年齢人口の急激な増大は消費市場の爆発的膨張の方向へ作用し、日本資本主義の再生産の土台をひとまわりもふたまわりも拡大し、ときおり形成される生産過剰をそのつど短期に吸収してゆく要因の一つとなったのであった。
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戦争の傷あとも癒えた一九五五年(昭和三〇年)ごろ、「もはや戦後ではない」という言葉が流行したが、ちょうどそのころから日本の出生率の劇的な低下がはじまった。その必然的結果として日本の人口年齢構造には成年層が圧倒的多数を占めるという世界に類例のない大変動が生じた。
日本の社会は、異常なばかり活力にみちた、経済的競争力の強い人口構成となったのである。「カゼが吹けば桶家が儲かる」という諺があるが、優生保護法の施行が回りまわってこういう結果をもたらすとはおそらく当初だれも想像しなかったであろう。
日本の高度成長は、こうした要因までもがくわわった総合結果として生起したのである。
(林直道著「現代の日本経済」青木書店 p93-100)
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増えている働く主婦
さて「男は仕事、女は家庭」という考え方は女性の支持を失いつつあると書いたが、これについてはただちに補足が必要である。それは「考え方」は支持されなくなってきているが、しかし実生活では「女は家庭」が続いており、そのため働く女性は、働くことによって逆に「仕事と家庭」の両立による苦労を深めているということ。
女と男の労働と生活の時間についての総務庁による一九九六年の調査を見ると、「家事」「介護・看護」「育児」「買い物」の四項目合計に「専業主婦」が費やす時間は、土曜・日曜も含めて一日平均七時間三〇分。しかし、その夫が費やす時間はわずかに二七分。ここには非常に明快な「男は仕事、女は家庭」型の役割分業がある。では、外で働いている「兼業主婦」のいる家庭ではどうなっているか。兼業主婦の四項目合計の時間は四時間三三分だが、驚いたことにその夫はわずかに二〇分でしかない。「共働き」家庭の方が、夫の四項目合計の家事時間は短くなっている。妻が外で働いている場合にも「家事は女がする」という現実がハッキリと貫かれているのである。
これにそれぞれの外での労働時間を加えて、稼ぐための労働と家事のための労働の合計時間は多い順に、兼業主婦・兼業主婦の夫・専業主婦の夫・専業主婦となる。さらにこれに通勤時間を加えたものが前ページの表の下の図であり、合計時間は多い順に、兼業主婦・専業主婦の夫・兼業主婦の夫・専業主婦となる。労働の密度をとりあえず脇に置いた単純な比較であり、アンケート調査としての制約はあるが、時間数で見たこれらの数字は兼業主婦こそ一番の働き者だということを示している。
「それなら専業主婦がラクでいい」「頼りがいのある稼げる男と結婚すればいいんだから」。そういう声も聞こえてきそうだ。ところが、現実はその逆にむかって進み「専業主婦」比率は、迷いを見せながらも一九七五年を境にグッと減ってきている。そして「サラリーマン世帯」をとれば、今や「働く主婦=兼業主婦」が主婦の世界の多数派となってもいる。「仕事と家庭」の両立は大変なのだが、それにもかかわらず女性の多くはすでにその道を進んでいる。これが現実である。
(石川康宏著「現代を探究する経済学」新日本出版社 p194-196)
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ニ、社会のゆがみの進行と少子化
……「構造改革」の名による財界・大企業の利益至上主義の政治は、国民が現在と将来に希望のもてない閉塞感をひろげ、日本社会のゆがみの進行、荒廃と衰退への傾向をつくりだしてきた。
経済苦による自殺の増加が、重大な社会問題になっている。「勝ち組・負け組」を当然視し、社会的弱者にたいする攻撃に痛みを感じない風潮が生まれている。高齢者や子どもへの虐待、家庭基盤の崩壊、犯罪の増加など、社会の病理現象が深刻になっている。その一方で、ぬれ手で粟(あわ)の錬金術で大もうけしている投資家たちがもてはやされる現象が広がっている。
少子化がすすみ、日本社会の基盤をゆるがす重大問題となっている。長期にわたって少子化傾向がつづいている根本には、不安定雇用の広がりと異常な長時間労働、賃金の抑制、増税にくわえ出産・育児・教育などの経済的負担の増大、子育ての社会的環境の悪化など、大企業中心主義の政治がつくりだした社会のゆがみがある。
欧州で、落ち込んだ出生率を引き上げることに成功している国では、雇用政策、経済的負担の軽減など家族政策、男女平等政策など、総合的な視点から、社会のあり方を変える位置づけでのとりくみがおこなわれている。
ところが、日本政府は、口先では、十年以上前から「少子化対策」をとなえてきたが、現実にやってきたことは、「労働法制の規制緩和」による働くルールの破壊、子育て世代への増税や負担増、保育料の値上げや保育サービスの後退など、子育てへの障害をつくりだす政治だった。少子化問題を増税や社会保障切り捨ての脅しの口実につかうことには熱心だが、本腰を入れたまともな対策は何一つない。ここでも、自民党政治は、日本の社会の将来にたいする責任を放棄してしまっている。
「構造改革」が、日本の社会をどれだけゆがんだものにしてきたか。いまその全面的な告発が必要である。それは、人間がともに支えあう社会のありようを否定し、弱肉強食の寒々とした社会をつくりだしつつある。日本社会と経済の将来にむけての持続的な発展を不可能にするところまで、深い矛盾を蓄積している。
(「日本共産党 第24回大会決議」しんぶん赤旗 2006.1.15)
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──誰もが有閑階級になって働く必要がないから少子化が起こっているのではない。それどころか、女性の社会進出が進み、誰もが働くようになって少子化が起こっている。──