学習通信060330
◎何もかも生きた機械が……

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ブスマン……これは驚いた。お嬢さん、ということはですね、手間賃が下がったということです。ロボットがなんと餌代こみで時給四分の三ツェンチークです! お嬢さん、これはお話しにもならない額です。工場という工場はどんどん倒れるか、生産コストを下げるために大急ぎでロボットを買っています。

ヘレナ……そうよ。そうやって労働者を路上に放り出しているのよ。

ブスマン……ええ、そうでしょうとも! ところがわれわれの方では、神のお恵みか、その間に小麦を栽培するためにアルゼンチンのパンパに五十万体の熱帯用ロボットを一気に送りこんでいるのです。ところですみませんが、パン一ポンドはヨーロッパでいくらしていますか?

ヘレナ……ぜんぜん見当もつきません。

ブスマン……そうれごらんなさい。あなたのお住みになっている古き良きヨーロッパではニツェンチークです。でもそれはわれわれのパンです。お分かりですか? 一ポンドのパンが二ツェンチーク、人権連盟はこんなこと想像もできないでしょう! ハハハ。グローリーのお嬢様。あなたは物価が商いということをご存じないのです。文化にしても、その他のものにしても。でも、五年たったら、そうですとも、賭けてごらんなさい!

ヘレナ……何をですの?

ブスマン……五年後にはあらゆる物の値段が十分の一になるということをです。ねえ、五年たてば小麦でも何でも山とあるようになりますよ。

アルクビスト……そうとも、そして世界中の労働者が仕事を失うのさ。

ドミン……(立ち上がる)そうなるよ、アルクビスト。グローリー様、そうなります。ええ、十年もしないうちにロッスムのユニバーサル・ロボットが、小麦でも、布地でも、何もかもうんと作り出すので、そう、物にはもう値段がなくなるのです。そのときは誰でも必要なだけ取りなさいということになります。貧困もなくなります。そうです、仕事もなくなります。でもその後ではもう労働というものがなくなるのです。何もかも生きた機械がやってくれます。人間は好きなことだけをするのです。自分を完成させるためにのみ生きるのです。

ヘレナ……(立ち上がる)そうなりますの?

ドミン……そうなりますとも。他にはなりようがありません。その前に、グローリーのお嬢様、おそらくおそろしい事が起こるでしょう。それを防ぐことはできない相談です。でもその後では人間が人間に仕えることも、人間が物質の奴隷になることもやむことでしょう。誰もパンを得るのに生命やにくしみであがなう者はもういなくなるでしょう。お前はもう労働者ではなく、お前はもうタイピストではない。お前はもう石炭を掘ることはなく、お前はもう他人の機械のところに立つこともない。もはやお前ののろっている労働で自分の心をすりへらすこともない!

アルクビスト……ドミン、ドミン! あんたが言っていることはあまりにも楽園みたいに聞えるね。ドミン、かつては奉仕することの中に何か良いものがあったし、恭順さの中に何か偉大なものがあった。ああ、ハリー、よく分からないが労働や疲労の中に徳のようなものがあった。

ドミン……おそらくあったろう。でもアダム以来のこの世を作り直そうというとき、失われる物のことを考慮するわけにはいかないのだ。アダムよ、アダム! もう額に汗して得た自分のパンを食べることはない。もう飢えや乾きを、疲れや屈辱を知ることもない。主の御手がお前を養ったあの天国へと戻るのだ。お前は自由であり、何ものにも制限されることはない。自分を完成させること以外のいかなる課題も、いかなる仕事も、いかなる心配もする必要はない。お前は創造主になるのだ。

ブスマン……アーメン。
ファブリ……そうなるがよい。
ヘレナ……皆さんは私をわけが分からなくさせておしまいになったわ。私はばかな娘よ。おっしゃったことを信じたいの──そう信じたいわ。
(チャペック作「ロボット(R.U.R」岩波文庫 p48-51)

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第一三問。
 規則的にくりかえされるこれらの商業恐慌からなにが生ずるか?

答──

 第一に、大工業は、その最初の発展期にみずから自由競争を生みだしたとはいえ、それにもかかわらずいまでは自由競争を乗り越えて成長しすぎたこと。

競争が、そして一般に個人による工業生産の経営が、大工業にとっては、爆破しなければならず、また爆破するであろう足かせになっていること。

大工業は、現在の基礎の上で経営されるかぎり、七年ごとにくりかえされる全般的な混乱によってのみ維持されうるのであるが、この混乱は、そのつど全文明をおびやかして、プロレタリアを窮乏に突き落とすばかりではなく、多数のブルジョアをも破滅させるということ。

それゆえ、大工業そのものがまったく放棄されなければならないか──このことは絶対に不可能なことであるが──、それとも大工業は、もはや個々の、互いに競争する工場主たちではなくて、全社会が一つの確固とした計画にしたがって、また万人の需要に応じて、工業生産を行なうような、社会のまったく新しい組織をどうしても必要とするということである。

 第二に、大工業およびこれによって可能とされた生産の無限の拡張は、すべての生活必需品がきわめて多く生産されるために、社会のどの成員も、このことによって、そのすべての能力および素質を完全に自由に発達させ、かつ実現する状態におかれるような社会の一状態を可能にするということである。

そこで、こうしてこんにちの社会において、すべての窮乏およびすべての商業恐慌を生みだすという大工業のまさにこの特質が、他の社会的組織のもとでは、まさにこの窮乏およびこの不幸をもたらす動揺をなくすであろう特質とまさしく同じものだということである。

そこで、こうして、つぎのことがきわめて明瞭に証明されているのである──

(一)こんにち以降、これらすべての害悪は、もはや事情にふさわしくなくなった社会秩序のせいであるということ、そして、

(二)新しい社会秩序によってこの害悪を完全に除去するための手段が現存しているということ。
(エンゲルス著「共産主義の諸原理」新日本出版社 p125-127)

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「資本が主人公」の社会から、「人間が主人公」の社会へ

 「生産手段の社会化」に社会が踏み出したら、人間社会の前には、資本主義のもとでは考えられなかった、いろいろな新しい展望が開けてきます。

 まず、生産や経済が、資本のもうけのためではなく、社会のためにはたらくようになります。社会を構成しているのは人間ですから、人間のためということが経済の第一の目的となります。ですから経済条件が許すなかで、社会を構成する人たちの生活をいかにして保障するか。これが経済の中心になります。

 それだけではありません。マルクスという人は、未来社会を考えるときに、人間が全面的に発展する社会だということを一番強調しました。どういうことかというと、私たちはみんな頭と体にさまざまな能力をもっています。しかし自分のもっている能力を全部発展させる機会にはなかなかめぐまれない。分業社会ですから。たまたま、めぐりあわせである仕事にぶつかったら、一生その仕事ですごしてしまうという人が多いのです。隠された能力がいっぱいあっても、自分でも発見しないままに人生が終わってしまう。それはさびしいじゃないかということが、マルクスの未来社会論の根底にあるのです。

 それで、どういうことになるか。

マルクスは労働時間の短縮ということを非常に重視しました。いま私たちが、みんな一日八時間働いて、これだけのものをつくっているとしましょう。生産力が二倍になったら、労働時間を半分にしても同じ量のものができるはずです。生産力が四倍になったら、労働時間を半分にしてもいままでの二倍の量のものができるはずです。

生産力の発展というのは、まともな社会だったら、労働の時間を減らして、それ以外の時間を増やすことと結びつくはずなのです。そうしたら短い労働時間を社会のためにつくしたあとは、自由に使える時間が十分にできる、あとの時間は遊んじゃうという人もいるでしょうけど、遊ぶだけじゃさびしいから、自由な時間を自分のもっている能力を発展させるために使えば、より多面的な人間に成長、発展する道が開ける。誰でもやる気になればそういうことができる。そういう社会になるはずです。

 ところが日本の私たちの経験では、生産力が発展すると、工場がかえっていそがしくなって、残業時間がよけい長くなったりします。これにたいして、生産がもうけのためでなく社会のための生産になると、暮らしの保障と同時に人間の全面的な発達が保障されるようになる。その要となるのが労働時間の短縮です。これが「生産手段の社会化」の効能の一つなんです。

 効能の二番目になりますが、先ほど環境問題をいいました。いまの地球がこんなにひどいことになっていることをみると、もうけ本位で勝手放題にやってはだめだ、経済への計画的な働きかけが大事だ、と誰でもが思います。だから小泉内閣でも「計画」と名のつくものをずいぶん作りました。雇用拡大計画だとか。高齢者対策の計画だとか。しかしいま自民党政治のもとで立てられる計画で、一〇〇%近く実行されるのは、防衛力増強の計画ぐらいのものです。あとはまったく看板だおれです。

 それは実際の経済の動きが、資本の利潤本位の行動に任されているからです。いくら政府が机の上で計画を立てても、これは現実の社会になんの影響もおよばさない。公害もなかなかとめられない。

 生産手段が社会のものになって、そういう個々の企業の利潤本位のやり方がなくなったとき、はじめて経済を計画的に動かしてゆく道が開かれます。

 自動車をこれだけ増やしても、それが大気汚染を増やさないようにするためにはどういうことが必要か。こういう計画がはじめて本物の形で問題になるようになります。ここにも新しい側面が開けるでしょう。

 効能の三番目に進みます。いままでは社会主義というと、能率が悪いものだといわれていました。それは社会主義が悪いのではないんです。ソ連の官僚主義の体制が悪かったのです。社会主義、つまり「生産手段の社会化」になったら、本当なら、もっと無駄のない効率の高い生産ができるわけで、生産力が資本主義の時代以上に発展して不思議はないのです。

 資本主義は効率、効率といいますけれども、結構無駄が多いのですよね。東京湾横断道路。計画した自動車の通行量よりもはるかに少ない自動車しか通らないで、巨額の赤字が確実ですが、そういう事業に莫大なお金を平気でつぎ込む。そういう巨大な無駄が日本中にあります。

 さらに、設備投資で工場を増やして生産能力もある、働き手もいる、しかしそれをうまく結びつけて動かせないために、不況になると、せっかく拡張した工場も大きな部分を遊ばせたり、労働力のかなりの部分が失業になっている。これもたいへんな無駄でしょう。

 そういう無駄のない経済運営ができて、資本主義の時代以上に生産力の発展の道を開くこともできる。生産手段を社会化したら、こういう新しい展望が人間社会の前に開けるのです。

 「生産手段の社会化」というのは、過去にあれこれの国であったように、経済の遅れた状態から出発するのではなく、経済発展の進んだ経験をもった日本のような国で実現してはじめて、人類社会の歴史が変わるといわれるような大変革ができます。そういう未来社会に向かいたいと、私たちは考え、そのことを綱領の未来社会論に書きました。その大きな方向とは、一ロでいって、「資本が主人公」の社会から、「人間が主人公」の社会に変わる、このことだと思っていただきたいと思います。
(不破哲三著「報告集 日本共産党綱領」日本共産党中央委員会出版局 p220-223)

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◎「大工業およびこれによって可能とされた生産の無限の拡張は、すべての生活必需品がきわめて多く生産されるために、社会のどの成員も、このことによって、そのすべての能力および素質を完全に自由に発達させ、かつ実現する状態におかれるような社会の一状態を可能にする」と。