学習通信060405
◎「言葉」を通じただまし……

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はじめに

 「だます」という言葉には二つの意味があります。
 第一は、「なぐさめる」とか「なだめる」という意味です。「むずかる子どもをだましだまし歯医者に連れていった」などという具合に使われます。

 第二は、「ほんとうでないことをほんとうのことと思わせる」という意味です。本書で使う「だまし」の意味は、この意味です。つまり、巧妙な方法で相手の認識や推理をあざむき、だまし手の目的を達成する行為をさします。

 「だましの目的」には、いろいろあります。
 国家がある政策を誘導するために国民をだますなどということは「あってはならないこと」ですが、現実には戦争政策の遂行などの中で、「真実を写す」はずの写真でさえ捏造された歴史があります。

 詐欺事件の場合には、巧妙な話術や偽造された文書などを利用して相手の射幸心(しゃ‐こう【射倖・射幸】を刺の好運をあてにしてことをすること。偶然のしあわせや利益を得ようとすること。)を刺激したり、思い込みを誘導したりすることによって、金品をだまし取ることが目的とされます。

 「だまし」は人間関係の潤滑油として使われることもあります。真実をストレートに突き付けたのでは人間関係がギスギスしたり、相手に破壊的な影響を与えかねないといった場合には、「ウソも方便」という言葉に象徴されるように、ある種の「だまし」が演出されます。実際には、「がんの告知」のような場合、難しい判断を迫られます。

 「だまし」はエンターテインメントの分野にもあります。「手品」は、相手の認識の裏をかいて「あれっ、だまされた」と悔しがらせたり、楽しませたりするのが目的です。「だまし絵」では「非現実」を「現実」と錯覚させる絵画表現が使われますし、推理小説では読者の推理の裏をかく意外な伏線が仕込まれたりします。

 「だます」という行為は、人間の独占物ではありません。動物も植物も、生存のために見事な「だまし」のテクニックを利用します。ある種の食虫植物は、餌となる虫の好きな臭いや色や形を模擬しておびき寄せ、まんまとだまし捕ります。また、他の動物の攻撃を免れるために、自分の姿を周囲の景色に溶け込ませる「擬態」も「だまし」の一種です。

 「だます」という言葉自身は「マイナスイメージ」の言葉ですが、右のように見てみると、詐欺や謀略の手口としての「だまし」だけでなく、エンターテインメントや人間関係の潤滑油や生きる知恵としての「だまし」もあることがわかります。

 この本では「だまし」について多角的にとりあげ、私たちが生きるうえでの「だまし」の意味について考えてみたいと思います。

──略──

 こう見てくると、文字の形で結晶している「だまし」にも、古来いろいろあることがわかります。ぺらぺらと薄っぺらい言葉で人をだます、真実が見えないように隠して人をだます、ウソ八百や飾りたてた言葉で人をだます、もっともらしい顔をして人をだます。だまし方のあの手この手が結晶化されていて、不謹慎ながら「おもしろいなあ」と感じます。

 「だます」という行為には「目的」と「手段」があります。

 「だまし」の目的は、大きく分けて、「自分の不都合や弱点を覆い隠すためのだまし」(防衛的だまし)と「相手から金品や財物を奪い取るためのだまし」(攻撃的だまし)があります。実は、この「防衛的だまし」と「攻撃的だまし」は、後述するように自然界にも広く見られるのです。

 「だまし」の手段は実に多種多様です。@本物の色や形を巧みに模擬した偽物を用意する方法、A相手の錯誤を言葉巧みに誘導し、真実でないことを真実であるかのように思い込ませる方法、B相手の射幸心につけ込んで欲得に目をくらませ、だましの世界にいざなう方法、などさまざまです。そして、人間界の「だまし」の特徴は、「言葉」を通じただましがひじょうに多いことです。もちろん、鳥の仲間の中には、他の鳥の鳴き声をまねするようなおもしろい習性をもったものもいますが、何といっても、豊かな言語を獲得した人間こそが「言葉によるだまし」のチャンピオンです。
 言葉が人間相互間の意思疎通の手段として定着すればするほど、「だまし」も増えました。人間の意思の疎通にとって言葉のもつ重要性ははかり知れませんが、ひじょうにやっかいなことに、「言葉」は、それがあらわす意味内容の真実性とはまったく無関係に成立しうるのです。ほんとうは精神的にまいっているのに、「私は元気です」と言うことは可能です。

ほんとうは大量破壊兵器があるかどうか定かでないのに、「大量破壊兵器が存在する」と言うことも可能です。ほんとうは単なる手品に過ぎないのに、「これは超能力だ」と言うこともできるのです。すると、そのような言葉を投げかけられたほうが、その言葉の真実性を批判的に検証しなければならなくなります。本書では、そのような問題についても考えたいと思います。
(安斎育郎著「だます心、だまされる心」岩波新書 p@-C)

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 さきの総選挙で、小泉・自民党は、郵政問題一本に争点をしぼり、自らの失政と悪政を覆い隠すという、国民をあざむく方法で、危機におちいった自民党政治の延命をはかる戦術をとった。それは、財界とマスメディアの全面支援をえて、国民の一定の支持を獲得し、自民・公明両党は、議席では多数をしめることに成功した。

 しかし、それは自民党政治の一時の延命になっても、この政治のもつ異常な特質と国民との矛盾、世界の流れとの矛盾を解決するものではない。うそとごまかしが明らかになれば、政治の大きな激動はさけられない。

 日本の政治のゆきづまりの打開の道は、三つの異常なゆがみそのものに根本からメスをいれ、それをただす改革をすすめることにある。日本の情勢は、古い政治の枠組みを打開する新しい政治を切実にもとめる、歴史的時期をむかえている。

日本共産党が前大会で決定した新しい党綱領と日本改革の方針は、その道をしめすものである。
(「日本共産党第24回党大会決議」 赤旗2006.1.12)

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◎「うそとごまかしが明らかになれば、政治の大きな激動はさけられない」と。