学習通信060406
◎九歳の子どもが三日間もぶっつづけで……
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衣料品の次には、とくに金属製品がイギリス工業製品のうちでもっとも重要な種類のものである。その製造の中心地はあらゆる種類の比較的高級な金属製品を生産しているバーミンガム、あらゆる種類の刃物を生産しているシェフィールド、および、わりと粗製の商品、錠前や釘などを生産しているスタフォードシァ、とくにウルヴァハンプトンである。
これらの工業部門で働いている労働者の状態の叙述を、まずバーミンガムからはじめよう。
──バーミンガムの労働の組織は、金属加工がおこなわれているたいていの町と同じように、古い手工業的な性格をいくらか残している。
小親方がまだ残っていて、徒弟といっしょに、自宅の仕事場か、あるいは、蒸気力を利用している場合には、大工場の建物のなかで働いている。この建物は小さな個別の仕事場に仕切られて親方に賃貸しされ、どの部屋にも蒸気機関を動力とするシャフトがとりつけられていて、それがまた別の機械を動かしている。
レオン・フォシェ(『ルヴュ・デ・ドゥ・モンド』紙に連載されたイギリスの労働事情にかんする記事の筆者。この記事は少なくとも研究のつみ重ねをしめしており、いずれにせよ、今日までイギリス人やドイツ人がこの問題について書いたものよりすぐれている)は、この状態を、ランカシアやヨークシアの大工場と比較して工業民主制と名づけ、これは親方と職人の状態にあまり良い結果をもたらしていないとのべている。この指摘はまったく正しい。
というのは、多数の小親方は競争によって規制され、この制度がなければ一人の大工場主に吸いとられてしまうはずの利益を分けあっているので、これではとてもやっていけないからである。
資本の集中傾向が彼らを圧迫し、一人が金持になるために一〇人が破滅し、一人の金持が安売りをすれば、その圧力で一〇〇人の状態が以前より悪化する。
また彼らが最初から大資本と競争しなければならない場合には、たいへんな苦労をしなければこういう競争に耐えられないというのは、分かりきったことである。
徒弟たちは、のちに見るように、小親方のもとにおいても、工場主のもとにおけるのと少なくとも同じくらい苦しい状態にある。ただ違うところは、彼ら自身ものちには親方となり、一定の自立性をもつようになること──すなわち、彼らは工場にいるときほどは、ブルジョアジーによって直接には搾取されていないということである。
このように小親方は、一部は徒弟の労働によって生計をたて、労働そのものでなく、完成品を売っているのだから真のプロレタリアではなく──といってまた、主としては自分自身の労働によって生活しているのだから、真のブルジョアでもない。
バーミンガムの労働者がイギリスの労働運動に全面的かつ公然と参加することがきわめてまれであったのは、こういう彼ら独特の中間的な地位のためである。バーミンガムは政治的には急進的であるが、けっしてはっきりとチャーティスト的な都市ではない。
──しかし、資本家の経営する大工場もたくさんあり、そこでは工場制度が完全に支配している──ここでは分業がこまかい点にまでおしすすめられ(たとえばビン製造)、また蒸気力のおかげで多数の女性や子どもが仕事につき、工場報告がしめしたのとまったく同じ特徴が、(児童雇用委員会報告のなかで)ここでも見られる──出産まぎわまでつづく女性の労働、家計のやりくり能力のないこと、家事や子どもの世話の放棄、家庭生活への無関心、というよりも、嫌悪、退廃──さらに仕事から男性は追いだされ、機械は絶えず改良され、子どもは早くから家をはなれ、男が女性や子どもに養ってもらっているなどなど──子どもたちは、なかば飢え、ぼろを着ていると、のべられている──子どもたちの半数は満腹とはどういうことなのかを知らない。
多くの子どもは一ペニー(プロイセンの一〇ペニヒ)で手にはいるパンで丸一日暮らすか、あるいは昼食までなにも食べない。それどころか、子どもが朝の八時から夕方七時まで、なにも食べなかったという例もあった。衣服は、子どもたちの裸をおおうのにも足りないということがしばしばで、冬でも裸足の子どもがたくさんいる。
したがって、彼らはみんな年齢のわりに小さく虚弱で、なんとか丈夫に育つ子どもは少ない。このように、体力の再生産の手段が不足しているということに加えて、しめきった部屋できつい長時間労働がおこなわれていることを考えると、バーミンガムでは兵役に適した成人が少ないということも、不思議ではないであろう。
「労働者は小さくて、きゃしゃで、体力がきわめて弱い──そのうえ多くのものは胸部または脊椎に奇形がある」と、新兵募集医師はいっている。ある新兵募集下士官の話では、バーミンガムの人びとはほかのどこより背が低く、たいてい五フィート四ないし五インチで、新応募者六一三名のうち、合格したのは二三八名にすぎなかった。
(エンゲルス著「イギリスにおける労働者階級の状態 下」新日本出版社 p23-26)
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ドナウ諸侯国のレグルマン・オルガニクが剰余労働にたいする渇望の積極的表現であり、その各条項がそれを合法化したものであるとすれば、イギリスの工場諸法は同じ渇望の消極的表現である。これらの法律は、国家の名によって──しかも資本家と地主との支配する国家の側から──労働日を強制的に制限することにより、労働力を無制限にしぼり取ろうとする資本家の熱望を取り締まる。
日々ますます威嚇的にふくれ上がる労働運動を度外視すれば、この工場労働の制限は、イギリスの畑地にグアノを注ぎ込んだのと同じ必然性によって余儀なく行なわれたのである。
この同じ盲目的な略奪欲が、一方の場合に土地を疲弊させ、他方の場合には国民の生命力の根源をすでに襲っていた。ここでは、周期的な流行病が、ドイツおよびフランスにおける兵士の身長低下(※)と同じように、そのことを明瞭に語ったのである。
※「一般的には、有機体がその種の平均的大きさを超えることは、ある一定の限界内では、その有機体の繁栄を証明する。〔……〕人間については、自然的事情によるにせよ社会的事情によるにせよ、その繁栄がさまたげられるときは、その身長が低下する。〔……〕徴兵制がしかれているすべてのヨーロッパ諸国では、その実施以来、成年男子たちの平均身長が、また全体的に見て彼らの兵役適格性が低下した。
革命(一七八九年)以前には、フランスでの歩兵の合格最低限は一六五センチメートルであった。一八一八年には(三月一〇日の法律では)一五七センチメートル、一八三二年三月二一日の法律によれば一五六センチメートルであった。
フランスでは、平均して、半数以上が身長の不足および身体的欠陥のために不合格となった。
ザクセンでは徴兵の合格身長は一七八〇年には一七八センチメートルであったが、いまでは一五五センチメートルである。
プロイセンでは、それは一五七センチメートルである。一八六二年五月九日付の『バイエルン新聞』におけるマイアー博士の報告によれば、九年間の平均で、プロイセンでは一〇〇〇人の徴募兵のうち七一六人が兵役に不適格──三一七人は身長不足のため、三九九人は身体的欠陥のため──であることが判明した……ベルリンは、一八五八年に補充兵の応召兵員を提供することができず、一五六人が不足であった」(J・V・リービヒ『化学の農業および生理学への応用』、一八六二年、第七版、第一巻、一一七、一一八ページ)。
(マルクス著「資本論A」新日本新書 p406-407)
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第三二条 あゝ野麦峠
経済的搾取・有害労働からの保護
いまでこそ日本の子どもたちは、朝から晩まで勉強べんきょうの一日をすごせる、平和な世の中といえる時代になりましたが、みなさんのお父さんやお母さんの小さい頃やおじいさんやおばあさんの時代には、ほんのひとにぎりの子どもにしか学問≠ヘ必要ない、といわれていました。もちろんその他大勢の子どもや若者は、小学校や中学校を卒業したあと、すぐに就職していったのです。低学歴の若者は給料も安く雇えるので、企業の側では「金のたまご」として歓迎しました。「金のたまご」ということばは、安い労働力という意味とともに、企業に利益を儲けさせてくれる労働力であることを意味していました。
もともと日本の産業界は、明治以来安い労働力を利用して今日にいたった歴史をもっているといえるでしょう。とくに紡績業を中心にした明治、大正、昭和の初期までの日本の工業は、主として農村の婦女子を安い賃金で雇い、生産コストを抑えた低価格の絹糸を、世界中でダンピング販売したのでした。
『あゝ野麦峠』という、山本茂実さんが著わした本があります。長野と岐阜の県境に野麦峠がいまでもありますが、飢饉と貧困に苦しむ農家の女の子が、家庭の食生活を少しでも楽にする「口べらし」のために労働条件の劣悪な製糸工場に売られ、雇われ、酷使され、病気で倒れていく姿を克明に記録した名作です。それは典型的な経済的搾取の一例です。
ちょうど、日本の資本主義が国家に指導されながらしだいに成長しはじめた時期であり、たくさんの安い労働力をいちばん必要としたときでもあったのですが、それにしても『あゝ野麦峠』に描かれた女子労働者は、だいたい一〇歳から一五歳ぐらいまでの子どもたちでしょう。過酷な労働の中でたくさんの生命が失われ、傷ついていったのでした。
戦後の日本でも、敗戦後のある時期に子どもや若者が、生きるために必死で働きました。駅前やガード下などで靴みがきの少年少女が列をなしていた光景は、戦争の惨禍を象徴するものでしたが、そこにはヤクザなどによる経済的な搾取が厳然とあったのでした。
第三二条は、子どもが「経済的な搾取」や「心身に有害となるおそれのある労働」から保護される権利をもっていることを定めています。
今日の日本では、憲法や労働基準法などの法律や児童福祉制度の充実によって、あからさまな子どもの経済的搾取はほとんどなくなりましたが、しかしもう一方で新しい搾取の形が、子どもや若者の中に浸透してきはじめています。
その一つに、若者の性を売買するテレクラやブルセラの問題があることはご存じでしょう。第三四条のところでもふれますが、女子中学生や高校生が、いわゆるセックス産業に組みこまれ、性的搾取とともに経済的な搾取の対象になっています。しかもこの売春システムは、いまでは小学生の女子にも波及してきているといいます。もちろん、若い性をもてあそぶ大人がいてなりたつ商売なので、いちばん悪いのは一部の大人です。経済的な搾取とともに、性病などのおそれのある「有害な労働」でもあるのですから、この種の若者だましのセックス産業を、若者自身が拒否することも必要不可欠でしょう。
ところで、この第三二条の「有害な労働」ということばの意味は、もう少しちがうニュアンスで本来は使われています。
労働者を保護するための法律の一つに、労働基準法があります。その第六章に「年少者」の労働についての規定が九か条にわたってあげられています。「危険有害業務の就業制限」は第六二条に定められ、危険な業務や有害な業務の範囲や種類を示しています。また、第六三条では「坑内労働の禁止」を定めています。子どもの権利条約の第三二条は、この労働基準法の規定をさらに拡充した規定だといえるでしょう。
目を世界に転じてみると、事態は深刻です。
ユニセフが刊行している『国々の前進』の一九九五年版には、「低賃金にもかかわらず高い代価を払う子どもたち」という見出しで、インドやラテン・アメリカ、アジアの子どもの「経済的な搾取」の状況が記されています。五歳ぐらいの子どもが一日二〇セント(約二〇円)で朝六時から夜七時まで働いていたとか、九歳の子どもが三日間もぶっつづけでシャツにミシンをかけていて、その間、一時間の休憩を二回与えられただけで、休憩時にはミシンのそばで眠らなければならなかったなど、悲惨な状況が報告されています。しかもこれほど高い人的代価を払っても児童労働は安く、たとえばアメリカで六〇ドルで売られているシャツの労働コスト(費用)がたったの一〇セント以下のこともあるとか。それだけに子どもの犠牲は大きく、心身の発達の遅れ、慢性的な肺の病気や視力の低下、骨の変形、そして死にいたることもあるといいます。
この報告は次のように結んでいます。「最終的には教育の権利を守ることが、子どもの経済的搾取からの保護を可能にする。就学していれば畑や工場で酷使されることはない。就学率や在学率を高めることで、無数の子どもを児童労働から解放することができる。しかし搾取の対象になるのは学校教育の機会に恵まれない子どもたちである」と。
(中野光、小笠毅編「ハンドブック 子どもの権利条約」岩波ジュニア新書 p162-165)
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◎「この同じ盲目的な略奪欲が、一方の場合に土地を疲弊させ、他方の場合には国民の生命力の根源を」と。