学習通信060410
◎ラッドの怒りは……

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 ブルジョアジーにたいする労働者の抵抗は工業の発展のあとすぐにはじまり、さまざまな段階をとおってきた。これらの段階がイギリス国民の発展にとってどういう歴史的意義をもっているのかを、ここは詳しくのべる場ではない。この問題はこんごの研究にゆだねることとして、さしあたり、イギリスのプロレタリアートの状態の特徴をしめすのに役立つかぎりの事実だけをのべるにとどめなければならない。

 こういう抵抗の最初の、もっとも粗野な、そしてもっとも効果のない形態は犯罪であった。労働者は窮乏と貧困のうちに暮らし、ほかの人たちが自分たちより良い暮らしをしているのを見た。彼は金持の怠け者よりも自分の方が社会のために多くのことをしているのに、どうしてこういう状態で苦しまなければならないのか、理解できなかった。

さらに、貧しさのために、財産にたいする先祖伝来の尊敬の気持もおさえつけられてしまった──彼は盗みをはたらいた。われわれがすでに見たように、エ業の拡大とともに犯罪は増加し、年々の追捕件数は消費された綿花の俵の数と比例していたのである。

 しかし労働者はすぐ、こんなことは役に立たないということに気づいた。犯罪者は単独で、たんなる個人として、現在の社会秩序にたいして窃盗という形で抗議することができただけである。

社会は全力をあげて個人個人へおそいかかり、巨大な力でこれをおしつぶしてしまった。さらに窃盗はもっとも無知な、もっとも無自覚な、抗議の形態であって、そのためだけでも、たとえ労働者たちが心のなかではそれに賛成していても、労働者たちが公然とひろく賛意を表明するものではなかった。

労働者階級がはじめてブルジョアジーに敵対したのは、工業の動きがはじまるとすぐおこったような、機械の導入にたいして暴力的に抵抗したときである。最初の発明家であったアークライトたちは、すでにこのようにして迫害され、彼らの機械はうちこわされた。

その後、機械に対する暴動がたくさんおこったが、それらは一八四四年六月のベーメンの捺染工の暴動とほとんど同じような経過をたどり、工場が破壊され、機械がうちこわされた。
(エンゲルス著「イギリスにおける労働者階級の状態 下」新日本出版社 p44-45)

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「身におぼえのあるものは覚悟せよ」

 一八一二年三月なかばのある土曜日の午後、イングランド北部ヨーク州のハダースフィールドという町の近くで、織物工場で働いている数人の労働者が、ひとりの若者の話に熱心にききいっていた。その若者は「リーズ・マーキュリー」という新聞をみんなによみきかせていた。それは、去年のちょうどいまごろからはじまったノッティンガムという州での、うちこわしの話だった。

 ノッティンガムのうちこわしの話は、もうだいぶまえから、噂としてはきいていたが、正確な情報をきくのは、これがはじめてである。去年の三月一一日、ノッティンガムの町で賃金の引下げに抗議する労働者の集会がひらかれた。この集会は昼間は平穏のうちに終わったが、夜になって労働者の一部が隣村にくりだし、そこでメリヤス編みの工場をおそって、約六〇台の編み機をこわしてひきあげた。

この地方はメリヤス編みの中心生産地で、州全体では約二万五千台の編み機があったが、戦争のせいで輸出がとまり、その不況のしわよせが賃金の引下げという形で労働者へかぶされてきたのである。おまけにパンの値段が暴騰していた。数年前までせいぜい九〇シリングであった小麦一クォータ(約二五〇リットル)の値段が、ちょうど端境期にあたるこの年の三月には、一五五シリングという馬鹿値にはねあがったのである。

 編み機うちこわしのニュースは、たちまち四方にひろがった。各地にこれをまねた同じようなうちこわしがはじまった。三月の末までに、さらに二百台の編み機がこわされた。うちこわしの秘密組織があるのかどうかはよくわからなかったが、いつのまにか、人びとはこれをラダイトとよぶようになった。ネッド・ラッド指導者がいるという噂もひろがったが、だれもそれをみた人はいなかった。ラッドラムという少年がいて、ある日、父親に叱られたときに腹いせにそばにあったハンマーで編み機をこわしてしまったという話はあったが、この少年がラッドという指導者になったとは考えられなかった。

 たぶん、この少年の名前を使って、だれかがラッドと名のっているのだろう。そういう人物が実在するのかどうかはよくわからなかったが、やがてネッド・ラッドという署名のはいった脅迫状が工場主へおくりつけられるようになった。ときには署名のあとに、伝説の英雄ロビン・フッドが住んでいたという「シャーウッドの森」と書かれていることもあった。その脅迫状には、法律でさだめられた規格以外の編み機を使っていたり、契約したとおりの賃金を払っていない雇主は、ラッドの仲間によって襲撃され、編み機をこわされるであろう、と書いてあった。「ラッド将軍の勝利」という歌まではやりだした。

「身におぼえのあるものは覚悟せよ、
正直者の生命や財産はおそわない、
規格はずれの編み機と、
約束どおりの手間賃を値切るやつらに、
ラッドの怒りはむけられる。
こんな害悪を流すものには、
取引の一致したきまりで死刑が宣せられる。
そしてその執行人は
どんな敵にも負けないラッドなのだ」

 州当局はもちろん、必死になってうちこわしの犯人をとらえようとした。しかし、いたるところに出没するこのラダイトたちの動きはまったくつかめなかった。どういうふうに連絡しあっているのか、とにかく夜になると覆面をしたり変装したりした人びとが、数人あるいは数十人、その日の攻撃目標の工場にあつまり、手に手に梶棒やハンマーや斧や、ときには刀や鉄砲までもって、外に見張りをおきながら編み機をたたきこわし、あっという間にたちさってしまう。

変装をとって家へ帰ると、もうふつうの職人や労働者にもどってしまい、まったく区別はつかなかった。なによりも当局が苦労したのは、住民の協力がえられないことだった。住民はラダイトの味方だったのである。あるいは、むしろ住民がラダイトそのものだったのかもしれない。

 夏の間は、うちこわしはすこしおさまっていたが、一一月の末ごろからまたはげしくなった。ノッティンガム州だけで総計一千台の編み機がこわされ、被害額は一万ポンドともいわれた。うちこわしは、やがてよその州へもひろがりはじめた。とうとう軍隊まで出動し、夜間パトロールもはじまったが、しかしなかなか、うちこわしの現場はとりおさえられなかった。一二月にはいって、とうとう、確証もないままに、七人のラダイトが逮捕された。ノッティンガム市でひらかれたその裁判には、たくさんの人びとがつめかけた。「無罪だ、無罪だ」、

 「すぐ釈放しろ」──人びとが騒ぎたてるなかで、裁判は夜中までつづいた。警官も裁判所の役人も、無罪釈放を要求する群衆にとりかこまれて、手も足もでなかった。深夜になって陪審員はついに判決をくだした。「証拠不十分のため、無罪。」

 群衆の歓呼のなかで釈放された七人は、また村のなかへ姿を消していった。
(浜林正夫著「物語 労働者階級の誕生」学習の友社 p142-147)

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◎「労働者階級がはじめてブルジョアジーに敵対したのは、工業の動きがはじまるとすぐおこったような、機械の導入にたいして暴力的に抵抗したときである」と。