学習通信060419
◎自覚を待つしかない……
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テストがこわい理由
夏休みや冬休みの時期になると、私のまわりの大人たちは「子どもはいいよねー、一年に何回も長い休みがあるんだから」と言ってるけど、そういう人はテストや受験のあの恐怖やプレッシャーを忘れているんだと思う。私は、休みは少なくてもテストがない今の生活のほうが、よっぽど気楽だ。
でも今から思うと、なにがそんなに恐怖だったんだろう? 私は医者と大学の先生をやっているから、今でもときどき学会や研修会で発表をしなければならないときがある。そういうときもそれなりに緊張はするけれど、テストほどのあの異様な恐怖はないし……。
そうだ、きっと受験やテストは「合格・不合格」が決まったり、点数がついたりするからイヤだったんだ。学者の研究会の発表では、意見を言われることはあっても、「はい、五二点」なんて言われることはないからね。
それにしても、点数がつくのがあんなにイヤだったのは、どうしてなんだろう? 学校によってはテストの順位を廊下などにはり出すこともあるみたいだけど、私が行っていた中学はそんなこともなかった。だから、たとえ点数が悪くても、それをまわりの人に知られることはなかったのに。しかも、私は「よい成績を取りたい!」といつもがんばる努力家じゃなかったから、自分自身では「あー、またひどい点数、ま、仕方ないかー」と落ち込むタイプでもなかったけど……。
となると残りは、「先生や親に怒られるのがこわかった」という理由しか考えられない。たしかに、テストの返却のとき先生に「うーん、今回はずいぶん悪いぞ」と言われたことや、通知表を見せたら母親に「あなた、漫画に夢中になりすぎてるんじゃない?」とため息をつかれたことは、今でもよく覚えている。結局、私は自分のために勉強していたわけじゃなくて、先生や親に怒られないために、できればほめられるために勉強していたということだ。
私のような気楽な人間でも、こんなに「ほめられたい。怒られたくない」と思うんだから、もっとマジメな人ならきっとかなり先生や親の気持ちを気にしてしまうだろう。
病院に来るおとなたちの中にも、子どものころ、いつも「いい子」にして親や先生に「ほめられたい」と思いすぎ、その後遺症に悩む人たちがいる。そうやって自分をおさえすぎているうちに、自分の本当の感情や意志を自然に外に出せないようになってしまう。そして、おとなになって大切な友だちや恋人ができても「本当の自分を見せられない」と苦しむのだ。
だから、というのもなんだけど、「親や先生にどう思われるかな? 私のこと、ダメなやつって見捨てないかな?」と気にしすぎるのは、やめにしておこう。テストの点数や通知表を見て喜んだりがっかりしたりするのはいいけど、それは親のためじゃなくて自分のためだ。忘れないで。
□テストの答案が返されるとき、どんな気分になりますか
□成績について親に言われたことがけっこう気になりますか
□点数や通知表なんてなくなればいい、と思いますか
(香山リカ著「10代のうちに考えておくこと」岩波ジュニア新書 p39-41)
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スポートピア
稽古不足、恥じぬのか 内舘牧子
先日、ある会合でプロ野球の話になり、1人が言った。
「今年の巨人軍は、選手一人一人が『絶対に巨人を立て直す』という気迫を感じさせますね」 私はプロ野球は全然知らないのだが、そこにいた全員が異口同音に
「まったく。選手は相当なトレーニングを積んで臨んでいますよ」
と言ったのである。
それからほどなく、NHKテレビの『トップランナー』という番組を見ていたら、水泳の北島康介選手が次のようなことを話していた。
「本番で緊張しすぎたり、プレッシャーで何もできなかったり、そういう人はその前段階に問題があるのではないか。僕の場合、前段階はトレーニングです。妥協を許さずにやっておくことで適度な緊張で試合を楽しめ、好結果につながる」
さらに、彼はこうも語っている。
「僕は基本的に食べたいものを食べています。あれを食べなきゃダメとか、これをこの程度食べるべきだとか、まったく考えません。トレーニングにストレスを感じてますから、食べ物にまでストレスを感じたくない」
そんなある夜、私はあるパーティーで、大相撲の親方2人と隣り合わせた。私はA親方にB力土の調子を聞いた。するとA親方、言い切った。
「もうダメですね。稽古(けいこ)しないですから。どんなに言っても、アッチが痛い、コッチが痛いって逃げて稽古しませんから」
そばでC親方が
「今の力士は稽古屋が少なすぎる。師匠は、うるさく言うんですけど」
と渋面で付け加えた。
私は昨年、横綱審議委員会で質問している。
「横綱朝青龍は慢性的な稽古不足と、帰国過多だ。親方はどう思っているのか。強いから文句ないと考えているのか」
高砂親方は答えた。
「稽古不足と帰国過多は注意しているし、指導もしています。もう、本人が自覚しない限り、どうしようもない」
この高砂親方の言葉もA、C両親方の言葉も、私は納得している。いい年齢をした大人の力士に「稽古せよ」という基本的な心構えを教えるには限度がある。あとは、自覚を待つしかないというのは当然だろう。
だが、それにしてもである。どの親方も、どのスポーツ記者も、稽古しない力士が多いと口をそろえる。これを「今どきの若者は苦しいことを嫌うから」で片づけるわけにはいかない。現実に巨人軍の若い選手たちは変貌(へんぼう)し、北島選手に至っては、すべての中心にトレーニングがあると感じさせる。
無論、十分に稽古する力士もいるにせよ、稽古しない力士は北島選手の言葉を耳にした時、恥ずかしくはないのか。
何よりも私は、A親方の諦念(ていねん)をにじませた目が切なかった。あの目を見た時、稽古しない力士はヘラヘラしていられるか。
……いられるんだろうな。アチコチ痛くても、心臓だけは強いの。(脚本家)
(日経新聞 20060418)
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……テストの点数や通知表を見て喜んだりがっかりしたりするのはいいけど、それは親のためじゃなくて自分のためだ。忘れないで。……と。