学習通信060510
◎「労働者らしく生きる」ために……

■━━━━━

……それは労働者の精神と肉体をむしばみ、家庭を破壊し、希望を奪い、このまま放置するなら日本社会の前途を危うくする深刻な事態をひきおこしています。戦後日本社会の歴史のなかでも、こんなにも人間らしい労働のあり方が破壊されているときはありません。そのあまりに深刻な事態に、強い憤りを……
(「職場問題学習・交流講座への報告 幹部会委員長 志位 和夫」しんぶん赤旗 2006.4.25)

■━━━━━

労働者らしく生きるとは

 これまでに見てきたかぎりでは、労働者というのは、啄木の歌のように働けど 働けどなお わがくらし 楽にならざり じと手を見る≠ニいった状態で、資本家にこき使われ、抑圧され、貧困をおしつけられるしか能のない、くだらない人間のように思えます。

 たしかに、労働者がいつまでも資本家のいいなりになって、現在の状態に甘んじているとすれば、つまらない、くだらない存在だといわなければなりません。しかし、労働者は、けっして、いままですべて資本家のいいなりになってきたわけではありません。生活と権利、平和と民主主義を守り、労働者の未来をきりひらくために、資本家にたいして不屈にたたかってきたし、これからも、労働者にとって本当に暮らしやすい社会をつくるために、もっともっと大きな力を発揮するでしょうし、発揮しなければなりません。このことは、あらためて労働運動の歴史を勉強し、たしかめてもらいたいものです。

 ところで、そうした労働者のたたかいの大きな流れにもかかわらず、いまでも、資本家が大きな力をもち、労働者を圧迫していることは、みなさん自身が痛切に感じているとおりです。それはなぜでしょう。

 みなさんも知っているように、資本家階級は、ばく大なお金をもち、生産手段をひとりじめにし、労働者を指揮し、命令を下し、監督する会社という組織をもっています。そして、国民を経済的に支配し、同時に政府をはじめ国家のさまざまな機構をにぎって政治的にも支配するなど、大きな社会的な「力」をもっています。

 これにたいして、労働者は、労働組合に結集し団結していないかぎり、資本家によっておたがいに競争させられ、一人ひとりバラバラに切りはなされています。社会的な「力」と個人の「力」では、はじめから勝負は見えています。しかし、労働者はいつでも資本家よりも「数」が多いということに着目する必要があります。それは企業のなかでもいえることですが、より大切なことは、社会全体で見ることです。とくに最近は、資本主義の急速な発展にともなって、労働者の「数」も激増し、わが国では就業人ロにしめる労働者の割合は六〇パーセント以上になっています。このほかに、二〇パーセント近い農民と、一五パーセントぐらいの自営業者がいるわけですから、ほんとうに資本家といえる人たちは、ほんのひとにぎりにすぎません。

 労働組合というのは、労働者が資本家の社会的「力」に対抗するために、労働者の「数」を結集し、団結によって労働者の社会的な「力」にするために労働者みずからが考えだしたすばらしい組織です。

 労働者が「人間らしく生きる」──つまり「労働者らしく生きる」ためには、労働組合をつくり、労働組合運動に参加し、資本家の横暴にたいして、仲間と団結して、広範な国民と団結して共通の敵とたたかい要求を実現していくことが必要です。
(中森・後藤著「労働組合づくりの基礎知識」学習文庫 p129-131)

■━━━━━

 これらの組合の歴史は、ところどころで数少ない勝利によって中断されてはいるが、長期にわたる労働者の敗北の連続である。当然のことながら、こういうあらゆる努力も、賃金は労働市場における需要と供給の関係できまるという経済法則を変えることはできない。

したがって、この関係に影響をおよぼすすべての大きな原因にたいしては、これらの組合は無力である。商業恐慌の場合には、組合はみずから賃金を引き下げるか、あるいは完全に解散してしまわなければならない。

そして労働力の需要がいちじるしく増大する場合でも、資本家の競争によって賃金が自然に上がる以上には、賃金を上げることはできない。

しかし、もっと小さな、個別的に影響するような原因にたいしては、組合はもちろん強力である。

もし工場主が労働者の団結した強力な反対を考えなくてもよいならば、自分の利益のためにますます賃金を引き下げるであろう。彼はほかの工場主たちとの競争戦に耐えぬくために、賃金を下げざるをえず、賃金はやがて最低限にまで落ちこむであろう。

しかし、工場主相互間の競争は、ふつうの状況であれば、もちろん労働者の抵抗によって阻止される。

工場主は誰でも、彼の競争相手と同じ状況にありながら、その状況のせいにはできないような賃金引き下げをやれば、その結果はストライキになるということを知っている。ストライキは彼に確実に損害を与える。なぜなら、ストライキのつづくあいだ、資本は遊んでおり、機械はさびてしまうからである。

一方、彼はこういう場合に賃金引き下げをつらぬきとおすことができるかどうか不安であり、もしつらぬきとおすことができれば、彼の競争相手も賃金を引き下げ、製品の価格は下がり、そのために賃金引き下げの利益がなくなってしまうのは確実だからである。

また組合は、組合がない場合にくらべれば、恐慌のあとでいっそう急速に賃金を上昇させることが、もちろん多い。工場主は、仲間の工場主との競争のためにやむをえなくなるまで、賃金を上げない方が得であるが、一方、労働者は、市場の状態がよくなればより高い賃金を要求し、そういう状態で労働者をえらぶ余地が少なくなると、しばしばストライキによって工場主に賃金引き上げを強制することができるのである。

しかし、すでにのべたように、労働市場を変化させるような、もっと重要な原因にたいしては組合は無力である。このような場合には、労働者は飢餓のためにどんな条件のもとでも仕事にもどり、そして数人が仕事にもどれば組合の力はうちくだかれてしまう。

というのは、これら少数のスト破りと、まだ市場に残っている在庫品とを利用して、ブルジョアジーは事業中断の最悪の結果を避けることができるからである。

組合の基金は、援助を必要とする人が多いためにすぐなくなり、小売商人が高い利子つきでみとめてくれる掛け売りも、長くつづくと断られ、そして困りはてた労働者はまたブルジョアジーのくびきのもとへ帰っていく。

しかし工場主は自分自身の利益のために──もちろん、労働者の抵抗があったからこそ、彼の利益となったのだが──不必要な賃金引き下げはいっさい避けなければならないし、一方、労働者は商売の景気に左右されて賃金が引き下げられるたびに、自分たちの状態が悪化すると感じて、全力をあげて自分たちを守らなければならないのだが、たいていのストライキは労働者に不利に終わるのである。

そうだとすれば、その方法が無効だということがはっきりしているのに、労働者はなぜストライキをするのか、と問れれるであろう。それは簡単明瞭である。

それは彼らが賃金の引き下げに抗議し、引き下げの必然性そのものにも抗議しなければならないからであり、また、彼らは人間として、現状に順応するのではなく、現状こそが彼らに、人間に、順応すべきだと宣言しなければならないからである。

それは、労働者が沈黙することは現状をみとめることであり、そのことは、好況期には労働者を搾取し、不況期には労働者を飢えさせるブルジョアジーの権利をみとめることになるからである。

これにたいして労働者は、彼らがまだあらゆる人間的感情を失っていないかぎり抗議しなければならないし、彼らが、ほかの形ではなく、この形で抗議するのは、……自分の抗議を行動であらわす実践的な人間だから……
(エンゲルス著「イギリスにおける労働者階級の状態 下」新日本出版社 p48-50)
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
◎「労働者が沈黙することは現状をみとめることであり、そのことは、好況期には労働者を搾取し、不況期には労働者を飢えさせるブルジョアジーの権利をみとめることになるからである」と。