学習通信060519
◎怒り狂うきっかけしか見いださない……

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 諸君(ブルジョアジー)が自分の生産諸関係および所有諸関係を、歴史的で生産の経過のなかで過ぎ去ってゆく諸関係から、自然および理性の永遠の法則に変えるさいの、利害にとらわれた観念は、諸君がすべての没落した支配諸階級とわかちもっているものである。諸君が古代の所有について理解していることを、諸君が封建的所有について理解していることを、諸君はもはやブルジョア的所有についてあえて理解しようとはしないのである。
(マルクス、エンゲルス「共産党宣言」 p78)

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資本家階級の世界観

 支配階級の世界観と被支配階級の世界観との基本的特徴は、以上にのべたとおりですが、現在の支配階級である資本家階級と、被支配階級である労働者階級との世界観について、もうすこしくわしくみてゆきましょう。

 資本家階級の世界観について考える場合には、これを歴史的にみる必要があります。資本家階級も、かつては新興階級でした。資本家が賃金をはらって労働者をやとい、労働者が働いてつくった生産物を資本家が自分のものにするという生産のしくみ、すなわち、資本主義的生産関係は、一六世紀ごろからだんだんとできあがってきたものです。

この資本主義的生産関係は、封建領主が土地を所有していて、土地にしばりつけられた(移住の自由をもたない)農民にこの土地を耕作させ、農民から地代をとりあげるという生産のしくみ、すなわち、封建的生産関係がおこなわれていた社会(封建制社会)の内部でうまれ、この社会の内部ですこしづつ生長してきました。資本主義的生産をおこなうために、資本家は多数の労働者を集める必要がありましたが、封建制社会は人口の移動を禁止していました。

また、封建制度のもとでは、それぞれの領主が自分の国を専制的に支配していたので、商業や交通にいろいろな制限が加えられていました。封建制度のもつこれらの制限、束縛は、資本主義のより以上の発展にとっての大きな障害でした。このような時代に、新興階級としての資本家階級は、封建領主の階級とたたかって、資本主義の発展のために必要ないろいろの自由を獲得しなければなりませんでした。

 この時代には、資本家階級は、資本主義を発展させるという自分自身の利益のために、現存の社会体制(封建制)を変革することを望んでいました。そのことの当然の結果として、彼らの世界観は進歩的でした。これに対して、現存の社会体制に満足しており、これを維持しようと望んでいた封建領主の階級の世界観は、保守的、反動的でした。その中心にあったものは、生れながらに身分の高いものといやしいものとがあるという社会制度(封建的身分制度)は、神によってつくられたものであり、永遠不変のものだ、という考えでした。ヨーロッパでは、もっとも身分の高い国王は、その権力を神からさずけられたものだという考え(王権神授説)がひろくおこなわれていました。

このような見解に反対して、一七世紀には、国王の権力の起源を神に求めず、世俗的に説明しようとする国家契約説(はじめ人びとは狼の群のようにたがいに戦いあう無秩序な状態にあった。これでは困るというので、ある時人びとが集まって、一人の人を国王に選びこの人に権力を集中して、他のものはその命令にしたがうという契約をむすんだという説)があらわれましたが、この説は資本家階級によって支持されました。

 また資本家階級は、資本主義的生産を発展させるために技術の改善を必要とし、そしてその基礎として新しい科学的知識を歓迎しました。これに反して封建領主の階級は、自然科学が発展して、彼らが信じている宗教の教えに反するような見解をとなえることを、激しくにくみました。ガリレオ・ガリレイが地動説をとなえて、法王から迫害されたのは一七世紀の前半(一六三三年)のことですが、そのガリレイをかげでかばったのは当時の資本家階級でした。このことは、資本家階級がまだ新興階級であった時期には、彼らの世界観は、新しい自然科学上の知識(反宗教的であると非難されたものでさえも)を受けいれることができる進歩的なものであったことを示しています。

 さて、資本主義は、今日われわれがなやまされているような、さまざまの矛盾をふくんだ社会体制ですが、それにしても、封建制度よりはましな社会体制でした。だから、資本家階級が封建制度に反対してたたかったとき、封建制度のもとでひどい苦しみをうけていた農民たちは、資本家階級とともにたたかったのでした。イギリスの第一革命(一六四九年)の場合のように、国内戦争がおこったとき、兵隊として銃をとったのは、おもに農民でした。農民の力なしには、資本家は封建制度に反対するたたかいを最後までたたかいぬくことはできなかったのです。

だが、このようなたたかいによって封建制度をたおしたとき、その勝利をひとり占めしたのは資本家階級でした。彼らだけが新しい社会体制(資本主義)のもとでの支配階級になりあがり、そして労働者階級の搾取を強化しはじめます。そしてこの時期になると、資本家階級の世界観は保守的、反動的なものへと転化します。

 たとえばイギリスでは、一八世紀の末から一九世紀にかけて、資本家たちはいちじるしく信心深くなりました。かつて封建領主たちが、被支配階級をおとなしくさせておくために使った宗教を、資本家たちは、労働者階級をおとなしくさせるために盛んに利用しはじめたのです。そして、前にのべたように、進化論が現われたとき、神をぼうとくするものだといってこれを非難したのは資本家たちでした。一七世紀には地動説を支持することのできる進歩的な世界観の持ち主であった資本家階級が、一九世紀には進化論を排斥する反動的な世界観の持ち主になっていたのです。

 資本家階級の世界観がこのように歴史的に変化したということは、社会の発展のためにたたかっている階級、歴史を前進させている階級の世界観は進歩的であり、反対に、支配権をにぎり、自己の支配権を失うまいとして、社会の発展に反対している階級の世界観は反動的になる、ということをはっきりと示しています。

 このような主張に対して、今日では資本家階級も進化論に反対しない、といって反論する人があるかもしれません。自然科学上の真理というものは、いつまでも反対しつづけることのできないものです。反対してみても、けっきょく反対しきれないとき、それ以上反対すれば自分がばか扱いされるだけだと知るようになったとき、封建地主たちも地動説を認めるようになりましたし、資本家たちも進化論を認めるようになりました。

だが、だからといって、今日の資本家たちの世界観が進歩的になっているわけではけっしてありません。いや、彼らの世界観はますます反動的になっています。問題の焦点は今日では、生物の進化を認めるかどうかではなくて、社会の進化(発展)を認めるかどうかにあります。かつて封建制度から資本主義へと移ったように、資本主義から社会主義・共産主義へと移ることが、社会発展の一般法則であるということを認めるか否かにかかっています。

この社会科学上の真理を認めることを、資本家階級の世界観はおそれ、ためらい、こばむのです。そしてこの真理を主張するものを、「アカ」だといって非難しているのです。
(寺沢恒信著「労働者階級の哲学」労旬新書 p42-46)

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 しかしブルジョアジーは警戒していない。鉱山労働者の反抗は彼らをますます怒らせるだけである。

有産階級はこの反坑のうちに、労働者全体のあいだでの運動の前進を見ず、またそれによって正気にもどろうともせず、そのかわりに、従来の待遇にはもはや納得しないとおろかにも公言する階級の人びとにたいして、怒り狂うきっかけしか見いださないのである。

彼らは無産者の正当な要求のうちに、ただ「神と人間の秩序にたいする恥知らずの不満と、狂気の反抗しか見ないし、またもっとも好意的な場合でも「煽動で暮らしをたて、あまりに怠けもので働こうとしない悪意あるデマゴーグ」の成果しか見ず、この成果は全力をあげてふたたび鎮圧すべきものとされるのである。

彼らは、ロバーツや組合の代理人のように、まったく当然のことだが組合によって生活を支えている人びとを、労働者にたいして、彼ら、つまり貧しい労働者から最後の一銭までまきあげてしまう狡猾な詐欺師であるかのように見せかけようと──もちろん効果はなかったが──つとめた。

──有産階級にこのような精神異常があり、また彼らが目先の利益に目がくらんで、時代のきわめて明白な兆候についてさえ見る目がないとすれば、イギリスについては社会問題の平和的解決の希望は実際にすべて放棄しなければならない。
(エンゲルス著「イギリスにおける労働者階級の状態 下」新日本出版社 p106)

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◎「彼らが目先の利益に目がくらんで、時代のきわめて明白な兆候についてさえ見る目がない」と。