学習通信060522
◎つながりが生きた形で見えるなら……

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気にしないこと──「左きき」「指しやぶり」「おねしょ」

 どこの親も、頭を悩ませている問題に、「左きき」「指しゃぶり」「おねしょ」をどう直したらよいかというのがあります。

「左きき」について──アメリカのある経験深い教育者と話したとき、『ほう、なぜ直さねばいけませんか。わが国では、左ききの子には左手で上手に字がかけるように練習させます』といっていました。右ききが普通ですから、集団行動か何かのとき、不便なことがないともかぎりません。しかしそれだけのことです。むしろ他人とくらべて体裁を気にする方が大きいのではないでしょうか。ひけめなどを感じさせたらそのマイナスの方が大きい。むりに直そうとして他の障害(例、どもり)を生じたらもっと大きなマイナスです。

「指しゃぶり」について──心理学者などに、欲求不満が原因だという人が多い。親もそれを信じて心配します。欲求不満かもしれない、と疑ってみることは賛成です。しかし、欲求不満と断定してはいけません。証明もされていないのですから。事実私の娘は明るく、自主的、積極的で、どうみても欲求不満などないのに、かなり大きくなるまで指しゃぶりしていました。心配しすぎてはいけません。ある人はしいてとめたら性器いじりへ移った、といっていました。むりなとめ方をするより、からだを使い、遊びに熱中する時間を多くするような環境づくりの方を配慮した方がよいと思います。

「おねしょ」について──身体的原因と心理的原因とにわけて考えます。前者はお医者さんの管轄です。そしてだいたいは後者です。やっかいなことには違いありませんが、これも親が気にしすぎてはかえっていけません。小さい子どもの意志の力でなおさせようとするのはむりです。もらす前の時間をねらっておこし、歩かせて便所につれていき、目ざめて意識して排尿するように習慣づけます。ねぼけたままを抱いてさせたりしないこと。昼間は活発な運動、夕食後は水分摂取を少なくし、おふろで十分あたためる。こうして本人の意志をいためつけるより、生理的に条件をよくしてあげることです。
 これも私のよく知っている子に、ずいぶん大きくなるまでおねしょしていたのがあります。今、性格も成績も立派な高校生になっています。

 右三題のような、こんなに一般的で具体的な間題でさえも、親はその現象をなおすことにだけひっかかってはいけないことを教えています。子どもの、どんな現象も大きな視野からとらえられる親となるよう努めなければなりません。
(近藤・好永・橋本・天野「子どものしつけ百話」新日本出版社 p68-69)

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二、情勢をどうとらえるか――大会決定の生命力に確信を
 まず、情勢をどうとらえるかについて報告します。

 大会決定と綱領を討議・学習した職場支部では、まずそこでのべられている日本情勢論、世界論、党の役割に確信を深め、新たな活力と展望をつかんでいます。

 労働者は、職場の問題だけでなく、広く世界と日本の問題に関心をもち、政治のゆがみへの怒りや不満をいだいています。こういう労働者の気持ちにかみあって党をおおいに語るうえでも、世界と日本の情勢と日本共産党の役割を、大局でつかむことが大切であります。

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公務員攻撃とどうたたかうか
 第三は、公務員攻撃とどうたたかうかという問題です。

 大会決定が強調したように、公務員の大幅削減、賃下げの動きなどの攻撃を許さないたたかいは、労働者階級をめぐる政治的・経済的対決の重大な焦点となっています。この攻撃とたたかううえで、何よりも重要なのは、それが公務員労働者への攻撃のみならず、住民の暮らしと安全への攻撃だということを広く伝え、住民・国民との連帯でこれを打ち破るという立場をつらぬくことであります。聞き取り調査では、この立場にたった勇気あるたたかいが、各地で生まれていることが報告されました。

 全国各地の自治体ですすめられている公立病院の統廃合・民営化の動きにたいして、党員が労働組合や住民とともに、さまざまな形で「地域医療をまもる会」をたちあげ、計画の中止・見直しに追い込んだたたかいも少なくありません。

 公立保育園の民営化の動きも、全国ですすめられていますが、党員が労働組合や、保護者、地域住民とともに「よい保育をつくる会」を結成し、市民とともに運動を広げるなかで、自治体の姿勢をかえさせた経験も各地で生まれています。

 学校給食の民間委託提案にたいして、党員が労働組合や、保護者、アレルギーで苦しむ子どもをかかえる親のネットワークなどとともに、「学校給食をよくする会」を結成し、「手づくりの、温かくておいしい栄養のある安全な給食は、私たち給食調理員の誇りです」と運動を広げ、撤回においこんだ経験も報告されました。

 東京で公務労働の現場で働く同志が、地区党会議で、つぎのような発言をしたということを、私はたいへん印象深く聞きました。

 「『公務員一般』という人はいません。一人ひとりの公務員が、私のような学童保育指導員であったり、保育士であったり、教育や福祉の仕事に具体的な形で携わっています。その具体的な仕事の果たしている役割と、一人ひとりの住民の方々の切実な要求とのつながりが生きた形で見えるなら、公務員攻撃をはねかえす大きな力になると確信します」。

 私も、まさにここに攻撃をはねかえすカギがあると感じました。公務員攻撃をすすめる勢力は、公務員を「公務員一般」として、すなわち「数」でとらえ、「優遇されている」「財政を圧迫している」と攻撃し、「数を減らせ」と叫びます。しかし削減されようとしている一人ひとりの公務員は生身の人間であり、その具体的な仕事、住民との生きた接点に目をむければ、そこには住民の利益のために働く生きた人間の姿があります。「全体の奉仕者」としてのこの仕事を破壊していいのかということを、そういう見地で広く問いかけ、国民とともにこの攻撃をはねかえそうではありませんか。

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◎「一般的で具体的な間題でさえも、親はその現象をなおすことにだけひっかかってはいけないことを教えています。子どもの、どんな現象も大きな視野からとらえられる親となるよう努めなければ」と。