学習通信060526
◎社会の上部構造である労働運動……

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 第一一問 産業革命およびブルジョアとプロレタリアヘの社会の分裂のさしあたっての結果はなんであったか?

答── 第一に、世界のすべての国々において機械労働の結果としてますます安価になる工業生産物の価格によって、マニュファクチュアすなわち手労働にもとづく工業の古い制度は、まったく破壊された。

これまで多かれ少なかれ歴史的発展に無縁のままであって、その工業がこれまでマニュファクチュアにもとづいていたすべての半未開諸国は、これによってむりやりにその鎖国状態から引き出された。

それらの国々は、イギリス人のいっそう安価な商品を買って、自国のマニュファクチュア労働者を没落させた。

そこで、数千年以来なんら進歩しなかった国々、たとえばインドは、完全に変革され、中国でさえもいまや革命に近づいているのである。

こんにちイギリスで発明される新しい機械が、一年以内に数百万の中国の労働者からパンを奪うということになった。

このようにして、大工業は地球のすべての国民を互いに結びつけ、すべての小さな地方市場を世界市場に投げ集め、いたるところで文明および進歩を準備して、文明諸国で起こるすべてのことが、他のすべての国々に反作用せざるをえないところにまでいたった。

そこで、いまイギリスまたはフランスで労働者が自分を解放するならば、それは他のすべての国々に革命を引き起こさざるをえず、その革命はおそかれはやかれ、同様にそれらの国々の労働者の解放をもたらすのである。

 第二に、大工業がマニュファクチュアに取って代わったところではどこでも、それは、ブルジョアジー、その富およびその権力を最高度に発展させて、ブルジョアジーを国内第一の階級にした。

その結果、こういうことが起こったところではどこでも、ブルジョアジーが政治権力を手に入れて、これまで支配していた階級、すなわち貴族層、同職組合員およびこの両者を代表する絶対王政を押しのけた。

ブルジョアジーは、長子相続権、または土地占有の売買不能、およびすべての貴族特権を廃止したことによって、貴族層、貴族の権力をほろぼした。

ブルジョアジーは、すべての同職組合および手工業特権を廃止したことによって、同職組合員の力を破壊した。両者に代わって、ブルジョアジーは自由競争を、すなわち、だれでも任意のどの産業部門をも経営する権利をもち、そしてこのような経営には、それに必要な資本の不足のほかには、さまたげになりうるものはなにもないという社会の状態をつくりだした。

それゆえ、自由な競争の導入は、今後、社会の成員は、ただ彼らの資本が不平等であるかぎりでのみなお不平等であるということ、資本が決定的な力となり、それによって資本家たち、すなわちブルジョアたちが社会の第一の階級となったということの公然たる宣言である。

しかし、自由競争は、大工業が出現しうる唯一の社会状態であるがゆえに、大工業の始まりにとって不可欠である。

ブルジョアジーは、こうして貴族および同職組合員の社会的力をほろぼしたのちに、彼らの政治的権力をもほろぼしたのである。

ブルジョアジーは、社会において第一の階級に成りあがったように、政治的形態においてもまた、みずから第一の階級であると宣言した。

ブルジョアジーは、このことを代議制の導入によって行なったが、この代議制は、法の前でのブルジョア的平等、自由競争の法的承認にもとづいていて、ヨーロッパ諸国では立憲君主制の形式のもとで導入された。

これらの立憲君主国においては、一定の資本をもつものだけが、すなわちブルジョアだけが選挙人であって、これらブルジョア選挙人が代議士を選び、そしてこれらブルジョア代議士が納税拒否の権利をもちいてブルジョア政府を選ぶのである。

 第三に、それは、いたるところでプロレタリアートを、それがブルジョアジーを発展させるのと同じ程度に発展させた。

ブルジョアがいっそう富むようになったのと同じ割合で、プロレタリアはいっそう多数となった。

なぜならば、プロレタリアは資本によってのみ雇われうるし、資本は労働者を雇うときにのみ増大するので、プロレタリアートの増加は、資本の増大と正確に歩調を合わせるのである。

同時にそれは、ブルジョアならびにプロレタリアを、工業がもっとも有利に経営される大都市に集合させ、そして膨大な大衆の一つの箇所へのこの累積によって、プロレタリアに自分の強さを自覚させる。

さらに、それがますます発展し、手労働を駆逐する新しい機械がますます発明されるにつれて、それだけいっそう、大工業は、すでに述べたように、賃金をその最低限に押し下げ、このことによってプロレタリアートの状態をますますたえがたいものにする。

こうして、それは一方では、プロレタリアートの増大する不満によって、他方ではプロレタリアートの増大する力によって、プロレタリアートによる社会の革命を準備するのである。
(エンゲルス著「共産主義の諸原理」新日本出版社 p120-124)

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労働運動の歴史的発展の合法則性

a 労働運動の発展をささえる基礎条件の形成

 マルクス主義的見地にたつとき、労働運動の合法則的発展の基底的条件は、なによりも資本主義生産の発展過程そのものである。

まず、資本の蓄積過程は、人間的搾取材料として資本主義的生産関係にくみこまれる、労働者階級の「数の多数」をますます増大させる。しかも、資本蓄積の過程は、剰余価値生産の方法=搾取強化の方法をもたえず発展させ、その社会的結果として、生産の基本的な担い手である労働者階級のうえに、「貧困、圧迫、隷属、墜落、搾取の増大」をうみださずにはおかない。

そして、この労働者階級の「数の多数」の形成とあわせてすすむ、貧困の蓄積こそ、エンゲルスも強調したように「現代のあらゆる社会運動の実際の土台であり、出発点である。」。

 だが、労働運動の歴史的発展を規定する条件=土台は、たんに労働者階級の数が増大することや、社会的貧困が蓄積されるということだけではない。いまひとつ重要なことは、資本主義的大工場の発展が、ますます増大する労働者階級をして、社会的貧困化に抗議し、集積された資本の社会的力にたいして組織的に結集する素質と条件を、あたえずにはおかないことである。

 周知のようにマルクスは、この点について『共産党宣言』のなかで、「ブルジョアジーはなによりもまず自分自身の墓掘人をつくりだす」と含蓄の深い結論をひきだしている。この結論に依拠しながら、労働者階級の組織化、団結の条件について、より綿密な科学的分折をくわえたのは、レーニンである。

 たとえば、彼は、一八九五〜九六年に獄中で執筆した「社会民主党綱領草案」において、大工場の急速な発達による小規模生産の駆逐とプロレタリア化、労働者階級の増大と労働者の貧窮と抑圧の増大についてふれたのち、第三項でつぎのように書いている。

「三、だが、労働にたいする資本の抑圧を最高度にまで高めることによって、大工場は労働者という特殊な階級をつくりだしている。この階級は資本と闘争する可能性をもつようになる。なぜなら、この階級の生活条件そのものが彼らと彼ら自身の経営とのいっさいの結びつきを破壊しており、また共同の労働によって労働者を結合し、彼らを工場から工場へと転々とさせることによって、働く人間の大衆を打って一丸としているからである。労働者は、資本家にたいする闘争を始めており、彼らのあいだには団結への強い意志があらわれている。」

 そして、レーニンは、おなじく「綱領の解説」において、右の「団結への強い志向」についてさらにつぎのようなくわしい説明をくわえている。

「団結は、すでに大資本に対立している労働者にとって一つの必要事となっている。だが、たとえ同じ一つの工場で働いていても、おたがいに他人であり、偶然によせ集められた人民大衆を、団結させることができるであろうか? 綱領は、労働者を団結にたいして準備し、彼らのうちに団結の能力と才能を発展させる諸条件を示している。これらの諸条件とは次のとおりである。

(1)一年を通じて恒常的な労働を必要とする機械制生産の大工場は、労働者と土地との、また自分自身の経営との結びつきをまったく断ちきって、彼らを完全なプロレタリアにする。ところで、ひとかけらの土地で自分の経営をいとなんでいたということは、労働者を分裂させ、仲間の利害から離れた若干の利害を彼らのおのおのにあたえ、それにより彼らの団結に障害をあたえていた。労働者が土地から断ちきられることはこれらの障害をたちきることになる。

(2)次に、幾百幾千の労働者の共同労働は、全労働者大衆の位置と利害が同一であることを明瞭に示すことによって、おのずから、自分の必要を共同で討議し、共同で行動することを労働者に慣れさせる。

(3)最後は、労働者が工場から工場へとたえず転々と移っていくことは、いろいろな工場における条件と制度を比較対照し、すべての工場で搾取が同一であることを納得し、資本家との衝突にさいしての他の労働者の経験を借りることに労働者を慣れさせ、そうすることによって労働者の結束、連帯性をつよめる。まさにこれらの諸条件をあわせたものの結果として、大工場の出現が労働者の団結を呼びおこしたのである。」

b 労働運動は、階級闘争をとおして発展する

 資本主義生産の発展は、このように労働者階級の「数の多数」をうみだし、かれらを貧困におとしいれ、さらにかれらの組織的結集の素質と条件をも発展させずにはおかない。ここにこそ、労働運動発展の合法則性の土台がある。

 だが、もちろん、社会の上部構造である労働運動の発展は、資本主義生産の発展、労働者階級の形成と貧困化、労働者階級の団結の能力と才能を発展させる諸条件の成熟を土台としながらも、それは、資本家と労働者との、資本家階級と労働者階級との激烈な闘争をつうじて、すなわち、敗北と勝利、停滞と飛躍をつうじてしか発展しえない。レーニンは、その歴史的発展の論理過程を、つぎのようにいきいきと描きだしている。

「大工場がいっそう強力に発展すればするほど、労働者のストライキはいっそうひんぱんに、いっそう強力に、いっそうねばり強くなる。なぜなら、資本主義の抑圧が強まれば強まるほど、労働者の共同の反撃がますます必要になるからである。

……だが、資本主義がさらに成長し、ストライキがひんぱんとなるにつれて、そういうものでは不十分となる。工場主はそれらにたいして共同の対策をとる。すなわち、彼らはおたがいに同盟をむすび、労働者を他の場所から呼びよせる。彼らは、国家権力に助力をもとめて、国家権力は彼らが労働者の抵抗を弾圧するのを助ける。労働者に対立しているのはもはや個々の工場の個々の工場主だけではない。彼らに対立しているのは全資本家階級とそれを援助する政府とである。

全資本家階級が全労働者階級と闘争を始め、共同のストライキ対策を探しもとめ、政府から反労働者的な法律をかちとり、工場をいっそうへんぴな地方に移し、また家内仕事を下請けに出すとか、その他幾千ものあらゆる反労働者的な術策や奸策に訴える。個々の工場、いな個々の工業部門の労働者の団結さえも、全資本家階級にたいする反撃のためには不十分となり、全労働者階級の共同の行動が無条件に必要となる。

このようにして、労働者の個々の暴動からの全労働者階級の闘争が成長するのである。工場主にたいする労働者の闘争は階級闘争に転化する。すべての工場主を団結させるのは、──労働者を従属のうちに引きとどめ、彼らにできるだけ少なく賃金を支払う、という一つの利益である。

そして工場主たちは、全工場主階級が共同の行動をとる以外には、また国家権力にたいして影響力を獲得する以外には、自分たちの利益を守れないことをさとる。それとまったく同じように、労働者を結びつけるものは、資本に自分たちを押しつぶさせず、自分たちの生活権と人間的生存の権利を守るという一つの共通の利益である。そして労働者もまったく同じように、全階級──労働者階級──が団結し、共同で行動することが必要であることを、確信するようになる。」

 労働運動の発展の道すじは、ここにみるように階級闘争の歴史である。したがって、どの資本主義国をとってみても、労働運動および労働者党の闘争は、資本家階級の系統的・組織的な「あらゆる反労働者的な術策や奸策」に遭遇せずにはおかなかった。レーニンは、かかる「術策や奸策」は、ときとしては「農奴制的・中世的方法」、またときとしては「民主主義に照応する純ブルジョア的方法」をとったとして、つぎのように論じている。

「全世界のすべての資本主義国でブルジョアジーは、労働運動および労働者党との闘争に二つの方法をもちいている。第一の方法は──暴行、迫害、禁止、弾圧である。これは、基本的には農奴制的、中世的方法である。とかくこういう方法をこのむブルジョアジーの階層はどこにもいる……。そして賃金奴隷制に反対する労働者の闘争の、一定の、とくに危機的な時期には、これらの方法は、ありとあらゆる全ブルジョアジーを統合する。

運動に対抗するブルジョアジーの闘争のもう一つの方法は、労働者を離間すること、彼らの陣列を撹乱すること、ブルジョアジーにひきつける目的でプロレタリアートの個々の代表者または個々のグループを買収することである。この種の方法は農奴制的方法ではなく、発展し開花した資本主義秩序に照応し、民主主義に照応する純ブルジョア的な現代的な方法である。」

 しかしながら、このような硬軟両様のブルジョアジーの反撃と抵抗にもかかわらず、労働者階級のたたかいは、結局のところ、資本の蓄積と労働者階級の形成、組織的結集の条件の発展を土台として、敗北と勝利、停滞と飛躍の過程を経過しながら発展せずにはおかない。そのことは、二五〇年にわたる近代的プロレタリアートのたたかいの歴史そのものが、これを実証している。

たとえば、マルクスが生きた第一インターナショナル(国際労働者協会)の時代には、世界の工業上の地位を独占していたイギリスにおいてさえ、労働組合員はせいぜい一〇万人、組織率三%にすぎず、それが、今日では、世界の労働組合員は約二億二〇〇〇万人、世界の労働者階級の約四〇%が組織されている、といわれている。

2 労働者階級の歴史的役割

 ではつぎに、労働者階級の歴史的地位=役割がどういうものであるか、その社会主義を実現する歴史的使命についてみてみよう。

 さきにかかげた、レーニンのかなり長い引用からもあきらかなように、「労働者の個々の暴動から全労働者階級の闘争が成長」し、「工場主にたいする闘争は階級闘争に転化」し、「全労働者階級と全資本家階級との闘争」が発展する。そして、この過程では、労働者階級の団結もまた発展せずにはおかない。階級闘争をたたかう主体として、労働者階級の大衆的組織である労働組合が生まれ成長し、さらに先進的な労働者を結集した労働者階級の党が生まれ成長する。

 ところで、個々の資本家にたいして、自分たちの生活権と人間的生存の権利をまもることからはじまる労働者のたたかいは、すでにふれたように全労働者階級の共通の利益をまもる階級闘争へと発展する。だが、「この闘争は、政治権力が労働者階級の手に移り、すべての土地、道具、工場、機械、鉱山が、社会主義的生産のために、全社会の手にひき渡されるときに、はじめて終ることができる。」

 というのは、生活権と人間的生存の権利をまもるたたかいは、資本主義的搾取の結果にたいするたたかいにすぎないし、「資本による労働の搾取を終らせる」には、「労働用具にたいする私的所有を廃止し、すべての工場、鉱山、ならびに、すべての大領地、等々を全社会の手にひき渡して、労働者自身によって舵をとられる共同の社会主義的生産をいとなむ」ほかはないからである。しかも、「このためには、政治権力、すなわち国家統治の権力が、資本家と地主の影響のもとにある政府の手から、または直接に資本家の選出代表で成り立っている政府の手から、労働者階級の手に移ることが必要」だからである。

 これが労働者階級の「終局目標」であり、労働者階級がみずからを完全に解放する条件でもある。だが、資本主義社会にあっては、「勤労者の搾取は、どこでもその本質上資本主義的なものである」から、この「終局目標」は、必然的にすべての「勤労者の抑圧に基礎をおく社会制の廃絶」の条件ともなる。

 したがって、レーニンによれば、「労働者の闘争は社会的意義を獲得し、他人の労働によって生活するすべての階級にたいする、全勤労者の名における闘争となる。」だから、労働者階級は、「全被搾取住民の先進的代表者」であり、「その代表者としての責務を、組織的な持久的な闘争を通じて実現する」「歴史的役割」を担うことになるのである。

 レーニンは、労働者階級のおかれている客観的な地位から、その歴史的役割について右のように結論づけたのち、「自覚し、団結した労働者は、この終局目標をめざして努力しなければならない」と強調している。
(戸木田善久著「社会変革と労働組合運動」大月書店 p32-39)

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◎「それは一方では、プロレタリアートの増大する不満によって、他方ではプロレタリアートの増大する力によって、プロレタリアートによる社会の革命を準備するのである」と。