学習通信060608
◎遊びのなかからも集団性を……

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想像力を養うおもちゃを

 私たちが育った時代とくらべると、いまのおもちゃは品数も、また種類も多くなっています。ですから、子どもから要求されると、ついなんでも買い与えてしまいます。

 しかし、安易に買い与えていますと、移り気な人間、あるいは、現在のまちがったおとなの生活の影響が子どものなかにはいりこんでしまいます。

 この子どもとおもちゃについて私たちが調べた結果を紹介しながら、その与え方について考えてみることにしましょう。

 まず、年齢にそってどんなおもちゃに興味をもつかの結果では、つぎのような現われが見られました。一歳児代では、がらがら、オルゴール、たいこ、風車、ダルマなどです。二歳代ではシーソー、小型ピアノ、木琴、ラッパ、木製自動車、木製汽車、車つき動物、絵本、人形、押し車などです。三歳代では三輪車、ママゴト道具、人形、砂遊び道具、絵本、ジャングルジム、子ども用うば車、木製トラック、小型つみ木、ブロックなどとなっています。

 この調査をやりながら感じたことは、両親が「教育的」と先走って電動式の高級なおもちゃを与えても、幼い子どものばあいあまり興味をしめさないということです。さらに、二、三歳の子どもは、棒切れやつみ木など、素朴なおもちゃを使ってさかんに自分で遊んでいるということもひとつの特徴です。ということは、この時期はそうした素朴な材料を使いながら、いろいろ想像力をたくましく豊かにしてゆくころだと考えてよいでしょう。なお、いまだに女の子にはお人形という扱い方が残っていますが、考えなおしてみたいことのひとつです。人形遊びは、おとなからみると、子どもが人形と問答したりして想像力を働かせているように見えますが、たいていは母親のしつけ、そのままの受けうりが多いようです。

 お人形遊びがすべてわるいといえませんが、女の子でもたとえば自動車、汽車、つみ木などで豊かな想像力がのびるようにしてやりましょう。

 子どもが、乳児期から幼稚園、保育園時代(幼児期)にはいると、おもちゃにたいする興味、関心が変化してきます。いままでおとなにおもちゃを買い与えられて満足していた時代から、自分でおもちゃを選択したり、いくつかのおもちゃを組み合わせて想像力をはたらかせた遊びをするようになります。

しかも、友だち数人と協力して遊びを展開するようになります。つみ木などをつかい、自分たちのイメージを一致させ、しかも工夫しながら遊びを展開しているのが共通した現われといえます。遊びのなかからも集団性を学んでゆく大切な機会です。
(近藤・好永・橋本・天野「子どものしつけ百話」新日本新書 p86-87)

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 第一の段階ではおもちゃがあそびの中心的な材料です。おもちゃには次のようなタイプがあります。

 それだけですぐ遊ぶことのできる、機械仕掛けやごく単純なおもちゃ、さまざまの自動車、船、馬、人形、ねずみ、それに起き上がり小法師などがそれです。

 それだけでは遊べない、幾分子どもが手を加えて遊ぶおもちゃ、つまり問題のついたさまざまな絵、切り抜き絵、絵ならべ、積木、組み立て模型。

 原材料がそのままおもちゃであるもの、つまり粘土、砂、ボール紙、実母、木、紙、植物、針金、釘。

 これらのタイプにはそれぞれ長所もあれば短所もあります。それだけで遊べるおもちゃの長所は、子どもを複雑なアイデアや物品に目をむけさせたり、技術や複雑な人間の営みに関わる問題に関心を持たせることです。ですからこういうおもちゃはよりはばの広い想像力を働かせることになります。機関車を手にした子どもは基本的な輸送の型を思いうかべ、馬は動物の生活について考えさせ、飼い方や、利用のしかたに関心をもたせます。親は子どもがそういうおもちゃの長所にはっきり気が付くように、また機械仕掛の精巧さだとか遊びやすさといったおもちゃのある面だけに心を奪われることのないように気を配らなければなりません。

時に子どもが、ほら、おとうさんやおかあさんがこんなに手のこんだおもちゃを買ってくれた。それも一つじゃない。たくさんなんだ。おまけにこんないかすおもちゃはだれも持っていないぞなどといばりちらすことのないようにすることが大切です。この機械仕掛けのおもちゃが役に立つというのは、子どもが実際にそれで遊ぶ時なのであって、近所の子どもに自慢するためにしまっておくのではありません。

しかもただ慢然とおもちゃの動きをながめるのではなく、その動きをなにか組み合せた営みとして遊ぶ時なのです。自動車は物を運ぶものですし、起き上がり小法師はたおれたり、起き上がったりしますし、人形はねむったり、目をさましたり、着物を着たり、脱いだり、お客にいったりというふうに、おもちゃの国ではなにかしら役に立つ仕事をするものです。こういうおもちゃには子どもの想像力を豊かに働かせる世界があって、そのファンタジイがおもちゃといっしょに、はばひろく豊かにひろがればひろがるほどいいのです。

しかしぬいぐるみの熊が単にボール投げの代りになってみたり、毛をむしったり、なかのつめものをひっぱりだすだけならなんの役にも立ちません。けれどもその熊にふさわしく用意された一定の場所に住んでいたり、だれかをおどかしたり、だれかと仲好しになるということがあれば、それだけで充分です。

 第二のタイプのおもちゃの利点は、子どもになんらかの課題を提起するところにあります。おしなべてその解決にある程度の努力を要する、そして子ども自身では決して考えつかない課題が提出されることです。それらの課題の解決にはそれ相当の思考の道筋が必要であり、論理や部分と部分の法則的関係についての概念が必要であって、単なる気ままなファンタジイでは解決されません。ただし、これらのおもちゃの欠点はその課題がいつも同じで、単調であるだけに、その繰り返しにあきられてしまうということです。

 第三の種類のおもちゃ、つまりさまざまな原材料はいちばん安上りで、しかももってこいのあそび道具です。これらのおもちゃは正常な人間の活動にいちばん近いものです。というのはこれらの原材料から人間は価値と文化を創りだしているのです。子どもがこのようなおもちゃで遊ぶことができるなら、その子どもにはあそびのもつ高い文化と社会活動のもつ高い文化が生まれているのです。原材料がそのままおもちゃであるものには生活の実体がかなりみられますし、同時に幻想力を伸すためにも、単なる空想ではなく大きな創造的な労働の幻想力を伸ばす世界があるのです。ガラスや雲母があればそれで窓を作ることができます。そのためには窓枠を考えねばなりません。従って家を建てるという問題がでてきます。粘土と植物の茎があれば庭についての問題もおこってきます。

 ではどんなタイプのおもちゃがいちばんよいのでしょうか。いちばんよい方法はこの三つのタイプを組み合せることです。かといって決して量的に多ければよいというものではありません。男の子でも女の子でも機械仕掛けのおもちゃが一つか二つあれば、それ以上買ってやる必要はありません。

それにどんなものでも組み立て式のおもちゃをたして、いろいろの原材料を少しふやしてやれば、それでもうおもちゃの国はできあがりです。なんでもそろっていて、子どもがあれこれと迷ったり、おもちゃがたくさんあって当惑してしまうようではいけません。ほんの少し与えて、しかもこの少ないものからあそびを考え出すようにしむけてください。

それから子どもを観察し、子どものあそびにそれとなく注意してみてください。子どもが自分で基本的に足りないものに気がついて、それをおぎなってみたいと思うようにしむけてください。子どもに小さいおもちゃの馬を買ってやり、その子どもが物を運ぶことに強い興味を持つならば、自然に、荷車か馬車が足りないことに気がつくはずです。しかしその荷車を急いで買ってはいけません。子どもが自分で小箱だとか糸巻き、ボール紙などからそれを作りだすようにしむけてください。そうしてその子どもがその荷車を作りあげたとしたら、すばらしいことです。……目標に達したのです。

しかしもっと荷車が欲しい。それも手製のものではもの足りないというなら、無理に二つめの荷車は作らせる必要はありません。二つめは買ってやってもいいのです。

この子どものあそびで最も大切なことは、次のことを達成させることです。
一、子どもがきちんと遊んだり、考えたり、作ったり、組み合わせたりすること。

二、最初の課題をすませないうちに、ほかの課題にとりかからないこと。やりかけたことはおしまいまでやりとげること。

三、どのおもちゃにもそのうち必要となる一定の値打ちがあるものと考え、だいじにしまっておくこと。おもちゃの国にはいつもきちんとしたきまりがあって、きちんと整理されていること。おもちゃはこわさないこと。それでもこわれた時には修繕すること。それが難しければ親が手伝ってやること。

 親はおもちゃに対する子どもの態度に充分気を付けなければなりません。子どもがおもちゃをこわすのはよくないことですし、それを大切にしなければならないのは当然のことですが、ただそのおもちゃが使いものにならなくなったとか、こわれてしまったからといっていつまでもくよくよするのはいけません。

子どもが自分でおもちゃを大切に扱ってきたと自信をもって考え、いちいち失敗を気にやまず、不運に打ちかつ力が自分にはあると思うならばこの目標は達成されたことになるのです。

父親や母親の役目は、そんな場合いつでも子どもの力となってやり、子どもを絶望から救いだし、人間の知恵と努力はいつでも事態を変えられるということを教えてやることです。

ですから、親はこわれたおもちゃの修繕にいつも手をかしてみたり、こわれたおもちゃをさっさと捨てないでほしいと思います。遊んでいる時には、親は子どもにできるだけ行動の完全な自由を保障してやることです。もっともあそびがきちんといっている場合に限りますが。

子どもがなにか困っていたり、あそびがあまりにも単純でつまらぬというのなら、子どもを助けてやらなければなりません。つまりヒントを与えるとか、なにかおもしろい問題を出してやるとか、新しい興味のもてる原材料をつけ足してやるとか、場合によってはいっしょに遊んでやるという具合に助けてやらなければなりません。

 第一段階のあそびには、以上述べたような方法の一般的な形態があります。

(マカレンコ著「子どもの教育・子どもの文学」新読書社 p40-45)

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◎「子どもを絶望から救いだし、人間の知恵と努力はいつでも事態を変えられるということを教えてやること」と。