学習通信060626
◎砂糖が商品であるのとちょうど同じように……

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賃金とは労働力の価値である

 組合の機関紙などによく書いてあるように、賃金の本質は、「労働力の価値」であり、この賃金の本質が現象としてあらわれるものが、「労働の価格」である。

 石炭を燃やすと熱が出る。石炭は目にみえる品物であり、熱は目にみえない働きである。「労働する」ということは働きである。したがって、労働するという働きに対応した品物があるにちがいない。それは労働のエネルギー、労働能力、略して「労働力」といわれている。

つまり、「労働力」という石炭を燃やすと、「労働」という熱が出る。労働者が労働できるのは、「労働力」という石炭をもっているからである。この労働者が身につけてもっている「労働力」、つまり「労働する能力」「人間の精神的・肉体的能力の全体」を時間ぎめで資本家に売って、かわりに受けとる代金を賃金とよんでいる。

 それでは、「労働力」という品物の値段はどのようにしてきまるか。品物の値段は、一見需要と供給できまるように見えるが、それは表面だけのことで、結局はそれの生産費できまる。たとえば、農家が大根一本五〇円で売るというのは、農家が大根をつくるのに、五〇円分の労力や肥料などの費用をかけている結果としてきまる。

もちろん、実際はこんなに簡単ではないが、うんと単純化していえばそうなる。五〇円の生産費をかけているのに三〇円で売りつづけたら農家は破産するだろうし、八〇円で売ったら、どこの農家も利幅のよい大根ばかりをつくるから、売り手がふえて、結局は五〇円まで下がるだけのことである。

 ところで、われわれが毎日働きつづけられるのは、労働力が消費されてもかならず補給されるからである。労働力の補給というのはどういうことか。われわれが毎日働きつづけるためには食事をとり、あたたかいふとんで休み、屋根のある家のなかで暮らす必要がある。ときには少々酒を飲んだり、パチンコをしたり、映画をみたりする。このように生活しているからこそ、われわれは毎日働ける。極端にいえば、はだかで土管に寝て、毎日水ばかり飲んでいたら働けるわけがない。

つまり、労働力の補給とか、労働力の生産とは、労働者の生活のことにほかならない。したがって、労働力の値段である賃金は、この生産費、すなわち、労働者の生活費(@労働者個人の生活費、A家族の生活費、およびB労働者が技能を修得する費用の合計)を基礎として決定されることになる。

 もっとも、今日の日本のように、国家独占資本主義(独占資本の利益のために国家が経済過程へ介入するようになった資本主義)の段階においては、賃金は、それだけでは労働力の価値に対応しなくなっている。ふつう、あとでくわしくのべるように、「資本主義的搾取」は、企業のなかで労働者が生みだした剰余価値をうばいとることに特徴があるのだが、国家独占資本主義のもとにおける国家の介入は、搾取を企業の枠をはみだしてすすませる。

つまり、搾取形態がますます社会化されるわけである。これに対応して、労働力の維持と養成に要する費用のかなり多くの部分が、社会化されてくる。したがって、企業内における賃金が高いか低いかという問題だけでなく、税金、物価、各種の社会保障の控除が考えられなければならないだろう。さらに、社会的給付の水準(病気、労働災害、老齢、廃疾(はい‐しつ=回復不能の疾病)、失業、児童手当)や、住宅、保育、教育、病院、交通、社会環境などが、労働力の再生産費用に大きくかかわってくる。賃金は、労働力の再生産費用をまかなう主要な形態なのだが、今日では唯一の形態ではなくなってきている、という点が大切である。

 以上、賃金とは労働力の値段である、ということを説明してきた。しかし、実をいうと、いままでの説明ではきわめて不十分な点が多い。たとえば現実には、労働者は三時間働けば三時間分の賃金、一〇日働けば一〇日分の賃金をもらっている。

つまり、「労働力」ではなく、「労働」の多少に応じて賃金をもらっている。賃金とはまさに「労働の価格」ではないか、こんな疑問が起こる。ここでどうしても、もう少し立ち入った本質的な理解が必要になる。そのためには「価値」というものを知っておかなければならない。

 資本主義経済が成り立つためには、売買が成り立たねばならない。売買とは品物とお金の交換であるから、経済が成り立つためには、交換が成り立たねばならない。そのためには二つの条件が必要である。

一つは交換される品物がちがうということ、つまり、使用価値がちがうことである。

もう一つの条件は交換比率(品物の値段とは、品物とお金の交換比率のことだ)がきまっていなければならないことである。この交換比率は、品物をつくる労働の量によってきまっている。

たとえば、生産に一〇〇労働時間かかる品物一個は、二〇労働時間かかる品物五個と交換される。この交換比率をきめているところの、労働の量、すなわち、労働時間であらわされる実体を「価値」とよんでいる。価値は労働によってしかつくられず、この価値をお金であらわしたものが価格である。
(高木督夫著「賃金入門」労旬新書 p34-37)

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 そこで、まず第一の問題にかかろう。

労賃とはなにか?
それはどのようにしてきめられるか?

 人が労働者たちに、「きみの労賃はいくらか?」とたずねたならば、彼らのあるものは、「私は私のブルジョアから一労働日一マルクをうけとる」と答え、他のものは、「私はニマルクをうけとる」と答える等々、ということになるであろう。

彼らは、自分が属している種々の労働部門におうじて、一定の労働による生産にたいして、たとえば一エレ〔ドイツの旧尺度。プロイセンでは約六七センチメートル〕のリンネル〔亜麻布(リネン)〕を織ること、または一ボーゲン〔印刷全紙。一六ページ分〕の植字をすることにたいして、彼らがそれぞれのブルジョアからうけとる種々の貨幣額をあげるであろう。

彼らのあげる金額がさまざまであるにもかかわらず、労賃というものは、一定の労働時間にたいして、または一定の労働の提供にたいして、資本家が支払う貨幣額であるという点においては、彼らはすべて一致するであろう。

 こうして資本家は、貨幣をもって労働者たちの労働を買うように見える。彼らは、貨幣とひきかえに彼らの労働を資本家に売る。これはしかし、ただ外見だけである。

彼らが実際に貨幣とひきかえに資本家に売るものは、彼らの労働力である。この労働力を、資本家は一日分、一週間分、一ヵ月分などとして買うのである。

そして彼は、それを買ったのち、労働者たちを契約の期間中、労働させることによって、それを消費するのである。

資本家は、労働者たちの労働力を買ったと同じ額、たとえばニマルクで、ニポンドの砂糖またはその他なんらかの商品の一定量を買うことができたであろう。

彼がニポンドの砂糖を買ったニマルクは、ニポンドの砂糖の価格である。彼が一二時間分の労働力の使用を買ったニマルクは、一二時間分の労働の価格である。だから労働力は、砂糖が商品であるのとちょうど同じように、一つの商品である。前者は時計で、後者は秤ではかられる。
(マルクス著「賃労働と資本」新日本出版社 p31-32賃金とはなにか

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◎「労賃というものは、一定の労働時間にたいして、または一定の労働の提供にたいして、資本家が支払う貨幣額であるという点においては、彼らはすべて一致する」と。