学習通信060711
◎しかし運動して……

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生産するのも、生産された商品を買うのも資本の活動──お金儲けのため

 さて、消費財であれ、機械や生産素材であれ、生産物を買うのは企業か個人(労働者)のどちらかである。しかしその買うお金は一体どこから来るのかを考えると、面白いことにゆき着く。実は出所は一つなのである。

 企業が買うお金は、もともとその企業が持っていたお金か、銀行かどこかで借りて来たお金か、その来歴はいろいろあるだろうけれども、とにかく一応その企業のお金である。

 一方国民(世の中には遊んで食っている人もむろんいなくはないが、国民の大部分は労働者、それと一部は農民で、つまり勤労者である)が消費財を買うお金、ふところの中のお金はどこから来たのか。読者の皆さんがお分かりのように、そのもとは賃金(賃銀でもよい。好きな方を使ってかまわない)、サラリーで、つまり企業が支払ったものである。だから生産物、言いかえると商品を買うお金の出所は、元は企業である。

 現代の経済、つまり資本主義経済ではモノを生産するのは企業である。そのモノは、中に自分の所で使ってしまうものも無いことはないが、大体みんな売るためのものである。つまり商品である。資本主義経済ではモノは企業によって商品として生産される。

 さて企業は、農家や商店など個人企業も数からいうと結構あるが、企業が作っている商品の分量とか金額を基準にすると、それはもう大部分が会社、株式会社とか有限会社などの会社、つまり法人企業である。そして、個人企業でもご主人のほかに奥さんやご長男、お嫁さん、おじいちゃんやおばあちゃんという、家族労働で営んでおいでのものもある。しかし、ご主人が奥さんやおばあちゃんにお給料を払って、営業のお金と家計、お小遣いのお金をキチンと分別している個人企業は必ずしも多くはない。

 会社だともちろん働いているのは従業員、経済学の用語で言えば役員以外は管理職でも労働者である。生産現場の班長が労働者であるのといっしょである。言うまでもなく労働者は、賃金・サラリーで食っている。その賃金は会社が払っている。だから生産物=商品を買うのは、生産手段は直接企業で、消費財は企業からいったん労働者の所得として家計に入り、そこから家計支出されるお金で労働者が買う。間接に企業が買っていることになる。資本主義経済では生産も消費も、企業の活動としておこなわれているということになる。トヨタの労働者はトヨタの車を、トヨタから支払われた給料で買うのである。

資本という言葉の意味

 この企業の活動という言葉をもう少し吟味してみよう。企業は何をする所だろう。言うまでもなくお金を儲けるために商品を作ったり、他の企業の作った商品を仕入れたりして、その商品を売る所である。営利企業とはそういう意味である。

 企業の活動はお金、難しい言葉でいうと貨幣から始まる。貨幣はいろいろな所からやって来る。個人的な資本家の自分のお金、株式を発行して買ってもらい、株主になってもらって、その株主からやって来た(振り込まれた、と言う)お金、銀行から借りて来たお金、証券会社に頼んで社債という証券を売ってもらい、集めたお金など、色々である。

 このお金を営利活動のために投下する。投資するといってもかまわない。商業という営利活動なら他の企業から商品を仕入れるだけだから簡単である。お金が、つまり貨幣が商品という姿に直接化けただけである。メーカーはもっと大変である。まず一部分のお金で機械と原材料を買う。貨幣が生産手段に化けたわけである。残りのお金で労働者を雇い、賃金を払う。この際労働者は身売りしたわけではない。企業は労働者の身柄を買ったのではなく、労働者の働く能力、つまり労働力を買ったのである。つまり貨幣の一部分は労働力に化けたのである。そして商品を生産し、出来たら売る。このように儲けるために貨幣として登場し、次々と色々な姿に化けて運動するものを資本と名付ける。企業という言葉をよく使ったが、資本と呼んでも同じことである。

 貨幣はそのままの姿でジッとしていれば減りはしない。その代りふえもしない。ふえるためには生産手段とか労働力とかに姿形を変えて運動しないとふえない。しかし運動して、製品の姿になって、さァ誰かに買ってもらって元の貨幣の形に戻ろうと思っても、売れなければ戻れない。貨幣が運動して資本になるのは、実は大冒険運動なのである。
(大月久志著「やさしい日本経済の話し」新日本出版社 p40-43)

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 資本は、新しい原料、新しい労働用具および新しい生活手段を生産するために用いられる、あらゆる種類の原料、労働用具および生活手段からなっている。資本のこれらの構成部分はすべて、労働の創造物、労働の生産物、たくわえられた労働である。新しい生産のための手段として役だつ、たくわえられた労働が、資本である。
 このように経済学者たちは言う。

 黒人奴隷とはなにか? 黒色人種に属する人間である。さきの説明のねうちは、この説明と同じ程度のものである。

 黒人は黒人である。一定の諸関係のなかで、彼ははじめて奴隷となる。綿紡績機械は、綿花をつむぐための機械である。一定の関係のなかでのみ、それは資本となる。

この諸関係から引きはなされると、金がそれ自体としては貨幣ではなく、砂糖が砂糖価格ではないのと同じように、綿紡績機械は資本ではない。
(マルクス著「賃労働と資本」新日本出版社 p48-49)

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◎「一定の関係のなかでのみ、それは資本となる」と。