学習通信060725
◎今まで使用していたのに似たもの……

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「組合員が主人公」と「大衆路線」について

 質の高い団結を求めてというときに私がもう一つ強調したいのは、組合員が主人公であるということです。いいかえれば、たえず組合員に目を向けていくという指導部の姿勢と、組合員に依拠するという大衆路線をつらぬく組合運営が大切です。

 大衆路線というとむずかしい言葉ですが、私はこういうふうに理解しています。組合員の自然発生的な要求を大切にし、同時にそれらの要求を整理し、より質の高いものにしてさらに組合員に返し、また討議してもらう。たたかいも組合員の自覚的な創意を生かしたたたかいを大切にするというように、絶えず組合員の要求やたたかいを中心にして、組合員に依拠した運営をしていくことだと思います。

 そのことは、組合員一人ひとりが主人公で、自分たちが組合を動かしているのだという自覚をつくり出し、一人ひとりが創意を生かした運動を起こしていく力をつくるものです。

 いつもいつも執行部が、「ああせい」「こうせい」とか、「あれが悪い」「これが悪い」などとやっていては、組合員は強くならないし、育ちません。

 組合員が自主的に、自覚的に考えて、創意を生かした運動を、職場や地域のなかに起こしていくことが重要だと思います。

官僚主義的運営

 組合員に依拠して運動を進める大衆路線と逆に、官僚主義的なやり方があります。ある全金の支部でこういうことがありました。「うちの組合では、執行部が要求を決めてくるから、どうせもう決まってるんだよ」といって組合員は、春闘に全然意欲を持っていません。全金の統一要求が今年八%だから、うちも八%にしますということで、職場討議にも熱が入らない。これではいけません。組合員の自主的自覚的な判断や行動、そこでの創意工夫も生まれてきません。

「命令主義」と「組合員追随主義」

〈命令主義〉

 時どき組合の幹部の指導で陥りやすい誤りに、命令主義的指導があります。組合員の要求や気持ちを無視し、「あれをやれ」「これをやれ」と組合の統制権などをたてに組合員や組織に命令するやり方です。組合の官僚主義的運営の一形態だと思いますが、これでは組合は強くなりません。指導と命令は違います。

 とくに勉強していない幹部や、指導に自信のない幹部の陥りやすい指導上の誤りとして、注意しなくてはなりません。

〈組合員追随主義〉

 「組合員がいっているから」ということを大義名分に、無批判的に追随する指導で、これも命令主義と同じように誤った指導です。組合員の要求や行動などは、組合員の生いたちや生活・職場環境などを背景に自然発生的に出てくるものが多くあります。その場合、それらの自然発生的な要求や行動を、指導部は力関係や情勢分析、本質を明らかにするなどして、より高い次元から組合員に返していかねばなりません。それが指導部です。

 この組合員追随の指導は、組合を変質させる危険性をもっており、場合によっては徹底的に議論をする必要があります。

 最近、あるローカルセンターづくりのなかで、こういうことが起こりました。ローカルセンターの準備会のなかで、要求課題の一つとして、「安保条約破棄」という課題が入っていました。そうすると、ある単産から、「こんなの入れてはだめだよ。みんな安保など知らないし、反感を買うよ」というのです。でも私は、それは間違っていると思います。

 それと同じ種類の問題として、「連合」が青い旗(行動旗)をつくりました。「もう赤なんて古典的なんだ。そんなイメ一ジがあるから、若者を結集できないんだ」というわけです。私はこれは、非常に危険な大衆追随主義だと思います。もっとも、「連合」の幹部は、そういうことはわかっていていっているのだろうと思います。

 「ストライキなんて、あんなのはもうやるべきじゃない。大体うちの社長だって、元組合員だったじゃないか。今度はあんたが社長になるかもしれないんだよ。それなのに、会社に向かってストライキを打って、打撃を与えて何になるんだ」という考え方などもあります。

 そういうことは一般組合員の間に、「ああそうだよな」と、すっと入りやすいんです。確かに若い人たちの間では、古典的だとか、馴染まないということがあります。「安保条約なんて関係ないよ」というのもあります。

 しかし、私が強調したいのは、現在の若い人たちが、学校でも、労働組合とか安保条約について、教えてもらっていないということです。労働組合の旗は、なぜ赤いのか、ということについてもです。

 そして、会社に入って、労働組合員になっても、幹部はストライキをやりません。旗はなぜ赤いかについても教えてやりません。安保条約がなぜ危険かについても教えないのです。「連合」などは、わざと教えないのですが、そのようにされている組合員が、自然発生的にいうわけです。それに乗っかって、大衆に迎合していくという格好になっています。

 私は、旗が赤いのはこういうわけなんだ、と教えないといけないと思っています。最近組合幹部は、そういう組合員教育、組合運営をしていないのです。なぜかというと、その方が楽だからです。

 安保条約になぜ反対か、なぜ破棄しなければならないか、また、組合の旗はなぜ赤いか、などそれを説明するのは大変です。だから、やりません。

 やらなければ一般組合員の意識はさがります。さがればまたさがった意識に追随する。これでは、いたちごっこです。そして、組合員のレベルはどんどんさがっていきます。これでいいことはありません。

 私はそういう重要な問題は、組合がきちんと教えていく、そこに労働組合の日常的な教育・宣伝の重要性があるのではないでしょうか。そのためにも組合員追随がいかに危険かということを幹部自身がつねにしっかり自覚しておくことが大切です。「総評型」労働運動にずっと慣らされてきて、ストライキをしないことがいいことのようになっています。そういう風潮を突破する理論的な武装も必要です。

 大衆追随主義は楽です。しかし「みんながいっているんだよ」という風潮に迎合するのではなく、「みんながいってるかも知れないが、この問題はこうなんだ」という指導を入れていくことです。その指導にたいしては、当然また疑問が出てきます。それをまたみんなに返していく、このことが大衆路線の基本だと、私は思います。安易に流されないことが、質の高い団結をつくっていくうえで重要なことだと思っています。
(JMIU編「労働組合を強く大きくするために」学習の友社 p61-65)

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本のえらびかたを考える

 ある中学校の昼休みのことです。山田さんは「どうも近ごろ、子どもに買ってやる本の選びかたに自信がなくなったんだ」というのです。山田さんは、社会科担当の教師ですが、三年生の女の子の誕生日に『ピーターパン』を買ってやりました。今まで子供の買いものはすべて奥さんまかせでしたが、一度くらい父親からの贈りものをしてみたいと思ったからです。『ピーターパン』は、ジェームズ・M・バリー(一八六〇−一九三七年)(英)の書いた物語りで、ピーターパンといういつまでも年をとらない主人公が、おとぎの国で海賊たちとあらそうという話です。

 ところで、この本をあたえてみると、むさぼり読んでとてもおもしろいというので、たいへん気を良くして、また何か本をさがそうと思いました。そこで、むかし読んだことのある『小公子』を買ってみました。その本には翻訳とも翻案とも書いてありませんが、作者はさる有名な児童文学者であり、著名人の推せんもあるので、責任あるものだと思って買ってみることにしたのです。読んでしまったころをみはからって「どんな話だった?」と聞くとたのしそうにあらすじを話してくれました。

このことに自信をえて、それからときどき給料日には子どもに本を買って帰ることにきめました。ところがある日、『ながいながいペンギンの話』(いぬいとみこ作・理論社)を持ってきて、「お父さんの買ってきてくれる本より、学校の図書館の本のほうがおもしろいわ」というのです。山田さんは、びっくりしてしまいました。今まで買っていた本は、世界の名作と呼ばれているものだから、長い歴史をくぐりぬけてきた本であって、子どもの心理もよくとらえているからこそ生きのこったものである。自分でも、すべての本を読んだわけではないが、いずれも定評のあるものだから、だいじょうぶだろうと思って取りあげてみたのに、このありさまです。

 そこで、子どもがおもしろいという本を読んでみました。
 とおいとおい南極の島、雪と氷の原っぱで二つのたまごがかえりました。ルルとキキ、二羽のペンギンの誕生です。キキはおとなしく、どっちかといえばこわがりやなのですが、ルルはまったくちがいます。まだよちよち歩きもおぼつかないのに、ルルは自分でえさを探しにこっそり抜けだします。またキキをさそって氷の山にとびうつり、遊んでいるうちに沖へ流されてしまったりします。ルルは大かもめにねらわれたり、人間につかまったりしながら、だんだんきびしい自然のおきてに気づき、たくましく成長していきます。

 今まで考えていた物語とちがって、さし絵も多く、絵本のようなおもしろさもあります。子どもは喜ぶのだけれど、これでいいのだろうか。山田さんは、子どもに何かためになる童話を探しあぐねて、世界名作童話にたどりついたのです。そこで山田さんは、この『ながいながいペンギンの話』と『小公子』をくらべて考えてみました。その結果、ペンギンの方が今の子どもたちの生活感覚に、ピックリとけこんでいるということに気がつきました。しかし、これからも自分で本を選ぶとなるとどうすればいいのか、すっかり自信がなくなってしまったというわけです。

 さて、わたしたちがカメラや電気器具を購入するときの態度について考えてみましょう。専門家でないわたしたちは、まず店頭の商品を見て歩くこと、ちらし・広告の類を手に入れて、手さぐりで比較してみること、そして、店員にどれがよいでしょうかなどと聞くことくらいがせいいっぱいで、器具を評価する目を持たない自分が歯がゆく感じられるのです。そして、いつの間にか、今まで使用していたのに似たもの、その系列のものを経験を土台にして買っているのです。

 しかし子どもの本を選ぶときには、体裁だけでは選ぶことはできません。本は内容そのものなのです。『ピーターパン』の内容も出版社により、翻案者・翻訳者によりちがうこと、『小公子』はもう一度読みかえしてみると、現代の子どもたちに積極的に推せんするほどの内容でないことに気がつきます。むかし読んだ記憶というものも、かなりあやふやなものだということも考えなくてはなりません。世界名作物語だというだけで、内容も見ないで本を子どもにあたえるのは考えものだということになります。

 現代の子どものために、現代の問題をとらえて、現代の日本の作家が書いている多くの作品のなかから、子どもの興味と感動にこたえるような本を選ぶこともたいせつなことです。童話ブームといわれるこのごろ、日本人の生活の中で芽生え、育っているすぐれた物語も少なくないからです。そして親として現代の日本の物語を読んでみると、作品の内容がわかり、作品を理解できるばかりでなく、本を通じて子どもを理解するということもできるのです。(S)
(代田昇著「子どもと読書」新日本新書 p87-90)

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◎「大衆追随主義は楽です」と。