学習通信060727
◎知覚や運動がイメージとして……
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読み書きよりも絵本を
はるみちゃんは、ことしの四月に小学校へ入学したばかりですが、もう『少年少女世界の名作文学』(小学館)のような小学校中上級向きの本でも(漢字はるびをたよりに)声をだしてすらすら読むことができます。はるみちゃんのおかあさんは、それがとても自慢です。
はるみちゃんは、どのようにして本が読めるようになったのでしょうか。
はるみちゃんが三歳になる少し前のことでした。はるみちゃんのおかあさんは、近所にすむ健ちゃんのママからとてもショッキングな話を聞きました。健ちゃんは、はるみちゃんと同い年です。その健ちゃんが、たいがいの都道府県名を漢字で読めるというのです。
ママの話によると、健ちゃんはテレビの天気予報を見ているうちに、いつのまにか関東やその周辺の県名が読めるようになりました。それに気づいたママは、パパの道路地図で全国の府県名を教えたのです。
そのほか、健ちゃんのママは、積み木にひらがなの書いてあるおもちゃで、い・し・い・け・ん・じ≠ネどと積んでひらがなを教えていることもわかりました。
はるみちゃんのおかあさんは、さっそく同じ積み木を買ってきました。いろいろ工夫しましたが、結果はあまりかんばしくありませんでした。
はるみちゃんが四歳になったばかりのころ、おかあさんは、本屋で『あいうえお絵本』(小学館)を見つけました。ひらがなをおぼえさせるための絵本で、巻末にはひらがな・かたかなの書きかたもついています。
くりかえし読んであげるうちに、はるみちゃんは、ひらがなが読めるようになり、やがて、かたかなの読みかたもひととおりおぼえました。読みかたといっしょに、はるみちゃんは、ひらがなの書きかたも習いました。四歳のおわりごろには書き順は不正確ですが、どうにかひらがなが書けるようになりました。
はるみちゃんは、五歳になりました。おかあさんは、いわゆる百円絵本ではものたりません。そんなときに、やはり近所にすむ美智子ちゃんが四歳なのに、『少年少女世界の名作文学』をすらすら読むという話を聞いたのです。はるみちゃんのおかあさんは、全五十巻のうちから五さつをすぐに買いました。
はるみちゃんにもすらすら読めました。おかあさんは、はるみちゃんが読むのを聞きながら、内容がどの程度わかっているのか心配でした。ときどき一ページぐらい読ませた後で、あらすじをいわせてみました。そのつど、おかあさんとしては、ほぼ満足できる答えを聞くことができました。
入学前の子どもを持つおかあさんにとって、自分の子どもと同年配の子どもがすでに読み書きできるという話くらい心をおびえさせ、あせりをかきたてる話はありません。それで教育熱心(?)なおかあさんほど、早めに読み書きを教えこもうと努力します。このようにして育てられた子どものなかでおぼえの早い子は、たしかにかなりむずかしい本でもすらすら読みくだすことができるようになります。
ところで、こうしたおかあさんたちの大きなまちがいは、ことばのはたらきの表面しかみていないことです。入学前にいくら読み書きができても、それだけだったらたいして重要なことではありません。重要なのは、ことばを聞いたり読んだりしたときに、そのことばの意味することがらがあざやかなイメージとして心にうかぶことです。
子どもには、おとなの予想以上に、ことばだけでは何のことかさっぱりわからない(イメージを描けない)ことが多いのです。そういうときに、絵があれば、未経験のことでもイメージを描く助けになります。だから、入学前の子どもにとってまず必要なのは、よい絵本をたくさん読んでもらうことです。
はるみちゃんのおかあさんは、これまでに、絵本らしい絵本を見たことがありませんでした。
だから、ついこのあいだ『かわせみのマルクン』(リダ・福音館)を見て、紙の質がいいこと、値段が高いこと、横組みの絵本もあることにおどろきました。
入学前に安易なやり方で読み書きを教えることには、危険がともないます。不正確な書き順をなおすために、数年間かかることもまれではありません。また、文字指導がいいかげんだと、文章を読みとる力にも悪い影響をおよぼします。小学校に入学したから、絵本は卒業ということになってはならないはずです。
種まきをする前に、土をよく耕すことを忘れたくないものです。(H)
(代田昇著「子どもと読書」新日本新書 p103-106)
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思考の内化と外化
世の中には,頭だけを使って,すごいことのできる達人もいる.とりわけ目をみはるのは,ソロバンの暗算と,将棋や囲碁の盤面の再現ではないだろうか.ソロバンの全国レベルの達人は,15,16ケタくらいの暗算を平然とやってのける.将棋のプロは,1つの勝負を丸々覚えていて,「もし,ここでこう打っていたら,こうなったはず」などという解説を盛り込みながら,テレビで話をしている.
しかし,こういう人たちも,ソロバンとか将棋というような,実際のモノを操作することを通じて,それが心の中のイメージの操作として行われるようになったのである.初心者がいきなりイメージだけを操作しようとしても,できるものではない.達人の今の姿だけを見て真似をしてはいけないのだ.数学の得意な人が簡単な問題なら図も式も書かずに,いきなり答えを出したり,文章を書くのに慣れた人が,素案も下書きもなしにスラスラと名文が書けるのも,はじめからそういうやり方だったわけではないことに注意しよう.
知覚や運動がイメージとして心の中で行われるようになることを,心理学では「内化」という.内化は,普通の人にも起きている現象である.たとえば,言葉の使用がそうである.幼児のころは,口に出さずに頭の中だけで考えたり,本を黙読したりすることはしにくい.小学校にはいるくらいの年齢から,しだいに楽にできるようになる.内化された活動は,より速くスムーズになる.
一方,心の中で行っている思考活動を,文字,記号,図などの形で外に出すことが「外化」である.外化は,人間の記憶の負担を減らし,内容を吟味したり,気づかなかったことを発見したりするのを助ける.ぼくが強調したいのは,ある仕事にそうとう慣れた人でも,その人にとってむずかしい問題を考えるときには,外化という方法を積極的に使うということである.
(市川伸一著「勉強法が変わる本」岩波ジュニア新書 p9)
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まえがき
いまどきの若者は、さっぱりわからない。
こんなことばを、これまで耳にしたことがない人はいないはずだ。それだけではなくて自ら「いまどきの若者は……」と、つい口にしている人も少なくないだろう。
ものの本によると、これと似たことばは古代ピラミッドの中にも記されているらしい。「だから、なにもわかりにくいのは現代の若者だけではない。大人から見れば、いつの時代も若者は理解しがたい存在に見えるのだ」と言う人もいる。しかも、大人はかつて自分も若かったときには礼儀知らずで自己中心的だったことも忘れて、若者批判をしてしまいがちだ。
では、結局のところ、若者は今も昔も変わっておらず、大人が勝手に「いまどきの若者はわからない」と言っているだけなのだろうか?
私自身は、そうもまた言い切れないと考えている。
高度成長からバブルの時代を通過し、出口の見えない不況が続きながらも、生活じたいは全体に平和で豊かな今の日本。携帯電話やインターネットの普及で、コミュニヶーションの手段は画期的な変化を遂げた。そういう社会で暮らす若者は、やはりこれまでとはかなり違った価値観や行動様式を身につけていると言える。
問題は、そういう若者たちに対して大人が「若者は堕落した」「若者はコワイ」と決めつけ、それ以上、理解しようとも近寄ろうともしないことだ。フェミニズム研究者の小倉千加子さんは、「いまどきの学生たちは変質してます。……これはなんですか!」とイライラして怒っている大学教員を見ると、「アホちゃうか。君ら訓練が足りんよ」と思う、とその著作の中で述べていた。
しかし、そう言われてもどうやって訓練してよいかわからない。そう思う大人も、少なくないはずだ。訓練するにもまず、いまどきの若者の言動の基本にあるパターンがわからなければどうしようもない。
「基本パターンなんてあるものか、彼らは好き勝手に動いているだけだ」という声もあるが、本当にそうだろうか。彼らの話にちょっと耳を傾け、その行動に目をとめてみると、そこには彼らなりの考え方や主張があることがわかってくる。それを「若者の法則」としてまとめてみたのが、この本だ。
私はもちろん、これを読んで若者にすり寄り、ごきげんをうかがってほしい、と大人たちに望んでいるわけではない。ただ、その「若者の法則」を知ると、若者たちが彼らなりのやり方で、大人や社会全体に向かって言おうとしている何かが、おぼろげながら見えてくるはずだ。
そして「いまどきの若者」について考えることは、だれにとっても自分についてもう一度、考えなおすことにもなるはず。元・若者の私は、そう思うのである。
(香山リカ著「若者の法則」岩波新書)
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◎「子どもには、おとなの予想以上に、ことばだけでは何のことかさっぱりわからない(イメージを描けない)ことが多い……そういうときに、絵があれば、未経験のことでもイメージを描く助けに」と。