学習通信060728
◎気づいてもいないのである……
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リカードウ『経済学および課税の原理』
リカードウ経済学の時代的背景
デイヴィド・リカードウ(一七七三〜一八二三年)は、スミスの後継者であり、イギリス古典派経済学の完成者である。その労働価値論はマルクスによって継承、発展させられる。
リカードウの生きた時代、すなわち、一八世紀後半から一九世紀前半にかけての時代は、イギリス資本主義が、マニュファクチュア段階を経過して、機械制大工業の段階へと移行した時代であり、この時期に資本主義的生産様式が封建的生産様式を完全に打破して、自分の足で立つことになる。リカードウが経済学者として活躍した一九世紀前半のイギリスは、対ナポレオン戦争をたたかっている時期であった。彼の死の二年後、一八二五年には、最初の本格的な過剰生産恐慌が勃発し、資本主義的生産様式はその内的矛盾をあらわに示す。
一方で、産業革命によって機械制大工業が確立されていくとともに、通貨・信用制度などの資本主義的諸制度は整備されていく。イングランド銀行は金属貨幣を集中し、信用貨幣である銀行券発行業務をおこない、国家の銀行として発展する。
他方で、資本主義の発展は、フランス革命と同種の運動をイギリスにもたらす。一八世紀の終わりには、フランス革命の影響のもとに、共和主義的で急進主義的な運動が、知的な労働者層をとらえる。また、同じ時期には、産業革命の結果、機械との競争に敗れて没落する運命にさらされている手工業的熟練労働者の賃金闘争も果敢にたたかわれる。一九世紀に入ると有名なラダイト運動も発生する。
『経済学および課税の原理の構成』
リカードウの『経済学および課税の原理の構成』の初版は一八一七年に出版された。この著書は全三二章からなっているがその主要部分は最初の二つの章である。第一章「価値論」、第二章「地代論」のなかで、彼の主張の中心的部分が論じられており、残りの章は最初の二つの章の適用、解説、付論である。
最初の二つの章のなかで、リカードウは発展した資本主義的生産関係と経済学の発展した諸カテゴリーが、それらの原理である価値規定あるいは彼の労働価値論──商品の価値はその生産に必要な労働の相対量に依存するという見解──と矛盾しないかどうかを研究するとともに、従来の全経済学に対する彼の批判的見地を展開している。とくに、スミスの矛盾する二元的な価値論──一方では科学的で分析的な、商品の価値をその生産に必要とされる労働量に求める見解〔投下労働価値論あるいは分解価値論〕、他方では、非分析的で現象追随的な、ある商品の価値を交換において他の商品を支配する力に求める見解、今日的にいえば、需要・供給の理論〔支配労働価値論あるいは構成価値論〕──のうちの、支配労働価値論にたいする鋭い批判が含まれている。
リカードウの労働価値論の基本的内容
リカードウは商品にあらわれる自然的要素(使用価値)と社会的要素(価値または交換価値)を明確に区別し、商品の交換価値を自然的な富に解消せず、労働が交換価値の唯一の源泉であると述べ、商品の交換価値が労働量によって決定されることを主張する。そして、彼は、これに反対して、商品交換を規制する原理を需要と供給の関係でのみ規定すべきであるとする俗流経済学のロバート・マルサス(一七六六〜一八三四年)を論駁している。ここが、リカードウの科学的に秀れた点である。
諸商品がそれらに含まれている労働量ではかられるためには、商品を生産するさまざまの種類の労働が、質的に一様、無差別で、量的にのみ異なる単純労働に還元されるという経験的事実も指摘されている。
彼はマルクスとちがって価値を純粋に分析できなかったが、それは、彼が価値の大きさの規定にもっぱら心を奪われていて、労働量それ自体はけっして価値量ではなく、労働はいつでも商品を形成するものではなく、だからまた労働はいつでも価値の実体をなすのではないということに注意が払われないことの結果であった。労働が価値を形成し、労働量が価値量を測る尺度となるのは、人びとが相互に私的所有者として相対し、自らの私的労働の生産物を交換する歴史的に特殊な経済関係においてのみであることをリカードウは理解しなかった。この非歴史性が、彼が価値形態と貨幣を科学的に理解できなかった根本的原因である。
彼は、資本と賃労働のあいだの交換の問題を価値規定にとってどうでもよいこととして扱った。資本と賃労働のあいだの交換、いいかえれば賃金と労働力との交換は特殊な商品交換であるから、これは一面では価値論の問題であり、他面ではこの交換の結果として生産過程で剰余価値が生産されるから、剰余価値論の問題でもある。
外観的には、不等価交換にみえる資本と賃労働のあいだの交換を、投下労働価値論にしたがって等価交換として説明しなければならない。これは労働力商品が発見され、「労働の価値」という表現が「労働力の価値」という表現に改められることによって解決される。すなわち賃金に対象化された労働(賃金に含まれる労働量)と労働力商品=生活必需品に対象化された労働(生活必需品に含まれる労働量)とが等価でもって交換されるという法則が発見されねばならなかった。
この発見によって、外観上、不等価交換にみえる資本と賃労働のあいだの交換が労働価値論=等価交換の基礎上で説明されることになる。こうして、スミスの二元的価値論の問題も解決される。しかし、リカー・ドウは、問題を解決しないだけではなく、この問題に気づいてもいないのである。ここに、後年、リカードウ学派が解体する一つの原因があった。
(上野俊樹著「リカードウ「経済学および課税の原理」」上野俊樹著作集A 文理閣 p26-28)
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新しい版が、もっぱらといってよいほど労働者たちのあいだでの宣伝用にあてられるときには、事情は別である。そのばあいには、マルクスはかならずや、一八四九年の日付のある古い叙述を、彼の新しい立場と調和させたことであろう。
そして私は、あらゆる本質的な点でこの目的を達成するために必要なわずかな変更と追加を私がこの版のためにくわだてるのは、マルクスの精神にそっておこなうことなのだと確信している。
そこで、私はあらかじめ読者に言っておく、──これは、マルクスが一八四九年に書きおろしたパンフレットではなくて、彼が一八九一年に書いたとしたらほぼこのようなものだったろうと思われるパンフレットである、と。そのうえ、本書の原文はきわめて多くの部数で普及しているので、私がそれをのちに全集版で変更せずにもう一度印刷しうるまでは、それで十分である。
私の変更は、すべて一点をめぐるものである。
原本によれば、労働者は労賃とひきかえに資本家に彼の労働を売ることになっているが、こんどの本では、彼の労働力を売ることになっている。
そしてこの変更については、私には説明する責任がある。労働者たちに対する説明としては、ここで問題になっているのがけっしてたんなる字句のせんさくではなく、むしろおそらくは経済学全体のなかでもっとも重要な点の一つであるということを、彼らにわからせるためである。
ブルジョアたちにたいする説明としては、無教養な労働者たちにはもっともむずかしい経済学的展開でもたやすく理解させることができるのだから、こういうこみいった問題を一生かかっても解決できないでいるわが高慢ちきな「教養人」にくらべて、無教養な労働者たちがどんなにいちじるしくすぐれているかを、彼らになっとくさせるためである。
(マルクス「賃労働と資本──エンゲルス「序論」」新日本出版社 p13-14)
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◎「労働者たちに対する説明としては、ここで問題になっているのがけっしてたんなる字句のせんさくではなく、むしろおそらくは経済学全体のなかでもっとも重要な点の一つであるということを、彼らにわからせるためである」と。