学習通信060818
◎その人の自然をしめころし……

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ひとりの子どもが育つとき、いかに多くの大人のことばかけが──

 井尻正二氏は──同じく前記の選集五巻人間≠フ中で、類人猿とヒトの新生児を同時に育てて比較してみると、二歳頃までは類人猿が知能的にもヒトにまさっているが、その後は知能の発達がとまってしまい、逆に、ヒトではその後の発達がいちじるしいことがわかる、とのべられている(二〇四頁)。

また──新生児のときは、月たらず、親のすねかじり、という点で、サルに一歩をゆずったわれわれも、早産の胎児であったために、つまり他の哺乳類のようにすぐ立ってあるけない、あるくまでには一年もかかるために、また、こうした、哺乳類では胎児のような時期が出生後もながくつづけばこそ、サルその他の哺乳動物では経験できない、長い神経系の学習の期間をえたわけである、といわれ、氏はつづけていう。──

 ──とりわけ学習は、母性愛などという母性本能などによってではなく「社会的共同生活」とそのコミュニケーションの手段である「言語」によってもたらされる。生まれたばかりのときから、何万回、何億回とくりかえされる同族のことばは、たんにコミュニケーションの手段をおしえ、複雑な条件反射系をつくりあげていくだけでなく、かくすることによって、大脳半球、とりわけ新皮質を発達させ、ヒト独特の抽象的思考をもたらす云々(二〇五頁)──とかいておられるが、まことに深い洞察力といわざるをえない。

 いったい、ひとりの人間の子どもが成人するまで、その子ども時期に母親の母性愛だけでなく、いかに多くの人たちのことばかけがなされてきたかを、私はこの頃とくに深く考えるようになった。

 私の子どもを例にあげてみよう。
 息子が蘭領ジャワ島で誕生したときは、その町には日本人は、私たち夫婦をふくめて四人しか 住んでいなかった。
 そのうえ私たちは、いわば今までは日本の商品販売を独占していた店のあるところに開店したので、商売がたきという立場にあり、前からその町に住んでいた日本人夫婦のところには、あいさつにいっただけで、気軽にゆけるふんいきはなかった。したがって息子は、同族としては私たち夫婦だけの間に生まれたような状態であった。ところが、子どもが生まれると、まるで空気は一変した。子なしであったその日本人夫婦は、長いこと日本人の子どもを身近にみていなかったためか、私の息子を毎日のようにみたがった。そしていつの間にか、商売がたきの気持は消えて、まるで自分たちの息子ででもあるかのように可愛いがるのであった。

 その他、商品を卸しに時折訪れる日本人の商社マンも、今までとはすっかり変って子どもの成長発達を喜んでくれたのであった。
 また、この息子をとおして、外国の多くの若い父母たちとも友だちになれた。お互いの子どもの成長を比べては喜び合うのである。

 やがて戦雲たちこめ、海外からの引揚げを余儀なくされたときも、その配船をまつ間、港の商社マンたちは、幼いひとりの日木の子どもを守るために、あたたかく保護してくれたのであった。引揚船の中でも、お互いおなじくらいの年の子どもをもつ母親たちとしたしみあい助けあった。とくに私が若く、子育てがおぼつかなかったからであろう。特別に大勢の人たちが息子をだいてくれた。

 さて、引揚船の中で感染したハシカが重くなり、肺炎をおこしかけていた息子を、引揚げの手つづきに手間どる私にかわって、神戸港から抱いて車で大阪の家にいそいでくれた姉、疲れきっていた私にかわり、寝ずの看病をしてくれた母、そのほか私の父、弟妹たちのおかげで、息子は無事に幼年期を育ってくれた。弟は「まったく母親らしくない母だ」と私を称した。あまりにも若かったからか、私が自分の勉強したいことばかりに目がうばわれていたからか。いずれにしても母性愛には欠けていたようであった。

 父親も長く出征中で、こうして息子の乳幼児期はほとんど両親以外の家族や、まわりの大人たちの世話になって大きくなった。
 また、小・中時代は父親の家族からかわいがられ、息子の高校時代は、若いときの私をひそかにおもっていた画学生がその学校の教師となっていて、息子を私の子どもとまったく知らずに、わが子のようにかわいがり、油絵を手ほどきしてくれた、ということをあとで知った。

 ひとりの子どもが一人前になるまでに、同族のものたち、その周囲の大人たちが、いろいろ手をかして育ててくれるものである、ということをしみじみ知らされるのである。

 娘の場合も同様である。
 一歳の娘を私の不注意から消化不良にしてしまった私は、娘のそばをちょっとでもはなれると、娘のいのちはなくなってしまうのでは、と心配で、ひきつけをおこしたのに医者をよびに立つこともできず、ただ娘をだき、遠い地に住む母をよんでいたのであった。しゅうとは、不甲斐ない私をしかりつつも夫の弟妹を医者の家に走らせてくれたおかげで、娘のいのちは助かったのであった。

 空襲がはげしくなったときも、大人たちはまず幼い子どもたちのいのちだけは守らなくては、と私と二人の子どもたちを隠岐の島の母の兄の家に疎開をさせてくれた。戦争中の大変な旅を、姉がつきそってくれ、小舟にのって島につき、姉はまた空襲のひどい大阪にとひき返した。

 伯父一家はなにひとついやな顔をせず私たち親子を食べさせてくれ、子どもたちを可愛いがってくれた。
 今日、私をのりこえ、自分の道をそれぞれきりひらいて生きてくれている息子、娘たちをみておもうことは、民族とか、一族とか、家族とか、友人とか、すべて子どもをとりまく大人の愛が、ひとりの子どもにそそがれる故に子は育ち、そしてその大人たちをのりこえてゆくのだ、ということである。今日のヒト科の誕生、今日の人類の文化を生みだしたものは、このような子育てにあった、ということをおもうと、井尻正二氏のいわれる如く、決して決して、ひとりの母親の母性愛≠セけで子育てができるものではない、ということがわかるのである。

 ところが、十数年前頃から、まったく個室、密室に近い部屋の中で、母と子だけで育った、という子どもが入園してくるようになり私をおどろかせた。

 高層の団地住いの母と子の話はこうである。
 もちろん、下の土にもおろさなかったというのである。したがって、近所の人の目にもあまりふれていない、というのである。就学前になってもことばが出ず、たまたま訪れたセールスマンより、さくらんぼの話をきき訪ねてきたというのである。

 このセールスマンは、近所の、やはりことばの出なかった子どもが、さんらんぼで話せるようになった、ということを知っていたからであった。

 たしかに今日、自閉症は、母親の育て方が原因ではない、とはいわれるようになったが、もし多少、おなかの中での発育のまずさがあったとしても、その子が大勢の同族のことばの中で育てられたならば、と、その子の育ち盛りの六年間がまことに悔やまれるのであった。お母さんも、結婚して馴れぬ土地に来たため、夫が出勤すると部屋にとじこもり、近所の人たちともあまりつきあわなかったということで、ことばの少ない引っこみ思案の人であった。

 その子どもは、たんに、ことばが出ない、という症状だけではなかった。

 園にきてしばらくすると、庭の水たまりに這いだし座りこんで、ちょうど〇歳児のように、泥水を両手ですくって口に入れるのである。

 まわりの子どもたちにはまったく関心をしめさない状態である。半年の入園期間中、ようやくブランコを喜び、保母の手をとり、ブランコにゆき、大きくこぐと奇声をあげて喜ぶようになってもう小学校に入学である。
 いまだにあまりことばは出ないときく。

 それなのに、母親のスキンシップが乳幼児期の子育てにもっとも大切で、三歳までは保育所に入れず、母親の手許で、と説く人たちの理論的根拠はなんだろう、とさぐってみる。

 絵本のこと≠フ項で紹介した「人間の生と性」──岩波新書──のなかの、大島清氏の文に、私たちは大変示唆をうける。

 中でも哺乳類の母親が、出産した子どものからだをなめる行為の意義について(一七五頁)書かれている部分は大変参考になった。

 そして大型霊長類と、人間の場合は、分娩までに時間が長くかかり、細い産道を通るとき、この哺乳類の母親がなめて与える皮膚刺激と同様、全身からの刺激が脳に伝わり、生きるカ、つまり呼吸する力、食する力、排泄する力などがととのってくるということを知り、大いにうなずけるのである。

 そして最近自然分娩より、産まされるお産が多くなって、実際O歳児保育をしている人たちは、園児たちのいちようにのむ力の弱さ、かむ力の弱まり、最近は排尿、排便の力の弱まりさえ訴えている現状である。

 陣痛時間があまりにも短い場合、発遠のおくれとのつながりがある場合が多いことを、障害児保育をすすめてゆく中で知ってきたが、この本を読んで、産道を通るときの皮膚刺激が足りないと、乳児の体の内部器官の発達を促さないということを知ることができた。

 生後の皮膚刺激の大切さは、私たちもじゅうぶんに知っており、強調してきたし、同書のなかで愛情は皮膚によってたしかめる、とも書かれており、幼い子どもたちは、たしかにそうではあるが、胎児の時の皮膚刺激の重要性をもこの書に教えられ、大変参考になったのである。しかしそうした子どもを三歳までの母親のスキンシップのみで、人間の子どものあの特別の大脳新皮質の発達をはたして促しきるのであろうか。

 「人間」という、社会の中で育ってきた動物、言語をもつにいたったこの人間の子どもは、はたして生理学的な要因のみで発達を論ずることは正しいのであろうか。

 たしかに、戦後の乳児院で育った子どもたちに、ホスピタリズム──施設病──とよばれた、ことばのおくれ、知能の発達のおくれがあったことは事実である。

 私も昭和二十三年、児童福祉法施行のそのときから保母となっていたので、当時の保母の受持人数の最低基準が、乳児九人に保母一人であったことを知っている。

 そのために、戸口にねていた子どもが一番発達した、ともいう人がいた。保育者がまずさきにことばかけをするからである。いかにことばかけが重要であるかうかがえる。母親であろうが乳母であろうが、保母であろうが、愛情あることばかけがいつもされたか、されなかったか、人間社会の中で、人間のことばの中で育ったかどうか、が問題になるのであって、短絡的に哺乳動物とくらべ、母親のスキンシップの不足と知恵おくれを結びつけることはできず、ホスピタリズムの場合、むしろ、行政のつめたさに帰すべき、と考えるのである。
(斉藤公子著「子育て」労働旬報社 p91-98)

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 万物をつくる者の手をはな るときすべてはよいものであるが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる。人間はある士地にほかの土地の産物をつくらせたり、ある木にほかの木の実をならせたりする。風土、環境、季節をごちゃまぜにする。犬、馬、奴隷をかたわにする。すべてのものをひっくりかえし、すべてのものの形を変える。人間はみにくいもの、怪物を好む。なにひとつ自然がつくったままにしておかない。人間そのものさえそうだ。人間も乗馬のように調教しなければならない。庭木みたいに、好きなようにねじまげなければならない。

 しかし、そういうことがなければ、すべてはもっと悪くなるのであって、わたしたち人間は中途半端にされることを望まない。こんにちのような状態にあっては、生まれたときから他の人々のなかにほうりだされている人間は、だれよりもゆがんだ人間になるだろう。偏見、権威、必然、実例、わたしたちをおさえつけているいっさいの社会制度がその人の自然をしめころし、そのかわりに、なんにももたらさないことになるだろう。自然はたまたま道のまんなかに生えた小さな木のように、通行人に踏みつけられ、あらゆる方向に折り曲げられて、まもなく枯れてしまうだろう。

 大きな道路から遠ざかって、生まれたばかりの若木を人々の意見の攻撃からまもることをこころえた、やさしく、先見の明ある母よ、わたしはあなたにうったえる。若い植物が枯れないように、それを育て、水をそそぎなさい。その木が結ぶ果実は、いつかあなたに大きな喜びをもたらすだろう。 あなたの子どもの魂のまわりにはやく垣根をめぐらしなさい。垣のしるしをつけることはほかの人にもできるが、じっさいに障壁をめぐらせる人は、あなたのほかにはいない。
(ルソー著「エミール 上」岩波文庫 p23-24)

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◎「すべて子どもをとりまく大人の愛が、ひとりの子どもにそそがれる故に子は育ち、そしてその大人たちをのりこえてゆくのだ、ということである」と。