学習通信060821
◎社会一般の発展状態とくらべると、減少した……
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「しんぶん赤旗」主張
貧困率不公平を広げた「構造改革」
日本の格差と貧困の広がりに、改めて国際社会が注目しています。
世界経済の「先進国クラブ」と呼ばれるOECD(経済協力開発機構)が、二十日に発表した「対日審査報告書」で、初めて一章を割いて日本の格差問題を取り上げました。OECDは加盟国の経済情勢を定期的に分析・審査し、審査報告書として公表しています。
その中でOECDは日本の所得格差が一九八〇年代半ば以降大きく広がり、相対的貧困率は「今や最も高い部類に属する」とのべています。
アメリカに次ぐ水準
「構造改革」を推進するOECDの現在の立場と、「構造改革」による深刻な矛盾の解決を図る日本共産党の立場は違います。しかし、貧困と格差の拡大を敏感にとらえる現状認識では共通しています。
対日審査報告書に掲載された勤労世代の相対的貧困率の国際比較によると、すでに二〇〇〇年時点で、日本は先進諸国の中でアメリカに次いで貧困率が高い国となっています。
相対的貧困率は、その国の平均的な生活水準の一定割合の所得を下回る人を貧困層と定義して、その貧困層が全体に占める比率で表します。今回報告された数字は、昨年二月にOECDのワーキングペーパーに掲載された分析のうち、勤労世代に焦点を当てたデータの抜粋です。
小泉内閣は派遣・請負労働や契約社員など雇用の規制緩和を進め、正社員を非正規雇用に置き換えて人件費を減らそうという財界の身勝手な要求に全面的に従ってきました。
政治が本来やるべき貧困と格差の是正とは正反対の、労働者・若者に痛みを押し付ける弱肉強食の路線です。日本の貧困と格差が、二〇〇〇年時点よりも、いっそう深刻になっていることは明らかです。
報道によると、対日審査の会合に出席した日本政府の代表は、「格差拡大の主因は高齢化による人口構成の変化」だとする日本政府の公式見解の立場で反論しました。
OECDはこれを退け、高齢化は「格差拡大の一因」ではあるが、「主な要因は労働市場における二極化の拡大にある」と報告書に明記しました。非正規雇用の割合が十年間で10ポイント以上増えて30%を超えたこと、パートの時給がフルタイムの40%にすぎないことをあげています。
さらに、景気が回復しても非正規雇用の一部しか解消せず、「労働市場の二極化が固定化するリスクがある」と警鐘を鳴らしています。
小泉内閣は、「格差の拡大は確認されない」「格差は悪いことではない」と開き直り、景気が良くなればいずれ解決すると言ってきました。これは、国民にも国際社会にも、まったく通用しない議論だということが、ますますはっきりしています。
最悪の消費税増税
OECDの分析から、もう一つ重要なことが分かります。税や社会保障など所得再分配で貧困率がどれだけ是正されたかを比べると、日本は是正の割合がもっとも低い国になっています。日本が世界でも格差の大きな国になったもう一つの原因が、税や社会保障を通じた所得再分配の弱体化にあるということです。
この点でも、小泉内閣は大企業・大資産家に減税、庶民には増税・社会保障負担増と、まったく逆立ちした政策を取ってきました。
小泉「構造改革」路線の抜本的な転換が必要です。小泉内閣と自民・公明両党、民主党が主張する消費税率の引き上げは、貧困と格差を拡大する最悪の庶民増税です。
(2006年7月26日(水)「しんぶん赤旗」)
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はじめに
本書の目的は「小泉後の格差社会」の行方を予測することである。今後も「弱肉強食」「自由競争」「IT長者などの富裕層優遇」が続くのか、それとも、昔のように「平等重視」「金持ちイジメ」の国に戻るのか。それを予測するためには「格差は誰が作り出しているのか」が大きな鍵を握ることになる。
「格差」は政府の政策によって生み出された人工的なもの(=「政災」)か、それとも小泉政権前からジニ係数が一貫して悪化していることを見てもわかるように、グローバリズムに身を任せた自然な結果(=「天災」)か。今後格差社会が深刻化するにつれて、格差を巡る犯人捜しが大きな論点になってくる。
その見方次第で、我が国の政治経済情勢は大きく変化する。もし政災だということになれば、小泉自民党政権主導の「小さな政府路線」は大きな批判にさらされ、規制緩和を中心とした「自由・競争・選択・成長」を軸にした政策は変更を余儀なくされる。他方で、格差が天災ということになれば、「小さな政府路線」に身を寄せながら「日はまた昇る」日を国民こぞって待つという可能性が高い。
政策がどちらに振れるかでビジネス環境は大きく変化する。子育て環境も大きく食い違う。教育環境やキャリアデザインだって大きな影響を受けるだろう。現在我々が直面している格差社会をどう解釈し、それに対してどういう行動を取るかで国民生活も随分と変化するのである。その意味では、いち早く今後の格差社会の行方を読み込んでいく必要があるのだが、「一体誰と誰の格差なのか」を含めて格差社会は混沌としていて見えにくい。その一方で、国会議員や学者を中心に左右両翼から格差を論じる「格差バカ」が世の中には溢れている。
本当に小泉政権は格差を拡大させたのだろうか。それとも格差は見せかけだけで、高齢化の自然な結果なのだろうか。本書は、これまでの歴史や人間・社会の生来の性質から考えて、格差は必ず「政災」になると予測する。確かに、一定期間であれば「格差拡大は一時的なものであり、経済成長のために避けられないものだ」「グローバリズムの結果だ」という政府の言い訳は成立する。それも小泉総理のように自分自身は全く金儲けに興味のない人間が「儲ける奴もいれば、失敗する奴もいる。人生いろいろ」と発言するのであれば、何かご愛敬で許される雰囲気にはなる。
しかし、格差拡大が続けばやがて国民の我慢も限界にくる。そうなれば、格差が容認される現代社会から一転して、国民の多くが「格差に怒り狂う社会」に変化する時がくるかもしれない。そのXデーはいつなのか、「どういう条件が重なった時」格差に対して国民が強い拒否反応を示すようになるのだろうか。
「小さな政府路線」は放棄されるのか?
仮に国民が格差社会に対して強い拒否反応を示した時、政府の政策はどのように変化するのだろうか。規制緩和や自由競争を中心とする小さな政府路線は大きく修正され、富裕層からより多くの税金や社会保険料を徴収し貧困層に再配分したり、失業が発生しないように規制を強化する「大きな政府路線」に戻るのだろうか。
そう簡単には戻らないと、筆者は予測する。政府の信頼が地に落ちた以上、大きな政府路線に戻るコンセンサスは簡単に作れない。また、大きな政府路線に戻ったところで政策課題の抜本的解決につながらない。さらに、市場主義的政策から格差社会を招来した諸外国を見ても、小さな政府路線を維持しながら格差社会の弊害を緩和するという方向に政策を修正しているにすぎない。
では、小さな政府路線を維持しながら格差社会の弊害を緩和するためには、どのような政策が必要とされるのか。これが本書の後半のテーマである。
本書の構成を簡単に説明しておくと、まず第一章で、格差社会の現状を説明する。ここでは本当に格差が拡大しているのかどうかを確認する。第二章では、小泉政権と格差拡大の関連を考える。小泉政権は本当に格差を拡大させたのだろうか。小泉政権の政策や過去の自民党政権との違いから、小泉政権と格差拡大の関連性を探る。第三章では、「国民が格差拡大を容認できなくなるXデーの条件」を探る。どういう条件が重なった時「格差を埋めろ!」という声が強くなるのだろうか。鍵を握るのは富裕層・貧困層・政府のパフォーマンスである。第四章では、格差縮小を求める声が強くなった場合、政府は大小どちらの政府路線をとることになるのかを予測する。第五章では、小さな政府路線を維持しながら格差を拡大・固定させないためにどのような政策が今後強化されるのかを予測してみる。
最後に、本書が扱う「格差」は「所得格差」もしくは「賃金格差」という「金銭面での格差」である。「医者の子弟は医者」「東大卒の子弟は東大」というように職業・学歴の格差及びその固定化でないことを付言しておく。格差を見る際には「職業威信」「学歴威信」「金銭(所得)」の三つを扱うことが多いが、本書はあくまで金銭面での格差を扱うということである。
(中野雅至著「格差社会の結末」ソフトバンク新書 p8-12)
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労賃のいちじるしい上昇は、生産的資本が急速に増加することを前提にしている。
生産的資本の急速な増加は、富、奢侈、社会的欲望および社会的享楽の、同様に急速な増加をよびおこす。
だから、たとえ労働者の享楽が向上したとしても、それのもたらす社会的満足は、労働者が及びもつかない資本家の享楽の増大とくらべると、また、社会一般の発展状態とくらべると、減少したことになる。
われわれの要求および享楽は、社会に起源をもつものである。
したがって、われわれはそれらを、社会を基準としてはかるのであり、充足の対象物でははからないのである。それらは社会的な性質をもっているから、相対的な性質をもっているのである。
(マルクス著「賃労働と資本」新日本出版社 p58-59)
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◎「日本は先進諸国の中でアメリカに次いで貧困率が高い国」と。