学習通信060830
◎調和のとれた……

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人類の子育ての文化

 さて、母と子が、密室で一対一で育つ場合、どのようなスキンシップがあるのであろうか。

 また私の例をあげると、二十歳をわずかばかりこえた若い母親は、十五分の授乳時間も退屈で、長く長く感じられたのである。当時テレビはなかったが、つい、手もとの新聞や本に目がいってしまうのであった。

 するとそばの母が、「公子! お乳をのませる間はよそごとを考えるんじゃない! じっと子どもの顔をみて話しかけながらおやり」というのであった。母がそばにいなかったら、私はまことにやはり母らしからぬ母であった。きっと他の若い母たちも、私と同様、としよりのこごとをききつつ、次第に母らしく育ったことと思うのだ。今はわが子に授乳する保母たちに私は私の母のことばを思いおこしつつ声をかける。

 「お乳をのませる前に一杯お茶をおのみ! あわててかけてきてすぐは、お乳をやっても出はわるいよ」
 「おちついて、ゆったりした気持でね」
 などといわないと、受けもちの子どもたちのことを気にしてそそくさと走ってきて、あわてて授乳する保母が多い。

 農家の嫁たちは日頃の重労働の一日のうち、この授乳時間のおかげであるいはホッとしたのかもしれぬ。現在の保母たちも、私の園のように自分の園にわが子をつれてきて育てることがゆるされるように、そしてゆったりとおちついた授乳時間が保証される職場であるように、そして先輩たちが「先にお茶をのんでからお乳をのませておあげ」といって、泣く子を抱いてまってあげられるような、そんな職場であるように、と願われるのである。


 ひとりの子どもを、それをとりまく大人たちのそれぞれの力を出しあって、ひとりのこらず健全に発達させてやりたい、という、真の人間たちの願いを、すでに行政をうごかし実現しているという大人集団を、私は先ごろみてきた。それは、大津市における乳児検診にたずさわる人たちである。

 私は、京都大学の田中昌人先生、埼玉大学の清水寛先生の御好意で、大津市の健康センターにおける、乳児の四ヵ月検診の実際をみせてもらったが、その日は受付けのところにも、中の検診室にも、全市の保健婦さんたちが並び、一人ひとり、お母さんにくわしく生育歴をきいていたし、小児神経内科医、心臓欠かん発見のための小児科医および田中昌人夫妻をはじめとする数人の心理判定員の先生たち、この他ボランティアの離乳食の相談員など、実に多くの専門の人たちが懇切丁寧に長い時間をかけて一人ひとりの乳児の検診を行ない、そのあとは、それらのスタッフ全員が集まって、もし問題点があればお互いの意見を出して、再度の検診、そしてポイタ法の訓練、その後の集団保育の保障もしていた。私はその実際もみせてもらった。

 こんなに多くの大人たちの真摯な努力が、ひとりの子どもにそそがれるからこそ、脳性マヒ児をゼロにし、自閉症児の発生率もひくくしてきたのである。これこそ人類の子育ての文化である。それなのにこうした長い間の人間の子育ての努力に逆行する傾向が、とくに最近、スキンシップ論をかざして広まってきていることに私はおどろいている。とくに育児休暇の制度をもった働く婦人たちの間にこの論に耳をかたむける人たちが多くいるのにおどろく。

 私の園のある母親も、子育てのため、教師職を長期にやすんだところ、ノイローゼ気味になってしまい、私が〇歳児室に子どもをあずけての職場復帰をすすめたところが、元気になった。母と子の一対一の子育てはどちらにとってみても、決して今のような核家族の場合、このましいものではないことがわかる。


 さて、私はいままで、子育ての場をいろいろみてきて、病院のような建物に、〇歳児だけを何十人もあずかる専門乳児院には反対してきた。そして、どの保育所にも一室、O歳児の部屋があり、年上の子どもが時折のぞき、担任以外の保育者たちも時折声をかけ合って育てる方が自然である、と主張し、そして実施してきた。

 保育室も、特別のものでなく、隣接した民家を借りたりして、長いことO歳児保育をやってきた。

 さくら・さくらんぼ保育園の二十五年をふり返ってみても、経営的には大変赤字であったため、初期は人手も十分ではなく、また専門の保育者だけがたずさわったわけでもなく、子育てをおえたお母さんたちの応援をうけることが多かった。

 当時の写真をみると保母がO歳児をだっこにおんぶ、というのもある。今では考えられないことだが。

 一時期手不足で、私が年長児と、やっと歩行ができるようになったばかりの一歳児八名を一緒に担任したときもあった。

 当時の年長児は赤ちゃんをおんぶするおぶいひもを一本ずつもっていた。折しも私はひどい腰痛であり、一歳見の衣類のきせかえにも不自由であったため、年長児がひとりずつ一歳の弟・妹をきめていて、排泄の世話、食事のときの介助まで手伝ってくれていた。その頃の父母は当時をとてもなつかしがってくれる。

 私は「自由保育」「一斉保育」とか、「設定保育」「つたえ合い保育」などのことばは今までつかってこなかったし、今流行の「たてわり保育」ということばもつかわない。そんな特別の保育方法ではなく、今までの人間社会の子育て法に学び、ごくごく自然の、あたりまえの方法で育てているだけで、保育者どうしでしか通じない専門用語はつかわなかった。もしつかったとすると、やはりどこか機械的になるのではないか、とおそれるのである。
(斉藤公子著「子育て」労働旬報社 p98-102)

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 この教育は、自然か人聞か事物によってあたえられる。わたしたちの能力と器官の内部的発展は自然の教育である。この発展をいかに利用すべきかを教えるのは人間の教育である。わたしたちを刺激する事物についてわたしたち自身の経験が獲得するのは事物の教育である。

 だからわたしたちはみな、三種類の先生によって教育される。これらの先生のそれぞれの教えがたがいに矛盾しているばあいには、弟子は悪い教育をうける。そして、けっして調和のとれた人になれない。それらの教えが一致して同じ目的にむかっているばあいにだけ、弟子はその目的どおりに教育され、一貫した人生を送ることができる。こういう人だけがよい教育をうけたことになる。

 ところで、この三とおりの教育のなかで、自然の教育はわたしたちの力ではどうすることもできない。事物の教育はある点においてだけわたしたちの自由になる。人間の教育だけがほんとうにわたしたちの手ににぎられているのだが、それも、ある仮定のうえに立ってのことだ。子どものまわりにいるすべての人のことばや行動を完全に指導することをだれに期待できよう。

 だから、教師はひとつの技術であるとしてもその成功はほとんど望みないと言っていい。そのために必要な協力はだれの自由にもならないからだ。慎重に考えてやってみてようやくできることは、いくらかでも目標に近づくことだ。目標に到達するには幸運に恵まれなければならない。

 この目標とはなにか。それは自然の目標そのものだ。これはすでに証明ずみのことだ。完全な教育には三つの教育の一致が必要なのだから、わたしたちの力でどうすることもできないものにほかの二つを一致させなければならない。しかしおそらく、この自然ということばの意味はあまりにも漠然としている。ここでそれをはっきりさせる必要がある。
(ルソー著「エミール 上」岩波文庫 p24-25)

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◎「特別の保育方法ではなく、今までの人間社会の子育て法に学び、ごくごく自然の、あたりまえの方法で」と。