学習通信060908
◎教師は子どもと国民に……

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狭い保育園の現実ではとてもさくら・さくらんぼのまねは……

【問】
 さくらんぼにきて、まずその規模の大きさにおどろきました。そして非常に自然が豊かで、こんなところだがら、子どもたちも育つんだなあ、と思いました。でも、私たちの園は街中(まちなか)で、庭も狭く、このように遊べないんです。だからとてもこのまねはできない、と思うんですが──

【答】
 ほんとうは子どもはとてもとても贅沢なもので、今、さくらんぼ、第二さくらとつづいたこの敷地は約五干坪以上ありますが、これでも子どもたちには狭いくらいで、ここには垣根はなく、そのまわりの広大な自然がやはり遊び場になっています。

 先生たちも別に園長にことわる必要なく、自由にこの周辺に子どもたちとつれだって遊んですごします。それではじめて、子どもの健康なからだと心が育つんです。

 保育所の設置基準の敷地二百坪というのは最低であって最高ではありません。

 しかし現在はこの最低基準さえ守れず、狭い敷地内に子どもを集め、自由に外には出られず、先生たちも園外につれ出そうとすると命がけですからそう自由に出られないのは当然でしょう。

 しかしそれでは子どもは育たないのです。

 私たちの園も、最初からこんなに広かったわけではありませんよ。
 最初は敷地は七十坪、建坪十八坪の小さい小さい保育園でした。
 でもこの中に子どもをとじこめては育たない、と思いましたからつとめて外に外にと空地をみつけてつれ出していたのです。

 そうした中で、町から歩いて約一時間、車では十分程度ですが、今のさくらんぼの敷地をみつけ私が買いました。当時は電燈もなく、もちろん電話もまだ部落にはつがず、交通機関も日に四回路線バスが県道をとおっているにすぎませんでした。でもバスにのせれば遊びにつれてこれると思って、ここを買いました。月賦でです。

 その時は人に笑われましたよ。ところが卒園生の思い出にはこの田舎ゆきが一番印象深いことがわかりました。

 広い土地は、木かげをつくらなければなりませんので、すぐ果物の木、かき、桃、くり、あんず、梅、ぶどうなどを植えました。子どもたちは路線バスに十四〜五分のって、小川のふちをあるいてここにたどりつき、井戸のおいしい水をのみ、ぶどう棚の下や桃や柿、栗の木かげでやすみ、蜜挑をとって食べ、くりの実をひろいなどしたことが、忘れられない思い出のようです。

 それは、こうした自然が、子どもにとっては、どんなことをしても確保しなければならないほど大切なものだと、思ったからです。そのために私の生活のすべてをかけたからできたと思うのです。

 私はその時、月給が七千円でした。その中から五千円を土地代にさきました。これが約三年間、つづけてこの土地を耕し、植木の世話をしてくれる人に月給の半分をつかっていました。ですから私の個人の生活はまことに質素で、えびがにをとって蛋白源にしたり、お茶も垣根のお茶の葉を手もみにしてつくり、らっきょう、ラフ、アスパラカス、うど、みょうが、ふきなどを畑でとり、柿の葉までテンプラにして食べ、もちろん山羊の乳、にわとりの卵も自給で、めんようの毛も毛糸にするなどして、お金は土地代にしてきたのです。

 これは現在もかわりません。今も私の収入の大半は土地代と、その手入れをして下さる方への謝礼についやしています。誰かそういう捨身の人がいなければ、現在のように福祉のための行政の予算が少ないときはせっかく広げた土地も維持できないでしょう。今の若い人たちは園の中に住むのをきらいますが、私は三十五年の保育者生活のうち、園をはなれたのは火災で全焼したあとだけでした。

 いま皆さんは、こうした木かげをたのしまれていますが、虫がいないでしょう。虫もつかず、芝生も草にまけず、こうして美しい花壇もたのしめるには、保育所の予算にはないお金と労力が要ることを知らなければならないでしょう。毎朝早くおきて庭をまわり、害虫が発生していないかをすぐにみつけるのです。だから、虫がつきやすい、といわれる桜でも、白樺でも、青々と繁っていられるのです。

 誰かがしてくれる、と思っていたら、子どもが育つ環境などは今はありません。まったく必死で体あたりしてきたのです。今では多くの父母たちが私を応援してくれるようにだんだんなってきていますので私にかわってくれる日も近いことでしょう。

 もと桑畑でしかなかったこのさくらんぼの土地に私が植えてきた木をあげてみましょうか。

《林ふうに植えたもの》
 柳、けやき、梅、挑、さくらんぼ、柿、りんご、さるすべり、花みずき、白樺、竹、など。

《並木ふうに植えたもの》
 あかしや、かえで、いちょう、白樺、桜、けやき。

《垣根に植えたもの》
 つばき、バラ、さざんか、つつじ、さつき、ひば、どうだんつつじ、あじさい、さんしゅう、雪柳、れんぎょう、小梅。

この他に大木として庭の中心に植えているものは
 白蓮、白樺、山つばき、桜、八重桜、ねむの木、ポプラ、などで、また藤棚は各園にあって 木かげをつくっています。

 借景としては松林、栗林、白樺林があり、春は花が目をたのしませ、夏は緑が涼しい木かげをつくり、秋は紅葉や果実が子どもを喜ばせ、冬はまた雪景色が絶景です。

 それだけでなく木のぼりは子どものからだを育ててくれる大切なあそびで、今こうしたダイナミックにからだをつかうあそびがほとんどできないところが多いのではないでしょうか。

 私もあちこちの保育園をみせてもらう機会があるのですが、木を植えているところが少ないのですね。

 それに、敷地をえらぶときにすでに間違っています。
 親の都合で、勤務に便利なところ、買物に便利なところを保育所の敷地としての第一条件にしているところが多いのです。こうしたところは住宅が密集し、車の往来がはげしいわけですから子育てをするにはもっとも悪いところなのです。

 私の園でも全部の父母たちがこうした農村部に大きくするのを賛成したわけではありません。やはり、そうとうの論争を必要としました。

 一日いなくてはならない子どもたちのことをまず第一にして、お父さんお母さんの、おくりむかえに多少時間がかがったり、お金がかかったりすることはやむをえない、と考えてもらわなければならないのです。

 子どもが一日、危険の心配なく、のんびりとあそんで暮せるには、小山あり、小川あり、林あり、たんぼあり、畑あり、という変化にとんだところでなければなりません。

 昔、明治五年に学制が発布されてどの村にも町にも小学校ができましたが、いま考えてみると当時の人たちは、子どもたちの未来にかけて、ほんとうにその村の一等地を広く敷地につかったことがわかります。

 小高い、見晴らしのよい場所で、風通しもよく、そしてまわりには桜などを植えて実にすばらしい学舎をつくっていました。今こんなに大勢の幼児が集団ですごすようになったのですから、やはり大人たちは一番よい土地を子どもたちに、と考えるようにならなければ、二十一世紀を背負う子どもたちに期待はできなくなってしまいます。

 私は次々と姉妹園を建設するとき、まず敷地えらびをもっとも重視してきました。

 もちろんお金はありませんから、行政の力をかりたり、篤志な方の土地をおかりしているのですが、大勢の人の熱意で、行政が相当理解をもって土地をかしてくれるところが出てきています。

 東海村のチューリップ保育園はまわりが山林のところを一千坪、村からかしてもらって建てました。

 近くでは秩父のくわのみ保育園が、私も一緒に市長に陳情しまして、八百五十坪くらいの雑木林をかしてもらえました。すぐ下には川あそびにちょうどよい川があってとても助かっています。

 これらは、子どもをとりまく大人たちの熱意が人を動かしたわけです。なにもかも順調にこの自然が確保できたわけではないのです。

 私のところは行政が力をかしてくれたわけではありませんから、土地をひろげるには銀行を動かさなくてはできません。

 一つ一つ苦労話があり、一難去ってまた一難で、ちょうど西遊記≠フようなもので、そのたえまない努力、熱意で今日が生み出されたわけですから皆さんもぜひあきらめず努力をしてほしいのです。

 棒ほど願って針ほどかなう≠ニ申しますからどうか大きい目標をかかげて力を出しあってみて下さい。
(斉藤公子著「子育て」労働旬報社 p110-116)

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 ただ注意しておきたいのは、一般の意見に反して、子どもの教師は若くなければならない、賢明な人であれば、できるだけ若いほうがいい、ということだ。できれば教師自身が子どもであれば、生徒の友だちになって一緒に遊びながら信頼をうることができれば、と思う。子どもと成熟した人間とのあいだにはあまり共通なものがないし、そんなに年齢の差があっては十分に固い結びつきはけっしてできあがらない。子どもはときに老人にこびることもあるが、けっして老人を愛することはなら。
(ルソー著「エミール 上」岩波文庫50-51)

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 競争と管理の教育がおしつけられ、教育現場に大きな困難がおしつけられるもとで、その現状打開のために苦闘しながら、子どもたちの成長のために必死になってがんばりぬく姿が、報告されました。発達障害の子どもが、不安定な状態になったとき、「オレはどうせ不良品だ」という子どもを、抱きしめながら、「違うよ、君はすごくいい子だよ」といって心をよせ、守り抜く姿をつたえた発言は、胸をうちました。

 報告では、教育基本法改悪の重大な問題点を告発しましたが、教育基本法第一〇条は、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」とあります。「直接に責任を負って」というのは、たとえそのときどきの政治がどんなに悪かろうと、教育という仕事は人間対人間の仕事であって、教師は子どもと国民に「直接に責任を負って」いるということです。どんなに困難な条件であっても、「不当な支配に服することなく」、子どもを守ってがんばるのが教育基本法第一〇条の精神だと思います。それをまさに体現した日本共産党員ならではの不屈の奮闘だと、私は感動を持って聞きました。
(「職場問題学習・交流講座 ─志位委員長のまとめ─」前衛06年8月臨時増刊号 p37)

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◎「それは、こうした自然が、子どもにとっては、どんなことをしても確保しなければならないほど大切なものだ……そのために私の生活のすべてをかけたからできた」と。