学習通信060913
◎部屋の空気の浄化効果……

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設計が変わっているが……


 ここの園はどれもみな大変変わった設計ですが。


 そうですね。素人の私がしましたからでしょうか。姉妹園のほとんども私は設計しました。
私の設計は無料ですから(笑い)。

 設計は敷地に随分左右されてしまいますが、どれも基本的なことは同じです。
 まず、朝日と南からの日がはいること。できれば一日中太陽の光がはいること。
 自然の風がふきぬけること。
 そのため、ほとんど冷暖房はいりません。
 天井が高く、たとえ風の日、全部戸をしめても酸素不足にはなかなかなりません。

 それがら借景もいれて部屋からの見晴らしがよいこと。子どもたちの目をふさがないように部屋の壁面を少なくし、南面、東面は窓ではなくて床から全部あけて日光がはいるようにし、また、子どもたちが自由に外に出られるようにしています。日本の廊下をとり入れ、できる限り幅二間の板張廊下をつけて、ほとんどその廊下で子どもたちはすごしています。

 床はすべて檜または畳で、建具はアルミサッシは使わず、木製にしています。

 誰かが、さくらんぼは桂離宮に似ている、といわれましたが(笑い)、高殿ではありませんが、よく似ています。私は知っていて設計したわけではありませんが、風をふせぎ、日が当たるように、そして西側の秩父連山が各部屋からみえるようにと思って設計したらそっくりになったのです。

 第二さくらは屋根を北欧風に、さくらんぼのO歳児室はスペイン風の屋根です。O歳のこの棟だけはさくら・さくらんぼの椅子を設計製作をしている松本文郎氏の設計です。同じような条件と同時に、O歳児の発達のために部屋に段差をもうけることと、庭には斜面をつけています。このために脳性マヒの危険性のある子どもも育ってくれています。
(斉藤公子著「子育て」労働旬報社 p116-117)

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 とくに人生の最初の時期において、空気は子どもの体質に影響をおよぼす。体じゆうの気孔から空気は繊細で柔らかな皮膚にしみこみ、生まれたばかりの体に強い影響をあたえ、将来も消えることのない刻印を残す。
(ルソー著「エミール 上」岩波文庫 p65)

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 病人が新鮮な空気の次に必要とするのは光であること,そして病人をもっとも害するのは閉めきった部屋の次に暗い部屋であること,これは病人についての私のすべての経験の絶対的な成果である。

そして彼らが求めるのはただの光ではなく直射日光であることもそうである。私にもし体力があれば,日光の射さなくなった部屋に患者をそのまま置いておかないで,状況が許すならば,太陽を追いかけて陽の射す部屋に患者を動かしてまわりたかったほどである。人々はその効果は気分だけに及ぶと考える。それは決してそうではない。

太陽は画家であるだけではなく彫刻家でもある。太陽が写真を写すことをあなたは認めている。科学的な説明をつけなくとも,私たちは光が人間の身体にも同じように現実で明白な効果を及ぼすことを認めなければならない。しかしそれだけではない。光が,それも特に直射日光がもつ部屋の空気の浄化効果に気づいていない人がいるだろうか。

ここに誰もが経験できる一つの観察がある。よろい戸をいつも閉めきっている部屋(病室や寝室ではよろい戸は決して閉めてはいけない)に入ってみなさい。その部屋が使われていない部屋であっても,そしてその空気は人間の呼吸では全く汚染されていなくても,あなたは汚れた空気,すなわち太陽光線の作用によって浄化されることのなかった空気の,むっとしたかびくさい臭いに気づくだろう。

暗い部屋や暗い隅々がかびくさいことはよく知られている。病気の手当てをするにあたっては,部屋の気持よさと光の有用性がこの上なく重要である。

 病院建築のある一大権威が,人々は建物を設計するときに病棟と寄宿舎の違いを十分に考えない,と言っている。しかし私はもう少し突っ込んでこう言おう。健康な人たちは,病人のための用意をするにあたって,寝室と病室の違いを決して考えない,と。

健康な人が眠るときには,ベッドからの眺めがどうかはたいして問題にはならない。彼は眠っている間,それも夜の間しかベッドのなかにはいないはずだ。部屋の向きもまたたいして重要ではない(ただし,空気を浄化するために毎日しばらくの間は寝室に日光が射し込むものとして)。なぜならば,彼は日光のない時間帯にしか寝室にいないからである。

しかし病人の場合,彼らがベッドから起き出している時間があなたがベッドに入っている時間と同じくらい長いということはまずないが,事情は全く逆である。したがって,彼らがベッドのなかで身を起こしたり身体の向きを変えたりしなくてもベッドから窓の外を見ることができること,そしてもしあなたが彼に他に何も見せることができなくても彼らがせめて空と日光を見ることができること,それは回復のために何よりも重要なことだとは言わないまでもそれに非常に近いものであると私は断言する。

だから,あなたはまず第一に病人のベッドの位置に気をつけるべきである。病人が一つの窓からだけではなく二つの窓から外を見ることができればなおよい。朝の太陽と真昼の太陽一彼らがまず起き上がっていることのない時間帯──は,もし選ぶとすれば,午後の太陽より彼らにとってずっと重要である。たぶんあなたは午後には患者たちをベッドから連れ出して窓の傍に座らせることができ,彼らはそこで太陽を見ることができる。しかし最善のやり方は,太陽が昇った瞬間から沈む瞬問まで患者たちに直接の日光を可能であれば与えることである。

 寝室と病室のもう一つの大きな違いは,眠るだけの人の場合,彼の寝室が一日中然るべく開け放たれていたならば,彼が夜間眠りにつくときははじめから室内に大量の新鮮な空気が残っているのに対して,病人の場合はそれがない。なぜならば,彼は一日中同じ部屋の空気を呼吸し自分自身からの発散物でその空気を汚しているからだ。したがって病室では常に換気を続けるようにいっそうの注意が必要である。

 付け加えるまでもないことだが,急性の症状(特にいくつかの眼科疾患と,眼が病的に過敏である病気)のために和らげられた光が必要な場合がある。しかしたとえそういう場合でも,暗い北側の部屋は許せない。あなたはいつでもブラインドやカーテンで調光できる。

 しかしながらこの国では,どのような病人の場合でも,窓やベッドに重い厚地の暗い色のカーテンはまず使うべきではない。ベッドの頭のところに軽い白いカーテンがあればだいたいにおいて十分であるし,窓には緑のブラインドを取り付けて必要なときには下ろせるようにしておけばよい。

 人間に関すること(生理学的なことではない)についてのもっとも偉大な観察者の一人が,英語ではないが,「陽光あるところ思索あり」と言っている。生理学はすべてこのことを確証している。深い谷間で山の陰になる側にはクレチン病がある。地下の部屋や狭い通りの日に照らされない側には,人類の衰退と虚弱があり,身体と心が同じように衰退していく。生気を失い萎れかかった植物や人問を日光のなかに置いてみなさい。すると,もし手遅れでなければ,それぞれが健康と精気を取り戻すだろう。

 植物が常に光に向かっていくのと同じに,ほとんどすべての患者が彼らの顔を光に向けて臥しているのを見るのは興味深いことである。そっち側を向いて寝る≠ニ痛いと訴えながらもそうしている患者がいる。「では,どうしてわざわざそっち側を向くのですか?」と尋ねても彼にはわからない。

しかし私たちはわかっている。それが窓のあるほうだからである。上流階級がよくかかるある医者が,自分は患者の顔を光の射さない方向にいつも回しておくということを政府の報告書に最近発表していた。それは結構,がしかし,自然は上流階級がよくかかるある医者よりも力が強い。そしてきっと自然は病人たちの顔を元の向きに,そして自然が届けることのできる光の方に戻していく。

病院の病棟をずっと歩いてみなさい,そしてあなたが今まで世話してきた家庭にいる患者の枕元を思い出しなさい。そして顔を壁に向けて寝ていた患者を何人見たか数えてごらんなさい。
(フローレンス・ナイチンゲール著「看護の覚え書き」日本看護協会出版会 p108-111)

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◎「体じゆうの気孔から空気は繊細で柔らかな皮膚にしみこみ、生まれたばかりの体に強い影響をあたえ、将来も消えることのない刻印」と。