学習通信061002
◎明日も今日と同じような……
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では、労働力の価値とはなにか?
他のすべての商品の価値と同じように、労働力の価値は、それを生産するのに必要な労働の量によって決定される。
人間の労働力は、ただ彼の生きた個体のうちにのみ存在する。人間が成長し、彼の生命を維持するためには、一定量の生活必需品を消費しなければならない。
しかし、人間も機械と同じように消耗するのであり、他の人間にとってかわられなければならない。
彼には、自分自身を維持するために必要な生活必需品の量のほかに、労働市場で彼にとってかわり、労働者種族を永続させるべき一定数の子供を育てあげるための生活必需品のある分量がさらに必要である。
そればかりではなく、彼の労働力を発達させ、一定の技能を習得するために、さらにある分量の価値が費やされなければならない。
われわれの目的のためには、平均労働だけを考察すれば十分であり、この平均労働の教育と発達に必要な費用はごくわずかなものである。
とはいえ、この機会をとらえてのべておかなければならないのは、労働力の質がちがえばその生産費もちがうのと同じように、さまざまな事業で使用される労働力の価値にもちがいが出てこざるをえない、ということである。したがって、賃金の平等を要求するさけびは、まちがった考えにもとづいているものであり、けっしてかなえられることのない気ちがいじみたのぞみなのである。
それは、前提を認めながら結論をさけようとするあの欺瞞的で浅薄な急進主義の所産である。
賃金制度の基礎のうえでは、労働力の価値は、他のすべての商品の価値と同じようにしてきめられるのであり、種類のちがう労働力は、その価値もちがうから、すなわち、それらを生産するのに必要な労働の量もちがうから、それらの労働力は労働市場で別々の価格をつけられるほかはない。
賃金制度の基礎のうえで平等な報酬や、もしくは公正な報酬さえも要求することは、奴隷制の基礎のうえで自由を要求するのと同じである。諸君がなにを正当と考え、なにを公平と考えるかは、問題外である。
問題なのは、一定の生産制度のもとではなにが必然であり不可避であるか? ということである。
以上のべたところから明らかなように、労働力の価値は、労働力を生産し、発達させ、維持し、永続させるのに必要な生活必需品の価値によって決定される。
(マルクス著「賃金、価格および利潤」新日本出版社 p143-145)
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労働力の価値はなによってきまるか?
それでは労働力の価値はなにによってきまるか それは、綿花や機械や洋服や時計のような他の諸商品の価値と同じように、労働力という商品を生産するために社会的に必要な労働の分量によってきまる。
労働力を生産するとはどういうことか? 労働力は、労働者の生きた身体のうちに存在し・労働者から引きはなすことができないから、労働力を生産するとは、生きた労働者を明日も今日と同じように、肉体的・精神的に健康の状態で労働することができるように維持することである。
そして労働者を明日も今日と同じような健康状態で労働することができるように維持するためには、一定量の生活手段(衣食住)が必要である。だから、労働力の価値は、けっきょく、労働者の生活手段を生産するために社会的に必要な労働の分量、つまり生活手段の価値によってきまる。
労働力の価値については、とくにつぎの二つの点に注意しなければならぬ。
平均的労働者の生活費
@労働者の生活手段の価値は、平均的な労働者(ふつうの労働者)がふつう必要とする生活手段の価値である。あるひとが特別にぜいたくをし、生活手段を平均以上に消費したとしても、それによってその人の労働力の価値が大きくなるわけではない。
家族の生活費をふくむ
A労働者の生活手段の価値は、労働者個人の生活手段の価値だけではない。資本家階級がつづいて労働者階級を搾取することができるためには消耗と死亡とによって市場からうばいさられる労働力が、すくなくとも、同じ数の新しい労働力によって、補充されねばならない。だから成人男子労働者の労働力の価値のなかには、補充員すなわち労働者の家族をやしなうために必要な生活手段の価値もふくんでいる。しかし労働者の家族数は、個人によって異なっている。
それでは一〇人家族の労働力の価値は大きく、独身者の労働力の価値は小さいか? そうではない。一〇人家族の労働者も独身者も、その労働力の価値は同じ大きさである。なぜか? 労働力の価値にふくまれる家族の生活手段の価値は、社会的・平均的な家族(妻と子供三人)の生活手段の価値であって、個々の労働者家族の生活手段の価値ではない。
このことは不思議に思われるかも知れないが、靴や時計のようなふつうの商品についても、事情は同じである。いままったく同じ品質の商品を、会社Aは三〇〇〇円で生産し、会社Bは二五〇〇円で生産し、会社Cは二〇〇〇円で生産するものとしよう。三〇〇〇円、二五〇〇円、二〇〇〇円は、それぞれ会社A、B、Cの個別的価値(正確にいえば価格だけれども、ここでは価値をそのままあらわすものとする)である。
しかし靴は、これらの個別的価値で売られるわけでなく、同じ社会的平均的価値の二五〇〇円で売られる。労働力の価値においても、事情は同じである。一〇人家族の労働者の労働力の個別的価値は大きく、独身者の労働力の個別的価値は小さい。しかし労働力という商品は、個別的価値で売られるわけではなく、みな同じ社会的価値(個別的諸価値の平均)──夫婦と子供三人の生活手段の価値──で売られる。
(宮川実著「新経済学入門」社会科学書房 p85-86)
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賃労働者の個別的生活過程
労働力は人間存在の一属性としてのみ存するものであるから、労働力商品の再生産過程は賃労働者の生活過程である。
実現した労働力商品の価格が労働力商品の価値によって規制されているかぎり、労働力商品の価格を実現した貨幣をもって必要生活手段商品を購入し、それを消費しつつ行なわれる賃労働者の生活過程は、労働力商品の再生産過程でしかありえない。労働力は再生産されているが、彼の手中にはあいかわらず生産手段が欠如しており、彼の労働力は再び商品とならざるを得ない。
もちろん、このことは平均的にのみいいうることであって、一方には、労働力商品を実現した貨幣を貯蓄して、やがて生産手段を手にして賃労働者たることをやめるものがあるとすれば、他方には労働力の再生産も不可能な状態におち入り、ついに賃労働者たりえなくなるものもあり、あるいは同時にその双方であるものもあるであろう。だがこれらの方向は大量を占めえない。
すでにみたように、資本制的生産における賃労働の特徴は、労働力商品が労働者自身の私的所有の対象となっている点にあった。労働力の再生産は結局のところ労働力商品の再生産でしかありえぬとはいえ、しかし、それは日々労働者自身の私的所有の領域内にあるものとして再生産されるのである。
労働力商品の現実的引渡し過程を終えた賃労働者は、資本の直接的支配からはなれ、彼自身が自らの主人たりうるものとなり、生活時間の残余を生きる。賃労働者の生活時間から労働日を差引いた残余は、賃労働者の狭義の生活過程であり、賃労働者が、自らのものとして労働力商品を再生産する過程である。これは個々の賃労働者にとっての私的な過程であり個々の資本家から自由な生活である。
労働者の生活過程は、労働力の保全・発展を結果する日々の労働力再生産を中心としつつ、人間性の全面的開花にむかって進行する人類史の一断面であるが、しかし、賃労働者の生活過程は、生活時間のうち労働日部分を資本の生活過程として喰いとられた残余にすぎず、その残余さえもが、再生産された労働力が商品として実現しうるものであるように、資本家にとって使用価値ある労働力を再生産する過程たらざるを得ないのである。賃労働者は、労働力商品を再生産するために生活する。
さらに賃労働者の生活過程が彼の生活時間の全てを包含しえないものであるため、「実際には(賃)労働者自身による生活資料の消費が労働過程のなかにいれられる(ふくまれる)こともありうる。こうして労働者は、労働過程で機能するためにその助成材としての一定量の生活資料の消費と追加とを必要とする資本に買われた道具にすぎないものとしてあらわれる。これは労働者の搾取の程度と残忍さとにしたがって、多かれ少なかれ生じることである」(マルクス)。
労働力は個々の人間存在によって担われているものであるが、その再生産すなわち労働者の生活過程は、無数の糸によって労働者種族の再生産過程と結合している。とくに労働力の世代的再生産において、その結合は強い。
しかし、私有財産制度の発展過程は、種族的な再生産構造の内部に労働力再生産のますます小さな単位が成立してくる過程でもあった。資本制的生産はこの傾向をおしすすめる。とはいえ、この単位は個々に切りはなされた個別的人間存在にまで小さくなることはありえない。労働力の世代的再生産のためには男女の結合が必要であるし、成熟した労働力はともかく、未熟な労働力たる乳幼児、児童や老衰した労働力は、短期的にしろ独立した生活を営むことはできない。
労働者が労働力商品を販売することなくして必要生活手段商品を取得できない社会を前提にするならば、このことは一層あきらかである。かくて、資本制的生産における賃労働者の生活過程は、前時代よりうけついだ小家族を中心にする所帯を基本的な単位として展開される。労働力商品の再生産は所帯ごとにおこなわれる。労働力商品の価値は、この基本的な単位たる所帯の生活に必要な商品の価値によって規定される。
(荒又重雄著「賃労働の理論」亜紀書房 p91-93)
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◎「労働力の価値は、労働力を生産し、発達させ、維持し、永続させるのに必要な生活必需品の価値によって決定される」と。