学習通信061003
◎分配のひずみ……

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 労働者たちが、彼らの労働力のかわりにうけとるものは、まず第一に一定額の貨幣である。労賃を規定しているのは、この貨幣価格だけであろうか?

 一六世紀には、アメリカでいっそう豊富でいっそう採掘しやすい鉱山が発見された結果、ヨーロッパで流通する金、銀の量が増大した。したがって、他の諸商品と比較して、金、銀の価値は下落した。労働者たちはその労働力とひきかえに、あいかわらず以前と同額の銀鋳貨をうけとっていた。彼らの労働の貨幣価格は不変であったが、それにもかかわらず彼らの労賃は下落した。

なぜなら、彼らは以前と同額の銀貨と交換して、以前よりも少ない商品しか取りもどさなかったからである。そしてこのことが、一六世紀において資本の増大、ブルジョアジーの台頭をうながした事情の一つであった。

 もう一つ別の例をあげよう。一八四七年の冬には、凶作の結果、穀物、バター、チーズなど、必要不可欠な生活手段の価格がいちじるしく上昇した。労働者たちはあいかわらず以前と同額の貨幣を、その労働力とひきかえにうけとっていたものと仮定しよう。

このばあい、彼らの労賃は下落しなかったであろうか? もちろん下落した。交換では彼らは、以前と同額の貨幣で、以前よりも少ないパン、肉などをうけとったのである。彼らの労賃が下落したのは、銀の価値が減少していたからではなく、生活手段の価値が増大していたからであった。

 最後に、労働の貨幣価格は不変であるのに、新しい機械を採用したり、豊作であったりしたために、あらゆる農産物、工業製品の価格が下落したと仮定しよう。

今度は、労働者たちは以前と同額の貨幣で、あらゆる種類の商品を前よりも多く買うことができる。こうして、彼らの労賃は上昇したが、それはまさに、彼らの労賃の貨幣価値が変化しなかったためである。

 だから、労働の貨幣価格、名目的労賃は、実質的労賃、すなわち、労賃と交換に現実にあたえられる諸商品の総和とは一致しない。だからわれわれは、労賃の上昇または下落というばあいには、労働の貨幣価格、名目的労賃だけを問題にしてはいけないのである。

 けれども、名目的労賃、すなわち、労働者が資本家にたいし自分自身を売りつける貨幣額によっても、実質的労賃、すなわち、労働者がこの貨幣で買うことのできる商品の総和によっても、労賃にふくまれている諸関連がつくされるわけではない。

 労賃は、その他にも、とりわけ、資本家の利得、つまり利潤にたいする労賃の関係によって規定されている。──すなわち、比較的な、相対的な労賃である。

 実質的労賃は、他の諸商品の価格と比較した労働の価格を表現する。
 これに反して、相対的労賃は、直接的な労働が新しく生みだす価値のうち、たくわえられた労働、すなわち資本に帰属する分け前と比較しての、直接的労働の分け前を表現している。

 すでに一四ページでのべたように、
「労賃は、労働者が生産した商品にたいする労働者の分け前ではない。労賃は、すでに存在している商品の一部分であり、資本家はそれをもって一定量の生産的労働力を買いとるのである」。

ところが資本家は、この労賃を、労働者が生産した生産物の販売価格のなかからふたたび補填しなければならない。原則として補填は、資本家が投下した生産費をこえる剰余、すなわち利潤がなお彼の手もとに残るようになされなければならない。

労働者によって生産された商品の販売価格は、資本家にとって三つの部分に分かれる。

第一に、彼が前貸しした原料価格の補填、ならびに、やはり彼が前貸しした道具、機械、その他の労働手段の摩損分の補填に。

第二に彼によって前貸しされた労賃の補填に。

第三に、それらをこえる剰余、すなわち資本家の利潤に、である。

第一の部分は以前に存在していた価値を補填するにすぎないのであるが、労賃の補填も資本家の剰余としての利潤も、一般的に言って、労働者の労働によってつくりだされ、原材料に付加された新価値から得られる、ということは明白である。

そして、この意味で、われわれは、両者を相互に比較するために、労賃ならびに利潤を、労働者がつくった生産物にたいする分け前としてみなすことができるのである。

 実質的労賃は同一不変であったとしても、たとえ上昇したとしても、それにもかかわらず相対的労賃は下落することがありうる。

たとえば、あらゆる生活手段の価格は三分の二だけ下落するが、日賃金はわずかに三分の一だけ、たとえば三マルクからニマルクに下落すると仮定しよう。この場合、労働者はこのニマルクで、以前三マルクをもってしたよりも多量の商品を自由にするのであるが、にもかかわらず、労働者の労賃は資本家の利得に比較して下落したのである。

資本家(たとえば工場主)の利潤は一マルクだけ増加した、すなわち労働者は、資本家が以前よりも少なく支払う交換価値のために、以前よりも多額の交換価値を生産しなければならない。

資本の分け前は、労働の分け前に比較して増大した。資本と労働とのあいだの社会的富の分配は、なおいっそう不平等になった。資本家は同じ資本でいっそう多量の労働の指揮をする。

労働者階級にたいする資本家階級の支配力は増大し、労働者の社会的地位は悪化し、さらに一段と資本家の地位の下へおし下げられたのである。

 それでは、労賃と利潤との相互関連における下落と上昇とを規定している一般的法則とはいかなるものか?

 労賃と利潤とは逆の関係にある。資本の分け前である利潤は、労働の分け前である日賃金が下落するのと同じ比率で上昇する。逆のばあいは逆である。利潤は労賃が下落する割合で上昇し、労賃が上昇する割合で下落する。
(マルクス著「賃労働と資本」新日本出版社 p59-63)

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大磯 小磯
 労働分配率と日本の美しい心

 企業景気がなかなか消費に点火しない。一部の高額消費とインターネット関係は好調だが、衣食住関係は一向に回復せず、消費マインドは萎縮したままだ。賃上げ再開と夏の賞与増加で消費回復が期待されたが、配偶者の収入滅で世帯収入はほとんど増えていない。企業のダムにたまったお金はいぜん庶民の家計に流れてこない。企業の分配政策が変わったためだ。

 財務省の法人企業統計調査によると資本金十億円以上の大企業は空前の高収益を背景に株主優遇政策を進め、昨年度の支払配当金は十年前の三倍になった。一方、付加価値額が史上最高を更新する中で人件費削減が続き、労働分配率はピークから一〇ポイント低下し五五%に落ち込んだ。過去三十年間平均の六〇%を五ポイントも下回る歴史的低水準だ。

 しかも人件費の配分が変わり、役員と従業員の給与格差が拡大した。役員給与は三年前から増加に転じピークを一ニ%上回ったが、従業員給与は水面下の回復だ。加えて福利厚生費の大幅削減で従業員の人件費総額はピークを一○%下回り、いぜん減少に歯止めが掛からない。

 さらに役員賞与を加えると役員と従業員の報酬格差は十年前の二倍から三・九倍に広がった。ストックオプション(株式購入権)も考慮すれば格差はもっと大きそうだ。これでは富裕層の消費は好調でも消費全体が盛り上がらないのは当然だ。分配のひずみを正さない限り消費の本格回復は期待できず、景気も早晩息切れしかねない。

 一株当たり利益の拡大を追求し配当と役員賞与を増やす米国型経営も結構だが、従業員を犠牲にした繁栄は長続きしない。従業員は付加価値拡大に見合った正当な分配を受ける権利がある。

 仮に労働分配率を過去三十年間の平均水準に戻し、その分を従業員給与に上乗せすれば消費が大いに盛り上がるはずだ。企業は年四・五兆円人件費が増えるが、減損損失など特別損失十兆円が半減するのは時間の問題であり、税引き前利益に影響を与えずに済む計算だ。

 配当性向が高まり、役員報酬を引き上げた今、次は従業員に報いる番だ。企業景気が個人消費に点火すれば景気は勢いを増し、株価も調整局面を抜け出すはずだ。安倍新政権誕生を契機に経営者は民の竃(かまど)に思いをはせる日本の美しい心を取り戻してほしいものである。(富民)
(日経新聞 2006.09.29)

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◎「資本の分け前は、労働の分け前に比較して増大……資本と労働とのあいだの社会的富の分配は、なおいっそう不平等に……資本家は同じ資本でいっそう多量の労働の指揮をする」と。