学習通信061006
◎なにが起こったんだ……

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 次にこれに劣らず注意に値する一つの徴候として、通常、笑いに伴う無感動というものを指摘したい。

滑稽は、極めて平静な、極めて取り乱さない精神の表面に落ちてくるという条件においてでなければ、その揺り動かす効果を生み出しえないもののようである。われ関せずがその本来の環境である。

笑いには情緒より以上の大敵はない。

例えば憐憫(れんびん)とかあるいは更に愛情をさえ我々に呼び起こす人物を我々が笑いえないと言おうとするのではない。

ただその時でも数刻の間はこの愛情を忘れ、この憐憫を沈黙させなければならぬのである。

純粋な理智の人たちの社会においては、人は多分もはや泣くということはないであろう。

だが、依然として恐らく笑うことはあるであろう。

一方、常に物に感じ易く、生の合唱に調子が合っており、あらゆる事件が感情的な共鳴を伴うようになっている心の人びとは、笑いを知ることもなければ、理解することもないであろう。

試みに、ほんのひととき、人のいうことなすことに全く心を使うようにし、想像のうちで、行為している人びとと一緒になって行為し、感じている人びとと一緒になって感じてみたまえ、つまり諸君の共感にその最も広い拡がりを与えてみたまえ。

魔法の杖にひとふりやられたかのように、諸君はいとも軽いものでも重くなり、そしてすべてのものに厳粛な色がつくのを見るであろう。

次に、引き離れてみたまえ、われ関せずの見物人となって生に臨んでみたまえ。

多くのドラマは喜劇に変ずるであろう。

ダンスしている人びとが我々に直ぐさま馬鹿らしく見えるためには、ダンスが行われているサロンの中で、音楽の音に我々の耳を塞ぎさえすれば十分である。

どれだけの人間の行為が果してこういった種類の試練に持ちこたえるであろうか。

そして、それらのうちの多くが、それに伴う感情の音楽から引き離されたとき、突然厳粛から笑いごとに移るのを我々は見ないであろうか。

滑稽というものは、だから、つまりその効果をすっかりあらわすためには、瞬間的な心臓麻痺のようなものを要するのだ。

それは純粋理智に呼びかけるものである
(ベルクソン著「笑い」岩波文庫 p14-15)

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関西パワーのおかしさ

 で、この講座は「現代芸術」という講座なんですけれども、試験のことを最初の一時間目に言っといたほうがよいと思うので、お話ししときます。私、関西にあります関西大学というところで十一年間講義をしています。それも文学部で国文科ですけれど、十一年前に、講義を始めることになった時、面白いことがありました。

 日本テレビ系で「今日の出来事」という番組がありますね、櫻井よし子さんがつい先日ま でおやりでございました。HIV訴訟等ではずいぶん活躍された方です。「きょうのできごと」(口調を真似る)と、大変上品な口振りで、えげつないニュースを集めてやってましたけれども、「きょうのできごと」(口調を真似る)という口振りと、内容にすごい落差がありました。

 その番組で、私のニュース原稿を男性アナウンサーが読みました。「今日、関西の落語家で桂文珍さんが関西大学の非常識講師」とこういうふうに言いました。(笑)

 大変なことです、それ。「非常勤」と言わなくてはいけないのを、「非常識」と言ってしまったわけですから、それは面白いですよね。普通は苦情の電話をいたしたりしますけれども、私はそういうことはいっさいいたしませんで、洒落たるなあーと、その時のビデオをいまだに大切に保管しております(笑)。気分が落ち込んだ時、そういうのを見て、楽しんでいます。

 私、変な奴でしょ。慣れてね。でも、そういうものなんですね。

 私共のような落語家は、非常識というものを常識としてなりわいにしている部分があります。ちょっと言い方がややこしいかもわかりませんが、常識という枠、概念というものに対 して、われわれは枠の外から発想するから笑いがとれたりすることもあるのです。ところが、どういうわけですか、これが、発想のみならず、その行動すなわち体全部が危ないという藝人が、昔は住めました。横山やすしさんなんかはその最後の人物です。枠外ですよ、面白すぎますから。

 通常の発想じゃないなぁということがしばしばありました。私は大変お世話になりました ですが、交差点で見かけると、大きな声で「遊びにいこや」と言いますから、ありがたいけど困るのです。朝まで帰れなくなることもしゅっちゅうですからね。私はホテルのロビーで会った時にも柱の陰に隠れたんですよ。ところが彼は動物的勘を持っていますから、「隠れてもあかんぞ」(笑)普通じゃないぐらい面白いんですよ。で、やることすごいですからね。高速道路の出口からバックで逆に走って入ったり。まわりで見てると面白いんですが、身内は大変ですよ。

そういった私人が住みにくくなって、私人に常識を求める時代になりましたから、誠に困った時代なのです。自己責任と、自己管理の出来て、非常識的発想も出来る私人が求められているのですが、やっぱり体張って本音で生きてる人は理屈抜きに面白いです。

 動物園のライオンだってね、横山さんをライオンといっしょにしちゃいけませんが、柵があるからみなさん安心して見てるでしょ。余談ですが、東京の動物園なんか、「エサを与えないでください」って書いてあるでしょう。神戸の動物園は違うんですよ。動物の前に「噛みます」て書いてある(笑)。

関西人というのは虚飾を捨ててるとこがありますから、虚飾というても食べないことじゃないですよ。無駄な飾りを捨てましてね、ストレートにずんと、しかも早いですからね。これから情報が多くなってくると、余計早く情報を処理したほうがいいですから、関西人の方法をみなさんも吸収していただきたいと思います。

 大阪の南に曽根崎警察というのがあるんですけどね、そこに平たく「曽根崎警察 おこしやす」て書いてある(笑)。他の警察ですが、以前ものすごい看板がかかってましてね、「やくざなんかに負けへん」て書いてあったこともある。うわあ思てね、最高ですわ。(笑)

 使い捨てカメラがたくさん出た時も、これは中島らもさんに聞いたんですけど、あの人そんなんばっかり探してるんですけど、普通だったら「安い」とか「大特価」とか書くんですが、カメラの横に「写る」て書いてあると言うんです(笑)。これ、関西のパワーだと思うんです。すごいと思いますね。長い余談でした。元へ戻ります。

 で、その、試験をね、関西大学の時もやってたんですけど、どんなのがええかなと思って、ま、いろいろやったんですよ、「私の一年間の講義内容について、優・良・可・不可、成績を与えなさい」て、これ、いい問題でしょ。みなさんに私が試験を受けるんですから。「それに至る背景を論述せよ」、なんていいじゃないですか。文学部ですから、文章力も分かりますからね。それやりました。いい問題です。どこがいいかというと、彼等が私に与えた成績をそのまま返してやろう、採点する時間カット出来るしね(笑)。ところが大失敗。出席日数の足りん奴に限って、私に優をくれるんですね。

 人にはおべんちゃらという心の動きがあるということがわかったわけですけど、その時に、優なら優と書いて論述せよ、と言っているのに、優のまわりに丸を書いて花ビラ付けてヒマワリの絵を描いて出した(笑)、こういう面白い奴がおりました。そんなもの困るで。でも、呼び出して言うのも能がないですから、やはりここは先輩の教授に聞こうと思いまして、相談にまいりました。「先生、こんなん書いてますけど」と言いましたら、「面白いですなあ」(笑)否定しないところがすごいですね。「おもろいですなあ。なかなかのツワモノですなあ」。なかには、だるまさんの絵を描いて、「手も足も出ない」そんな使い古したギャグをいまだに描く奴もおるんです。(笑)

 私の科目は必修でしたからね、「困りますよ、こんなん描いてるんです」と言うたら、「いや、面白いですよ」「面白いですか」「どうしはるんですか文珍さん」「いや、ちょっと留年さそうかな、思うんですよ」「ええっ! 留年さすんですかあ!」ものすご驚きはるんですよ。「いや、だって……」「留年さしたら、来年も面倒見なあかんのですよ」「え? 来年も私が面倒を見るんですか。いやですけど」「いやでしょう」「いやですね。じゃ、卒業させますわ」言うて卒業させたこともありました。(笑)

 こいつがね、人学時どんな成績だったんだろう思うて、調べてみて大変嬉しかったのは、推薦で入ってました。スイセンで入って、ヒマワリで卒業した(笑)。笑わしよるねえ……。今、この教室六割ぐらい感づきましたね。あとの四割ぐらいの学生諸君は、「うん? なにが起こったんだ」というような面もちです。これがおかしくて。こっちから見てると、これがもろに出てまう。笑いというのはそういうところがあるのです。
(桂文珍著「新落語的学問のすすめ」潮出版社 p24-28)

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◎「滑稽は、極めて平静な、極めて取り乱さない精神の表面に落ちてくるという条件においてでなければ、その揺り動かす効果を生み出しえないもの……われ関せずがその本来の環境である」と。