学習通信061016
◎教育バウチャー制で……

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安倍晋三の教育観とは
徹底した国家管理で競争と統制
 佐貫浩・法政大学教授

国際的通用しない
歴史観を教え込む

 安倍政権が発足した。「ウルトラ右翼」、「安倍サロン」等々の評価が行き交うほどの異様な布陣である。十年ほど前に、「自虐史観」を克服せよ、「愛国心教育」を行えという形で「新しい歴史教科書をつくる会」が旗揚げしたが、ついにそういう主張を当たり前のように政治に持ち込む人物が閣僚の多数を占める事態にいたった。教育基本法「改正」の戦闘部隊を組織したかのような印象すら与える。

 アジア・米議会
 強い危ぐの声が

 しかし、このような突出は、安倍政権の安定性を揺るがし、国民との矛盾を高めざるをえないだろう。

 安倍首相の教育改革の第一の柱は、「自虐的な偏向教育の是正」にある。氏は、「教育の目的は、志ある国民を育て、品格ある国家を作ることだ」という。特攻隊で死んでいった若者は、「大儀に殉じ」、「日本という国の悠久の歴史が続くことを願った」といい、「国家のために進んで身を投じた人たちに対し、尊崇の念」をあらわすことが必要だとし、靖国参拝はそういう「尊崇の念」の表明だとする。教育基本法改正案の「国を愛する態度」はその文脈で推進されよう。下村官房副長官は「官邸主導で自虐史観の教科書はやめさせる」と、歴史教育への介入を公言している。

 アジア諸国にとどまらず、米国議会も強い危惧(きぐ)の念を表明するにいたっている国際的にも通用しない歴史観を教え込むことが、日本の青年の失われた誇りを回復し、「教育の再興」を図る方策の核心だとする理念が、安倍氏の教育改革の根底にある。

 公教育の精神を
 一挙に崩すもの

 第二の柱は、徹底的に国家管理された土俵の上での競争と統制システムの形成である。具体的には、「全国的な学力調査を実施、その結果を公表」すること、「国の監査官」による学校評価制度や「ダメ教師には辞めていただく」制度の導入、学校選択制度と結びつけての「バウチャー制度」の導人、などである(いずれも著書『美しい国へ』による)。

 しかし学校選択制度が学校の格差化を広げるなかで、品川区のある地区で入学者ゼロの中学が出現し、大幅な学校統廃合が計画されるにいたっている。バウチアー制度とは、簡単に言えば、生徒数に応じて各学校に予算を配分し──しかも公立私立の区分なく──、選ばれない学校に懲罰的な予算削減を行うことを意味する。

 学カテストで失敗して入学者が減ると、学校予算(教員の人件費も含んで)も減るという圧力のなかで、教育困難を抱えた子どもの入学を嫌うような学校の姿勢を強めるこの政策は、子どもの学習権の実現を第一とする公教育の精神を一挙に崩していくだろう。追加の学費の徴収が容易な私立学校や企業立学校が、「豪華」な教育を提供することで「繁栄」し、多くの公立学校が衰退する公教育の民営化システムでもある。

 人間を抑圧する
 学校教育への道

 こういうシステムの上では、子どもは学校の「成績」(学カテストの点数)を上げる手段と見なされ、学力向上の激しい訓練を課され、勉強嫌いがさらに拡大するだろう。

 また学カテストと「国を愛する態度」の達成具合を「国の監査官」がやってきて「評価」し、「だめ」な学校に「改革」の命令を出すというのである。公教育が完全に国家権力によって支配・統制される。そのために、教育基本法改正がねらわれている。

 彼らが恣意(しい)的にモデルとしているイギリスにおいては、ナショナルテストヘの批判が高まり、ウェールズではその廃止が決定された。

 そもそもイギリスの教育改革では、学校の自由が拡大され、親や住民参加の学校理事会が学校運営に責任を負い、教育予算も増額されつつある。

 教師の自由が極度に抑圧され、国家の思うままの「学力」や「態度」を無理やり詰め込むような恐ろしい改革は、学校教育を人間を抑圧し操作する装置ヘとおとしめるものであろう。

 それを許さないためにも、何としても教育基本法の改悪を押しとどめねばならない。
(「しんぶん赤旗」20061004)

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安倍氏提唱
教育バウチャー制って?

所得で教育に格差

 自民党の安倍晋三新総裁は総裁選の中で「教育再生」の目玉の一つとして「教育バウチャー(利用券)制」の導入を唱えました。どういう制度なのでしょうか。

 四月十九日の経済財政諮問会議(議長・小泉純一郎首相)でこんなやりとりがありました。

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小泉首相……教育利用券というのは具体的にどういうことか。

宮内義彦規制改革・民間開放推進会議議長(オリックス会長)……最後は 一人ひとりにいくら分というふうに渡すので「バウチャー」という名前が付いているが、今やろうとしているのは、生徒の数に合わせて公的補助を学校に対して分けていくべきではないか、ということ。
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 つまり@保護者・子どもが学校を自由に選べるようにするA現状の学級数と教員数に応じてでなく、生徒数に応じて学校に予算を配分するB予算配分は公立も私立も同じに扱う──義務教育をこう変えようというのです。

 教育バウチャー制度は、規制改革・民間開放推進会議や日本経団連が導入を求めています。

 その狙いは何でしょうか。経済財政諮問会議では次のような議論がありました。

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吉川洋東大教授……学校が淘汰(とうた)される可能性がある。学校間で競争努力が生まれる。

安倍晋三官房長官……人気のない小学校・中学校には生徒が来ない。

牛尾治朗ウシオ電機会長……競争になって困るところは反対する。競争を歓迎するところはみんな賛成する。
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 教育に競争原理を導入するというのですが、いまでも日本の教育は競争が激しすぎると、国連から批判されています。国連子どもの権利委員会は一九九八年、日本は「高度に競争的な教育制度のストレス」で「児童が発達障害にさらされている」と勧告しました。二〇〇四年の勧告では「十分なフォ口ーアップ(手だて)が行われなかった」と重ねて批判しました。

 逆にフィンランドは競争のない教育制度で学力世界一を達成しました。『縦並び社会』(毎日新聞社)は、「地域間、学校間の格差が小さい平等な教育制度がこの調査結果を生んだ。われわれのやってきたことは間違っていなかった」「教育に社会の競争原理を持ち込むべきではない」というフィンランドの教育学者の声を紹介しています。

 保護者の負担はどうなるのでしょうか。
 安倍氏は、バウチャー制で「保護者はお金のあるなしにかかわらず、わが子を公立にも私立にも行かせることができる」(『美しい国へ』)と書いています。しかし、経済財政諮問会議で同氏は「私学の場合、授業料の差額はおそらく払わなければいけない」と言っており、矛盾します。

 問題は授業料です。生徒一人あたりの予算は同額でも、私立はさらに授業料を徴収できますが、公立は法律で禁じられています。つまり、公立が行うバウチャー分の教育は最低限で、私立で授業料を払えばバウチャー分に上のせした教育を受けられるようになるのです。

 一方、私立に現在の公立なみの予算を配分するには教育予算の増額が必要です。もし教育予算を増やさないなら、公立の予算を削って私立に回すことになります。公立の教育が落ち込む危険があります。

 教育バウチャー制では所得格差がそのまま教育格差に直結し、教育の機会均等を真っ向から否定することになります。
(北村隆志)
(「しんぶん赤旗」20060924)

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視察レポート
フィンランド教育事情
 山口隆・全教副委員長

子ども達を包む柔らかい空気
平等と合意と無償と

 カリッと晴れた青空に、気温は二一度。涼やかな風が吹くフィンランドの首都ヘルシンキ。今夏、全日本教職員組合(全教)のILO(国際労働機関)要請・フィンランド教育視察団はフィンランドの学校訪問と国家教育委員会を視察しました。

 女性校長が出迎え

 全国から集まった二十七人の教職員の訪問を受け入れてくれたのは、ビコランという人口五千人の村にある総合学校です。総合学校とは、日本の小学校と中学校を一緒にした九年制の義務教育学校のこと。フィンランドにしては珍しく、全校生徒七百八十九人という大規模校(フィンランドの平均的な学校規模は、百六十人程度)です。ミニのスーツをビシッと着こなした、校長経験十年という女性校長が出迎えてくれました。

 校長先生は、開ロ一番、「学校というのは大きな組織体だけれども、だからこそ、みんなの協力を大事にしてとりくみをすすめている」と教育方針をのべました。それは、「学級と学級の協力、教師どうしの協力、教師と生徒の協力、生徒どうしの協力」であり、どんな小さなこと、たとえばソファーのカバーの色をどうするかなどでも、みんなで話し合って決めている、と話しました。教職員を分断し、校長と教職員を分断する攻撃のもとで、あえぎながらも学校づくりにとりくんでいる日本の教職員にとっては、本当にうらやましい話です。

 1クラス平均18人

 授業の様子を見学して驚いたのは、施設・設備の充実です。家庭科室は、調理室、被服室、技術室に分かれており、調理室には立派なシステムキッチンが四ヵ所に設置され、それぞれに四人だけテーブルが配置されています。これならば十六人の少人数で、充実した実習をおこなうことができます。この学校が特別ということではないようです。

 授業は、どの教室でも二十人前後の少人数でおこなわれています。フィンランドでは一学級の子どもの数についての国の決まりはない、ということですが、平均は一クラスあたり十八人です。日本の文部科学省はいつまで一クラス四十人という時代遅れの学級定数にしがみついているつもりでしょうか。

 国家教育委員会のシニア・アドバイザーに聞いた話で一番印象深いのは、フィンランドの教育で大切にしているという四つのこと、@平等A無償(義務教育段階はもちろんのこと、大学まで無償)B義務教育では共通の基礎教育をおこなうC教育政策への合意──です。

 日本は、平等を崩して教育においても格差づくりをすすめること、世界一高いといわれる教育費の父母負担、義務教育段階から「習熟度別学習」によって「できる子」「できない子」にふりわけること、そして教育合意を崩しての教育基本法の改悪というまったく正反対の教育政策です。

 「競争はストレス」

 もう一つは、競争についての考え方です。私たちの「日本では競争的教育制度が大きな問題となっているが」という質問に、「競争はストレスにつながる。他人と競争するくらいなら自分とたたかって個性を守りなさいと言っている。そうすれば必要でないストレスは減ってくる」とこたえられました。学校訪問で参加者が、「子どもたちは、落ち着いた、やわらかい空気につつまれて学校での時間を過ごしている」という感想を述べていましたが、それは、こうした理由によるものだとわかりました。

 子どもの個性を大事にし、人格の完成をめざし、教育行政に教育条件整備を求めている日本の教育基本法と、フィンランドの教育とは、そのまま重なるものであり、あらためて教育基本法改悪法案を廃案に、の決意を固めた訪問となりました。
(「しんぶん赤旗」20061012)

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◎「国際的にも通用しない歴史観を教え込むことが、日本の青年の失われた誇りを回復し、「教育の再興」を図る方策の核心だとする理念が、安倍氏の教育改革の根底にある」と。