学習通信061030
◎いじめがなくならない……

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いじめ被害
親の会発足
行政へ要求

 福岡県筑前町で起きた中学二年男子生徒(一三)のいじめ自殺問題を受け、全国のいじめを苦に自殺した子どもの親が二十九日、「いじめ(不登校、ひきこもり、自殺)被害者の会」を設立しました。

 全国の遺族ら約五十人が参加。同日は筑前町の生徒の父親も含め五家族が集まって初会合を開き、国や各教育委員会などに対し、いじめを防ぐよう求めるほか、家族同士でサボートすることなどを確認しました。

 一九九六年に中三の四男をいじめによる自殺で失った大分県在住の大沢秀明さん(六二)が代表に就任。筑前町の生徒の父親(四〇)は、岐阜県で新たないじめ自殺が起きたことに「息子の件を受け、実態把握でもすれば防げたかもしれない。いじめが緊急の問題という認識がないのではないか」と述べました。
(「赤旗」20061030)

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「面白い」からなくならない?

個人的・気分的な現代のいじめ

 現代のいじめは、個人的で気分的でゲーム感覚であるとよく言われます。確かに、私の大学生に対する調査でも加害者は次のように述懐しています。
・自分のよわさを、人をいじめて苦しむのをみることで、安心させている。
・うさばらしというか、パンチボールをパンッとしたようにスッキリする。
・学校生活がつまらなさすぎて、いじめぐらいしか面白いことがない。

 このようにいじめの加害者の心理は、「ふざけ・ジョーク・ムカつき・イラつき・嫌い・ストレス・いじめ返し」です。いじめで自殺に追いやってしまったという重大なケースでさえも、子どもたちの場合は、金銭そのものが目的というよりも、「弱い立場」の者に向けられたこれらの心因性の行為が大半です。現代のいじめは、かつてのように組織的にいじめを働くのとは違い、より個別化し、無規律化の傾向を強めながら蔓延していくのです。

 いじめの加害者と被害者の立場の組み替えが自在であるだけに、現代のいじめにはパワーゲームとしての「面白さ」があります。極論すれば、いつでも誰でも大した理由などなしに、いじめの被害者にも加害者にもなりかねないのです。ですから、辛さを個別に一人で背負い込まざるを得ません。

ストレスが原因

 「弱い者をいじめることは、人間として絶対許されない」などと文部省がいうような、精神主義的な圧力を加える「心の教育」によって、いじめを撲滅することはほとんど不可能です。そもそもいじめたるものが、何が原因で発生しているのかを見てみますと、それは道徳心や規範意識等の問題ではなくて、ストレスであることが多くの調査研究結果からはっきり証明されているからです。むしろ「心の教育」が新しいストレス源となることさえ考えられるでしょう。

 ストレスが「よくある」「時々ある」と答えた子どもたちの中では、小学生の一〇・九%、中学生の九・八%が「だれかをいじめたい」と答えています(秦政春・大阪大学教授「子供のストレスと非行・問題行動」一九九二年、福岡県内の小学校一四校、中学校八校、小五・六年生七一八二人、中一〜三年生七六三人を対象に実施)。

 ストレスといじめの相関関係を秦氏の調査をもとにまとめると、表I─4のように、ストレスとの相関関係がいかに高いかが明らかになります。ストレスが「とてもたまっている」中学生は、「だれかをいじめたい」と答えている者が約三〇%もいるのに対して、「全くない」子では八・一%。「いじめた体験」でも同様に約四二%に対して、半分以下の一六・六%となっています。ストレスを何に感じているのか、それはどうしてなのかは、U章で議論しますが、ストレス源を除去することが、いかにいじめ防止につな、がるかがわかります。

 ところで、深谷和子・前東京学芸大学教授は、いじめの原因を次の七つと見ています。

@絶えず評価され、ランクづけられていることによる精神的疲労
A自分が尊重されていないことからくる不満(自尊心の喪失)
B遊びの機会が減少していることによるはけ口のなさ
C人間関係にかかわるルールがあいまいに
Dヒトに対する共感性の減少
E発達段階の初期に繰り返される「けんかやいじわる」体験の不足
F子ども集団の変質(集団の健康性と非行抑止力の低下)

 いじめの背景を子どもたちの心理面と生活の様態の二つの側面から整理していますが、いじめの原因がもれなくとらえられています。このうちの@〜Bはストレス生産地ともいえるでしょう。一方、C〜Fは、いわば「人間関係力」とも言えるコミュニケーションスキルや他者認識力の未発達の問題ととらえることができます。

 それにしても、「イライラする」児童・生徒(「ときどきある」「日常的にある」)が小六で七八%にも達している現状は深刻と言わざるを得ません(文部省調査、一九九八年)。

いじめは「面白い」

 いじめがなくならないのは、いじめが人間の本能であるからでも、学校や家庭における道徳教育や「心の教育」に問題があるからでもありません。誤解を恐れずに端的に言いますと、「面白い」からです。

 この「面白さ」を構成しているものは、@「優越感」、A「ストレス解消」、B「ゲーム感覚」の三つだということが、私が大学生を対象に行った「なぜいじめは面白いのか」という調査結果(受講者一一二名対象、九七年一一月実施)から明らかになっています。その中の七二人(六四・三%)が「優越感」を挙げました。第二位の「ストレス解消」は三二人二八・六%)、第三位の「ゲーム感覚」は一二人(二〇・七%)でした。何人かの声を紹介してみましょう。いじめがいかに「楽しい」かがよくわかります。

〔優越感〕
・「他人の不幸は蜜の味」というが、自分より不幸な人間の姿を見ることにより、優越感にひたれる。一人の人間が自分の意思一つで動くことが面白い。
・勉強ができる子や運動のできる子をいじめる場合、その楽しさは、自分より上だと認めている相手を下に押しとどめるというコンプレックスの裏返し。

〔ストレス解消〕
・世の中から受けた抑圧を発散できるから、やめられなくなる。親への反抗、学校への反抗を弱い者へぶつけてしまう。
・小さいころから「やっちゃいけない」と言われてきたことをぶつけることが、単にいい気 分なんじゃないか。

〔ゲーム感覚〕
・テレビのお笑い番組で笑うのと同じ理由。嫌がったり苦しがったりする人を見てると面白い。
・子供社会の中では自分の立場が常に危険にさらされていて、「安心と不安」の紙一重のギヤップのうちにゲーム性の面白さを感じる。

 どうでしょうか。これだけ「面白」くては、「人として許されない」などと道徳を振りかざし、いかに教師や親が力んでも、効果は期待できそうにありません。言うまでもなく、この「面白さ」は決して人間的ではありません。しかし、そういうネガティブな感性を有しているのも「人間」なのです。これらを丸ごと表出する過程にも親や教師が丁寧にかかわることによって、子どもは「人間味豊かな人」として確かに成長するのです。
(尾木直樹著「子どもの危機をどう見るか」岩波新書 p44-49)

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◎「いじめがなくならないのは、いじめが人間の本能であるからでも、学校や家庭における道徳教育や「心の教育」に問題があるからでも……誤解を恐れずに端的に言いますと、「面白い」からです」と。