学習通信061106
◎仕事に求めるものは……
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しかし、労働力を働かせること、労働は、労働者自身の生命の働きであり、彼自身の生命のあらわれである。
そして、この生命の働きを、彼は必要な生活手段を自分に確保するために、第三者に売るのである。
だから、彼の生命の働きは、彼にとってはただ生存しうるための一つの手段にすぎない。生きるために、彼は働くのである。
彼は、労働を彼の生活のなかに数えいれることさえしない。労働はむしろ彼の生活の犠牲である。
それは、彼が第三者に売りわたした一つの商品である。
したがって、彼の活動の生産物もまた、彼の活動の目的ではない。
彼が自分自身のために生産するものは、彼が織る絹織物でもなく、彼が鉱山から掘りだす金でもなく、彼が建てる大邸宅でもない。彼が自分自身のために生産するものは、労賃である。
そして、絹織物や金や大邸宅は、彼にとっては、一定量の生活手段に、おそらく一枚の木綿の上衣や銅貨や地下の住居に変わってしまうのである。
そして、一二時間、織ったり、つむいだり、掘ったり、〔臼で〕礒いたり、建てたり、シャベルですくったり、石をくだいたり、運んだりなどする労働者──彼にとっては、この一二時間にわたる織布、紡績、採掘、〔臼による〕粉砕、建築、土すくい、砕石は、彼の生命のあらわれであり、生活であるとみなされるであろうか? 逆である。
彼にとっては、生活は、この活動が終わるところで、すなわち食卓で、飲屋の腰掛で、寝床で、はじまる。
これに反して、一二時間の労働は、彼にとっては、織布、紡績、採掘などとしてはなんの意味もなく、彼を食卓や飲屋の腰掛や寝床につれてゆくかせぎ口として意味があるのである。
もし蚕が幼虫としてその生存をつづけるために繭をつむいでいるとしたら、蚕は完全な賃労働者であるということになろう。
(マルクス著「賃労働と資本」新日本出版社 p35-36)
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「仕事は収入のため」56%
仕事に求めるものは何? 明治安田生活福祉研究所の二〇〇四年の調査によると、高校生の五六・二%が「収人」をあげた。これに対し、その親が子どもに最も仕事に求めて欲しいと思っているのは「生きがい」で六二・三%だった。
「生きがい」は高校生では二位。親は「将来の安定」「収入」の順だった。高校生が就きたい職業は「医師や弁護士などの専門職」、親が就かせたい職業は「会社員」がそれぞれ一位。親の二五・七%が就かせたいとした「公務員」は高校生では一五・三%にとどまり、大きな差が出た。
(日経新聞 20061106)
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◎「労働力を働かせること、労働は、労働者自身の生命の働きであり、彼自身の生命のあらわれ……生命の働きを、彼は必要な生活手段を自分に確保するために、第三者に売る……彼の生命の働きは、彼にとってはただ生存しうるための一つの手段に……生きるために、彼は働く……彼は、労働を彼の生活のなかに数えいれることさえしない……むしろ彼の生活の犠牲である」と。