学習通信061110
◎「あなたは不必要な人間だ」と宣言……

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失業率と犯罪 関連性

 一般刑法犯(交通関係の業務上過失致死傷などを除いた刑法犯)の認知件数と、完全失業率の推移に一定の相関関係がみられることが、七日に閣議報告された二〇〇六年版犯罪白書で分かった。法務総合研究所は他の要因との関係をさらに分析。「就労支援などが犯罪抑止に有効である」として、雇用対策の拡充を訴える。

出所者雇用で抑止

 完全失業率は一九九一年の二・一%から上昇し、○二年に五・四%とピークに。一般刑法犯も同様に上昇しており、九一年は約百七十万件だったが、○二年は約一・六倍の約二百八十五万件で、戦後最多を記録した。

 ○三年以降、完全失業率が減少に転じると、一般刑法犯も徐々に減少。完全失業率が四・四%となった○五年には、一般刑法犯は○二年の約二割減の約二百二十七万件となった。一般刑法犯の七割以上を占める窃盗犯が変動しているという。

 白書は犯罪情勢と失業率との関係について「グラフの波形が類似している」と説明。「あくまでも多くの仮説の一つではあるが、失業率が財産犯の増減に影響を与えている蓋然(がいぜん)性は高い」として、刑期を終えた人への就労支援など、雇用対策が犯罪抑止に有効であると指摘している。
(「日経新聞 夕刊」20061107)

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「失業」とは何を意味するのか

 一方では、生活と健康を破壊するような、非人間的とさえいえる猛烈な働き方をしている社員がいる。そして他方では、働きたいのに探しても探しても職がない失業者がいる。

 前に述べたように、商品経済の社会では、働いて収入を得ることが、即、自分が社会から認められ、社会に必要とされていることの証明になる。また適切な労働環境のもとで働くことができれば、人は労働によって能力を伸ばし、熟達や創意工夫を通して自己実現をはかることができる。労働を生きがいと感じるのは、このような労働の価値と本質があるからだろう。収入が事足りていても、定年退職後も働きたい人々がいるし、社会で働きたい主婦がいる。労働は人間的な欲求のひとつなのだ。

 その裏返しが失業である。だから失業は、収入がなくなるだけでなく、社会から「あなたは不必要な人間だ」と宣言され、排除され、孤立することを意味する。それは人格の否定、生きがいの喪失にもつながる。

 いったん職業を持っていた人が失業した場合は、生きがいの喪失感が大きいだけに、再就職への欲望も大きい。それに対して、学校を卒業して、はじめから職につけないまま失業している人は、喪失感の経験を持たないだけに、労働への意欲も湧きにくいのではないか。そのような若者が増えたとき、社会の将来にどんな問題が起きるのだろうか。

 一九六〇年から一九七四年のオイルショックまで、日本の失業率は一%台にあり、オイルショック後も約二%の水準にとどまっていた。九五年に三%をこえ、九八年には四%台となり、そこからは急上昇して、現在は五・五%前後にある。

 日本の失業統計は、たとえば調査期間中に一時間でも働いた人や、どんな少ないお金でも稼ぎを得た人は失業者から除かれたり、職があればすぐさま働ける状況にあっても職探しを止めている人は失業者に算入しないなど、失業率が失業者の実態からかけ離れていることが以前から指摘されている。就業を希望しているが適当な仕事がみつからない五六八万人の潜在失業者を失業率に加えると、失業率は一三・八%になる(総務省統計局、労働力調査特別調査報告、二〇〇一年八月)。

 失業者は、長年、蓄積してきた技能、知識、判断力などの能力を発揮できない。それは国富の大きな損失にほかならない。就職できない学卒者も、それまで勉強してきた学歴や成果を生かせない。経済の競争といいながら価値ある多くの富が無駄に捨て去られているのだ。

エンゲルの真理

 働く能力があり、働きたいと望んで、必死に職探しをしているのに職がない。それは本人の責任ではない。

 もし家庭の中に全自動洗濯機などの機器が入れば、主婦の労働時間は短くなり、その分、ゆとりが生まれる。機械化は人間の労働を軽減するためのものだ。

 しかし、資本主義社会では、技術の発達が労働者の労働時間短縮には結び付かない。機械の導入によって、いらなくなった人手を解雇して利潤の増大をはかる。それだけでなく、資本は低賃金の国に工場を移転し、そのために本国の労働者は職を失う。さらに経済のグローバリゼーションによる多国籍企業化や合併によって、これまでは必要とされていた専門分野のエリートまでもが、職場から追放された。失業の三重苦である。

 痛みは責任のない失業者におしつけられて、個人の人生からみれば、取り戻すことが不可能な人生の価値の多くが、廃品同様に捨て去られているのである。社会主義国家の没落によって、いま、世界は資本主義的な市場経済と競争社会に一元化されそうな勢いであるが、その枠組みが豊かさの条件を破壊するとしたら、喜ぶことはできない。

 エンゲル係数で有名な統計学者エルンスト・エンゲル(一八二一〜九六年。プロイセン王国の統計局長をつとめた)は、一〇〇年以上も前に労働者の家計を分析して、次のように言った。

 「生産にかんしては、世界中で最も技量のある国民でありながら、同時に最もみすぼらしい国民であることもありうる。強力な国防力とともに国家の破産が起こる場合もある。最善の病院があるにもかかわらず、国民が貧困と窮乏のうちに病弱であることもありうる」

 「各国の経済力は物的生産量などで比較するのは無意味で、経済力を表す真の指標は、それぞれの国民の生活水準、つまり福祉の測定としての生計費である」(『ベルギー労働者家族の生活費』一八九五年)

 この言葉は、民主主義や人権の基礎が生活の福祉水準にあることをひろく世界に認識させ、経済の活力もまた、自由と安全を基盤にした人間の活力なしにはありえないことを具体的な家計分析によって示した。いまの言葉でいえば、経済利益よりも、また軍事力よりも「人間の安全保障」が最優先される社会でなければ、存続可能な活力は生まれない、ということである。

 しかし、国際競争に勝ち残ろうとする政財界は、個人の人生と生活の価値を犠牲にするこれまでどおりの方法で、いやそれをもっと激化した方法で不況に対処しようとしている。

国と企業経営者の誤った判断の巻きぞえでバブルに巻き込まれ、次には不況のどん底につき落とされた市民は、生活の見通しを失って、将来不安をかきたてられている。
(暉峻淑子著「豊かさの条件」岩波新書 p25-29)

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 人間は、金のためにだけ「働く」のではない。
 しかし、資本主義社会はすべてが商品として生産されている。したがって金との交換なしに商品を手に入れることはできない。生活に必要な衣食住をはじめとする物資やサービスなどを得ようとすれば金が要る。金なしには生きていけない世の中だ。

 その金は、なにかを売らなければ手に入らない。しかし、労働者にはなにか売るものがあるだろうか。

 労働者とは、いっさいの生産手段からきりはなされた人びとのことをいう。

 土地も工場も原料も機械も……なにもない。生産手段をもたずに商品をつくれるはずがない。そこで生産手段を所有している資本家に雇われ、働いて金を受けとり、それではじめて生きることができるのだ。
(中田進著「働くこと 生きること」学習の友社 p51-52)

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◎「国際競争に勝ち残ろうとする政財界は、個人の人生と生活の価値を犠牲にするこれまでどおりの方法で、いやそれをもっと激化した方法で……」と。