学習通信061113
◎そういうものを感ずる感受性、見る目がかれて……

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救えた命 長岡京市虐待事件 上
親と子との信頼関係なかった
非常に弱い児相の専門力
花園大・津崎哲朗教授

 長岡京市で、三歳の男の子が虐待を受け、食べ物も与えられず、死亡した。近所も、対応すべき児童相談所も虐待の事実に気づきながら、なぜ男の子の命を救えなかったのか。専門家らに聞いた。
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──今回の事件はなぜ起きたのか

「いくつかの判断がうまくいかなかった。まず一つが、内縁の妻が同居して男性の子どもを養育するということで、虐待が起きるリスクが高かった。一緒に往み始めても親と子の間に愛着や信頼関係が築かれておらず、気心が分からない。子どももなつかず、継母は『しつけをしないと』と思い、『しつけ』と正当化して虐待をする。大人でも気心を知れた人に注意をされたら受け入れやすいが、知らない人に言われると反発するのと同じで、気心が知れてないと子どもは素直に関かず、虐待はエスカレートし、悪循環していく。まず、子どもとの信頼関係を築き、愛着を育まなくてはならなかった」

──行政の対応は?

「児童相談所(児相)が、虐待の見立てが十分でなかった。一般的な専門家の見立てとしては、姉を保護した後、(虐待の)次の夕ーゲットは弟に行くと考える。報道によると、長女の保護で安心したとあるが、虐待とは家族全体の問題で、変動していくことを見定めていなかった。『姉を保護できた』『電話で様子を聞いた』で終わるのは形式的で、表面的判断でしかない。父親の話を信用したともあるが、父母は当事者で、都合の悪いことは言わない。一方的に信用するのは危険な判断だ」

──米国では虐待を受けた子どもを保護した時、すべての兄弟を親から離す仕組みもある。

「子どもの安全性を考えるとそうだが、全員を引き上げるのは現実的ではない。兄弟のうち、特定の子を虐待し、ほかの子どもをかわいがるケースもある。今回、児相が弟を在宅としたのだったら、長岡京市と調整し、親を説得して保育所に通わせ、第三者が日常的に子どもの様子をチェックできるようなシフトを敷くのが最善だ。保育所が満杯なら、児相が地域の人に協力を依頼し、定期訪問してもらうなど連携を図ることもできた。市も受け身にならず、積極的に動けたはずだ」

──制度上、改善すべき点は。

「児相の体制強化だ。今回、職員一人が判断したのか、組織的だったのかは分からない。いずれにせよ、虐待を見立てる力など、専門的な力量が十分とは言えない。組織に問題があるなら抜本的に立て直し、職員の研修が必要だ。外部の力を借りる方法もある」

「職員配置も検討してほしい。全国的に児童福祉司は三年で転勤してしまい、専門的に対応できない。私が大阪の児相にいた時、専門的な力を保つため、職員を十年間変えないように改善してもらったが、そのような措置を取っているのは大阪市のみだ。また、市町村と連携し、リスクのある子どもの情報を共有することも必要だ。今回は救えたケースだった」
(京都新聞 20061101)

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 出産が無事にすんだ後のほっとした気分、訪れる見舞い客の祝福のことば、花、果物、ベッドを並べている母親どうしの気楽なおしゃべり、産後、病院にいる間は比較的うきうきした気分です。退院後もしばらくは手伝いの人やお祝いの客にかこまれてにぎやかです。しかし、かすかにしのびよる違和感。だれもが赤ん坊の育児者としてしか自分を問題にしない。

 そして、みんないなくなります。赤ん坊相手の孤独な格闘。赤ん坊が泣けば泣いたで、眠り続ければそのことで、大丈夫なのかしら、ちゃんと育っているのかしらと不安になります。

 母親である人びとの多くがこの時期の憂うつな気分を思いおこすことができるでしょう。

 精神医学者・笠原嘉氏の「不安の病理」(岩波新書、一九八一年)は「育児ノイローゼ」などを生みだす出産後の婦人の心理状態の問題点を次のように挙げています。

@妊娠・出産という「身体の次元」での大変動の直後で、体力の消耗、代謝・ホルモン系のバランスの変化が大きく、それが心理面にも直接間接の影響を及ぼす、

A無事出産した「ヤレヤレ感」という心のゆるみはその人のペースを乱すきっかけになる、

B子どもが加わることによって家庭という社会が変わり、夫婦の役割が変わる。こうした身辺の小変化にすぐにはなじみにくい性格の人がある、

C「母になる」という内面的課題、「母になることを自分でひきうける」という課題へのちゆうちょと悩み、「母になる」という課題は、母親自身が自分の親にたいして子どもとして依存していたいという感情を残しながら、自分の子どもを世話する役割にまわらねばならないという心的葛藤をのりこえることです。

 あるいは職業を続けていくことにたいして子どもを生むことが「足かせ」になる、そう思うことのうしろめたさが「自分には母親の資格がない」と思いこませる(出産によって現実には母親になったのに)という心的葛藤を克服するということです。

 婦人が職業をもちながら、家庭をつくり、子どもを生み育てていくことが困難な現在の社会的条件、あるいは婦人の成長過程において「自立」を励まされる機会が少なく、依存的な「未熟な母親」が育っている状況があります。

 そのもとでは、このような「心的葛藤」は若い母親にとっては大きすぎる試練であることを免れません。

 「育児ノイローゼ」にかかる危険性を多くの人がかかえている、特殊な人びとだけがかかるのではない、ということを、知っておく必要があるでしょう。

 しかし、笠原氏はさらに、育児ノイローゼの解釈において、葛藤説よりも重要で実際的なのは、「心的疲労」だと説明します。「心的疲労」とはすなわち身体的次元でのエネルギー低下に影響された心理的エネルギーの低下した状態です。

 これにより精神活動の「現実機能」(現実生活に必要な心の働き)がそこなわれ、批判力をなくしたり、先述の「葛藤」にとらわれたりするのだといいます。

 したがって「育児ノイローゼ」は休息をとり、「心理的エネルギーの葛藤と心理的水準の回復」をはかることによって治るのです。

 とすれば、母親の育児・家事への負担を軽くし、思いわずらうことをなくすための援助の手や相談相手がえられることによって、身体的にも精神的にも十分休息できる条件をととのえることが必要になります。

 とはいうものの、子どもをもった母親が周囲に頼り、甘えているだけではことは解決できません。子育てへの責任の重さという緊張に耐えることができる心の強さをもたなくてはならない、あるいはそういう強さを自分のなかに育てあげていく必要があります。

 そのような過程を助けるのは、ほかならぬ赤ちゃん自体の成長、赤ちゃんの生命力を目の前にみることです。お乳を力強く飲んでくれているという手ごたえ、それが母親の心的疲労の回復や葛藤の解消に果たす役割は大きいと思います。

 また、自分の気持ちのありようを含め、具体的な育児上の心配、家事を処理するうえでの困難を客観的にとらえて問題を整理し、だれにどのように援助を頼めばよいか、またいまの困難はいつごろまでがまんし、がんばればよいのか、見通しをもつということも必要です。
(清水民子著「子どもの発達と母親」新日本新書 p28-31)

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 とりあげかたによっては、非常に多くのことを考えなければならないが、端的にいって、心の通いあう親子関係をどうつくるか、親の側からみれば、子どもと心の通う対話のできる親にどうなるか、子どもと心を通わせながら子どもとともに成長していく親にどうなるかということが、課題になっているといえるように思う。

 いま子どもが何を望んでいるのか、どういう問題をかかえて苦しんでいるのか、何がわかり何をのりこえれば一歩人間として成長するのか──こうした子どものかかえる内面の問題がなかなかつかめない。そのために、子どものことを思っていろいろやってみるが、全部上すべりして、「子どもを育ててよかった」という実感をもてない。ここに、今日の親の子育てにおける一番の苦悩があるように思えるのである。

 たとえば、岡百合子の講演記録「のぞけなかった子の心」(『親子とはなにか』立風書房、一九八〇年)には、今日の子育てにおけるこうした親の苦悩と、こえていかなければならない課題が語られているといえる。

 岡は、高校の教師であり、作家の高史明の妻であるが、その一人息子が十二歳で自殺をするという事態に直面し、息子の死後、彼がなぜ自殺をしたのか、自分の子育てと生き方にどんな問題があったのかを考えつめてきた。その到達点がここに語られている。

 息子の死について岡は、それまでにさまざまながたちで発言してきた。例えば、『子どもと教育』(あゆみ出版)の一九七八年九月号の座談会では、岡は、息子の死の原因として思いあたることとして、つぎのようなことを述べている。

 自分の子育てには常に理屈があり、なりふりかまわぬ愛、不条理な愛、とにかく理屈なしに抱きしめるといったことが足りなかったということ。息子は、小さいころから泥んこ遊びなどをほとんどしたことがない、動物を飼ったこともない、独りっ子で、同じぐらいの年齢の子どもとけんかをしたこともほとんどない。総じて自然や友達を相手に、よろこびや悲しみを身体に刻みつけて学んでいく生活が非常に稀薄だったこと。その一方で本が非常に好きで、本の世界に浸りながら育ったこと。

その子が自殺したあと、本棚を整理していたら、ポルノの雑誌が数冊出てきたが、思春期に入りかけて自分の中に目覚めてきている性と、そうした汚い性のイメージとが重なって、自分がいやになったのではないかということ。身近な人の具体的な死というものにあったことがなく、死について非常に抽象的なイメージしかもてなかったこと。父親の存在が、非常に親密な関係にあったが、やはり圧迫になっていたのではないかということ。

 これらのことは、その一つひとつが、重い問題である。しかし、それだけではなぜ息子が自殺しなければならなかったかわかりかねるという思いが残る。さらにほんとうに苦しんでいれば、自分の子どもの自殺についてそれほどしゃべれないのではないかというある種の反発をも感じさせる。しかし、この講演の記録にみられる自分の生き方と子育ての問題への深く厳しい反省に接してみれば、それ以前のさまざまな発言は、こうした反省にいたるプロセスであったことがわかる。

 この講演記録の最後の部分は、つぎのような言葉で結ばれている。

「いろいろ申しましたが、私の言いたかったのは、テクニックとして、子どもの心をつかまえられなかったとか、やり方が悪かったとか、そういうことではなくて、つまり私自身が一体いのちとか人間とかを外側からしか見ていなかった。一人の人間のいのちが育ってゆく時に、魂のふるえるような新鮮さ、あるいはおののき、あるいは不思議さ、本当に一日一日、そういうものと遭遇しながら、一人の人間が育ってゆくのだといういのちの不思議さ、そして美しさもあると思うのですけれども、そういうものを感ずる感受性、見る目がかれてしまっていた。

それでこのように育てなければいけないとか、こうすればうまくいくとかというタテマエだけで育ててしまっていたのだということです。結局、それは子どもだけの問題ではなくて、自分自身の生き方とか、自分自身のいのちに対する考え方がそうであったからで、それが子どもにそう出たのだ、そして、子どものほうが先に犠牲になったのだと思うわけです。

ですから、私はおかげさまでみんなにはげまされて、いまも教師の仕事を続けておりますけれども……、しかし、前よりは、子どもたちのふるえている状態が見えるようになりました。前だと、もうしようがないなとか、あんなことをしてとか、あんなふうで、というようにだけ思っていましたのが、子どもが立往生して悩んでるという、いのちの震えの状況が見えるようになったんですね。そうしますと、これに対する共感というのか、これに寄りそってゆく気持ちというか、そういうものが出てきまして、それがあれば、その先は怒ろうと、優しくしようと、それは、そのときどきでいいと思えるのです。

……ですからお母さま方、やはりどうすれば子どもを死なせないで済むかというふうな、こうすればとかああすればというふうなハウツウではなくて、やっぱり、自分も含めていのちが育っていく時のおののきのようなもの、そういうものを自分のなかで考える気持ちをもっていればいいと思います。それさえあれば、もうあとは千差万別、その方の個性で、自信をもってやっていけばいいと思います。

……いま現在私自身も、息子のおかげで、そういうものに対する目を開かせてもらったわけで、これから息子と一緒に生きるつもりで、そういうものを大事にする豊かな生き方を築き、もう自分の子どもはいませんけれども、これからほかの子どもたちをそういう目で見ながら、一緒に生きていきたいといま思っております。」

 岡は、自分の子どもが自殺するという大変な事態の中から、子どもがわかる、子どもの心がわかるということは、どういうことなのかを徹底的に問いつめていった。そして、子どもの生活を外側からだけ見ているのではなく、一人前の人間に成長していくプロセスで、さまざまの問題にぶつがり、不安や、悩みや、よろこびや、期待、挫折を感じながら大きくなっていく、その子どもの心の動きに共感できる、それがわがる人間になるということが、子育てにとって、親子関係をつくっていくうえで、決定的に大事なことではないかと考えているのである。
(田中孝彦著「子育ての思想」新日本新書 p22-27)

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◎「こうすればとかああすればというふうなハウツウではなくて、やっぱり、自分も含めていのちが育っていく時のおののきのようなもの、そういうものを自分のなかで考える気持ちを……」と。