学習通信061122
◎そんな人はどこにいるの……
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労働者に何をもたらす
自律的労働時間制度
週四十時間など労働時間のルールを外し、いくら働いても残業代が支払われなくなる「自律的労働にふさわしい制度」の導入論議が厚生労働省内ですすめられています。導入論を労働者の実態から検証してみると―。
裁量がある?
「自律的労働」とは、職務や時間配分について自分の裁量があり、指示された業務を断る自由を持っている労働者の働き方だといいます。
しかし、そんな人はどこにいるのでしょうか。
労働者二千人のアンケート調査によると、長時間労働の理由は「そもそも所定内労働時間では片付かない仕事量だから」が61・3%で最も多く、「自分の仕事をきちんと仕上げたいから」(38・9%)を大きく上回っています。(労働政策研究報告書二十二号)
長時間労働は業務量の多さに原因があります。これを間接的に規制する役割を担っている労働時間の規制をなくせば、長時間労働がひどくなるだけです。
能力発揮のため?
自己実現や能力発揮を望む人が増えている。必要なときはまとまって働き、その代わりにまとめて休めるよう、時間にとらわれず働ける制度が必要だ、といいます。
それは現行法で十分にできます。深夜・長時間労働をもたらすなどの問題点がありますが、一日八時間をこえて働く「みなし労働時間制」や「変形労働時間制」があり、通常でも労使間の協定さえあればできます。
ただし、こうした制度には導入する要件や割増賃金の支払い義務が課せられています。時間規制を外すのは、こうした義務から逃れたいという経営者側の要求だけです。
成果ではかる?
仕事の成果と時間の長さは一致しないから、労働時間規制はやめるべきともいいます。
仮に、Aさんが八時間でできる仕事にBさんが十時間かかるとします。Bさんは二時間分の残業手当を得られるので不公平だというわけです。
成果ではかるというのなら、Aさんの八時間賃金とBさんの十時間賃金を同じに設定するか、Aさんを昇給・昇格で処遇すればすむ話です。にもかかわらず時間規制を外すのは、残業代を払いたくないという経営者の身勝手な動機だけです。所定内で働くのが原則であり、労働者の健康を守るためにも時間規制を外すことは認められません。
歯止めになる?
一定の年収や本人同意を要件にするので歯止めになる、といいます。
経営者から同意を求められても、断れるような力関係にある労働者はほとんどいません。
年収も、日本経団連は四百万円以上を対象者に求めています。いったん導入すれば、最初は年収要件が高くても、やがて引き下げられるのは目に見えています。そもそもいくら年収があっても健康を壊すような働き方を強いることは認めるべきではありません。
広がらない?
対象となるのは、「管理監督者に準ずる労働者」だからそんなに広がらないともいいます。
課長職と係長職をあわせると約百六十万人。チームリーダーなど広義の管理職は三百万人を超えるといわれ、労働者の二割におよぶとされます。
現行法で規制の対象外とされる「管理監督者」でさえ範囲が広げられ問題になっているのに、それが公然とできるようになりかねません。
アメリカでは、ハンバーガー店の副店長から作業所のチームリーダーまで対象が次々と拡大され問題になっています。約20%が労働時間の適用除外者とみられています。
(「赤旗」200677)
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不当解雇 金で解決
労働契約法厚労省素案 労働条件改悪も自由
厚生労働省は二十一日の労働政策審議会労働条件分科会に、新しく定める「労働契約法」の素案を提案しました。
賃下げなど労働条件を変更する場合、労働者個人が同意しなくても、会社がつくる「就業規則」で自由にできるようにすることを明記。裁判で解雇無効となっても、解決金さえ払えば職場復帰させなくてもすむ「解雇の金銭解決制度」の導入を提案しました。解決金の水準など具体案は提示しませんでした。
労働者を何時間働かせても残業代を払わずにすむ「自律的労働時間制度」とあわせて、三つの改悪を提案したことになります。いずれも財界が求めてきたもので、労働基準法はじめ労働法制を根本から覆す内容です。
就業規則は現行法でも労働者の同意なしに作成・変更できるため、労働者が規制を求めていましたが、素案は「変更の必要性」や「労使の協議状況」などから「合理的」と判断できれば変更を認めます。反対しても、企業に都合のいい契約を押し付けられる仕組みです。
金銭解決制度は、二〇〇三年の労基法改悪の際にも検討されましたが、労働者の反対で断念に追い込まれたもの。企業は裁判など気にせず解雇ができることになります。
この日の分科会では、労働者委員が「就業規則は使用者が一方的に作成・変更できる。労働者との合意を基本とする契約法に盛り込むべきでない」「金銭解決は職場復帰の権利を奪うもので外すべきだ」と批判しました。
(「赤旗」20061122)
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農奴は土地に属して、土地の領主に収穫をもたらす。
これに反して、自由な労働者は自分自身を売る、しかも切り売りするのである。
彼は、一日また一日、彼の生命を八時間、一〇時間、一二時間、一五時間と、いちばん高く買うものに、原料や労働用具および生活手段の所持者、すなわち資本家に、せり売りする。
労働者は、所有者にも土地にも属しないが、彼の日々の生活の八時間、一〇時間、一二時間、一五時間は、これを買う人のものなのである。
労働者は、自分がやとわれている資本家のところから、何度でもすきなだけ去る。
そして資本家は、もはや労働者からいかなる利益をも、または予期した利益を引きだしえなくなるやいなや、自分がよいと思うだけ何度でも、労働者を解雇する。
しかし、唯一の生計の源泉が労働力の販売である労働者は、その生存をあきらめないかぎり、買手の全階級すなわち資本家階級から去ることはできない。
彼は、あれこれの資本家に属してはいないが、資本家階級に属している。そして、そのさいに彼の問題となるのは、だれかに自分を売りつける、すなわちこの資本家階級のうちに買手を一人みつける、ということである。
(マルクス著「賃労働と資本」新日本出版社 p37-38)
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◎「唯一の生計の源泉が労働力の販売である労働者は、その生存をあきらめないかぎり、買手の全階級すなわち資本家階級から去ることはできない」と。