学習通信061127
◎1日12時間以上……19世紀の労働者

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関西・首都圏の会社ゆとり渇望
男性の3割12時間労働
連合総研調査

 京都、滋賀、大阪など関西圏と首都圏に住む男性会社員の28%が、平均で1日12時間以上を仕事に割いていることが連合のシンクタンク、連合総研(東京)の調査で26日、分かった。特に30代では3人に1人が1日の半分以上を仕事に取られていると答えた。残業する理由は「仕事量が多い」が最も多く、大半の人が趣味や休息の時間を求めていた。押し寄せる仕事に長い時間を割かれ、生活のゆとりが失われているサラリーマンの姿をうかがわせた。

20─40代負担重く

 調査は九〜十月、民間企業に勤務する二十〜五十代の男女九百人に質問を郵送し、七百七十二人から回答があった。

 通勤時間を除き一日に仕事に割く時間の平均は九・五時間。男女別では男性が一〇・五時間、女性が七・九時間だった。

 一日十二時間以上と答えたのは全体の19%。男性は28%、女性は5%と、男性の仕事人間≠ヤりが際立った。男性を年代別にみると、二十代は29%、三十代33%、四十代30%、五十代18%だった。

 残業する理由は「仕事量が多い」が49%と最多。次いで「突発的な仕事がある」40%、「仕事の繁閑の差が大きい」23%の順に多かった。

 一方で残業代が全額支払われていると回答したのは52%と、半数にとどまった。ただ働きのサービス残業となる理由を聞くと「上司の対応など雰囲気で残業手当を申請しにくい」が最多だった。

 改める方策模索を
 森岡孝二
 関西大教授(企業社会論)の話

 長期の景気低迷で新規採用が抑制されてきたため、中堅社員の負担は大きくなっている。さらに最近の景気回復で業務量は膨らむ一方、派遣社員など非正社員が増えているから、正社員に仕事が集中している。今回のデータには、正社員を中心に、職場が厳しい状況に置かれている様子がよく表れている。「働きすぎ」を改める方策を真剣に模索すべきだ。
(京都新聞20061127)

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 すると、われわれの労働者は、彼をやとっている資本家から毎日三マルクの賃金をうけとる。資本家は、そのかわりに彼を、たとえば毎日一二時間働かせる。しかも、この資本家は大体つぎのように計算する。

 われわれの労働者──機械エ──は、ある機械の一部分をつくらなければならず、それを一日で仕上げるものと仮定しよう。原料──必要なものとして前もってつくられた形態での鉄や真鍮(しんちゅう)──は、二〇マルクするとしよう。

蒸気機関の石炭の消費と、この蒸気機関そのものの摩損、旋盤やその他われわれの労働者が労働するさいに用いる道具の摩損とは、一日分および彼一人分について計算すれば、一マルクの価値であるとしよう。一日分の労賃は、われわれの仮定によれば、三マルクである。総計すれば、この機械部分は二四マルクになる。

しかし資本家は、これとひきかえに彼の顧客から平均して二七マルクの価格を、すなわち彼が投下した費用を三マルクこえる価格を、うけとるように計算する。

 資本家がポヶットにいれるこの三マルクはどこからでてくるか。古典経済学の主張によれば、諸商品は平均してそれらの価値で、すなわちこれらの商品にふくまれている必要労働量に一致する価格で、売られる。

こうして、さきの機械部分の平均価格──二七マルク──は、その価値にひとしく、それにふくまれている労働にひとしいということになるであろう。しかし、この二七マルクのうち二一マルクは、例の機械工が仕事をはじめる前に、すでに存在していた価値であった。

二〇マルクは原料に、一マルクは作業中に燃焼された石炭、またはそのさいに使用されてその作業能力をこの価値額だけ減少させた機械や道具に、ふくまれていた。残っているのは、原料の価値につけくわえられた六マルクである。

ところが、この六マルクは、わが経済学者たちの仮定によれば、ただわれわれの労働者が原料につけくわえた労働からだけ生じうる。彼の一二時間分の労働は、六マルクの新しい価値をつくりだしたのである。こうして、彼の一二時間分の労働の価値は、六マルクにひとしいということになるだろう。こうして、われわれはついに、「労働の価値」とはなにかを発見した。

 「ちょっと待て!」とわれわれの機械工はさけぶ。「六マルクだって?しかしおれがうけとったのは、たった三マルクだけだ! おれの資本家は、おれの一二時間分の労働の価値はただの三マルクだけだ、とかたく誓って言う。そしておれが六マルクを要求すると、彼はおれをあざわらうのだ。どのようにしたら、これが合致するのだろう?」と。

 われわれはさきに、あの労働の価値について堂々めぐりにおちいった
が、今度はいよいよ解決できない矛盾におちいってしまったのだ。われわれは労働の価値をさがしもとめて、必要とするよりも多くのものを見いだした。

労働者にとっては一二時間分の労働の価値は三マルクであり、資本家にとっては六マルクである。そのうち資本家は三マルクを賃金として労働者に支払い、三マルクを自分でポケットにいれる。こうして、労働は一つの価値ではなく、二つの価値を、しかも非常に異なる価値をもつことになるのだ!
(マルクス著「賃労働と資本 ─序論(エンゲルス」新日本出版社 p18-20)

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◎「働きすぎ」……
「労働者にとっては一二時間分の労働の価値は三マルクであり、資本家にとっては六マルクである。そのうち資本家は三マルクを賃金として労働者に支払い、三マルクを自分でポケットにいれる」と。