学習通信061201
◎「都合のいい労働力」……
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イングランドの労働者の性格に大きな影響を与えたもう一つの要因は、アイルランド人の移住であり、その関連についてはすでにのべた。
たしかに、すでにのべたように、彼らは一面ではイングランドの労働者を堕落させ、文明から遠ざけ、その状態を悪化させた──しかし、他面では、そのことをつうじて労働者とブルジョアジーとの分裂をふかめ、せまりくる危機を早めるのに役立った。
──なぜなら、イギリスが苦しんでいる社会の病気の経過は肉体の病気の経過と同じだからである。
社会の病気も一定の法則にしたがって進行し、危機をむかえるのだが、その最後の、もっともはげしい危機が患者の運命を決定する。
そしてイギリス国民はこの最後の危機を迎えても滅亡するのではなく、かえって復活し、再生し、危機から脱出するに違いないのだから、病気をぎりぎりのところまで進行させていくものについては、すべて喜んでよいのである。
そしてその上、アイルランド人の移住は、情熱的で生き生きとしたアイルランド人気質を、イングランドに植えつけ、イングランドの労働者階級のなかへもちこんだことによっても、役に立っている。
アイルランド人とイングランド人との関係は、多くの点で、フランス人とドイツ人との関係に似ている。
そして比較的軽率で怒りっぽく、激情に走りやすいアイルランド人の気質と、冷静で忍耐づよく、理性的なイングランド人の気質とがまじりあうことは、長い目で見れば両方にとってきっと有利になるに違いない。
もし、浪費的といってよいほど気前がよく、ひどく感情に支配されやすいアイルランド人の性格がもちこまれ、一面では混血によって、もう一面では日常的な交流によって、理性的で冷静なイングランド人の性格がやわらげられることがなかったならば、イングランドのブルジョアジーの冷酷な利己主義が、現在よりもはるかに多く、労働者階級のなかに残ったであろう。──
(エンゲルス著「イギリスにおける労働者階級の状態 上」新日本出版社 p188-189)
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経済難民
いざなぎ超えの陰で
第二部 効率化の果て
分業城下町に別の国
トヨタ自動車の城下町、愛知県豊田市に、日本とは言葉も暮らし方も違う「別の国」が生まれようとしている。外国人の住民が四割以上を占める保見団地には、ブラジル人の経営するスーパーやフィットネスクラブ、教会がそろう。ポスターや看板もポルトガル語だ。
団地内で外国人に勉強を教える民間非営利団体(NPO)「トルシーダ」では、長く日本にいてもたどたどしい日本語しか話せない子どもが多い。日系ブラジル人のみゆき(一一)=仮名=は四年まで日本の小学校にいたが、なじめずブラジル人学校に転校し、午前中だけトルシーダに通う。最初は一年生の漢字も書けず二けたの足し算もできなかった。
トオル(一五)=同=は最近まで勉強中もフードを目深にかぶり、顔すら見せようとしなかった。トルシーダ理事長の伊東浄江は「日本に居場所を見つけられず、精神的に不安定な子どもも多い」と話す。多くがブラジル人学校を十四歳で卒業し、親と同じように工場へ就職するため、勉強する意欲も薄いという。
不就学三分の一
文部科学省は二〇〇五年度から、豊田市を含む十七市町村で外国人児童の不就学調査を始めた。転居などで把握できない家庭も多いが、豊田市では、児童約千二百人の三分の一が、外国人学校にも日本の学校にも通っていなかった。
伊東は「日本の学校に入れた子どもがいじめにあったなどの悪いイメージが伝えられて、日本人や日本社会に批判的な親も少なくない」と話す。
トヨタやキャノンなど業績好調な企業を陰で支えるのは、安い賃金で長時間の重労働をこなす外国人労働者だ。たとえばトヨタなら本体を頂点に子会社の系列工場で日系ブラジル人が働き、その下に外国人研修生の働く三、四次下請けが続く。
「時給300円」換算
研修生の給与は、時給換算で三百円程度。ある四次下請けの社長は「労働基準法の最低賃金(全国加重平均で六百七十三円)を払って経営するのはとても無理」と訴える。もちろんトヨタが研修生を使えと命じることはないし、実態は見て見ぬふりだ。
ある電機メーカーの工場を抱える別の自治体の職員も「バスに外国人をたくさん乗せて来て工場で働かせても、地元の雇用には関係ない。外国人がどこから来るか? さあ、知リません」と、外国人労働者に無関心だ。
保見団地でも、外国人と地域社会のかかわりは薄い。トルシーダで活動するボランティアも「団地住民は一人だけ」(伊東)だ。休日、腕の入れ墨もあらわに昼から缶ビール片手に歩く日系ブラジル人や、平日の昼間から団地をぶらつくその子どもたち。彼らを白い目で見る日本人は多いが、地域の一員として迎え入れようという動きはほとんどない。
日本経団連は人口減少時代を踏まえ、政府に外国人労働者の受け入れを推進するよう求めてきた。だが、企業にとっても彼らは守るべき身内ではなく、「都合のいい労働力」にすぎないのが実情だ。地域社会と彼らの間に横たわる相互不信を放置したまま、「別の国」は少しずつ全国に広がり始めている。(敬称略)
(京都新聞 夕刊 20061130)
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アイルランド人の移住
われわれはすでに何回か機会あるごとに、イングランドヘ移住してきたアイルランド人についてのべたがいま、この移住の原因と結果について、もっと詳しくのべなければならない。
イングランドの工業の急速な発展は、もしイングランドが自由に使える予備軍として、アイルランドの多数の貧しい人口をもっていなかったならば、おこりえなかったであろう。アイルランド人は本国では失うものはなにもなく、イングランドヘくれば多くのものを手にいれることができる。
セントジョージ海峡の東側には、腕力のつよいものには安定した仕事とよい賃金があるということがアイルランドで知れわたったときから、毎年、アイルランド人が群をなして海峡を渡ってきた。現在までに一〇〇万人以上がこのようにして移住してきており、いまなお毎年五万人が移住してきていると、計算されている。
彼らはほとんどすべて工業地帯に、とくに大都市へおしよせ、そこで人口の最下層階級を形成している。
こうして、ロンドンには一二万人、マンチェスターに四万人、リヴァプールに三万四〇〇〇人、ブリストルに二万四〇〇〇人、グラスゴウに四万人、エディンバラに二万九〇〇〇人の貧しいアイルランド人がいる。これらの人びとは、ほとんど文明を知らずに成長し、若いときからありとあらゆる欠乏に慣れ、粗暴で酒飲みで、将来のことなど気にしていない。
こういう人びとがやってきて、その粗野な慣習を、イングランドの住民のなかの、ほとんどまったく教養や道徳に関心をもたない階級へ、もちこむのである。
トマス・カーライルに語らせよう。
「ずる賢くて、下劣で、思慮もなく、貧しく、人を馬鹿にしたような様子をしている野蛮なマイルズのような顔つきの連中が、わが国の大通りや裏通りのいたるところで、あなた方におじぎをしていく。イングランド人の御者(ぎょしゃ)はこのマイルズの子孫のそばを駆けぬけていくとき、鞭で彼をなぐりつける。彼は御者をののしり、帽子をさしだして物乞いをする。彼は、この国がたたかわなければならないもっとも不快な害悪である。
彼はぼろを着て、すさんだ笑いをうかべながら、つよい腕とつよい肩さえあればよいような仕事なら、なんでもやろうと待ちかまえている──ジャガイモしか買えない賃金でも。調味料には塩だけあればよい。彼は手あたりしだい豚小屋でも犬小屋でも満足して眠り、納屋をねぐらとし、ぼろを着ている。このぼろ服をぬいだり着たりすることはたいへん手間のかかる作業なので、お祭りや、とくにおめでたいときにしか、着がえをしない。
サクソン人〔イングランド人〕はこういう条件では働くことができないので、失業してしまう。まだ文明化されていないアイルランド人は、力によってではなく、それとは逆のものによって、土着のサクソン人を追いだし、それにとって代わる。ここで彼は、彼特有の不潔さ、無頓着のうちに、酔っぱらっては暴力をふるい人をだまして暮らしているが、それが堕落と無秩序の完全な中心になっているのである。
もっと泳ごう、もっと水面に浮かんでいようとがんばっているものから見ると、ここには、泳いでいなくても、沈んでいても、人間はどうやれば生きていられるかという実例が見られる。
……イングランドの労働者の下層の大衆の状態が、あらゆる市場で彼らと競争しているアイルランド人の状態にますます近づいていること、あまり熟練していなくても、体力だけでできる仕事はすべて、イングランドの賃金ではなく、アイルランドよりすこし上の賃金で、すなわち、『一年のうち二〇週は最下等のジャガイモでなかば空腹をみたす』程度よりは、いくらか多い賃金でおこなわれているということ──いくらか多いといっても、アイルランドから新しく汽船がつくたびに、この最終目標に近づいていく──こういうことを知らないものがいるだろうか」。
カーライルがここでいっていることは──アイルランド人の国民性を誇張して一面的に非難していることを除けば、まったく正しい。これらのアイルランド人の労働者は四ペンス(三と三分の一ジルバーグロッェン)でイギリスヘ渡ってきて──しばしば汽船の甲板に家畜のようにつめこまれ、立ったままで──どこにでも住みつく。最低の住居でも彼らにとっては十分である。
着るものも、一本の糸でつながってさえいれば、ほとんど気にしない。靴ははいたことがない。食べるものはジャガイモで、ジャガイモだけである──それ以上稼げば飲んでしまう。こういう種族に高い賃金は必要だろうか? すべての大都市の最低の地域にはアイルランド人が住んでいる。
ある地域が異常な不潔さと、異常な荒廃で目立っていればどこでも、土着の人びとのサクソン的人相と一目で区別できるケルト系の顔によく出会うし、また純粋のアイルランド人ならけっしてやめられない、あの歌うような、鼻にかかったアイルランドなまりを、耳にすると思ってよい。
ときどき私は、マンチェスターの人口密集地域で、ケルト系のアイルランド言葉が話されるのさえ、聞いたことがある。地下室に住んでいる家族の多くは、ほとんどすべてアイルランド出身である。ようするに、アイルランド人は、ケイ博士もいっているように、生活必需品の最小限がどの程度のものであるかを発見し、そしてそのことをいまイギリスの労働者たちに教えているのである。不潔さと飲酒癖もまた、彼らがもちこんだものである。
こういう不潔さは、人口が分散している田舎ではあまり害にはならないけれども、しかしアイルランド人には第二の天性となってしまい、ここ大都市では集積されて、はじめて恐るべきもの、危険をもたらすものとなるのである。
このマイルズの子孫たちは、自分の故郷で習慣となっていたように、ここでも汚物やごみをすべて家の戸口にぶちまけ、そのため水たまりや糞の山ができ、それが労働者地域を見苦しくし、空気を臭くしているのである。アイルランド人は故郷にいたときと同じように、家にくっつけて豚小屋を建て、それができないときには室内で豚といっしょに寝る。
大都市でこういう新しい異常な家畜の飼い方をするのは、まったくアイルランド人のはじめたものである。アイルランド人は、アラビア人が自分の馬に愛着をもっているのと同じように、自分の豚に愛着をもっている。ただ違うのは豚が屠殺してもよいぐらいにまでふとると、これを売ってしまうことだ──しかしいつもは、彼は豚といっしょに食事をし、いっしょに眠り、子どもたちは豚といっしょに遊び、豚にまたがり、泥のなかをいっしょにころげまわる。こういうことは、イングランドのどこの大都市でも何千回も見ることができる。そしてそのために、家そのもののなかが、どんなに不潔で、住みにくくなっているかは、想像することさえできない。
アイルランド人は家具には慣れていない──ひとかたまりの藁と、衣服としてはまったくだめになってしまったわずかばかりのぼろさえあれば、彼の寝具としては十分である。ひときれの材木、こわれた椅子、テーブル代わりの古い箱それ以上のものは彼には不必要である。一個の湯わかし、いくつかの深鍋と皿、これだけあれば、寝室兼居間でもある台所用品としては十分である。そしてもし燃料が不足すると、椅子でも、入口の柱でも、暖炉の棚でも、床板でも、燃えるものがあれば手あたりしだい、暖炉のなかへ投げこむ。
さらに−部屋がたくさんあっても彼にはなんの役に立つであろうか? 海の向こうにある彼の粘土小屋では、家のなかのたった一つの部屋が家事全般にあてられていた。この家族はイングランドにおいても一部屋以上は必要としない。このように、一部屋にたくさんの人をつめこむことも、いまではどこにおいても見られるが、主としてアイルランド人の移住によってもちこまれたのである。それでも、このあわれな奴でも一つぐらいは楽しみがなければならない。
そして社会はその他すべての楽しみから彼を締めだしているので──彼はでかけていってジンを飲むのである。ジンだけがアイルランド人にとって人生を苦労のしがいにするものである──ジンと、それがなくても、のん気で陽気な性格がある。そこで彼は酔っぱらってあばれるまでジンを飲むのである。アイルランド人の南国的で軽溥な性格、ほとんど野蛮人にひとしい粗暴さ、この粗暴さのために楽しむことのできないあらゆる人間的な楽しみにたいする軽蔑、その不潔さと貧しさ、これらすべてのことのために彼はますます酒に溺れる──この誘惑はあまりに大きくて抵抗することができず、お金が手にはいるとすぐ飲んでしまう。ほかにすることがあるだろうか。
社会は、彼がどうしても大酒飲みにならざるをえないようにしておき、すべての点で彼を無視し、粗暴化させておいて、現実に彼が大酒飲みになったとしても、あとになってからどうして彼を告発しようとするのだろうか?
このような競争相手とイングランドの労働者はたたかわなければならない──この競争相手は文明国全体のなかで可能なかぎり最低の段階にあり、したがってどんな人よりも安い賃金しか必要としていないのである。
このため、カーライルがいっているように、アイルランド人が競争相手となることのできるすべての部門で、イングランドの労働者の賃金は、ますます低くおし下げられていく以外にない。そしてこういう労働部門はたくさんある。ほとんど、あるいはまったく、熟練を必要としない部門は、すべてアイルランド人に開放されている。
もちろん、長い見習い期間や規則的に活動をつづけることを必要とする仕事には、だらしなくて、気まぐれで、飲んだくれのアイルランド人はあまりにも程度が低すぎる。
機械工になり、工場労働者になるためには、アイルランド人はまずイングランドの文明と、イングランドの慣習を身につけ、ようするに、事実上イングランド人にならなければならない。しかし単純で、あまり正確ではない労働でも通用し熟練よりもむしろ体力が重要なところでは、アイルランド人はイングランド人と同じように役に立つ。
したがって、こういう労働部門はとくにアイルランド人があふれている。手織工、左官職人、荷物運搬業、便利屋などにはたくさんのアイルランド人がいるし、ここへこの民族がはいってきたことが大きな原因となって、賃金が引き下げられ、労働者階級の地位そのものも引き下げられた。
またその他の労働部門へ侵入したアイルランド人は文明化されたに違いないが、しかしやはり昔からの悪い習慣がたくさん残っていて、ここでも──アイルランド人が環境全般にもたらしたに違いない影響とならんで──イングランド人の労働者仲間の地位を下げるような影響をおよぼした。
というのは、ほとんどすべての大都市において、労働者の五分の一、ないしは四分の一が、アイルランド人であるか、あるいはアイルランド的な不潔さのなかで成長したアイルランド人の子どもであるのだから、労働者階級全体の生活、その慣習、その知的道徳的状態、その性格全体が、こういうアイルランド的本性をかなりとりいれたことは、おどろくべきことではないし、また近代工業や、その直接的結果によってすでに低下していたイングランドの労働者の状態が、どうしてさらにいっそう悪化させられることができたか、という理由も理解できるであろう。
(エンゲルス著「イギリスにおける労働者階級の状態 上」新日本出版社 p142-148)
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潮流
欧州の西端に近い、ギネスビールの国アイルランド。アジアの東端部、キムチの国の韓国。二つの国をくらべる人がいます
▼イギリスにとってのアイルランドは、日本にとっての韓国だ、と。かつて、アイルランドはお隣イギリスの植民地。韓国は同じく日本の植民地。ともに、独立への苦難にみちたみちのりを歩んでいます。他国の支配がもとで、南北に国を分けられた歴史も似ています
▼朝鮮戦争のときは肉親同士も争わされましたが、アイルランドでは、国づくりをめぐり兄弟や友が銃を向け合うよう、仕向けられました。近く公開の映画「麦の穂をゆらす風」は、アイルランドの悲しみの大地でたたかった、そんな若者たちをえがいています
▼ことしのカンヌ映画祭で、最高賞をえた作品です。村を出て、山を拠点に独立闘争を繰り広ける若者。目をそむけたくなるイギリス当局の拷問。日本が韓国の抵抗者に加えた仕打ちを思い起こします
▼やがて独立するにはしますが、イギリスは巧妙な外交のわなをしかけ……。イギリス人のケン・ローチ監督は、カンヌ映画祭でのべました。いまイラクヘ兵を送るイギリスを告発しながら、「過去について真実を語れたなら私たちは現実についても真実を語ることができる」と
▼映画の題は、抵抗のシンボルだった同名の歌からとっています。「静かな風が峡谷をわたり 黄金色の麦の穂をゆらしていた」。韓国でこれにあてはまるのは、民族の歌「アリラン」でしょう。アリラン 峠を越えゆく」
(「赤旗」20061112)
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◎「そして比較的軽率で怒りっぽく、激情に走りやすいアイルランド人の気質と、冷静で忍耐づよく、理性的なイングランド人の気質とがまじりあうことは、長い目で見れば両方にとってきっと有利になるに違いない」と。