学習通信061206
◎子どもを不当に評価してはいけない……

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●──人間の社会的本質と保育の仕事の意義

 キリンやゾウの赤ちゃんの場合には、そしてサルの赤ちゃんの場合にも、脳の配線までが母胎のなかでかなりの程度にできあがったところで生みおとされる。だから、生まれたときから相当にたくましいわけです。ところが人間の場合には、その配線作業がもっぱら生後にもちこされるわけですね。

 脳細胞間の配線作業、ネットワークの形成が主として胎内においてではなく、胎外でなされる、ということは、人間の本質にかかわる重要な意味をもっています。脳のネットワーの形成がもっぱら胎内でおこなわれるということは、それが純粋に生理的な環境のなかで、純粋に生理的に形成される、ということでしょう。

その場合、赤ちゃんは、ほぼできあがった脳をもって生まれてくるわけで、生まれてからのちつけくわえられるものがあるとしても、それはまさしく「つけくわえ」以上に出るものではない、ということになります。

脳のはたらきを「心」と呼ぶならば、キリンの赤ちゃん、ゾウの赤ちゃん、サルの赤ちゃんには、生まれながらにしてかなりの程度のキリン心、ゾウ心、サル心がそなわっている、といえるでしょう。

これにたいして、脳のネットワークの形成がもっぱら胎外でおこなわれるということは、それがもっぱら生理的な環境のなかでではなく社会的・文化的な環境のなかで、もっぱら生理的にではなく社会的・文化的に形成される、ということですね。人間の赤ちゃんは人間のかっこうをして生まれてきますが、そのときすでに「人心」がそなわっているわけではないのです。「右も左もわからない赤ん坊」「まだ人心地つかない赤ん坊」というでしょう。

人間としての心は生まれながらにして生理的にそなわっているものではなく、社会的・文化的に育てあげられるものだ、ということをそれは意味しています。

 そういう点で人間は、まさに「特別な動物」なんですね。イヌだってネコだってパンダだって、他の動物とちがうという意味ではもちろんみんな「特別な動物」ではありますが、人間が「特別な動物」だというのはそれだけの意味でではなく、動物学だけではとらえつくせない、という特別の意味で「特別」なんです。動物学で問題にしうる範囲を大きくはみだす、そこに人間の人間たるゆえんがある、ということです。「人間は社会的存在である」というのは、そこをさしていうのでしょう。保育の仕事は、人間のこうした本質的な特徴と深くむすびついているのだと思います。

 『婦人問題辞典』(学習の友杜)で「保育」の項を引いてみたら、つぎのように書きだされていました。

 「人間の子どもは、自らの力だけでは発達はおろか、生命を維持することすらできない能なし≠フ状態で生まれる。赤ん坊は文化的環境のなかに生まれおち、文化にうらづけられた生活活動にくみこまれることによって、人間として生きる力を獲得していかねばならない。人類がさまざまな経験によって蓄積し発展させてきた人間の諸力を、生活諸活動を通じて学びとり、人類の諸達成を自分のものにすること、これが発達である。このさい、子どもの諸活動は試行錯誤にゆだねられるのではなく、能なし≠ネるがゆえに誕生のはじめから、おとなの援助と指導(教育作用)がくわえられる。発達にとって教育は不可欠の条件である」

 このことばを以上の一応のまとめにかえるとともに、これからいっしょに考えていくことの出発点にすえたいと思います。
(高田求著「未来をきりひらく保育観」ささら書房 p23-26)

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おとなの「迷いと不安」は伝染する──入園のまえに

 近ごろは幼児教育の普及もあって、小さなときから集団生活をさせる家庭がふえてきました。そこで、入園前、おとなたちがどんな準備をしたらよいのか、少し考えてみましょう。

 さいきん、私の関係する学校の学生たちが、「共働きと親子関係」というテーマで、働く父母と子どもの教育について調査をしました。その結果をみますと、生活が忙しいので、ただ保育園に子どもをあずけている家庭の子どもと、おとなの仕事・生活上の必要からもさることながら、むしろ子どもの教育のために早くから集団生活を経験させている家庭の子どもとでは、園、家庭生活のあらわれ方がたいへん違っていることが明らかになりました。

ただあずけている式の家庭の子どもは、集団生活になれにくく、家庭生活でも甘えが目立ちます。一方の、子どもの教育を考えて集団保育をさせている側の子どもは、園、家庭の両方でのびのびと生活しているということでした。

 ではこうした違いが、どうしてでてくるのでしょうか。学生さんたちの調査では、ただ違いの指摘に終わっていますが、この違いのでてくるいちばん大きな理由は、要約しますとおとなの集団生活についての「不必要な迷い」が子どもに伝染するということです。たとえば、おとなが集団生活の意義と教育的役割について自信をもっていることが、「みるみる変った子」にすることだと思われます。

 小さな子どもを早くから集団に入れるための準備としては、まず親の方で、集団生活の意義について、保育者やすでに集団生活を経験した父母と具体的な話し合いをもつことが第一に必要だといえましょう。

なお入園通知がありますと、園から、家庭状況調査(家族構成、家屋の状況など)や心とからだの調査(病歴、子防接種の有無、食事、睡眠、排せつの状況)、その他、送り迎えの人、父母の連絡先、登園、帰園時間などの連絡についての細かい「つたえ」があります。零歳児、一、二歳児など、ごく小さな子どものばあいは父母と保育者の具体的協力が必要です。ですから、できるだけくわしく書くことが、これからの子どもの成長に役立ちましょう。

 さらに今あげた生活のあれこれの連絡と同時に、これから親と保育者が協力して、どんな子どもにどう育てていくのか、どんな人間になってほしいのかなど、教育観や子どもの理想像についても話し合うことが、入園準備のいちばん大切なことだと思います。この点でも、たがいに学びあい、理解をふかめてゆく態度が必要です。
(近藤・好永・橋本・天野「こどものしつけ百話」新日本新書 p130-131)

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夕悠関西 インタビュー
赤ちゃんの心の働き 実証研究
新たな子ども像
育児のヒントに
京都大学院助教授
板倉 昭二氏

 キレる子どもやひきこもりが問題になり、乳幼児の育て方に関心が集まっている。延べ六百人を超える「赤ちゃんモニター」を集め、乳幼児の行動や心の働きを実証的に調べているのが京都大学大学院文学研究科助教授の板倉昭二さん(日本赤ちゃん学会常任理事)。

 「研究で明らかになった新しい子ども像を、育児のヒントとしても役立てたい」と意気込む。

──日本赤ちゃん学会の発足から五年がたち、「赤ちゃん」観が変わろうとしています。

「脳科学やコンピューター科学、ロボットエ学が急進展し、人の心の働きを探る研究が活発です。これらの最新の知見を乳幼児の研究に取り入れようと、二〇〇一年に発足したのが赤ちゃん学会です。会員は当初二百人前後でしたが、最近は保育・教育関係者らも加わり九百人を超えた。赤ちゃん学がそれだけ関心を集めているともいえます」

 「私の考えでは、子どもは『小さな大人』でもなければ『大人になるための準備期間』でもありません。極論すれば、赤ちゃんは別種の生き物かもしれない。乳幼児は動く人や物を注視したり、まず口で触れて物を探すなど特有の行動や心の働きが知られます。これらは大人とは決定的に違い、それ自体に意味があるはずです」

「これはダーウィンの進化論になぞらえることもできます。生物ははしごの階段を上るように進化するのでなく、環境に適応できる種だけが生き延びる。赤ちゃん特有の心の働きも同じで、年齢や環境に適応できるものだけが淘汰の結果、残ったのではないでしょうか。研究を通じ、新しい子ども像を探りたい」

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──赤ちゃんの心の働きを探るには、どんな実験があるのですか。

「よく知られるのが『足バタバタ実験』です。赤ちゃんを自分の足が見えないようにいすに寝かせ、目の前に二台のモニター画面を置く。ビデオカメラでその子が足を動かす様子を握り、一方の画面にリアルタイムで映す。もう一台の画面には別の赤ちゃんが足を動かす映像を流します」「すると赤ちゃんは自分の足より別の赤ちゃんの映像を長く見つめる。選好注視といって、乳児は好きなものを注視する傾向がある。自分の足の映像は自身で足を動かす感覚と一致するので興味がないが、他の赤ちゃんの足は予期せぬ動きをして気になるらしい。自分とは異なる何かを区別している証拠で、こうした『自己知覚』は五ヵ月見ぐらいから早くも表れます」

──母親との触れ合いも重要なテーマですね。

「テレビモニターを通じて母親と赤ちゃんを対面させる実験があります。最初は相手の様子がリアルタイムで分かるようにしておき、数十秒後に過去の録画像に切り替える。赤ちゃんは母親とコミュニケーションを試みても、母親の反応がずれているので困惑して視線をそらしたりする。研究室の大学院生の実験ではニヵ月児は母親を注視する動きが見られ、四ヵ月児は画面上の母親にほほ笑む時間が長くなった。赤ちゃんが正常なコミュニケーションを回復しようと試みているのでしょう」

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──こうした成果は子育てに応用できますか。

「多くは基礎的な段階ですが、応用できる場合もあります。やはり大学院生の実験で、一、二歳児に赤いリンゴを示し『これは緑だね』と尋ねると、その子は間違いを承知で『うん』と答えてしまう。この年齢では他人に問われると何でも肯定する『肯定バイアス』という傾向があるためです。三、四歳になると『違う』とはっきり言えるようになる」

「だから一、二歳児が大人の問い掛けにノーと言えなかったとしても、しかってはいけない。子どもは自分の能力を客観的に把握できません。それを責め、子どもを不当に評価してはいけないことを多くの研究成果が示唆しています」

──昔と違って権威ある育児書が見当たらず、子育てに戸惑う母親も多い。

「書店には育児雑誌が何種類も並び、若い母親は最大の情報源にしているようです。有益な情報もある一方、首をかしげる内容もある。研究成果を分かりやすく整理し、育児に役立つように提供するのも学会の役割と考えます」
(日経新聞夕刊 20061204)

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◎「脳細胞間の配線作業、ネットワークの形成が主として胎内においてではなく、胎外でなされる、ということは、人間の本質にかかわる重要な意味をもってい」……「集団生活の意義と教育的役割について自信をもっていること」と。