学習通信061212
◎「やつらが戻るのを許さない」……

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ピノチェト元大統領死去
チリ政府、哀悼の意表明せず

【ラパス(ボリビア)=松島良尚】一九七三年から九〇年までチリの軍事独裁政権を率いたアウグスト・ビノチェト元大統領(九一)が十日、急性心不全のため首都サンティアゴの陸軍病院で死去しました。現地からの報道によると、元大統領の支持者が死を悼む一方、独裁者を改めて糾弾する市民も市内各所に集まっています。

 チリでは七〇年に、社会党や共産党などの統一戦線に基づき、民主的な選挙でアジェンデ人民連合政府が誕生しました。ピノチェト元大統領は陸軍司令官当時の七三年九月、同政権を軍事クーデターで打倒しました。

 その後大統領となって戒厳令を敷き、左派勢力や民主的活動家らを徹底的に弾圧しました。約三千一百人が死亡・行方不明になりました。南米六ヵ国の軍事独裁政権の共同弾圧網「コンドル作戦」を主導したのも元大統領でした。

 元大統領はまた、大規模な民営化や外資規制の緩和など一連の新自由主義政策を世界で初めて導入。中南米諸国への新自由主義導入の先駆けとなりました。

 スペインの司法当局は、チリ在住スペイン人弾圧の罪で、英国滞在中の元大統領に対する捜査を要求。同氏は九八年十月に英司法当局に逮捕されましたが、二〇〇〇年三月に健康上の理由で釈放され帰国しました。

 その後チリ国内で○四年ごろから、多数の人権侵害事件に関連して司法手続きがとられ始め、最近は左派活動家の殺害や不正蓄財容疑などで起訴されていました。

 チリ大統領府は、元大統領の葬儀を国葬にはせず、政府としての哀悼の意も表明しないと発表しました。パチェレ現大統領も軍政下で逮捕され、亡命した経験を持っています。
(「しんぶん赤旗」20061212)

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 他民族の自決権をふみにじるアメリカ帝国主義の「力の政策」のあらわれとして、インドシナ問題とともに注目する必要があるのは、最近のチリと中東の事態であります。

 チリ人民連合政権をたおした軍事クーデターの真の演出者がアメリカ帝国主義であることは、世界にかくれもない事実であります。昨年アメリカの議会でも問題になったように、アジェンデ政権成立の直前から、アメリカのCIAと国際電信電話会社(ITT)は共謀して、人民連合政権打倒の陰謀をめぐらしてきました。暴露されたITTの秘密文書は、かれらが「極左にたいし、軍事介入に必要なふん囲気を作りだすための暴力的反応を挑発する努力」をおこなったことさえ、告白しています。

今回のクーデターにさいしても、ニクソン大統領が四十八時間前にこの計画を知っていたこと、クーデターの瞬問にはアメリカの艦隊が「合同演習」を名目にしてチリ沖に出動していたことなど、アメリカ帝国主義の介入を裏づける材料にことかきません。

チリ人民の意思にもとづき、選挙によって成立した合法政権を武力で打倒し、ファッショ的なテロ支配をしいた今回のチリ・クーデターこそは、各国人民の反帝独立、民主主義の闘争をうちくだくためには、どんな不法で残虐な手段に訴えることも辞さないアメリカ帝国主義の凶悪な本性をあらためて暴露したものであります。

そしてわれわれは、直接の軍事介入だけでなく、アメリカ謀略組織CIAやITTのような多国籍企業が、各個撃破政策の侵略と反革命の退嬰な道具であることをしめした点でも、この教訓を重視する必要があります。日本政府のチリ軍部政権のいち早い承認も、自民党政府がこうした反民主主義的暴力に好意をよせていることをしめすものです。
(「日本共産党第12回党大会 中央委員会報告」「前衛 臨時増刊号」日本共産党中央委員会理論政治誌 一九七三年 p36-37)

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ラテン・アメリカの胎動

 ラテン・アメリカでは,キューバにつづいて,チリにおいて,社会主義への方向が模索された。1969年,社会党・共産党・急進党・社会民主党など六つの政党によって人民連合が組織され、チリの銅をアメリカ独占資本からチリにとりもどし,農奴制的な大土地所有制をおわらせ,産業を国有化し,人間による人間の搾取を廃止するという共同綱領がつくられた。1970年の大統領選挙で,人民連合のアジェンデが当選し,チリにおいて選挙をとおしての社会主義への平和移行ができるかどうか,世界の注目を集めた。

 アジェンデ政権は,アメリカなど外国資本の手から,銅・石炭・石油・鉄など基礎資源をとりもどして,国有化し,大土地所有制を解体して,農民にあたえ,銀行を国有化(95パーセント)するなどの政策を進めたが,資本家や右翼の抵抗もはげしく,アメリカは銅の輸出を妨害するなど革命の進行を妨害した。アメリカのCIAや「多国籍企業」のITTも,アジェンデ政権転覆のためのクーデターなどの計画を絶えず画策した。ITTの秘密文書は,「アジェンデをおしとどめるためにフレイや軍部を動かすようこころみた。……また,極左に対し,軍事介入に必要なふんい気をつくり出すための暴力的反応を挑発する努力をひきつづきおこなっている」とのべている。

 1973年になると,資本家のストライキやサボタージュがひどくなり,物価が上がり,国民の生活は苦しくなり,いままで中立を保っていた軍部が、その右翼を中心としてクーデターをおこない,9月,アジェンデ政権をたおした。この軍事政権のもとで,チリ人民は,民主的自由と権利をいっさい奪いとられ、失業と超インフレに苦しめられている。こうしたなかで,チリ人民のあいだでは反ファッショ闘争が,次第に広がっている。

 たしかに,チリにみられるように,アメリカ独占資本や大地主の力は,ラテン・アメリカではまだ途方もなく強い。「北方の巨人」アメリカは,ラテン・アメリカ各国に137億ドル,外国投資の80パーセントを占める投資をし,とくに採鉱業では80パーセント,石油採掘では55パーセントを独占している。こうしたなかで,ラテン・アメリカの人民は2500万人の失業者をかかえ,2億2000万人の人口のうち,半分は年間所得1人あたり120ドル(4万6000円)という,ひどい状態におかれている。

キューバの革命,ベトナム人民の勝利がラテン・アメリカの人民にも大きなはげましをあたえ,反米民族解放の闘いは燃え上がらざるをえないのは当然である。「ベトナム人民の闘いは,私たちへの援助なのです」とパナマの人民は語っている。こうした民族解放の志向の高まりのなかで,ラテン・アメリカでの軍事クーデターも性格をかえ,中堅将校を主体として,反帝反寡頭制という民主的な政策をとるようになった。

ペルーでは1967年に成立した軍事政権が,アメリカの石油資本を接収して国有化し,農地改革をおこなって,国民の生活向上の政策を進めているし,パナマでは1968年に成立した軍事政権が,パナマ運河の国有化の交渉をアメリカとおこない,労働者の生活条件の改善などをおこなっている。

 米州機構のなかでのアメリカを支持するラテン・アメリカ諸国は少なくなり,「キューバ封鎖」は実質的に崩壊しつつある。
(土井・片山・堀越・吉村共著「新講世界史」三省堂 1986年 p556-557)

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ベネズエラ チャベス大統領3選
「国民に優しい政治」
米支持候補を圧倒
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 【カラカス=菅原啓】三日に実施されたベネズエラの大統領選挙ではチャベス大統領が大差で当選しました。これは、約八年にわたるチャベス政権の政策が多くの国民に浸透し、大きな支持を得ていることを示しました。

 「チャベス大統領の政策は、私たち貧しい国民に心を寄せているものばかり。白内障の手術を無料で受けた人もいるし、私の子どもたちも無料で大学に通えるようになった。こんなに国民に優しい政府はこれまで一度もなかった。こういう政策をもっと続けてほしい」

 首都カラカス東部、地下鉄ペタレ駅近くの投票所。四時間も列に並んで投票を待っていた女性アンヘリカ・フィゲラさん(50)が、チャベス大統領を支持する理由をこう語りました。

 三日は、二〇〇二年十二月にチャベス政権の転覆を狙う財界、親米勢力がベネズエラ最大の輸出品目である原油生産を停止する石油ストを開始した日からちょうど四年目にあたりました。ストは経済全体に深刻な打撃となりましたが、ストの終結(翌年二月)後、国営石油公社の再編を進めたチャベス政権は、原油生産量を回復するとともに、原油輸出収入を、さまざまな社会開発プログラムに活用していきました。

 無料の医療プログラムは、〇三年から〇六年九月までにのべ二億三千万回(人口の九倍)に達し、成人教育のプログラムでは、百五十五万人が読み書きを習得し、三十三万人が初等教育を修了するなどの成果を挙げています。

 原油価格の高騰にも支えられ、経済も順調に回復し、失業率は最悪だった〇三年の19・2%から9・6%へと低下、国民全体、とくに貧困層の生活水準が向上してきました。

 チャベス大統領は、利潤追求を第一とする資本主義の枠組みにとらわれない、国民生活向上を重視した社会改革を「二十一世紀の社会主義」と呼び、これをさらに発展させることを訴えました。

 これにたいし、市場にすべてまかせればうまくいくという新自由主義推進の財界や米国に支えられたのがロサレス候補です。チャベス政権の社会開発プログラムは継続すると公約する一方で、石油収入が途上国支援に活用され、国民生活向上は後回しだ、キューバ型の「共産主義」に向かっているなどと攻撃を繰り返しました。

 しかし、こうした批判は、チャベス政権の社会開発分野での豊富な実績の前に迫力を欠きました。

 ペタレ駅からバスで二十分。山の斜面にレンガ造りの粗末な家が折り重なるように建っているカジェホン・トーレ地区では、「ロサレスや野党はいろいろいいことをいうが、彼らは金持ちや米国の代表だ。ロサレスが勝てば過去への後戻りだ」という辛らつな批判の声が渦巻いていました。

 電信柱にはチャベス候補への投票を呼びかけるポスターに「やつらが戻るのを許さない」の文字。選挙結果はまさに、新自由主義や米国言いなりといった「過去」のベネズエラを代表する野党勢力の政権復帰にノーを突きつけたものとなりました。
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関連年表
1998年12月 大統領選挙で、「貧者救済」「汚職一掃」を掲げたチャベス元陸軍中佐が56%の得票で勝利
99年12月 新憲法案を国民投票で批准
2000年7月 新憲法に基づく大統領選挙でチャベス氏が約60%の得票で再選
02年4月 実業家や国軍内の反チャベス派将校によるクーデター。チャベス氏一時、監禁。国民の抗議行動で復帰
02年12月 反チャベス派の労組中心に2カ月のゼネスト開始
04年8月 野党から出された大統領罷免要求の国民投票。反対が約60%を占めて否決
05年12月 国会議員選挙。野党がボイコットし、与党が圧勝
06年12月 大統領選挙でチャベス氏が3選
(「しんぶん赤旗」2006125日)

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中南米変革の流れ一肩深く

 この地域では、近年、米国の支配に抵抗し、失業や貧困の増大など国民生活を破壊する新自由主義政策からの転換を掲げる政権が相次いで生まれています。昨年までにブラジル、アルゼンチン、ボリビア、パラグアイ、ウルグアイにまで広がっていたものが、二カラグア、エクアドルでもこうした傾向を持つ政治勢力が新たに選挙で勝利しました。チャベス大統領の勝利は、こうした変革のうねりの強さを改めて象徴するものといえます。

 チャベス政権は、米国の支配に抵抗し、域内の自主的な発展を共同でめざす南米諸国共同体や南米南部共同市場(メルコスル)でも、社会開発のテーマを重視するよう働きかけるなど積極的な役割を果たしてきました。

 当選を決めた直後のあいさつで、チャベス大統領は、周辺諸国の大統領らから祝意を伝える電話を受けたことを紹介しながら、南米の統合に向けて全力を挙げる立場を表明しました。

 ブッシュ政権は、ラテンアメリカの中で高まる「米国離れ」の傾向を助長しているとして、チャベス政権を敵視してきました。分裂状態だった野党勢力を強力な資金援助でまとめたのは米国政府の力といわれています。ベネズエラ国民は米国の敵視政策をはねのけてチャベス政権継続という明確な回答を示しました。
(「しんぶん赤旗」日曜版 20061210)

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◎「元大統領はまた、大規模な民営化や外資規制の緩和など一連の新自由主義政策を世界で初めて導入。中南米諸国への新自由主義導入の先駆け」と。