学習通信061214
◎絶滅の危機は確実に……

■━━━━━

南米エクアドルのガラパゴス諸島。一八三五年、イギリスの博物学者ダーウィンは、ほぼ一ヵ月かけ島々を巡りました

▼火山の火口があちこちに残る諸島で、さまざまな生物とであいます。リクガメ、鳥類や魚類。ガラパゴスにしかいない固有種の多さにびっくり。そして、同じ動物の形や色が島によって少しずつ違うと気づき、生物進化のなぞを解く手がかりをつかみました

▼ダーウィンは、書き残しています。「自然の創造力が、これだけ荒涼とした岩だらけの小島群に投下された作用の大きさには、まったくおどろかされる」(荒俣宏訳/『ダーウィン先生地球航海記』)

▼東京の石原知事一行がガラパゴス諸島を回ったのは、五年前です。四泊五日。周遊船の最高級の部屋の宿泊料は、知事だけで五十二万円余り。「(都議選での応援が)面倒くさいからガラパゴスヘ行っていた」というのですから、暇つぶしだったのでしょう

▼一回平均二千万円、分かっている十五回で二億四千万円つかった、石原知事一行の税金旅行のひとこまです。近県の知事の外遊費用と比べ、けた違い。東京・石原王国の王様か、とみまがうほどです

▼「自然の創造力」におどろかされる所は、東京にもあります。たとえば高尾山。千三百干種もの植物が育つ、奇跡の山です。石原知事は、せっかくのガラパゴス視察を生かし、高尾山に高速道路のトンネルを掘る計画をやめさせたらどうか。税金浪費の、せめてもの罪滅ぼしに。それで許される話ではないけれど。
(「しんぶん赤旗」 20061122)

■━━━━━

ガラパゴスの動物たち part 1

 ガラパゴスの島を最初に歩いたときの感動は、今でも忘れられない。小さなゴムボートに乗ってサン・クリストバル島の周辺を回ると、もう、そこいら中に野生動物があふれていた。まずは、湾に浮かぶ何隻ものボートのデッキに、大きなアシカがゴロゴロ寝ている。人が近づいてもまったく意に介さず、ぐっすり寝ている。初めはびっくりして、感動して、写真をとりまくったが、やがて、アシカなんてどこにでもたくさんいて、少しも逃げないことがわかった。あせることはないのである。

 上空にはブラウンペリカンとグンカンドリが悠々と飛翔している。グンカンドリは、繁殖期の雄が胸に赤い風船のような袋をふくらませるので有名だ。これまで、何度も大学の講義でこの鳥の写真を見せて話をしてきたが、実際に見るのはこれが初めてである。

 午後三時半。アシカの島という小さな島に上陸。ごつごつした黒い溶岩の磯に、真っ赤なカニが無数にはりついている。大学二年のとき、動物行動学者のアイブル=アイベスフエルトが書いた、『ガラパゴス──太平洋のノアの箱舟』という本を読んで感激したことがあったが、その表紙にこの赤いカニの写真が載っていた。それは、青い海と黒い溶岩を背景に、強烈な印象を私に残した。その写真そのものの光景が、今、目の前にあった。

 アシカの島は、名前の通り、アシカに占領されていた。砂浜にも海の中にもアシカがごろごろ。大きな雄が、「フギョ、フギョ、フギョ」と大声で鳴きながら、雌たちの周りを泳ぎ回っている。自分のハーレムのパトロールをしているのだろう。夕方になると、たくさんのアシ力が砂浜にあがって、コロンコロンと横に回転し、背中を砂にこすりつける。寄生虫対策だろうか? うんと近づいても逃げない。ちょうどからだの大きさと形にぴったりという感じの岩のくぼみに横になり、もう一つの岩を枕にぐっすり眠っている若い雌もいた。その、信頼しきったような寝顔は、ダーウィンの時代からずっと、人を恐れることのない動物で占められていたこの島を象徴していた。

 夜、サンタ・クルス号の船室のデッキから海を眺めていたら、何か、丸っこい形のものが動いていく。双眼鏡で見ると、ガラパゴスアオウミガメだった。その甲羅には、かなり大きな赤い巻貝が二つもくっついていた。しばらく、船の横を同じ方向に泳いでいたが、やがて沖に消えていった。

 バルトロメ島に上陸したときには、ガラパゴスペンギンが迎えてくれた。五羽のペンギンが溶岩の磯に立っていて、私たちのゴムボートが近づくと、そのうちの一羽が海に飛び込んでこちらに泳いできた。野生のペンギンをこんなに近くで見たのも初めてのことだった。そのあとウミイグアナを見た。海面から頭を出して、すいすいと泳いでいた。思っていたよりもずっと小さかった。

 この日は、五日間のガラパゴス滞在のなかで唯一、よく晴れた日だった。バルトロメ島の海岸には、溶岩のあぶくが破裂してできたという、きれいな円形の、サンゴ礁の環礁のような橋爪がいくつもあった。まるで円形のプールかお風呂のように、溶岩がまわりを囲っている。その中をアシカが一頭、ゆっくりと泳いでいた。この島の頂上はかなり高い。登りつめるとはるか遠くに、ダフネ島が見えた。この島は、プリンストン大学の進化生態学者、ピーター・グラントとローズマリー・プラントの夫妻が、長年にわたってダーウィンフィンチという鳥について研究している場所である。進化生物学者としては詣でたい島なのだが、関係者以外は立ち入り禁止。

 バルトロメ島の湾で泳いだ。水温は22度ほどで、なかなか冷たい。しかし、陽射しが強烈で暑いので、水に入っても大丈夫。底には海藻がたくさん生えていて、その間に、ハギの仲間やスズメダイの仲間が泳いでいた。魚を同定しようと潜っていたら、目の前にアシカが現れて仰天した。しばらく、アシカと一緒に泳いでしまった。

 昼食をとるためにサンタ・クルス号に戻る。食事のあとで自分の船室のデッキにいたら、船が残り物を海に捨てたせいで、何十羽というグンカンドリがそれを食べに船のあとをついて飛び、何度も海中にダイブし始めた。夢中でシャッターをきった。

 その午後、サン・サルバドル島を訪ねた。プエルト・エガスという小さな湾に上陸した。ここは、昔、エガスという人が住んでいて、海水から塩を作って生計を立てていたのだが、やがて南米本土に岩塩が発見され、廃業になってしまったということだ。彼の持ち込んだヤギやネコは、今日、ガラパゴスで大きな問題となっている、外からの侵入種の原因となった。エガス氏のネコだけではなく、入植者たちはみな、家畜やペットも連れてきた。そのなかで、野生化したネコとヤギが、とくに問題となっている。ガラパゴスの植生を荒らし、鳥たちやイグアナの卵を食べてしまうからだ。その数は数万頭といわれており、撲滅作戦が展開されている。

 この島では、ガラパゴスオットセイを見た。アシカより少し小さめで、少し毛がふわふわした感じがする。岩棚に、ごろごろと転がって寝ていた。その隣に、ウミイグアナが四頭、みんな沈む夕日の方向を向いてじっとすわっていた。午後五時半になると、日が傾き、太陽を見るイグアナの影も長く長く伸びる。怪獣のようなこわい顔をしたウミイグアナだが、ときどき、フン! といって鼻から海水を噴き出すのはたいへんに愛嬌があった。アシカの子どもが、何を思ったのかウミイグアナを追いかけ、尻尾を押さえつけようとした。逃げるウミイグアナは、今度は赤いカニにちょっかいを出す、カニはあわてて岩の割れ目に身を隠す、という追いかけっこがあった。

 ヘノベサ島は、海鳥の繁殖地である。アカアシカツオドリが、マングローブの木の中に巣を作っている。枝を集めただけの簡単な巣だ。その真ん中に、むくむくした白い羽毛におおわれたヒナがちょこんとすわっている。これもまた、まったく逃げない。人目を気にしない。鳥のヒナが、「つきそい」の親もなしに巣の真ん中にすわり、無邪気な目でこちらを見返しているなんて、信じられない光景である。

 親鳥は、からだはうす茶色、嘴(くちばし)が青で、足が真っ赤だ。アオアシカツオドリのほうが有名だが、アカアシカツオドリも負けず劣らず美しい。もう一種、真っ白のからだに黒い風切り羽のナスカカツオドリも清楚である。カツオドリはみな、正面から見ると目と目が離れていて滑稽な表情に見える。真っ黒いからだのヨウガンカモメは、もう三〇〇ペアしか残っていないということだ。

 ノース・セイモア島では、アオアシカツオドリの繁殖コロニーがあった。アオアシカツオドリは、うす茶色のからだに真っ青な足である。この青さが尋常でないほどに青く、今朝ペンキでも塗ったのかと思われるほどだ。面白い格好で踊る求愛のダンスが有名なのだが、私が訪れた8月は、もう求愛の時期は終わっており、ヒナがかえり始める季節だった。

 アオアシカツオドリの巣は、巣なんて呼べるものではない、地面の浅いくぼみである。糞や羽がまわりに白く散らばっている、その真ん中に親鳥がすわっている。卵は二つ。すでにヒナがかえっている巣では、ヒナが二羽いるところと一羽しかいないところがある。二羽いるところでは、二羽の大きさの違いが顕著な巣が多かった。やがて、小さいほうが死んでしまうのだ。ある巣では、すぐそばに一羽のヒナの死体があり、生き残ったほうは、無頓着に巣の真ん中にすわり続けていた。大量のヒナが死んでいる。それでも、少しも臭くない。海鳥の繁殖コロニーというのは、ヒナの死体や、親が吐き戻した魚や、糞などで、とても強い臭いがするものだが、ここは臭わない。乾燥していて、何もかもがカラカラだからだ。

 巣と巣の間隔はとても狭く、密集している。糞と羽が白く散らばった円形が目印で、よそ者がその内部に入ってくると、彼らは攻撃的な声を出し、追い払う。その外ならば、なわばり外なので、誰でも通行自由だ。ある一つの巣にいたヒナの写真をとろうとして、私が後ずさりしたら、隣の巣のなわばりに踏み込んでしまった。うしろから急に、「グワ、グワ、グワ」というしゃがれ声がしたのでびっくりして振りむくと、隣のアオアシカツオドリの親が、嘴で私の靴をつつこうとしていた。人間をまったく恐れることなく、人間の侵入者に対しても、愛らしいことに、他のカツオドリの侵入者に対するのと同じ脅しのポーズをとるのである。

 ノース・セイモア島は、リクイグアナが残っている島である。彼らは、もう本当に絶滅寸前なのだ。運がよければ、いつもいるサボテンのところで見られるかもしれないということだったが、私たちは運がよかった。まさに、目印のサボテンの下にいてくれたのである。顔と腹が黄色っぽく、背中と足は黒緑。ウミイグアナよりもずっと大きく、そして、やさしい目をしていた。しばらく写真をとらせてくれたが、やがて、ゆっくり、ゆっくりと歩き始め、藪の中に消えていった。

 ダーウィンは、ウミイグアナとリクイグアナをよく観察し、この二つの種は、もともと南米本土にいたイグアナが流木に乗ってガラパゴスに流れ着き、やがて、サボテンを食べるリクイグアナと海藻を食べるウミイグアナとに種分化したと考えた。イグアナはトカゲの仲間なのでそれが海に入るというのは珍しい。ダーウィンは、ウミイグアナが海に入るようになってからまだそれほど長い地質学的時間はたっていないのだろうと考えた。なぜなら、リクイグアナばかりでなく、ウミイグアナも、驚いたときには海に入らないで、藪の中に走りこんで身を隠そうとするからだ。と、ダーウィンは、こんな鋭い観察を行っている。

 さて、2004年の6月3日に、ガラパゴスではちょっとした騒動が持ち上がった。チヤールズ・ダーウィン研究所から送られてきた電子メールによると、漁業組合の一部の漁師たちおよそ五〇人が、研究所やガラパゴス国立公園の事務所を占拠してスタッフが働けないようにし、観光客の上陸も阻止しているというのである。5月30日にナマコ漁が解禁になった。しかし、ナマコは個体群の減少が危惧されているので、漁期は解禁から六〇日間、捕獲量は四〇〇万匹と決められた。また、島の中には、禁漁区に指定されたところもある。そして、翌年からは二年間、ナマコを禁漁にすることになっている。この取り決めに反対の漁師たちが、今回、このような行為に出たということだ。

 ガラパゴスは、動物たちがまったく人を恐れない、夢のような場所であった。あんなに無防備な動物たちを見ていると、よくも今まで生き延びてきたものと感心する。しかし、絶滅の危機は確実に訪れている。侵入種による被害、二万人の永住人口を支えるための活動、そして年間六万人の観光客。私もその観光客の一人であったのだが、今後、あのガラパゴスの自然を守るためには、今よりももっと制限が必要になっていくだろう。
(長谷川眞理子著「ダーウィンの史跡を訪ねて」集英社新書ヴィジュアル版 p102-115)

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
◎「その、信頼しきったような寝顔は、ダーウィンの時代からずっと、人を恐れることのない動物で占められていたこの島を象徴していた」と。