学習通信061215
◎無数の偶然が……

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偶然性をつらぬいて必然性がある

 次に偶然性と必然性の連関について考えましょう。これも弁証法にとって重要な概念です。

●偶然は偶然、必然は必然?

 日常会話では、偶然とは「たまたま」おこること、何の因果関係もなく予期せぬことがおこることをいいます。これにたいして、必然とは「かならずそうなる」こと、それ以外にありえないことをいいます。形而上学的思考では、この両者を切り離して、偶然は偶然、必然は必然と別々に考えています。偶然のことは必然ではなく、必然のことは偶然でないというわけです。

 この形而上学的思考にも二通りあります。一つは、世の中のできごとはみな必然であり、偶然と思われるのはそのできごとの原因をわれわれが知らないという無知によると主張し、どんなできごとも原因があるのだから、すべては必然であり、偶然性というものはないという考え方です。もう一つは、自然界は別としても、人間界はすべて偶然で、必然性はない。だから人間はまったく自由な存在であり、人間の行為は本人の責任であり、その意味で人間は主体的存在であるという考え方です。

 どちらにしても、偶然と必然とを機械的に分離して、片方だけで世の中のできごとを見ていこうという一面性が特徴です。

●偶然も必然も客観的に存在する二つの側面

 しかし、世の中のしくみはそのようなものでしょうか? 弁証法的思考はこれらと異なり、世の中には偶然的なものもあるが、偶然的な諸現象をつらぬいて必然性があると考えます。

 たとえば、ある人が横断歩道を渡ろうとして、不幸にして車にはねられる事故にあったとしましょう。だれが、どこで、いつ道路を横断しようとするかは偶然です。さらに、その地点に、スピードを出しすぎた車が来るのも偶然です。その車のスピードの出しすぎには原因はあるでしょうが、その車にはねられるかどうかはほんとうに偶然です。偶然のできごとだから事故といいます。しかし、さまざまな交通事故が車の台数が増えるのにしたがって多くなっているところからみれば、事故には一定の必然性があると考えられます。車が増加してすっかり車社会になっているにもかかわらず、十分な安全対策がとられていないことが、交通事故増加の必然的な原因です。

 あるいは、現在の不況のなかで、たくさんの中小企業が倒産したり、廃業に追い込まれたりしています。もちろん倒産する会社もあれば、倒産しない会社もあります。また、きちんと経営していたのに、たまたま取り引き先がつぶれて連鎖倒産したということもあるでしょう。その意味で、どの会社が倒産するかは偶然の要因がつきまといますが、いまの自民党政府の政策のもとで、全体として倒産が増えているのは必然的です。

 このように、偶然性も必然性も、ものごとの過程や社会現象のなかに客観的に存在している二つの側面です。必然性というのは、諸現象のなかでその内部の本質的連関に根ざしていて、一定の恒常的な傾向を意味しています。しかし、さまざまな現象のなかには、このような内的で本質的な連関ばかりではなく、外的で副次的な連関もあります。これが偶然性です。世の中のものごとは、多くのさまざまな偶然性をともないつつ、そのなかを必然性がつらぬいているということになります。

●活動の展望も偶然性をつらぬく必然性をただしくとらえてこそ

 偶然性と必然性を、このように弁証法的にとらえることは、活動のうえできわめて重要です。

 世の中のことはすべて必然だと考えて、偶然性を認めないのは、宿命論であり運命論です。世の中はなるようにしかならず、私たち個人がいくら努力してもどうにもならないということになってしまいます。また、世の中のことがすべて偶然ならば、どんなできごとも偶然おこったことで、こんにちの長引く不況も倒産も、リストラ・首切りや賃金引き下げも、たまたまおこったことで仕方がないということになります。

 どちらにしても、労働者や国民が団結・連帯してたたかうという展望も意欲も出てこないことになります。私たちが、一見すると偶然的に見えるさまざまな現象やできごとを見逃さず、正確に分析・研究して、そのなかをつらぬく必然性・法則性を見つけだすならば展望が見えてくることになります。
(鰺坂真著「科学的社会主義の世界観」新日本出版社 p114-117)

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 シニア記者がつくるこころのページ
星と人間 海部宣男さんに聞く
宇宙への想像力時代映す
「偶然」の蓄積に意味

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日本で星を見る心が解き放たれたのは室町時代あたりです

 人類は古来、夜空にきらめく星をながめて様々な感慨を抱き、壮大な宇宙に思いをめぐらせてきた。海部宣男・前国立天文台長は長野県野辺山の電波天文台、ハワイの大型赤外線望遠鏡「すばる」の建設を進めて星や宇宙の成り立ちを探る一方で、古文、詩歌をひもといて宇宙を見る心の変遷も丹念にたどってきた。天文学でも歴史でも関心の中心は宇宙と人間のかかわり。宇宙を語っていても最後は人間に話が戻ってくる。

 「天文学の研究のかたわら、人間が宇宙を調べる意味は何なのかという思いをずっと抱いていました。人々の星を見る心の移り変わりにも関心がありました。本気で調べようと思い立ったのは十五年ほど前です。詩や俳句が好きだったので、時代を追って日本で宇宙や星がどう歌われているのかを調べ始めました」

 「万葉集から順次調べて分かったのは平安時代を過ぎるまで星に対する概念に縛りがかかっているということでした。万葉集では星の歌はかなり少ない。唐から七夕の宴が伝わると、七夕の歌が増えます。しかし、それは恋の歌で、天の川や星を愛でる歌ではない。勅撰和歌集を調べていくと、やがて星がきれいだという歌が出てきます」「おそらく中国の天の思想の影響から星は朝廷の象徴で、きれいだと歌うものではなかったわけです。それから解き放たれるのは室町時代あたりで、江戸時代になると情感豊かに歌われるようになる。江戸俳諧では天の川も星の句も多いし、特に七夕に絡んだ良い句がいっぱいある」

 「江戸時代の宇宙観には仏教が影響しています。いわゆる須弥山(しゅみせん)の宇宙観は三千世界。千の三乗、十徳の世界です。仏教では重層的な宇宙を描きますが、それは宇宙がもともとあるもの(自然)と考えているからです。キリスト教は神がつくった宇宙ですが、神の意図を理解しようとして天体を観測し、近代科学につながった。人間の歴史は面白いものです」

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見ている世界を豊かに感じ取るには、心が豊かでなければなりません

 天文学での知的探究も、星を見る心も、想像力があってこそ豊かになる。だが、それは何もなしに生まれるわけでないという。

 「星を見て何を感じるかは人それぞれでしょう。ただ、いろいろな知識を持って見るのと、知らないで見るのとでは違ってきます。星を見る心にもその時々の知識が反映されています。天文学でも、星の歌を詠むのでも、知識や教養がなくては、想像力豊かに宇宙を描けません」

 「すばらしい絵、例えば宗教画を見るにしても、それがどんな場面なのか、身につけているものは何かなど、知識があるかどうかで鑑賞の仕方が違ってきます。見ている世界をどれほど豊かに感じ取れるかは自分の心がどれだけ豊かなのかにかかっています。自然は知れば知るほど不思議なものです。新たな知識が得られれば想像力もかき立てられるでしょう」

 「星についての想像力に関して言えば、いまの日本はどうでしょうか。先の冥王星騒ぎではマスコミの伝え方はみんな降格の話ばかり。一九九二年以降に海王星の外側にカイパーベルト天体と呼ばれる小天体がたくさん見つかり、冥王星はその一つと分かってきた。それが惑星定義の背景にありました。科学者ももっと訴えなければいけなかったのでしょうが、知識、想像力をかきたてる報道が少なくてがっかりしました」

 「いまの日本は子供から星を奪っています。星は美しい。しかし、子供たちは天の川を本当に知らない。最近は地平線に沈む夕日を見たことのない子供も多いそうです。子供の世界が狭くなれば想像力は失われる。驚いたり、不思議と思ったりするチャンスが減る。子供の好奇心を育てるのは大人の責任です」

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宇宙でも生命でも偶然が個性を生んだ

 現在の宇宙論によれば、この宇宙は約百三十七億年前のビッグバンで火の玉から膨張して急速に冷え、物質が生まれ、様々な銀河や星、そして地球のような惑星も生まれてきた。この壮大な物語のなかで、人間はどう位置づけられるのだろうか。

 「ある催しで『私が宇宙にいるのはどんな意味があるのでしょう』と質問されたことがあります。悩みがあっての質問ではないかと推察しましたが、僕が答えたのは偶然ということです。偶然というと意味がない、つまらないと受け取られるかもしれませんが、宇宙でも生命でも偶然という要素こそが個性ある存在をつくりあげたのです」

 「仏教には『因縁』という言葉があります。因があって縁がある。縁が次の因を生む。それが絡まり合いながら次をつくり、膨大なネットワークのなかで自分も宇宙も動いている。巨大な宇宙に自分がいるというのは実に不思議なことです。銀河が生まれ、太陽が生まれ、地球が生まれ、数知れない生き物が生まれ、そして地球上にいま四十億もの人間がいる。多くの因や緑が重なり合って自分になっている。無数の偶然がある」

 「偶然が積み重なっているから同じ人間であっても違う顔をし、違うことをしゃべり、違う行動をし、違うように生きて違うように死んでいく。質問者が何を感じたかは分かりませんが、後にも先にも広い宇宙で自分というのは今いる自分しかない。宇宙を研究していて人間を考えるとそんな風に感じます」

 「科学の歴史は短いし、分かったことはまだわずかですが、僕は少なくとも人間が宇宙の中で何なのかを知りたいと思っています。自然のなかで宇宙という一番大きなものを相手にして人間を理解する。天文学というのはそういうものだと思っています」(編集委員清水正巳)
(日経新聞 夕刊 20061214)

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◎「世の中のことはすべて必然だと考えて、偶然性を認めないのは、宿命論であり運命論」と。