学習通信061218
◎「息子は死ななくてよかった」……
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八時間労働を世界で初めて協約でかちとったのは、オーストラリア・メルボルンの建築労働者だった、といいます。一八五六年のできことです▼とすれば、ことしはそれから百五十年です。十年後の一八六六年、国際労働者協会(第一インタナショナル)の大会が、「法定の八時間労働日」の要求を掲げました。マルクスが書いた提案を決議して。「八時間労働制」が、世界の労働者の合言葉となったのです
▼初めて国ぐるみで実現したのは、ニュージーランド。一八七三年でした。アメリカの多くの労働組合が一八八六年五月一日のいっせいストで八時間制を認めさせ、のちのメーデーのおこりとなったことは、よく知られています
▼日本の八時間労働制は第二次大戦後に始まります。戦前の一九二六年、やっと十時間制に。ロシア革命の影響で、各国に八時間制が広がっていたころです。「八時間労働日」をもりこんだ国際労働機関(ILO)の第一号条約の採択は、一九一九年でした
▼以上は、『非常識な労働時間』(学習の友社)によります。さて、その一九年のILO総会で、「不健全」といって八時間制の要求を拒んだのが、日本の資本家の代表でした。日本は、八十七年たっても第一号条約を批准していません
▼欲深な日本の財界はいま、八時間制を崩そうと懸命です。とくに、時間制限なしにホワイトカラーを働かす、通称「ホワイトカラーエグゼンプション」案。百五十年にわたる歴史の進歩を、くつがえそうとする企てです。
(「赤旗」20061209
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厚労省申し入れ
過労死、自殺増える
労働規制撤廃
遺族「断念を」
労働時間規制を一部撤廃するホワイトカラー・エグゼンプション(適用除外)の審議が大詰めを迎える中、過労死、過労自殺の遺族らでつくる「全国過労死を考える家族の会」のメンバーが十一日、厚生労働省に対し「際限ない長時間労働を招き、過労死や過労自殺を増加させる」として、導入を断念するよう申し入れた。
厚労省が来年の通常国会での法改正を目指しているが、労働組合などは強く反対している。
申し入れたのは秋田、千葉、東京、神奈川などに住むメンバー十二人。
十年前、二男=当時(二九)=を心筋梗塞(こうそく)で亡くした大森光子さん(六九)=秋田県在住=は、二男が亡くなって初めて労基法を読み、週四十時間の労働時間規制を知った。「企業がこの法律を守っていれば、息子は死ななくてよかっただろう。新制度を入れたら、どんなに働いても自己責任にされ、労災認定も難しくなる」と訴えた。
千葉県在住の渡辺しのぶさんは六年前、大手電機メーカーの課長だった夫=当時(四〇)=を亡くした。
厚労省が導入の要件の一つとして仕事の裁量の有無を挙げていることに対して「管理職とは言っても自分で仕事の量や内容は決められない。自分の身に置き換えたとき、明日はわが身と思う人が多いのではないか。労働現場の実態をよく見てほしい」と批判した。
(京都新聞 20061212)
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◎「欲深な日本の財界はいま、八時間制を崩そうと懸命……とくに、時間制限なしにホワイトカラーを働かす、通称「ホワイトカラーエグゼンプション」案……百五十年にわたる歴史の進歩を、くつがえそうとする企て」と。