学習通信061221
◎不都合な現実から目をそらす……

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こころの健康学
不都合な現実目をそらす
害認めない喫煙者

 私が勤務している慶応病院でも、ようやく十二月から敷地内が全面禁煙になった。これまでも喫煙できる場所はごく一部に限られていたが、そうした場所もなくなってたばこを吸う人は困っている。

 しかし、これは医療機関としては当然のことだ。たばこを吸っていると、がんや慢性閉塞(へいそく)性肺疾患など様々な身体疾患にかかりやすくなる。女性の場合、例えば妊娠中に喫煙していると胎児に好ましくない影響が出てくることもわかっている。喫煙者だけでなく、配偶者や子どもなど、周囲にいる人たちの健康を害することも広く知られるようになってきた。

 これだけたばこに害があるとわかっていながら、たばこを吸っている人はその危険性を低く考えていることが多い。私自身も過去にたばこを吸っていたことがあるが、そのころはたばこに害があるという話を聞いても、きちんと耳に入ってきていなかった。まわりにいる人たちの健康にとっても有害だという話を聞いても、あまり実感がわかなかった。

 頭では理解していても、それを認めたくないという気持ちが働いていたように思う。「ストレスがたばこで発散されるから、体にも良いはずだ」というような話をしたりもしていた。

 たばこを吸ったときに気持ちが楽になるのは、たばこを吸わないでいると出てくる禁断症状が喫煙で解消されるためだ。自分で自分にストレスをかけて、それを自分で解消しているにすぎない。

 たばこに限らないが、われわれは自分に不都合な現実から目をそらす傾向がある。それでは問題が何も解決せず、困ることにもなりかねない。注意しなくてはならない。

 私も、たばこをやめようとしたとき、大変苦労することになった。(慶応義塾大学保健管理センター教授 大野裕)
(「日経」夕刊 20061219)

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 これらの事実は、実際、すべての人びとに、ブルジョアにさえ、こういう状態の結果について熟考させ、反省させるのに、十分すぎるほどである。

もし、さらに二〇年間、堕落と犯罪が同じ割合で増加するとするなら──もしこの二〇年間にイギリスの工業がこれまでほどの成功をおさめなければ、犯罪の増加はもっと速まるに違いない──その結果はどうなるであろうか。

われわれはすでに社会が完全に解体しつつあるのを見ている。どんな新聞を手にとってみても、きわめてはっきりとした事実のうちに、あらゆる社会のつながりがゆるんできていることを、読みとらないわけにはいかない。目の前にあるイギリスの新聞のなかから、手あたりしだいにとりだしてみよう。

『マンチェスター・ガーデイアン』紙(一八四四年一〇月三〇日付)は一二日間のことを報道しているが、マンチェスターについて正確な報道をするという努力をせずに、興味本位の報道、たとえばある工場では労働者がもっと高い賃金をえようとしてストライキをやったが、治安判事によってふたたび就業するように強制されたとか、ソールフォードでは二、三人の少年が泥棒をしたとか、破産したある商人が債権者をだまそうとしたとか、そういう報道しかしていない。

周辺地域からの報道はもっと詳しい。アシュトンでは窃盗が二件、強盗が一件、自殺が一件、ベリでは窃盗が一件、ボールトンでは窃盗が二件、消費税の脱税が一件、リーでは窃盗が一件、オールダムでは賃上げストライキが一件、窃盗が一件、アイルランド人女性のけんかが一件、労働組合に加入していない帽子職人にたいする組合員による暴行が一件、息子による母親殴打が一件、ロッチデールではけんかが数件、警官襲撃が一件、聖遺物窃盗が一件、ストックポートでは賃金についての労働者の不満と窃盗が一件、詐欺一件、けんか、妻にたいする夫の暴力が一件、ウォリントンでは窃盗が一件とけんかが一件、ウィガンでは窃盗が一件と聖遺物窃盗が一件あった。

ロンドンの新聞の報道はもっとひどい。詐欺、窃盗、強盗、家庭内の争いが目自おしにならんでいる。ちょうど『タイムズ』紙(一八四四年九月二百付)が手にはいった。これは一日の出来事だけを報道しているのだが、窃盗一件、警官襲撃一件、私生児の父にたいする養育費支払いを命ずる判決が一件、両親による子どもの遺棄と妻による夫の毒殺を報道している。同じようなことはイギリスのすべての新聞で見られる。

この国では完全に社会戦争が勃発している。みんなが自分のことだけを考え、自分のためにほかのすべての人とたたかっている。

公然と自分に敵対している他人すべてに、害を加えるかどうかは、自分にとってなにがもっとも有利かという利己的な計算だけできめられる。

平和的な方法で隣人と理解しあおうとすることは、もう誰も考えていない。

意見の違いはすべて、脅迫、自己防衛、あるいは裁判によって解決される。

ようするに、誰もが他人を排除すべき敵と見るか、あるいはせいぜい、自分の目的に利用する手段と見ているのである。

そしてこの戦争は、犯罪表がしめしているように、年々ますますはげしくなり、激情的になって、和解しがたくなっている。敵対関係はしだいにたがいに争いあう二大陣営に、すなわち、一方はブルジョアジー、他方はプロレタリアートに、分裂する。

すべての人とすべての人とのこの戦争、ブルジョアジーにたいするプロレタリアートのこの戦争は、なにもおどろくべきことではない。

なぜなら、それは、すでに自由競争のなかにふくまれていた原理がおしすすめられた結果にすぎないのだから。

むしろおどろくべきことは、ブルジョアジーが、彼らにむかって毎日毎日鳴りひびく雷雲がおしよせているのに、平静に、落ちついていられるということである。

彼らは毎日これらの出来事を新聞で読んでいながら、社会状態について憤激しないまでも、その結果にたいする恐怖や、犯罪という形で個々にあらわれているものが全般的に爆発することへの恐怖を、感じていないのだ。

しかしそれこそブルジョアジーなのであって、彼らの立場からは事実も見えず、ましてそこから生ずる結果は見えないのである。

ただ驚嘆すべきことは、階級的偏見や、たたきこまれた先入観とが、人間の一つの階級全体を、これほどひどく、狂気の沙汰といいたいほど、盲目にできるのか、ということである。

しかし、ブルジョアジーが見る目を持つか、持たないかにかかわりなく、国民の発展はその道をすすんでいくのであって、ある晴れた朝、有産階級は彼らの知恵では夢にも思わなかったことがおこって、びっくりすることであろう。
(エンゲルス著「イギリスにおける労働者階級の状態 上」新日本出版社 p199-201)

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◎「この国では完全に社会戦争が勃発している。みんなが自分のことだけを考え、自分のためにほかのすべての人とたたかっている」と。