学習通信061228
◎旧ソ連の残像……

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「共産党宣言」
序文〔一八七二年ドイツ語版への〕

 国際的な労働者団体である共産主義者同盟は、当時の事情のもとでは、言うまでもなく秘密結社でしかありえなかったが、一八四七年一一月にロンドンで開かれた大会で、下記の署名者たちに、公表することを決めた、詳細な理論的および実践的な党綱領の起草を委任した。こうして、つぎの『宣言』は生まれたのであって、その草稿は二月革命の二、三週間前に、印刷のためにロンドンヘ送られた。最初にドイツ語で公刊され、このドイツ語でドイツ、イギリスおよびアメリカで、少なくとも一二の異なる版が印刷された。英語では、それは一八五〇年にはじめて、ロンドンで『レッド・リパブリカン』誌にミス・ヘレン・マクファーレンによる翻訳で現われ、そして一八七一年には少なくとも三つの異なる翻訳がアメリカで現われた。フランス語では、一八四八年六月蜂起の少し前に、はじめてパリで現われ、ちかごろではニューョークの『ル・ソシアリスト』誌に現われた。一つの新しい翻訳も準備されている。ポーランド語では、最初のドイツ語版のすぐあとにロンドンで現われた。ロシア語では、六〇年代にジュネーヴで出版された。デンマーク語には、同様に『宣言』刊行ののちにまもなく、翻訳された。

 最近の二五年間に事情がいかにはなはだしく変わったとしても、この『宣言』のなかで展開された一般的な諸原則は、大体においてこんにちでもなお完全な正しさをたもっている。個々の点では、あちらこちらで改善されなければなるまい。

これらの諸原則の実践的な適用は、『宣言』そのものが明言しているように、いたるところで、かついかなるときにも、歴史的に現存する諸事情に依存するであろうし、またそれゆえに、第二節の終わりで提案された革命的諸方策には、特別の重みは決しておかれはしないのである。

この箇所は、こんにちならば多くの点でちがって書かれることであろう。

最近の二五年間における大工業の巨大な進展およびこれとともに前進している労働者階級の党組織に比べると、また、はじめには二月革命の、そしてはるかに多くの程度であるが、プロレタリアートがはじめて二ヵ月のあいだ政治的権力をにぎったパリ・コミューンの実践的諸経験に比べると、こんにちではこの綱領はところどころで時代おくれになっている。

とくにコミューンは、「労働者階級は、できあいの国家機構を簡単に手に入れて、これを自分自身の目的のために動かすということはできない」という証明を提供した(『フランスにおける内乱。国際労働者協会総評議会のよびかけ』、ドイツ語版、一九ページを見よ。そこでは、このことがいっそう展開されている)。

さらに言うまでもないことであるが、社会主義的文献の批判は、一八四七年までしかおよんでいないので、こんにちでは不完全である。

同様に、種々の反政府党にたいする共産主義者の立場についての記述(第四節)は、原則においてはこんにちでもなお正しいが、政治的情勢がまったく変わっていて、歴史的な発展はそこでかぞえあげられた大多数の党を世界から追い出したので、その実行においては、こんにちではすでに時代おくれである。

 けれども、『宣言』は一つの歴史的文書であって、それを改める権利は、もはやわれわれにはない。おそらく今後、一八四七年から現在までのへだたりに橋をかける序論のついた版が出版されるであろう。本版は、あまりにも思いがけなかったので、われわれにはそうするための余裕がなかったのである。
 一八七二年六月二四日、ロンドン
 カール・マルクス
 フリードリヒ・エンゲルス
(マルクス・エンゲルス著「共産党宣言」新日本出版社 p7-9)

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──私たちのマルクス主義研究の方法について述べます。

 まず第一の点は、私たちは、後世の人びとの解釈ではなしに、マルクス、エンゲルスの著作や文章そのものによってマルクス主義を研究する、ということを主眼にしています。以前には、ソ連などの教科書的な解説や定義がよくあったものですが、そういうものをいっさい前提にしないで、政治や経済の理論についても、世界観的な問題についても、マルクス、エンゲルスの理論は、マルクス、エンゲルスの言葉や文章に即して究明する、この態度をつらぬいてきました。

──略──

 私たちの研究方法の第二の特徴は、マルクス、エンゲルスを歴史のなかで読む≠ニいうことです。これには、三つの意味があります。

 第一は、至極当たり前のことですが、どの著作や論文を読むときにも、その文章の歴史的な主題、つまり、何を解明するために書かれたものかという問題や、その歴史的環境、どのような前提と背景のもとに書かれたかという問題など、これらの点をしっかりつかんで読む、ということです。

 第二は、マルクスとエンゲルスの思想や理論そのものが、その生涯にわたって大きな歴史的発展をとげていますから、彼らの理論の歴史的発展そのものを全体として追跡する、ということです。

──略──

 歴史のなかで読む≠アとの第三の問題は、マルクス、エンゲルス以後に、歴史と自然およびそれについての人間の知識に、どのような発展と変化があったかをよく踏まえることが、大切だと考えています。世界観の問題では、このことがとりわけ重要になると思います。
(不破哲三著「科学的社会主義の学説の研究方法について」 前衛2007 1月号 p16-19)

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潮流

ライブドア事件の堀江貴文被告の近況が伝わってきました。イギリスの新聞に登場し、あらましこんな話をしています

▼日本は平等な社会のようにみえるが、エリート官僚が支配する「共産主義的な社会」だ。私は、嫉妬深い彼ら官僚組織のうらみをかって検察官に訴追された=B自分は「共産主義的な社会」の犠牲者だ、というわけです

▼不平等な官僚社会。「真に平等で自由な人間関係からなる共同社会」(日本共産党綱領)や、「自由な人々の連合体」「自由の国」(マルクス)という未来論と、なんと違っていることでしょう。堀江被告の語る「共産主義」は、旧ソ連の残像でしかありません

▼共産主義とか社会主義の反対物だった旧ソ連が崩壊し、二十一日で十五年。旧ソ連のような「官僚専制」(日本共産党綱領)を、絶対に認めない未来社会をめざす運動に、大きな障害物の一つがなくなりました

▼チェコスロバキアやアフガニスタンを侵略したソ連の影響が消え、平和な世界や独自の国づくりをめざす運動、国々も活気づいてきました。まあ、堀江被告が日本の不平等をあげつらうのもおかしな話です。以前、「格差社会を社会が容認しなければならない」「人の心は金で買える」といってのけたのは、堀江被告です

▼金と市場が万能の新自由主義の申し子だった堀江被告。問われるのは、資本主義のあり方です。みずからの非をたなにあげ、旧ソ連をもちだして日本共産党や共産主義を傷つけようとする人は、政界にもまだいますが。
(「赤旗」20061220)

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◎「マルクス、エンゲルスを歴史のなかで読む≠ニいうこと」と。