学習通信070111
◎これが世界というものさ……

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潮流

昔々、中国の楚という国のある男が、舟で揚子江を渡っているとき剣を落としてしまう。男は、剣が落ちたあたりの船べりに印をつけ、舟が着いてから印の下の川底を探した

▼間の抜けた話が、一つの言葉を生みました。「舟に刻みて剣を求む」。時勢が移り変わっているのに古いしきたりにとらわれるさまの、たとえです。現代にひきよせると、剣(武器)がいらない時代に再び剣を求める人とも重なります

▼安倍首相が年頭会見でいいました。「ことしで憲法施行から六十年で、新しい時代にふさわしい憲法をつくっていくという意思を、いまこそ明確にしていかなければならない」

▼「私の内閣で憲法改正をめざすということを、当然、夏の参院選でも訴えていきたい」とも語りました。九条を変え、戦争する国に逆戻りさせる「改正」です。安倍首相のいう「新しい時代」とはなにか

▼争いを武力によらず解決しようとつとめる世界こそ、いま新しい。しかし、安倍首相の「新しい時代」とは、アメリカによりそう者の目でみた世界です。そこに映るのは、覇権を求めるアメリカが新しい時の流れから孤立しつつある現実。古いアメリカを助ける憲法「改正」は、「舟に刻みて剣を求む」のたぐいです

▼日本共産党が、新年早々に開いた第三回中央委員会総会。報告はいいます。改憲のくわだてを打ち破るために、草の根から国民多数派を結集していくことが、国政のもっとも重要な課題となっている=B新年のたたかいが始まっています。
(「しんぶん赤旗」20070105)

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舟に刻して剣を求む

 むかし(春秋・戦国時代)、埜(そ)の人が舟で揚子江を渡っていた。いつもは海のように荒れるこの大河も、その日は油を流したようななぎ、乗っている人たちも、うららかな日和に心もなごみ、諸国の珍らしい話に花が咲いていた。まったく、どこへ行っても変らぬのは乗合舟の衆だ。

 この客の中に、一ふりの剣を大事そうに抱えていた男がいた。相客の面白い話に、ついつい聞き耳を立て過ぎ、手の方がお留守になったと見え、河の中ほどで、あやまって抱えていた剣を水中に落した。

「あっ、しまった!」
 男は叫んで、舟ばたから身を乗り出した。剣は水中にゆらめいて、底深く消えてしまった。
 あわてた男は、大声にビックリしてこちらを向いた相客の視線の中で、いきなり腰の小刀を抜いて、いま剣が落ちた場所のふなばたに傷をつけて目印とし、いぶかしがる人々の方に向い、カラカラと笑いながらいった。
 「俺の剣はここがら落ちたんだ。目印をつけておいたからもう大丈夫だ。」

 やがて舟は向う岸へついた。男はさっそく、目印の所から水中へとび込んで剣をさがした。しかし舟は、男が剣を落した場所からズッと進んでいたのだから、剣があろうはずはなかった。人々は「舟に刻して剣を求む」といって、そのおろかさを嘲笑し合った。この話は「呂氏(りょうし)春秋」という本にのっている。

 もう一つ、「株を守って兎を待つ」という似たような話がある。
 宋の人が、あるときセッセと田を耕していた。田圃のわきに本の切り株があった。そこへ、いきなり飛び出して来だ兎が、くだんの株につき当り、首の骨を折って死んだ。おかげで農夫は、労せずして晩飯のお菜にありついた。そこで、この男は考えた。

 〈これはうまい。何も汗水たらして働くには当らぬ。ここで待っていれば、また兎が飛び出して来る。そして株につき当って死ぬ。そこをオレさまがいただく。そうだ。これに限るテ……。〉

 それからというものは、百姓仕事はそっちのけ、毎日毎日、田圃のあぜに坐り込んで、兎を待った。だが、兎は二度とそこへは現われず、男はもちろんいつまでも待ちぼうけだった。おかげで田は草ぼうぼうになった。これは「韓非子(かんびし)」にある話だ。

 どちらも、おろかで、物事に固執していてゆうずうがきかず、時に応じ、変に通ずることができないため、時期を失し、大局をあやまるということのたとえである。

 江戸時代の儒者、室鳩巣(むろうきゅうそう)も「株を守り、舟にきずつくる輩」とくさしているし、後の話の方は「待ちぼうけ、待ちぼうけ、ある日セッセと野良かせぎ」という唱歌で、日本人にはよく知られている。(寺尾)
(「中国故事物語」河出書房新社 p268-269)

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世界のありかたをめぐる弁証法と形而上学の対立

世界のありかたについての形而上学の見地

 一時的、部分的に見るならば、私たちのまわりには、停滞、静止、現状維持、あるいはたんなる量の増減、くりかえしにすぎないようなありかたをとっていると見えるものが少なくありません。

たとえば、ウリのつるにナスビはならず、トンビがタカを生むことはなく、犬はつねに犬を、猿はつねに猿を生む、といったぐあいです。

しかし、そうしたくりかえしをつうじて、全体としては生物進化の大法則が──すなわち、単純な、低いレベルのものから、複雑な、いっそう高度なものへの生命の発展が──つらぬかれてきたのだということを私たちは知っています。

そして最初の生命それ自身は、生命のない物質を母胎として、そのなかから発展してきたのです。人間の社会にしても、そうです。「太陽の下に新しきものなし」とか「歴史はくりかえす」とか「君が代は千代に八千代に」とかいわれながら、そして一時的・部分的には確かにそのように見えもしながら、しかし全体として人間の社会がいくつかの根本的な質的変化、発展をとげてきたこと、とげつつあることをだれが否定できるでしょうか。

さきほど紹介した『徒然草』の言葉は、わが国の古代から中世への転換がはじまった激動の時代のなかで書かれたものです。こうした時代を生きた人の確かな歴史感覚がそこにこめられていることを、私たちは見のがすことはできません。

 とすれば、たいせつなことは「木を見て森を見ず」というあやまりにおちいってはならない、ということです。個々の局面に目をうばわれて、全局を見失ってしまってはならない、ということです。

 個々の細部、局面に目をそそぐことは、もとより必要なことですけれども、それだけにとどまっていては、ものごとの生きた姿はとらえられないのです。碁や将棋にしてもそのとおりで、個々の局面にだけ目をとられていると、いつのまにか「しまった!」ということになります。人体を解剖して、バラバラにして、心臓は心臓、肺は肺、というぐあいにフォルマリンづけにして、そしてそれらをしらべてみても、それだけでは生きた人体の全体的理解は不可能です。フォルマリンづけにしたそれらの「部分品」をよせあつめてみても、それで生きた人体が再構成されるわけではありません。

 ところが、碁や将棋の場合がそうであるように、ともすれば私たちは、個々の部分、局面にとらわれて生きた全体のなかでのつながりを見失ってしまいがちになります。その結果は、ものごとを運動においてではなく静止しているものとして、本質的な変化・発展の過程にあるものとしてではなく固定不変のものとしてとらえてしまい、「ようするにこれが世界というものさ」と見なしてしまうということになります。ものごとについてのこうしたとらえかた、世界のありかたについてのこうした見地を「形而上学」といいます。さきにとりあげた「どうせ……」というのは、この形而上学の見地にほかなりません。

弁証法とは

 これにたいして、部分的、一時的にはどのように固定、不変、静止、あるいはたんなるくりかえしとしか見えない現象があろうとも、また、部分的、一時的な後退が生じようとも、それらをつうじて全体としては、これまでになかったような新しい、いっそう高度な質のものにむかっての前進的・上昇的な運動、すなわち発展がつらぬかれているのだ、という見地を「弁証法」といいます。弁証法の見地は世界の生きた姿をただしく反映したものであり、さきにのべた革命的現実主義の立場と一体のものです。

形而上学との闘争

 形而上学の見かたは、右に見たように、私たちがともすれば木だけを見て森を見失いがちになるところから生じてくるものですが、ここで注意する必要があるのは、それが政治や経済の上で支配的な地位についているものの利益とむすびついてくるということです。つまり、木だけを見て森を見させないこと、現状をどこまでも安定した本質的に不変のものであるかのように観念させることは、かれらにとってつごうのいいことなのです。

そこで、かれらはこうした見かたを極力宣伝し、ひろめます。そのせいもあって、政治は政治、経済は経済、うちの会社はうちの会社でよそとは関係なし、そしてマイホームはマイホーム、というぐあいのバラバラな見かたに、そしてその政治なり経済なり「うちの会社」なり「マイホーム」なりを変わりようのない固定的なものと見、けっきょくは現状肯定ないし「どうせ」のあきらめに、少なからぬ仲間たちがおとしいれられていくのです。

もちろん、現実の発展それ自身は、こうした保守的なせまい見かたにおとしいれられている仲間たちの目をも、いやおうなくものごとの全体的なつながりにむかってひらかせていかざるをえず、現実のなかにたくましく発展しつつあるものにむかってひらかせていかざるをえないのですが、それだけに、反動勢力は、少しでもそうした事態の進行をおくらせようと、意識的に形而上学の見かたをふりまくのであって、したがって、こうした思想攻撃との自覚的な対決のなかでこそ、私たちは弁証法的なものの見かたを真に自分のものとしていくことができるのです。

株を守るあやまりについて

 最後にもう一度、形而上学の見かたは人間の認識がすすんでいく経路それ自身のなかにその生まれてくる根をもっているのだ、ということを強調しておきましょう。

遠くから森を見ているかぎり、だれの目にも森の全体像はそのありのままにとらえられます。しかし「ありのままに」とはいっても、遠くから見ているのですから、ひどくぼやけていて、おおざっぱで、しかも外面的な姿しかとらえられていません。そこで私たちは森に近づき、そのなかにはいりこんでいって、一本一本の木をしらべはじめます。しかし、こんどは森に近づくにつれて、森の全体は視野の外になり、森のなかにはいりこめば、文字どおり「木を見て森を見ず」ということがおこってきます。ですから、たえずそのことに注意し、個々の部分を生きた全体のなかに位置づけるように努力することが必要です。

 この努力をおこたると、全体としては革命的現実主義の立場に立っていても、やはりかたちをかえた形而上学の観点のとりこになってしまうということがおこります。たとえば、自分や他人の過去の経験を、時、所、条件からきりはなして固定化し、その尺度ですべてをはかろうとする、といった傾向がそれです。「株を守って兎を待つ」ということわざは、こうした傾向のあやまりを痛烈に皮肉ったものとしてうけとることができるでしょう。これは「待ちぼうけ」という童謡にもなっています。

 ──昔、一人の農夫が畑で仕事をしていると、一匹の兎が走ってきて、畑のなかの株にぶつかって死んだ。それに味をしめた農夫は、以後、畑仕事をやめて毎日その株を見守り、また兎がそこにぶつかって死ぬのを待ちくらした、というのです。「柳の下にいつもどじょうはいない」というのも、おなじです。

 「舟に刻んで剣を求める」という話もあります。昔、ある人が川を舟で渡っていて、川のなかほどで剣を水中に落とした。そこでその人は、舟べりを小刀で刻んで、「ここから剣が落ちた」といって、やがて舟がとまったところで、その刻み目のところから水中にはいってその下に落ちているはずの剣をさがした、というのです。似たようなあやまりにおちこまないよう、警戒しましょう。
(労働者教育教会「働くものの哲学」学習の友社 p66-71)

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◎「そこに映るのは、覇権を求めるアメリカが新しい時の流れから孤立しつつある現実」と。