学習通信070202
◎同志 グエン・バン・チョイよ……

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自由ベトナム行進曲
【作曲】ドアンクァンハイ
【訳詞】関 忠亮

1.若いわれら人民のため
 希望の道ひらく
 自由のくにとり返すまで
 強く闘うわれら
 奴隷のようにこき使う者
 占領者を追い返せ
 解放のくに築くわれら
 若いベトナム兵士!

2.この苦しみはげしくとも
 それは尚つづかぬ
 解放の時決する今
 強く闘うわれら
 想いおこせホーチミンの声
 南のわかものよ
 闘いとれ幸いの国
 自由ベトナム兵士!
 闘いとれ幸いの国
 自由ベトナム兵士!

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ベトナム 友好と連帯の旅
志位委員長が語る (下)

──以上略

ハノイ大学での講演と質疑――輝く瞳にベトナムの未来
世界の構造変化と、ベトナム人民の勝利の歴史的意義

 ――ハノイ大学での委員長の講演と参加した学生との質疑応答はたいへん楽しい時間だったと聞きましたけれども。

志位……色とりどりのアオザイをまとった女子学生のみなさんが歓迎してくれました。三百人を超える学生のみなさんが集まって私の話を聞いてくれました。私が、にわか覚えのベトナム語で、「シン・チャオ・カック・バン」「トイ・ラ・シイカズオ・クオ・ダン・コンサン・ニャッバン」(こんにちは、みなさん、私は日本共産党の志位和夫です)というと、まず大きな拍手をおくってくれました。

 私が、若いころ、「自由ベトナム行進曲」をよく歌ったものですと話し、不覚にも「いまでも歌詞は暗唱しています」と話してしまったため(笑い)、学生のみなさんから「歌ってください」という要望が出まして(笑い)、冒頭の一節を歌いましたら、盛大な拍手と手拍子が起こりました。
 ――講演ではどういう話をされたのですか。

志位……ベトナム共産党指導部のみなさんとの会談では、日本共産党の新しい綱領の世界論をまとまって話す機会はなかったので、ちょうどいい機会だと考えて、「二十一世紀の世界の前途をどうみるか」というテーマで話しました。二十世紀の世界の構造変化、二十一世紀の世界の四つのグループ分け、新しい綱領での帝国主義論の発展、二十一世紀の平和秩序の問題などです。私たちが新しい綱領や大会決定で解明している問題ですが、二十世紀の世界の構造変化や二十一世紀の世界にベトナムがどうかかわっているかというかみ合いを考えながら話しました。

 ベトナム人民の勝利は、世界史の進歩に大きな貢献をしています。とりわけ新旧の植民地支配を打ち破ったことは、偉大な歴史的勝利でした。古い植民地支配という点では、フランスの植民地支配を打ち破った。それから新しい植民地支配という点では、南ベトナムにかいらい政権をつくり、北ベトナムを侵略したアメリカ帝国主義の支配を打ち破った。地球的規模で、植民地支配を過去のものにしたという点では、ベトナム人民の勝利が、人類史に大きな貢献をしていることは、論をまちません。

 同時に、ベトナムは社会主義をめざす国の一つです。そういう点では、世界の構造変化の両方にかかわっているわけです。日本の平和・民主勢力が、世界史を動かしたベトナム人民のたたかいと勝利に、大きな敬意を持っているということも話しました。

歴史への誇りと、未来への希望と
 ――学生たちの反応というのはどうだったんでしょうか。

志位……たいへんに真剣なまなざしで、一言ひとことに、耳を傾けてくれ、節々で拍手がわき起こりました。明るい笑いもたくさん出ました。学生のみなさんからの感想のなかでは、「父や母の世代のたたかいにあらためて誇りを持った」という感想もありましたし、「社会主義がどういうものかよくわかった」という感想もありました。

 ベトナムの若いみなさんが、二つの帝国主義を打ち破ったベトナム人民の歴史に誇りを持っているということは、私たちにとっても非常にうれしいことでした。「自由ベトナム行進曲」は、いまでもよく歌われていて、若い人でも知らない人はいないとのことでした。みんな抗米救国戦争に勝利した歴史に誇りを持っている。同時に、未来への輝かしい希望を胸に抱いていることも感じました。さきほど紹介したギャラップ社の調査の結果は、学生のみなさんも、みんな知っているんですよ。私が「第一位はどこだか知っていますか」と聞いたら、学生のみなさんからいっせいに「べトナム!」という唱和がおこりました。ドイモイの事業への強い支持は、こうした反応からもうかがわれました。日本人民の連帯の歴史を温かく評価してくれていたことも感じました。ベトナムの未来は洋々と開けているということを強く感じた交流でした。

──略──

クチ・トンネル
――「みなさんも同じようにたたかっていたはずです」

 ――クチ・トンネルにも行かれたそうですね。

志位……これは、抗米戦争で南ベトナム解放民族戦線が築いた巨大な地下トンネル網の跡です。サイゴン(現ホーチミン市)から約七十五キロ北西にあるものです。解放戦線が、米軍へのゲリラ攻撃を展開した軍事拠点となった場所だということでした。行ってみると、いまは緑豊かな土地になっています。かつても、同じようにクチは緑豊かな土地でした。米軍は枯れ葉剤を大量に散布して、クチを死の地にしようとしました。しかし「クチは死ななかった。生きつづけた」という説明がされました。

 枯れ葉剤で緑は破壊されたが、クチの人々は地下に潜ったのです。粗末な十センチそこそこのシャベルで、手作業によって、全長二百五十キロもの地下トンネルの網をつくって、そこで縦横無尽のたたかいをくりひろげ、米軍側に甚大な被害を与えたということでした。

 戦闘に参加したフイン・バン・チアさんという方が、いま遺跡区管理委員会の顧問をされていて、私たちの案内をしてくれました。トンネルにも入りましたけれども、ここには司令部、会議室、寝室、休憩所、台所、食堂、医療所など何でもあります。

 私が、「補給はどうしていたのですか」と聞きますと、水は、地下トンネルのさらに地下を掘ってくみ上げて飲んだ。食料は、自給と地域住民の援助によってまかなったといっていました。いちばん驚いたのは武器です。武器は、いわゆる「ホーチミン・ルート」が補給路になっていたわけですが、クチは「ホーチミン・ルート」からもずっと離れているので、そこからは来ない。そこで、米軍の武器を奪い、不発弾を改造して武器を作ったと言っていました。チアさんは、「米軍が来れば来るほど強くなる」、「米軍が来ないとつまらなかった」(笑い)とも言っていました。

 出入り口が発見されるのが一番危険なので、地雷が仕掛けられていて米兵が開けると地雷が爆発する。同時に、それでトンネルが埋まってしまって入れなくなるという仕掛けがあった。数々の種類の落とし穴がまわりに張り巡らされていて、そこに米兵が落ちると下から突き立っている鉄の棒などで米兵が大けがしたり死んだりして進めなくなる。ありとあらゆる知恵と力をつくし、頑強なたたかいをやった。クチは、「鋼鉄の土地、銅の城壁」と呼ばれるようになったそうです。私も、現場を見、説明を聞いて、アメリカのどんな戦力でも征服できないという感じを抱きました。

 しかしクチでは、一万八千人のベトナム解放戦線の兵士のうち一万二千人が亡くなったといいます。生き残った六千人のうちの半分が負傷したとのことでした。チアさんも、右手を失いました。そういう甚大な被害を受けたけれども、たたかいに勝利した。この話には深く心が揺さぶられる思いで、感動で胸がいっぱいになりました。

 私は、チアさんに、「みなさんのたたかいの勇気と英知に深い感動を覚えました。忍耐強さ、緻密(ちみつ)さ、しなやかな強さを感じました。この歴史はいまのドイモイにも生かされていると思います」と言いました。チアさんは、「素晴らしい言葉をありがとうございます。しかしもし同志たちが同じ状況にいたなら、私たちと同じようにたたかっていたはずです」と応じました。この言葉にも胸を打たれました。私は、「いまの言葉は、私たちへの最大の賛辞だと、感銘をもって受けとめました。感謝します」とのべました。

 私は、クチのたたかいにしめされた忍耐強さ、緻密さ、しなやかな強さは、いまのドイモイにも生きていると感じました。マイン書記長が「実践を総括しながら新しい道を探求する。抗米救国闘争と同じようにドイモイを推進するということです。あの時もアメリカに打ち勝つにはいろいろな問題があったが、最後には打ち勝った。ドイモイについても、よく検討して頑張れば到達できる。そういう教訓を引き出しました」と会談でのべていましたけども、その言葉が思い出されました。二つの帝国主義の侵略に打ち勝った偉大な歴史が、今日の国づくりにも生きていると感じました。
──以下略
(「赤旗」20070124)

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おれの言葉をよくおぼえておけ
      トー・フー

新しい歴史をつくりだすような瞬間がある
永遠に人の心に生きつづける死者たちがいる
どんな歌ごえよりも美しい叫びがある
「真実」から生まれてきたような人たちがいる

おお 同志グエン・バン・チョイよ
きみのいのちは息絶えたが きみの魂は
いつまでも 人民の胸に生きつづけるだろう
きみの生も死も 雄々しく 偉大だった

同志よ きみは永遠にくちびるをとざしたが
きみの叫びは いまも鳴りひびいている
「おれの言葉をよくおぼえておけ!」と
そしてきみの眼の光りは党紙に輝やいている

きのうという日は永遠に忘れられないだろう
あの秋の日の朝 チ・ホアの刑場のなかを
きみは 両側を二人の獄卒にはさまれて
教誨師をうしろにしたがえて 進んでいく

きみの傷ついた両足は 痛みによろめく
しかし きみは昂然と頭を上げてすすむ
きみがまとった白衣は 純潔の色そのもの
きみのひよわなからだが 死にもひるまない

死刑執行人の一隊と 新聞記者の一団とが
陰欝なニ列横隊をつくっていた──着け剣で
きみは静かに歩をはこぶ 澄んだ眼ざしで
まるで 裁くのは きみであるかのように

きみの踏む足うらに 草の葉はみずみずしい
いのちはいつも このみどりの色をしているのだ
そこに 解放をもとめる きみの大地がある
そこに 生をもとめる きみの肉と血がある

きみは強く叫ぶ「おれがどんな罪を犯したというのか」
きみは 処刑柱に網でしばりつけられる
狙いをつける十挺の銃 きみには黒い目かくし
きみは声を限りに叫ぶ「罪を犯したのはヤンキーどもだ!」

きみは さっと 目かくしをかなぐり捨てる
きみは 卑怯者どもをじっとにらみすえる
死をも きみは面と向って見とどけようとする
何ものも消すことのできない燃える火のような眼で

やつらはふるえあがって つなをきつくしめ直す
きみのくちびるは憎しみに燃えて かわく
共産主義者らしく堂どうとたたかおう
けだかい心が銃弾など恐れてなるものか

命令がくだされた「第一列 おりしけー」
きみは叫んだ「おれの言葉をよく覚えておけ!
アメリカ帝国主義を打倒せよ!
グエン・カンを打倒せよ!
ホー・チ・ミン 万才!
ホー・チ・ミン 万才!
ホー・チ・ミン 万才!
この最後の瞬間にきみはわれらの「ホーおじ」の名を三回よんだ
一斉射撃で アメリカ製の十発の銃弾がとぶ
きみは倒れ も一ど立ちあがろうとする
きみはも一ど叫ぶ「ベトナム万才!」
血は心臓からあふれ出て大地を赤く染め そこにきみは横たわる うめき声ひとつあげず きみは眼をとじた
きみは死んだ 静かに眠る仏像のように
教誨僧がきみのそばに投げてよこした
あのブリキの十字架などなんになろう

同志チョイよ きみは死んだが見たまえ
血は血をよぶのだ さっそく きみのために
カラカスの義勇兵たちは 首都のまんなかで
アメリカの将校を人質にとらえたのだ

きみは死んでしまった きみにはもう見えないが
火は火をよんで 南ベトナムじゅうが火の海だ
きみのこころのような火で──おお たぐいまれな火よ
きみが息をひきとるとき 流星が光りかがやいた……

おれの言葉をよくおぼえておけ!
おお 同志 グエン・バン・チョイよ
そうだ きみの遺言をおれたちはおぼえておこう
敵をまえにして 恐れおののかず
おれたちは栄光のなかに生き 栄光のなかに死ぬのだ
祖国のためにおれたちみずからをささげるのだ
電気労働者 グエン・バン・チョイのように
(「ベトナム詩集」飯塚書店 p21-26)

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◎─マイン書記長が「実践を総括しながら新しい道を探求する。抗米救国闘争と同じようにドイモイを推進するということです。あの時もアメリカに打ち勝つにはいろいろな問題があったが、最後には打ち勝った。ドイモイについても、よく検討して頑張れば到達できる。そういう教訓を引き出しました」─と。