学習通信070205
◎想像力のなさに恐怖と絶望……

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主張 中国「残留孤児」
「人間回復」を国の責任で

 中国「残留日本人孤児」への支援をめぐり、政府の決断を求める声がいっそう高まっています。

 安倍晋三首相が一月三十一日、「残留孤児」国家賠償請求訴訟の原告団・弁護団の代表と初めて面談し、これまでの対策に不十分な点があったと認め、厚生労働大臣に「新たな対応」を指示したと表明しました。各地の裁判所の判決で司法の判断は分かれています。支援が実現するかどうかは、政治の判断にかかっています。「孤児」が心から「日本に帰ってよかった」といえる施策を急いで実現することが政府の責任です。

「帰国してよかった」と

 「孤児」は、戦前から戦中にかけ、国策で中国東北部(旧満州)に移住し、一九四五年の終戦のさいに置き去りにされた人たちです。

 戦後も、「孤児」らに日本政府がとった態度はあまりにひどいものでした。中国に多数の残留日本人がいることを知りながら、帰国のための努力をなにもしなかったのです。

 五九年には三千人の孤児を含む一万三千人の残留日本人が中国に遺棄され、生存していることが明らかになっていたのに、政府は「戦時死亡宣告」をして、戸籍上この人たちを殺してしまいました。「孤児」らが「第二の棄民」と呼ぶこの行為は、安倍首相の祖父である岸信介氏が首相の内閣がおこなったものです。

 憧(あこが)れの祖国に帰った「孤児」を待ち受けたのは過酷な現実でした。日本語をほとんど理解できない状態で投げ出され、就労はきわめて困難でした。中国でそれぞれ生活を確立していた「孤児」が、日本では低賃金の不安定な仕事にしかつけませんでした。生活保護の受給は七割にのぼり、多くが七十代を迎えて老後の不安にさいなまれているのです。

 「普通の日本人として人間らしく生きる権利を」と二〇〇一年から始まった中国帰国者の国家賠償請求訴訟を機に、世論と運動は確かな前進を重ねました。「残留孤児」問題の全面解決を求める首相あての署名は百万を超えました。

 昨年十二月には神戸地裁で、政府の責任を断罪し「残留孤児」への支援が北朝鮮拉致被害者への支援より「貧弱でよかったわけがない」とした画期的な勝訴判決が出され、世論もこれを歓迎しました。全面解決への機運は与野党を超えて大きく高まりました。

 日本共産党は、国会でくりかえし「孤児」らの苦境を取り上げ、政府の責任で支援することを求めてきました。いま、▽国は責任を認め謝罪し賠償すること▽国の責任で生活保障のための新たな給付金制度を創設すること▽全面解決へ「残留孤児」原告団・弁護団と継続して定期的な話し合いをすること―などを、安倍首相に申し入れています。

 政府はこれまでの「孤児」への仕打ちを真摯(しんし)に反省し、「残留孤児」の人間回復に力を尽くすべきです。

悲劇繰り返さぬ道を

 「孤児」の苦しみの原点が、日本の誤った侵略戦争であったことを忘れるわけにはいきません。帰国者は「苦しみは私たちを最後に。戦争だけはいやです」と訴えています。

 安倍首相は、「残留孤児」への実効ある支援をすすめると同時に、次の「残留孤児」を生むことのない国づくりに責任をおわなければなりません。憲法九条を投げ捨て、日本をアメリカとともに「海外で戦争する国」につくりかえるこころみはやめるべきです。二度と悲劇をくりかえさぬ道をすすむことこそ、「孤児」の長い苦しみに報いる道です。
(「赤旗」200723日)

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点眼
血も涙もない冷酷非常な判決
瀬戸内寂聴

 中国残留孤児が国に対する賠償請求を求めた裁判で、東京地裁は全面的に原告側の主張を否定し、棄却した。原告たちが、血も涙もないこの非情な判決に、怒り、恨み、失望したのは当然である。

 原告たちが、まだ幼い時、中国に渡り、敗戦に遭ったのは、彼等に何の責任もない。戦争がなければ、彼等の両親は中国へ渡らなかったし、敗戦の引揚の時、彼等を捨てて自分だけで帰国したりはしなかった筈だ。彼等は文字通り、運命に翻弄されて生きてきた。

 辛い運命にさらされた時、その運命を理解し、闘う力も智慧もない幼子だった。

 原告者たちの年齢は六十代のはじめから六十代後半まである。終戦の年生まれた赤ん坊が、六十二歳の原告になっている。

 私は北京で終戦を迎えた時、二十三歳だった。前年八月に生れた娘をかかえていた娘はまだ歩くことも出来ず這い廻っていた。

 夫は終戦の年の六月現地召集されて、どこにいるのかさえわからなかった。

 満一歳の娘を何としてでも日本に連れ帰らなければならぬという想いだけで、私は生きていた。中国人に殺されても仕方がないと脅えていた。私は自分の目で、北京に於ける日本人たちの中国人に対する横暴、虐待を見てきていたからだ。

 もし、あの時、私が満州にいて、ソ達人の襲撃に遭っていたらどうだろう。私の叔父の一家はハルピンにいて、子供たちは、まだみな幼なかった。私は夫のいない北京の家で、子供を背負い、歩いてでも肉親のいるハルピンに行こうかと真剣に思いつめたりしていた。

 あの時、もしハルピン行を
決行していたら今の私はいないし、娘は、残留孤児になっていただろう。

 人間とは情けない動物で、自分の経験していないことに対しては、まことに想像力が乏しい。自分の愛する人と死別して、はじめて同じ境遇の人の辛さや悲しみを理解出来るのだ。自分が失恋してみて、失恋のため正常な判断力を失ってしまった人の苦悩が察しられるのだ。

 貧乏したことのない人間には、十円の銭さえ拾いたい貧しい人のみじめさがわからない。

 私たち、戦争の時代を生き、戦争の実体とその虚しさを経験したものが、いくら話しても、戦後生れの人たちに、それを自分と同じようには感じさせられない。それでも人間には想像力の可能性が与えられている。

 残留孤児の苦労を、帰国後の生活の苦しさを、彼等と同じにはわからないまでも、私たちは、自分を人間と思っているなり、想像力をふるいたて、駆使して、彼等の辛さ、苦しさ、心のひもじさを理解しようと努力すべきであろう。

 判決文を読み、こういう判決文の書ける人の想像力のなさに恐怖と絶望を覚え、身も心も震えあがった。(作家)
(「京都新聞」20070203)

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主張 「残留孤児」訴訟
国は判決に従い早期の救済を

 祖国で日本人として、人間らしく生きる権利を認めてほしいと訴えていた「残留孤児」訴訟で、神戸地裁が一日、国家賠償を認める判決を出しました。

 全国十五地裁に提訴されている訴訟で、初の原告勝利判決です。訴訟に加わる二千人を超える「残留孤児」たちに、希望を与えるものです。

国の責任を認める

 原告の「残留孤児」は、戦前から戦中にかけ、国策で中国東北部(旧満州)にくらし、一九四五年の終戦のさい肉親と別れ、置き去りにされた人たちです。四十年間にわたり中国に留め置かれ、一九八〇年代後半に永住帰国が本格化した後も適切な自立支援策がありませんでした。

 判決は、一般人を無防備な状態に置いた戦前の政府の政策を「無慈悲な政策」と断じるとともに、「憲法の理念を国政のよりどころとしなければならない戦後の政府」として、「残留孤児を救済すべき高度の政治的な責任」が政府にあったと明確に指摘しています。

 ところが国は「早期帰国を実現すべき政治的責任」を果たそうとせず、一九七二年の日中国交正常化後も、「残留孤児」を外国人扱いして帰国にさいし身元保証を要求するなど「帰国制限」の措置をとってきました。こうした「違法な行政行為」の結果、「残留孤児」の帰国が遅れ、八〇年代になって永住帰国が認められたときには、大半が日本社会への適応に困難をきたす年齢になっていました。判決は、「違法な行政行為」と、救済責任を怠った「政府の無策」をきびしく指弾しています。

 しかも政府は、「残留孤児に対し、日本社会で自立して生活するために必要な支援策を実施すべき法的義務」があったのに、帰国した「孤児」にたいし政府が実施した支援策は極めて貧弱であり、日本語の習得が不十分なままの状態の帰国「孤児」に強引に就労を迫るなどの、誤った“自立支援策”に終始しました。

 判決は、政府がとるべき自立支援策は「生活の心配をしないで日本語の習得、就職・職業訓練に向けた支援」だったのに、この法的義務を怠ったと、政府の怠慢にきびしい目をむけています。

 判決は、原告らに「北朝鮮拉致被害者が法律上受け得る日本語習得、就職や職業訓練に関する支援措置と同等の自立支援措置を受ける権利があ」ると判断しています。「孤児」の多くが高齢で健康を害し、生活に困窮しています。永住帰国した「孤児」の約九割が、集団訴訟に加わっている現状を、国は直視すべきです。

 「残留孤児」が訴えた裁判で最初の司法判断となった〇五年七月の大阪地裁判決は、原告側の主張を退けました。また、今年二月の「残留婦人」の国家賠償請求訴訟の東京地裁判決では、国には早期帰国実現と自立支援の責務があり、国の施策に怠慢があったと認めたものの、原告の請求は棄却しました。

 今回の神戸地裁の判決は、司法としても「孤児」の救済に大きく踏み出したものです。国の手厚い支援と救済が切実に求められています。

国は控訴せず解決を

 判決を力に、全国の「残留孤児」とその関係者は、全面解決を強く求めています。政府は、判決を真剣に受け止め、絶対に控訴を避け、全面解決に踏み出すべきです。

 判決は、「残留孤児」の救済を放置してきた国の姿勢の根本的な転換を迫る大きな一歩です。全面解決によって、これまでの誤った「棄民」政策に終止符をうつときです。
(「赤旗」20061203日)

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◎「「孤児」らが「第二の棄民」と呼ぶこの行為は、安倍首相の祖父である岸信介氏が首相の内閣がおこなったもの」と。