学習通信070206
◎建前と本音を使い分けるのがうまい人……

■━━━━━

潮流

柳沢厚生労働相は、高校生のときにエンゲルスの『空想から科学へ』を読み始めた、といいます。社会科学研究部の読書会で出あいました

▼やがて、貧しかった柳沢少年は定時制へ移り、一度は読み通したものの字面を追うだけでした。一九六〇年安保闘争のころ、再び読みました。「内容は明晰そのもの」と思いますが、資本主義のもとで労働者が貧困に陥るとの説に「与(くみ)し得ない」、と考えたそうです

▼以上、「日経」に載った思い出話です(十六日付夕刊)。柳沢氏は、『空想から科学へ』を捨てるのを早まったかもしれません。たとえば、エンゲルスは同書で、空想的社会主義者フーリエの次の思想を「傑作」と書いています

▼ある社会における女性解放の程度は社会全般の解放の尺度である=Bフーリ工自身の言葉では、こうです。「社会の進歩と時代の変化は女性の解放が前進するのに照応して進む」「女性の権利の拡大はすべての社会的進歩の主要原理である」(国民文庫版)

▼先の柳沢氏の発言には、憤りを抑えられません。島根県松江市の会合で、女性を、子どもを産む「機械」とか「装置」とよんだのですから。女性の権利はもちろん、人格をも否定します。きのうの衆院本会議。日本共産党の志位委員長は、柳沢大臣をやめさせるよう安倍首相に求めました

▼罷免を拒む首相。大臣の資格が問われているとは思いいたりません。『空想から科学へ』にならえば、「柳沢氏と安倍首相のふるまいは、自公政権の女性観の尺度」です。
(「赤旗」20070131)

■━━━━━

新しい社会組織−ファランジュ

 フーリエは、『産業的協同社会的新世界』(一八二九年)において、新しい社会組織ファランジュについて述べる。ファランジュは、『四運動の理論』(一八〇八年)の原理にもとづいた情念系列の総体である。その単位となるものは、古代マケドニアの軍隊の方陣(ファランクス)から名をとったファランジュであり、農業を基礎として生産および消費を共同しておこなう組合組織である。一つのファランジュは、一五〇〇人ないし一六○○人からなり、四キロメートル平方の地域に農耕地をもち、その中心にファランステールと呼ばれる建物を置く。これは共同生活のためのもので、個々の住居のほかに公共用の広場を多数含んでいる。

 文明社会では、労働の大部分が興味のないものになっており、工場は「緩和された牢獄」であったが、ファランジュでは、「魅力ある労働」となる。そのための条件として、フーリエは、賃金制の廃止、資本・労働・才能に応ずる報酬、作業の変化(一日約八回)、自発的結合による競争、工場・農場の美と清潔、高度の分業による適正配置、労働の権利の確立をあげている。所有は集団的であり、経営の利得は、労働・資本・才能の三者に対する比率を五・四・三の割合で分配し、各組合員には、生存の維持にあてるに必要な最低のものが保証される。このような社会は、自主的な連合組織であり相互扶助の社会であるから、政治権力は不必要であるが、経済的管理のために少数の役員を置く。したがって、強制力をもつ国家はなんの意味ももたない。

 産業および商業における無政府性を暴露したフーリエは、ファランジュにおいて農業労働に重要な地位を与え、農業を基礎として生産および消費を共同しておこなう組合組織を構想したのであるが、同時に、旧来の分業が人間の肉体的精神的能力を犠牲にすることを明確にして、このような分業を廃止するために都市と農村との対立の廃止をとなえている点も、見逃してはならない重要な点である。

 また、男女の差別の解消が説かれている点も重要である。フーリエは、『四運動の理論』において、ブルジョア的な家族制度と結婚制度に対する批判を展開し、婦人が完全に自由な状態において恋愛の自由が生まれることを洞察した。すなわち、「社会の進歩は、婦人の自由への進歩に比例しておこなわれ、社会秩序の衰退は婦人の自由の減少に比例しておこなわれる」。「婦人の特権の伸張は、あらゆる社会的進歩の一般原則である」と述べている。

一九世紀初頭の第一帝政時代にあって、すでに「若い娘とは、独占できる財産としてこれを斡旋しようとする者にとって、目下発売中の商品ではないだろうか?」。

すなわち女性の肉体イコール商品としての認識、および「最良の国民とはかならずや最高の自由を婦人に与えている国民である」ことや、文明社会における婦人の奴隷状態の認識についての洞察は、卓見であったと言わねばならない。
(服部文男著「社会思想入門」青木教養選書 p60-62)

■━━━━━

 サン・シモンには天才的な視野の広さが見いだされ、そのおかげで彼には、それ以後の社会主義者たちの思想で厳密に経済的でないものがほとんどすべてふくまれているとすれば、フーリエには、現存の社会状態にたいする、真にフランス的な才気にみちた、だからといって深い透徹さでもおとらない批判が見いだされる。

フーリエは、ブルジョアジーの言質を取り、革命前のブルジョアジーの熱狂的な予言者たちや革命後のブルジョアジーの打算ずくのおべっかつかいたちの革命についての言質を取る。

彼は、ブルジョア世界の物質的および精神的みじめさを容赦なくあばきだしている。

彼は、ただ理性だけが支配するようになるという社会とか、すべてのものを幸福にする文明とか、人間の無限の完成能力とかについての以前の啓蒙思想家たちの偽善的な約束や、同時代のブルジョア思想家たちの美辞麗句と、このみじめさとを対比し、そして彼は、もっとも調子の高い空文句のかげにはどこでももっともみじめな現実があることを指摘し、空文句のこのすくいようのない破綻にしんらつな嘲笑をあびせている。

フーリエはたんに批評家であるだけでなく、彼のいつもかわらぬ快活な天性は、彼を風刺家に、しかもあらゆる時代をつうじてもっとも偉大な風刺家の一人にした。

彼は、革命の退潮とともにさかんになった詐欺的投機や、当時のフランスの商業の全般に見られた小商人根性を、みごとにしかもおもしろくえがいている。

それよりももっとみごとなのは、両性関係のブルジョア的形態とブルジョア社会における婦人の地位についての彼の批評である。

ある社会における婦人の解放の度合いが全般的な解放の自然の尺度であるということは、彼がはじめてのべたことである。

しかし、フーリエがもっとも偉大に見える点は、社会の歴史についての彼の見解である。彼は、これまでの歴史の全経過を四つの発展段階に分けている。

未開、野蛮、家父長制、文明がそれであり、その最後のものは今日のいわゆるブルジョア社会、すなわち一六世紀以後みちびきいれられた社会制度と一致する。

そして彼はつぎのように指摘している。「文明の段階は、未開時代に単純なやり方でおこなわれたあらゆる悪徳を、複雑な、あいまいな、うらおもてのある、偽善的な存在の仕方に高める」と。

また、文明は一つの「悪循環」のなかで、すなわち、文明がたえず新しくつくりだしながら克服することのできない諸矛盾のなかで動いているので、文明はつねにそれが達成しようと思い、または獲得しようと思っているかのように見せかけているものとは反対のことを達成する、と。

したがってたとえば、「文明時代には貧困は過剰そのものから生じる」のである。

フーリエは、これでわかるように、彼の同時代人であるヘーゲルと同じようにたくみに弁証法を駆使している。同じ弁証法をつかって、彼は、無限の人間の完成能力についてのおしやべりにたいして、あらゆる歴史的段階には上昇期とともに、下向期もあることを力説し、そしてこの見方を全人類の未来にも適用している。

カントが将来の地球の滅亡を自然科学にとりいれたように、フーリエは将来の人類の滅亡を歴史観のなかにとりいれている。
(エンゲルス著「空想から科学へ」新日本出版社 p36-39)

■━━━━━

潮流

二月六日は、「海苔の日」です。全国海苔貝類漁業協同組合連合会が海からの贈り物である海苔に対する感謝の気持ちを込めて、一九六六年に定めたものです

▼ところで、海苔にも表と裏があるのをご存じでしょうか。同連合会によると、表面に光沢がある方が表で、ない方が裏だそうです。人間にも、建前と本音を使い分けるのがうまい人がいます。そんな人でも調子にのって本音を吐いてしまうことがあります

▼政治家の暴言や失言もその典型です。森喜朗元首相の「神の国発言」もその一つです。森内閣の成立直後に、「日本は天皇を中心とした神の国だ。そのことを国民に承知してもらう」といったのです

▼現職の首相が主権在民の憲法を否定し、戦前型の政治、社会に戻そうという主張をしたのですから、内外から批判が殺到したのも当然です。自民党の夕力派議員からは、しばしばこの種の発言がされます

▼中曽根内閣の藤尾正行文部大臣は朝鮮併合を「侵略を受けた側にも問題がある」とのべて、罷免されました。竹下内閣の奥野誠亮国土庁長官は侵略戦争肯定発言を繰り返し、辞任に追い込まれました。戦後何十年もたっているのに頭の中は戦前のままのようです

▼大問題となっている柳沢伯夫厚生労働大臣の「女性は『産む機械』発言」も戦前の産めよ、殖やせよ≠思い出させます。与党は柳沢氏を続投させるようです。柳沢氏をかばい続ける安倍首相は、自分自身が置かれている厳しい情勢が読めていないとしか思えません。
(「赤旗」20070206)

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
◎「すなわち女性の肉体イコール商品としての認識、および「最良の国民とはかならずや最高の自由を婦人に与えている国民である」ことや、文明社会における婦人の奴隷状態の認識についての洞察は、卓見であった」と。