学習通信070207
◎貧乏人のいない世の中ばつくりたい……

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十五日は「小正月」。七草粥、鏡開きと続いた正月行事も締めくくりです。これらの行事に共通して込められるのが、「健康で幸せな一年になりますように」との願いです

▼時代は変わっても思いは同じ。と考えていると、東京・荒川区に住む男性(五六)の言葉がよみがえりました。「人間、ひとりじゃないよね。生きていくのはさ」。十数年前の事業の失敗で借金を抱え、昨年からはがんともたたかっています

▼「うまくいくときも、そうでないときもあるんだ。人間に、簡単に白黒つけられちゃ困るんだ。みんな、その中間でもがいてるんだから」。妻は正社員の職を探すも見つからず、週五日のフルタイムのパートで家計を支えています

▼経済苦と病気。小さなつまずきが、家族の暮らしを追いつめていました。困窮する家族を支えたのが、地元の「生活と健康を守る会」です。妻の母親(八〇)は会の応援で生活保護を受けることができ、家族の暮らしは少し楽になりました

▼会がすすめているのが、「生きる権利を学んで、自分の力で権利を行使する」こと。みんなで準備をしたあと、生活保護申請には本人が一人で行きます。主権者として生きる力を身につけるためです。トラブルがあれば、みんなで励まし、対応します

▼仲間に支えられて暮らしを取り戻した人たちはいま、同じように困っている人の力になるうと動いています。手作りのビラを配り、生活相談会を開いて。北風のように冷たい政治から、人々の温かいつながりが命を守っています。
(「赤旗」20070116)

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 さてねえ、多喜二は、いくつの時から小説ば書いていたのやら、親のわだしにもよくわかんないども、確か商業学校に入って間もなく、絵だの小説だの書いていたって聞いたから……。何せ商業学校の時は、慶義あんつぁまの家から学校さ通っていたから、よくは知らんども、その頃から書いていたもんだかねえ。

 けどなあ、あんた、わだしは小説を書くことが、あんなにおっかないことだとは、思ってもみなかった。まさか、小説書いて警察にしょっぴかれるだの、拷問に遭うだの、果ては殺されるだの、田舎もんのわだしには全然想像もできんかった。そったらおっかないことなら、わだしも多喜二に、小説なんぞ書くなと、両手ばついて頼んだと思う。

 あの子だって、そんな恐ろしいことになるとは、夢にも知らずに書いていたんでないべか。まさか小説書いて殺されるなんて……あの多喜二が殺されるなんて……。

 あれは銀行に行ってた時だったべか。いや、高商に通ってた時だったべか。チマの妹のツギが、晩飯の時にこんなことを言った。

 「あんね、母さん。今日ね、果物買いに来た女の人がね……」
 ああツギはね、果物屋で臨時で働いていたの。

 「……ね、母さん、その女の人、赤ん坊をおんぶして、小っちゃな子の手を引いて、少し腐れの入ったひと山なんぼのりんごの前で、買おうか買うまいかと、手を出してはひっこめ、ひっこめては手を出してねえ、いいりんごのほうを見たり、ひと山なんぼのほうを見たり、そりゃあ何度も何度も思案してるの。そして、とうとう腐れの入ったりんごばひと山買って帰って行ったの。わたしね、自分が金持ってたら、新鮮なぴかぴかのりんご持たしてやりたいと、つくづく思ったよ」

 ツギの言葉にわだしは、
 「ツギ、お前は優しい心だな。その心が何よりの宝だなあ」
 って、ほめてやったの。そしたら、じっと傍で始めから終わりまで話ば聞いていた多喜二が言ったの。

 「母さん、優しい心はむろん大事だよ。だがね、ツギの優しい心で、その女の人にしてやれることには、限りがあるだろ。女の人が可哀相だと思って、金を持っていたら一回はりんごを買ってやれるわな。だけど、その人が店に来るたびに買ってやるわけにはいかんだろ。おそらくその女の人は、一年も二年も、いや三年も五年も、ひと山なんぼのりんごしか買えないんじゃないか。そしてなツギ、小樽の町には、その女とおんなじように貧しい人は、数え切れんほどいるんだ。いや、それどころか、りんごなんて、腐ったりんご一つさえ買えん貧乏な人がたくさんいるんだ。金を持っている人が、その人たちに毎日毎日買ってやっても、追っつかんほど貧乏な人はごしゃごしゃいる。ツギがなんぼ優しい心でその人にりんご買ってやったって、残念ながら何の解決にもならんのだよ」

 ってね、多喜二は腕ば組んで暗い顔をしていた。言われてみれば、なるほどそうだとわだしも思った。

 「そんだら多喜二、どうしたらいいんだべ」
 とわだしが言ったら、多喜二はね、
 「だからね、母さん、貧乏人のいない世の中ばつくりたいと、心の底から思って、おれは小説を書いている。おれの友だちの島田正策なんかも、貧乏人のいない社会をつくりたいって、一生懸命勉強しているんだよ」

 ってね、そりゃあ優しい顔をしていたっけ。けどなあ、そんな考えがお上から見たら、どうして悪い考えだったんだべか。あんなひどい殺され方をしなければなんないほど、そんなに多喜二の考えは悪い考えだったんだべか。わだしには、多喜二が何を書いたか知らんども、多喜二はわだしの腹を痛めた子だ。わだしが育てた子だ。あの子がどんなにわだしら親やきょうだいに優しくしてくれたか、親切にしてくれたか、よっく見て来た。カラスの鳴かん日はあっても、あの子が、
 「母さん、無理するな」
 だの、
「三吾、頑張れよ」
 だの、
「父さん、体疲れてないか」
 だの、優しい声で言わんかった日は、一日もなかった。
(三浦綾子著「母」角川文庫85-87)

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◎「主権者として生きる力を身につけるため」と。